雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 12月30日(木) 里山の今年の最終日、かまどの火をたいて

2010年12月31日 22時04分34秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月30日(木) 里山の今年の最終日、かまどの火をたいて

 今年の里山も寒くなって、あと2日。
 作業スタッフのメンバーのうち4人が里山に集まりました。

 作業は一段落して、里の家を開けて、いろいろ話していたら寒くなったので、
 里の家のかまどをたいて、炭で七輪の火にして、暖をとることにしました。

 さらに「椎茸汁」をつくりました。

 里山で取ってきたばかりの「シイタケジル」は、すごくおいしかったです。

 

 
 

雨宮日記 12月29日(水) やっと年賀状(「初春新報」)をプリントしました

2010年12月30日 05時34分02秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月29日(水) やっと年賀状(「初春新報」)をプリントしました

 今年もあと3日だけ。
 やっと今日の夜、年賀状をつくり、150枚プリントしました。
 昔はもっと枚数は多かったのですが、かなり絞りました。

 ずっと使い続けているワープロソフト「一太郎」(パソコンはレノボのノートパソコン)で作成しました。

 「初春新報」は1979年(昭和54年)創刊で、今年で34号です。
 
 もちろん、今年もぼくが原稿を作って、N子さんが点検して直します。今年は1カ所を直しただけでパスしました。
 内容を書いちゃうと、もらった時の楽しみがないので、今は書きませんね。

 来年はうさぎ年なので、写真は家兎の豆子さんの写真です。
 あ~あ、ぼくも兎年、そんなに生きてきたかなあと思います。

 宛名は、2人で(主にN子さんが)手書きで書きます。
 

雨宮智彦の遠州古代史(2009年11月9日~2010年12月17日) 目次

2010年12月30日 05時31分33秒 | 遠州古代史
雨宮智彦の遠州古代史(2009年11月9日~2010年12月17日) 目次

  2009年
11月 9日  遠州古代史1    浜松の神社の方向性

11月21日  遠州の遺跡・寺社1 五社神社の謎の「姫大神」 
11月21日 遠州の遺跡・寺社2 遠江「若倭部」の万葉歌と木簡
11月21日  遠州の遺跡・寺社3 山神社と蜆塚遺跡

  2010年
 2月18日  遠州の遺跡・寺社4 早出町の薬師堂(早出薬師瑠璃光如来)
2月23日 遠州の遺跡・寺社5 不動寺(秋葉山)の天狗は羽があって

 2月23日  遠州古代史2 浜北人・三ヶ日人・牛川人の年代測定
 2月26日  遠州の古墳1 浜北区・稲荷山古墳を浜松市文化財に指定
3月29日 遠州古代史3 銅鐸・さなぎ・猿投・佐鳴湖

4月11日 遠州の遺跡・寺社6 天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡
 4月13日  遠州の遺跡・寺社7 引佐町の龍潭寺の石庭(せきてい)
 4月19日  遠州の遺跡・寺社8 「井」の国、引佐町の支配者・井伊氏の謎
4月21日 遠州の遺跡・寺社8 古代中国の土笛「ケン」と弥生の土笛
4月23日 遠州の遺跡・寺社9 天白岩座遺跡幻想
4月28日  遠州の遺跡・寺社10 冨幕山の謎の新羅堂(しんらどう)

5月 3日  遠州古代史の本1 辰巳和弘さん著『日本の古代遺跡1静岡』

 5月 3日  遠州の遺跡・寺社11 東区上新屋町の荒神社
 5月 7日  遠州の遺跡・寺社12 江之島町の新羅大明神
5月14日  遠州の遺跡・寺社13 早出町の「しら」は新羅かな?

5月14日 遠州古代史の本2 浜松市『浜松の古墳めぐり』
5月23日 遠州古代史の本3 辰巳和弘さん著『聖なる水の祀りと古代王権』
6月10日  遠州古代史の本4 浜松市文化財ブックレット②『姫街道を歩く』

