雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社38 東区中里町の欽命八幡神社

2010年10月30日 05時54分19秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社38 東区中里町の欽命八幡神社

 「37」で紹介した松小池町の松之浦神社の東の信号をまっすぐ東へ、つきあたりを北(左)へ、最初の十字路を東(右)へ曲がると、南側(右側)が欽命八幡神社です。
 歩いて行ける、目と鼻の距離です。

 ここも東向きの神社で、松之浦神社(境内154坪)より境内はかなり広い(611坪)です。樹木も多くはなく、かなり広々としています。
 祭神(さいじん)は誉田別命(ほんだわけのみこと)、スサノオの命で、合祀は武御名方命(たけみなかたのみこと)さ豊受姫命(とようけひめのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)です。

 「元中ノ町村長命鎮座八幡宮と同村大見鎮座欽明神社と昭和十五年十一月合併し、欽明八幡神社と改称す。」(『浜松死神社名鑑』p128)とあります。

 神社へ向かって、290度ですから(東西線の270度から南へ20度触れていて南東方向の神社という点では、「37」の松小池神社より10度浅くちがうだけです。
 松小池神社は300度ですから、東西から30度南へ振れています。

 近くの神社で似た方向になるというのがおもしろいです。
 どちらにもスサノオさんが関係するので、だからかもしれませんが。

 なお誉田別命(ほむだわけのみこと)は、応神天皇のことであり、合併した一方が八幡神社なんだからあたりまえですね。
 だとすると、もう一方の欽命神社はスサノオの命を祭ってあったんでしょうか。もしかしたらそうですが、未定です。

 蛇足ですが「スサノオさん」という言い方をしますが、管直人首相というように誉田別命とか菅原道真公とか名前のあとにつく場合には「さん」をつけていませんん。


 
 

本と映像の森96 小松左京さん『継ぐのは誰か?』ハヤカワ文庫JA

2010年10月30日 05時16分05秒 | 本と映像の森
本と映像の森96 小松左京さん『継ぐのは誰か?』ハヤカワ文庫JA

 ぼくの大好きな小松左京さんの傑作SFです。

 いまネット検索しってみたら「小松左京全集 完全版」というのが全55巻で出始めています。
 図書館で借りて、ぜったい読まなくては!

 小松左京さんの作品で好きなのは、長編では「果てしなき流れの果てに(「果てしなき」って言ってるのに「果てに」というすごい感覚矛盾」、短編では「地には平和を」「闇の中の子供」でしょうか。

 「地には平和を」は、昔買った本が出てきたら、ここで紹介します。
 
 「継ぐのは誰か?」の主人公は、アメリカのヴァージニア大学都市のサバティカル・クラスの同級生たち。
 物語の語り手は、日本人のヤマザキ・タツヤ。
 テーマは「人類は完全じゃない」
 その裏テーマは「完全じゃないなら、もっと完全な種類が取って代わった方が良いのか」ということ。

 タツヤとその同級生の仲間たちの心の中に警告された「チャーリーを殺す」という予告から物語は始まります。

 アイザック・アシモフさんの「鋼鉄都市」や「裸の太陽」に似た「SF推理小説」のジャンルです。
 
 新しいのは、大学生たちの集団が謎の推理と解決をしていくということでしょうか。
 つまり「名探偵集団」。

 謎を解くためのキーワードは ψ(ギリシャ文字のプサイ) です。 
 
 この本自体を読まずに「ψ」で、わかったら、あなたは名探偵コナンくんです。

 それと、もう一つ別のテーマがこの作品の、通奏低音を奏でています。
 「人類は、地上の管理人でいる価値があるのか」。
 そういう宇宙的・政治的テーマを、さりげなく、作品の中で展開していくのが小枩左京さんの素敵なところでしょうか。

 それは、1950年代の初めの学生時代に、小枩左京さんが、日本共産党が中国共産党などの干渉に屈服してとった、暴力主義的な極左冒険主義の路線で「山村工作隊」に参加して、それが挫折したことも関係有りそうだと思います。

 うわ、広げすぎて、分け分からなくなってきました。
 今日はこれで閉じます。


 

雨宮日記 10月29日(金) 「ディーセントワーク」の学習会をしました

2010年10月30日 04時57分16秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月29日(金) 「ディーセントワーク」の学習会をしました

 浜松学習協で相談して、月刊雑誌『学習の友』の中身を使って、毎月、ざっくばらんに、いろいろ話せる学習会をしていこうということで第1回をしました。

 N子さんと私も含めて5人で、やりましたが、それぞれの働いてきた職場の話を語って、初めて聞く話も多くて、おもしろかったです。
 元県立高校の教師、元JRの機関士、遠鉄の修理工、保育士~介護者、本屋~配送業と、それぞれリアルな話を聞けました。