 6月11日  遠州の遺跡・寺社13 坂上伝説1 「旧俊光将軍社跡」
6月15日  遠州の遺跡・寺社14 坂上伝説2 有玉神社内「俊光将軍社」
6月29日  遠州の遺跡・寺社15 十軒町の「十軒観音さま」
7月14日  遠州の遺跡・寺社16 中区上島7丁目の赤池薬師(白華寺)
7月15日  遠州の遺跡・寺社17 高林の白山神社とスサノオ
 7月21日  遠州の遺跡・寺社18 東区天王町の「大歳神社」
7月24日  遠州の遺跡・寺社19 南区龍禅寺町の「龍禅寺」
 7月28日  遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社
 7月29日  遠州の遺跡・寺社21 豊町の羽鳥八幡神社(2) 青い龍神
 7月29日  遠州の遺跡・寺社22 東区豊町の蛭子森(えびすもり)古墳
 8月 1日  遠州の遺跡・寺社23 豊町の「服織(はたおり)神社」
 8月 2日 遠州の遺跡・寺社24 東区の笠井観音さま
 8月17日  遠州の遺跡・寺社25 天竜区の光明山古墳を暑いなか…
 8月20日  遠州の遺跡・寺社26 天竜区の光明寺と光明山古墳

 8月23日  遠州古代史の本5 天竜市編集発行『天竜市史 上巻』

 8月23日  遠州の遺跡・寺社27 天竜区二俣・光明山古墳の続き

 8月25日  遠州古代史の本6 浜松市博物館『浜松市の銅鐸』
 8月26日  遠州古代史の本7 夏目隆文『萬葉集の歴史地理的研究』
 9月11日  遠州古代史ニュース 9月10日 南区渡瀬町の上組遺跡
 9月18日  遠州古代史ニュース 9月10日 「浜松市史 通史編」を

9月27日  遠州の遺跡・寺社29 中区寺島町の八百(やお)神社
 9月27日  遠州の遺跡・寺社30 中区上島5丁目の高貴神社
 9月29日  遠州の遺跡・寺社31 中区萩丘の朏三日月稲荷

 9月30日  遠州古代史の本8 浜松市文化財ブックレット「遠州山辺の道」

      <遠州の遺跡・寺社32はミスで欠番です>
10月11日  遠州の遺跡・寺社33 内野台の古墳・山の神古墳 
10月14日  遠州の遺跡・寺社34 内野古墳群の3 赤門上古墳
10月15日  遠州の遺跡・寺社35 内野古墳群の北西・朝鮮系の二本ヶ谷積石塚古墳群
10月18日  遠州の遺跡・寺社36 中区の弥生時代・伊場遺跡の三重環濠

10月20日  遠州古代史の本9 静岡県神社庁浜松支部『浜松市神社名鑑』1982年
10月22日  遠州古代史の本10 浜松市教育委員会『伊場遺跡発掘調査報告書 第11冊 伊場遺跡補遺編』

10月25日  遠州の遺跡・寺社37 浜松市東区松小池町の「松之浦神社」
10月30日  遠州の遺跡・寺社38 東区中里町の欽命八幡神社
11月 3日  遠州の遺跡・寺社39 中区三組町の秋葉(あきは)神社
11月 6日  遠州の遺跡・寺社40 浜北区小松の「秋葉大鳥居」

11月 9日  遠州古代史考 南北軸神社の方向が西へぶれるわけ

11月13日  遠州の遺跡・寺社41 中区住吉4丁目(青少年の家西側)の住吉南古墳
11月15日  遠州の遺跡・寺社42 中区佐藤2丁目の駒形神社
11月15日  遠州の遺跡・寺社43 中区佐藤2丁目・駒形神社内のお稲荷さん
12月17日  遠州の遺跡・寺社44 浜北区貴船の貴布祢(きぶね)神社 

雨宮日記 12月28日(火) N子さんは仕事納め、夕方はすごい雷雨でした

2010年12月29日 05時40分28秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月28日(火) N子さんは仕事納め、夕方はすごい雷雨でした

 N子さんの事務所は、今日で仕事納め、明日から休暇です。
 いいなあ、ぼくは31日の朝まで仕事です。

 午後に起きてから、N子さんの要求する平和行動のチラシを、慌てて作って、N子さんのいる事務所にファックスして点検してもらい返送してもらいました。
 N子さんが指定したとおりに修正して、印刷に行きました。

 N子さんは、ぼくが「力(ちから)」と書いたところを「武力」と修正したけど、現代の国家がふるうのは「武力」だけではなくて、たとえば尖閣諸島問題で中国政府が、レアメタル輸出量を制限しようとしたように、経済的な力などもあるんですね。

 えっと、N子さんとは、別途、話したいと思います。

 夕方にすごいカミナリ=神鳴りで、怖いくらいでした。
 あれ?このカミナリは、N子さんの怒りのカミナリですか?