 厚生労働省のHPでは以下のように書いています。

 「ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)について
 ILOにおいては、「『ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)』の実現」を、ILO憲章により与えられた使命達成のための主目標の今日的な表現であると位置付けている。
 我が国としては、「ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)」を、以下のように整理している。
 
◎ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)とは、人々が働きながら生活している間に抱く願望、すなわち、
 (1) 働く機会があり、持続可能な生計に足る収入が得られること
 (2) 労働三権などの働く上での権利が確保され、職場で発言が行いやすく、それが認められること
 (3) 家庭生活と職業生活が両立でき、安全な職場環境や雇用保険、医療・年金制度などのセーフティーネットが確保され、自己の鍛錬もできること
 (4) 公正な扱い、男女平等な扱いを受けること
といった願望が集大成されたものである。

◎ ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)の実現を図るためには、各国は、以下の4つの状況に照らし、国内事情等に応じそれぞれに達成可能な目標を立てることが重要である。
 (1) ILOで制定された労働に関する国際的な基準(条約等)の適用状況
 (2) 雇用と収入の確保の状況
 (3) 社会的保護や社会保障の適用状況
 (4) 政労使三者を含む関係者による対話促進の状況」

つまり、「ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)」とは、
 ① まともな収入(年間200万円以上)
 ② 意見が言えて、楽しく働ける職場
 ③ 「男」「女」や「正規」「非正規」の差別・区別のない労働
 ④ 家庭生活・社会生活と両立する労働時間
 ということでしょうか。

 これからも「友」学習会をやっていこうということになりました。
 

雨宮日記 10月28日(木) ウサギの豆子が部屋に侵入!

2010年10月29日 05時02分21秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月28日(木) ウサギの豆子が部屋に侵入!

 雨宮Iさんの飼いウサギの豆子さんは、玄関と廊下の一部が「居住許可地域」で、玄関の横の部屋には、「進入禁止区域」という看板は立っていませんが(中国在住の日本人会社員と違って文字は読めませんので)、膝くらいまでの高い金網を張って、入らないようにしています。

 先代のウサギのミントさんの時に、コードをかじられたからです。

 今日は、豆子が部屋に侵入して、テレビの裏に潜り込んでいるのを、おじいちゃん(ぼくの父)に摘発されたようです。
 N子さんが夕方帰って来たら、なんだか、玄関でしょぼんとしていたようです。

 「なんだか変だったので、しばらく撫でてあげたわ」と言っていました。

 秋になって涼しくなって張り切っているのか。
 来年は、ウサギ年なので、元気なのか。

 当分は、玄関の横の部屋は、締め切ることになると思います。


雨宮日記 10月27日(水) 大地震が来て家族全員無事だといいけれど

2010年10月28日 13時36分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月27日(水) 大地震が来て家族全員無事だといいけれど

 十軒町の自治会から全戸に、写真のような黄色い旗が配られました。
 説明文書によると、大地震が来たとき、華族全員が無事なら、この黄色い旗を玄関に出しておくようにしてください。もし出してないと、誰かが押しつぶされているかも知れないという解釈で、救急隊が家に入る場合があります、ということでした。

 いい話かもしれないけど、わが家は、ある瞬間に、誰がいて、誰が外出しているか、わかったものじゃないので、出す判断は、つかないかもしれません。

あるはま1 中区元浜町の椿姫観音

2010年10月28日 13時15分24秒 | あるはま(歩く浜松)
あるはま(歩く浜松)1 中区元浜町の椿姫観音

 書きたいこと、書きたい場所が「遠州の遺跡・寺社」だけでは収まらなくなってきたので、新しく「あるはま(歩く浜松)}コーナーをつくりました。

 街角で見たものとか、すてきな建物とか、紹介していきます。

 「元浜町」は、浜松の古い中心街です。なんせ「元の浜松」という意味ですから。

 その一角に、椿姫観音という建物があります。

 観音様といっても、寺社のたぐいではなくて、戦国時代に、徳川家康が三河から遠州に侵攻してきて、飯尾家の引馬城(ひくまじょう)を攻め落としたときに、今川に謀殺された夫のかわりに「お田鶴(たづ)の方」が侍女たちとともに戦って死んだという「伝説」です。

 真実の歴史なのか、証拠の文献はあるのかは、今の私には不明です。

 いまは伝説としておきますが、おそらく徳川家康にふがいなく降伏した男どもに怒りを燃やして、人間としての誇りを捨てないために、遠州の女性達が家康への抵抗の心をこめて創りだし、伝えた伝説なのではないでしょうか。