 それなら、納得ですが、できましたら、ぼくの上には落ちないでください。


 

雨宮日記 12月27日(月) 雨宮夫妻は「ラブラブ」じゃないです、今日も娘が戸を閉めました

2010年12月29日 05時14分26秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月27日(月) 雨宮夫妻は「ラブラブ」じゃないです、今日も娘が戸を閉めました

 このタイトル、「なんのこっちゃ?」と思うでしょうが、書いたとおりです。

 雨宮夫妻はいつもいっしょにいて「ラブラブ」で甘い家庭と、誤解している人もいるようなので、リアルに書きますが、30数年間も、今現在も、ぼくとN子さんとの関係は、つねに向上心を要求される、緊張感に満ちた時間です。

 N子さんが事務局をやっている「浜松基地自衛官人権裁判」のニュースを作るのに、ぼくが手抜きして、あまり考えずに、第1稿を書いたのです。
 N子さんは「なんで、智彦くんは、何も考えずに、こんなのを書くの」と。

 それはそうなんですけど、こうなっているのは、いろいろ歴史的な経過があってのことなのは、N子さんもよく知っているのに、なんだよ!という反論がわき上がってきて、いろいろごねました。

 台所で、話をしていたら、廊下の端の玄関の横の、テレビの部屋にいた下の娘が何も言わずに来て台所のドアを静かに閉めました。
 たぶん「お父さんと、お母さん、またやってる。うるさい!」ということでしょうね。

 このまま深夜勤務の仕事に行くのは、なにか胸に落ちなくて、解決方法は自分が責任を負うしかないだろうと、仕事に行った事務所からN子さんの携帯に電話して「次からはぼくが編集責任を持つから」と通告しました。

 今年もあと数日なのに、やることがいっぱい。
 年賀状もまだです。

 よく考えたら、こういう「雨宮日記」を書くより「初春新報」を書けばいいんだよね。


本と映像の森 117 石ノ森章太郎さん著『サイボーグ009 9&10』秋田文庫、平成7年初版

2010年12月28日 04時51分43秒 | 本と映像の森
本と映像の森 117 石ノ森章太郎さん著『サイボーグ009 9&10』秋田文庫、平成7年初版

 むかし、大好きだった「サイボーグ009」の文庫版全巻を娘が買って来たので、そのうち、いちばん好きな「地下帝国ヨミ編」を借りました。

 「サイボーグ009」を知らないという人のために、紹介を少し。
 
 物語は、地球の戦争や紛争を生み出す「悪の帝国」=「黒い幽霊(ぶらっくごーすと)」によって生み出された試験ナンバーのサイボーグたち9人と、反逆した科学者ギルモア博士が、平和と安息を求めて、黒い幽霊とたたかっていくストーリーです。

 野球と同じ9人のチームのそれぞれの個性が素敵で、その監督がギルモア博士という役どころでしたね。

 なぜ「サイボーグ009」が好きだったかというと、正義の「ゼロゼロナンバーサイボーグ」が悪魔の「ブラックゴースト」を
討ち滅ぼすというお話ではなくて、鉄の肉体に人間の心を持つサイボーグの悲哀、心の恋愛はできても実際のセックスはできない悲哀、身体に風を感じることも出来ない悲哀が、すごく心に落ちるのです。

 そして敵役の、黒い幽霊側のサイボーグ達の、人間性も、すごく哀しいです。

 ギリシア神話編や、ベトナム戦争編もよかったですが、いちばん、ストーリーとして最高なのが、この「地下帝国ヨミ編」だと思います。

 ベトナムやギリシャで黒い幽霊とたたかった後、いったん解散し、みんな世界の果てに散ったのですが、ふたたび、再開し、新たな闘いを始める物語です。

 メイン主人公の「009」=島村ジョーから物語は始まるのですが、ぼくのいちばん好きなのは、ニヒルなドイツ人「ハインリッヒ」=004です。

 004と地底人の少女ビーナ、009と地底人の少女ヘレンの、けっしてかなうことのない恋物語も、この物語のメインテーマです。

 物語のラストシーン「ながれぼし」も、最高です。

 

雨宮日記 12月25日(土)夜 クリスマス会をしました

2010年12月27日 06時00分49秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月25日(土)夜 クリスマス会をしました

 キリスト教徒でもなんでもないのに、ケーキを買ってクリスマス会をしちゃいました。
 いろんな話をして、すごく至福の時間でした。

 Uさんのフルート演奏を聴いて
 みんなで「きよし この夜」を歌いました。

雨宮日記 12月25日(土)早朝 寒いクリスマスイブの夜中でした

2010年12月25日 05時45分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月25日(土)早朝 寒いクリスマスイブの夜中でした

 24日の夕方に、中央図書館へ行ったので、今日は電車ででかけたN子さんに電話して「乗っていく?」と言ったら「じゃあ、5時に終わったらそっちへ行く」というので、図書館で本を借りて、図書館の東の道路へ回ったら、大渋滞でした。
 
 クリスマスイブだから、やたらとみんな、キリスト教徒でもないくせに、でかけたりするのでしょうか、大迷惑です。

 家へ帰って、N子さんと娘のIさんは、近くのケーキ屋さんに、クリスマスケーキを買いに行きました。

 夜はどんどん真冬の季節風で、どんどん冷えて、寒かったので、おかげで、夜中の市街地も酔っ払いは少なくて、快適に運転できました。

 

 

雨宮日記 12月24日(金) 年末からN子さんは花粉症と、左の肩の筋違え?

2010年12月25日 05時39分08秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月24日(金) 年末からN子さんは花粉症と、左の肩の筋違え?

 N子さんは、数十年間ずっと、肉体労働としての保育園の保母と、介護施設の介護士をしてきたので、身体を動かさない事務労働は、どこかが疲れるのではないでしょうか。

 数日前から、鼻をグジュグジュさせていて、今年も花粉アレルギーの花粉症かもしれません。

 そして、N子さんは、左の肩の関節の辺が痛むと言っていましたが、やっと直ってきました。

 無理をせずに、ゆっくりして、直してくださいね。

本と映像の森 116 ふるさとの地図、浜松市で売っている1万分の1地図、2500分の1地図

2010年12月25日 05時26分44秒 | 本と映像の森
本と映像の森 116 ふるさとの地図、浜松市で売っている1万分の1地図、2500分の1地図

 一番正確な地図というと、やはり国(国土地理院)がつくって大きな書店などで買える「5万分の1地図」「2万5千分の1地図」を思い浮かべる方が多いと思いますが、浜松市も地図をつくって販売しています。

 里山活動で欲しくなったので、今日、中区の「まちづくり推進課」へ行って、浜北の灰ノ木川の起点付近の「2500分の1地図」と、「1万分の1地図」を買いました。

 A0判で、1枚300円です。
 
 各区役所で、浜松の全市の地図が買えます。

 

雨宮日記 12月23日(木) 北区の引佐町奥山に産廃企業ミダックの処分場計画地を見学

2010年12月25日 04時58分59秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月23日(木) 北区の引佐町奥山に産廃企業ミダックの処分場計画地を見学

 天皇さんの誕生日です。
 77才だそうですが、天皇さんは、自分の「明仁」さんという人格と、「天皇」というお仕事が分離せずに癒着しているので、「今日から引退してのんびり暮らします」なんて言えなくて、すごく可哀相です。
 皇太子さんも「今日から、皇籍を離脱して平民になる」と言えば、奥さんも、子どもも、すごく楽になるんじゃないでしょうか。

 今日は、午後、引佐町の奥山に産廃処理企業のミダックが計画している、最終処分場の計画地を見学に、N子さんや何人かで行きました。

 詳しくは「浜松ごみエコロジー環境ブログ」を新年から再開して、そこで報告しますが、現地は、輝緑岩(きりょくがん)という石を、砕いて粉々にして砕石(さいせき)にして、道路の下にしく路盤材として売っています。

 大きな山を掘って、大きな窪地になっていて、ところどころで雨やわき水が溜まった池になっています。

 ここをミダックが買い取って、巨大な産廃処分場にする計画です。

 地元は反対一色で、地元の反対する協議会のみなさんが大勢、同行してくださり、まだ営業している採石場の中にも入って、実際の地質や、巨大な「断層」も見ることができました。

 ミダックが計画しているのは、アスベストも汚染土壌も、産廃も、一般廃棄物(家庭と事業所)もすべて処理できる処分場です。
 
 人間の家で言えば、家を作ってから、トイレをどこに作るか後でもめるようなもので、最終処理とか循環型社会とか、そういうシステムはまったく考えずに、まず生産が先行するのですね。

 現地見学のあと、奥山のなんとかセンター(元は奥山村役場の跡地)で、資料を見ながら、さらに詳しい説明を聞きました。

 内容的にも住民には絶対納得できない危険性と、経過的に住民を無視して進行するプロセス、そういう大きな2つの問題があると思いました。

 住民の方の「浜松市の行政は傍観者だ」という発言が、非常に印象的でした。


 

本と映像の森 115 森浩一さん著『倭人伝を読みなおす』ちくま新書859、筑摩書房、2010年

2010年12月23日 22時23分11秒 | 本と映像の森
本と映像の森 115 森浩一さん著『倭人伝を読みなおす』ちくま新書859、筑摩書房、2010年8月10日第1刷、217ページ、定価740円+消費税

 前回「本と映像の森 114」で「倭国伝 中国正史に描かれた日本」を紹介したので、ここで「魏志倭人伝」の解説として、考古学者森浩一さんの細心の著書を紹介します。

 もともと「西日本新聞」に連載された記事をまとめたもので、第1回は「まき向遺跡は卑弥呼の宮殿と決まったのか」という挑戦的なタイトルです。
 
 森さんは、奈良県のまきむく付近で宮殿と見なされる建物が発掘されたら、それはまず『古事記』『日本書紀』に「まきむく」にあったと書かれている崇神天皇・垂仁天皇・景行天皇の宮がまず頭に浮かばなければならないと、まったく当然のことを書いています。
 私もそう思います。
 そして、そういうまきむく付近の発掘をなんでも卑弥呼に結びつける現象を「異常」と批判しています。
 私もそう思います。
 
 以下、倭人伝の描写に即して、意外な面を指摘していきます。

 なぜ倭人伝で倭国伝ではないのか。
 それぞれの国の特徴と意味。
 派遣された張政の役割などなど…。

 必読文献であると思います。

雨宮日記 12月22日(水)昼 「里山中毒」

2010年12月22日 05時54分19秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月22日(水)昼 「里山中毒」

 里山から「行ってきます」と言って、通常のわが家に帰って来て、何日か、里山に行かないと、
 「里山に行きたし、里山に行きたしと思えども」という状態になります。

 N子さんは「また、智彦くん!里山中毒!」と
 まるで、ぼくがアル中みたいに言いますが、人間は、帰るべき所に帰らないといけないんですよ。

 昨夜大雨で心配だったし、午後、起きてから里山に車を走らせました。

 里山に近づくと、遠くから見えたの3人くらい人が立っていて
 バードウオッチング用の望遠鏡も三脚の上に立っていたので、
 「あれ?鳥マニアか_?」と一瞬思ったら、違いました。
 
 3人とも、同じ作業スタッフで「里山中毒」の患者さんでした。
 集まった4人で、里山や生きもののことを、たっぷり語り合い、
 たっぷり観察しました。

 最初は雲の多い、寒い天気だったのですが、
 途中から雲が晴れて、お日様が差し込んで、暖かくなりました。

 



 

雨宮日記 12月21日(火)夜 年末は集金など、いろいろ忙しいですが…

2010年12月22日 05時44分37秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月21日(火)夜 年末は集金など、いろいろ忙しいですが…
 
 N子さんは、いくつもの団体の会費や機関紙の集金をたくさん請け負っていて、あと10日で年末なので、ぼくが運転手になって、N子さんと集金に回りました。
 「運転手はぼくだ…車掌はN子だ」ということで。

 無理して運転手をしているのではなくて、こういう機会をつくらないと、お互いに忙しい2人は、永遠に、おしゃべりするチャンスもないからです。

 いろいろ、宇宙の果てから、家族のことから、2人だけで(車の中ですから…2人だけです)話をするのは、すごく、結婚して30数年間、楽しいし、家に着くのがもっと遅くならないかなと、時々思ってしまいます。

 むかし年賀状に書きましたね。「忙しいのに忙しくないふり?忙しくないのに忙しい振り?どっちがいい?」と。