 この引馬城の落城の話は、また別の話を「あるはま」に書きます。

 実際の引馬城は、今の浜松市役所の東側のこんもりした森「東照宮」の場所です。


雨宮日記 10月26日(火) いま話題の「TPP」の農業と「夕鶴」のつう

2010年10月28日 05時19分57秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月26日(火) いま話題の「TPP」の農業と「夕鶴」のつう

 今日27日に農水省は、「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)」に日本が参加して、例外を認めず関税を自由化した場合の試算を発表しました。

 試算によると、食糧自給率は現在の40%から14%に低下し、国産米は1割(10%)に壊滅、小麦も砂糖もほとんど壊滅、国産牛肉も4分の1になるとしています。

 これを聞いて、ぼくが連想したのは、演劇の「夕鶴」です。

 「夕鶴」で、つうさんの夫である予ひょうさんは、友だちにそそのかされて、つうに、「もっと布を」と強制してしまいます。
 
 管直人「予ひょう」首相は、TPPへの参加検討を表明していますが、それによって、何が永遠に失われるか、わかっていないようです。

 「おれたちの家計を維持するために、みんなの幸せのために」、「つうよ、我慢して、布を織ってくれ」ということでしょうか。

 「夕鶴」は、善意の人で、妻のつうを愛している予ひょうが、お金に目がくらんで、自分たちの存在基盤を壊してしまう、哀しい物語です。

 管直人「予ひょう}さんも、同じように、工業や金融業のお金に目がくらんで、つうの苦しみや、農業の苦しみなど、わからなくなって、しまったんでしょうか。

 哀しいですね。
 予ひょうさん、気がついてよ。


 

雨宮日記 10月25日(月) 毎日80人が自死していく、戦場のような国=日本

2010年10月27日 05時34分50秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月25日(月) 毎日80人が自死していく、戦場のような国=日本

 N子さんが、ある職場の自死(自殺)事件で、ご遺族(無くなった彼の奥さんと、お父さん・お母さん)が訴えた裁判の事務局をしているので、N子さんを手伝っています。
 
 夜、台所で、N子さんと2人で、来週に迫った裁判のニュースの発送作業をしました。
 
 この10年以上、毎年、心が病んで、死に追い込まれていく人たちが、日本全体で年間30000人以上います。
 3万人を1年は365日で割ると、1日で80人以上。

 自死の原因は、いじめ・パワハラや、多重債務、病気の医療費負担など、いろいろでしょうけど、こんなに簡単に命が失われていく日本を「平和」とは呼べません。

 人間の身体や肉体が、毎日失われていく、アフガンやパレスチナのような、「戦争の戦場」だけを注視するのではなくて、人間の心が毎日、失われていく「心の戦場」を、なんとかしたいと思います。

 自分が、かなり昔、心の病いになった経験があるので、N子さんにとっても、ぼくにとっても「他人事(ひとごと)」ではありません。

 写真は数日前から玄関に飾ってある、次女のIさんがクジの景品であたった「招き猫」です。幸せを招くのでしょうか。それとも?
 それと、黒猫と白猫というのは何か意味があるのでしょうか。小平さんじゃあるまいし。


本と映像の森95 浜松文芸館編集『浜松市民文芸 55号』浜松市発行

2010年10月27日 05時03分56秒 | 本と映像の森
本と映像の森95 浜松文芸館編集『浜松市民文芸 55号』浜松市発行、平成22年(2010年)3月15日発行、A5版、328ページ、定価500円

 浜松市民以外の方には、何の話だい、と思われるような、年1回発行される文芸雑誌です。
 浜松市民にも、一般的には、知られていないかもしれませんね。
 今年で55号目ですが、浜松市民から「小説」「児童文学」「評論」「随筆」「詩」「短歌」「定型俳句」「自由律俳句」「川柳」の部門で、「市民文芸賞」と「入選」を選んで掲載する雑誌です。

 なぜこれを読んだかというと、ぼくの父親の節三(せつぞう)さんが、前から何回も、この「浜松市民文芸」に掲載されていて、今年も、評論「左千夫・茂吉と城西(浜松詩歌事始ー中編)」が「入選」となったからです。
 (これを紹介しちゃうと、雨宮智彦の「ほんとうの姓」が明らかになっちゃうのですが)

 「市民文芸 55号」のp177からp184までに掲載されています。

 ぼくが下手な紹介をするより、選者の中西美沙子さんの「評論評釈(p191)」を紹介します。

 「拝読して、筆者が「短歌」を手中の玉のように敬愛していることが分かります。日本人独特の言葉の感覚の一端が、「短歌」にあることを再度認識しました。前回の論の続きであるこの作品には、浜松と歌人の関係やエピソードが描かれています。地名や旅館など親しく馴染んだものたちを仲立ちに思いを巡らすのもいいものだと感じました。このような丁寧な発掘に敬意を表します。更なる展開を楽しみにしています、」

 興味のある方は、浜松文芸館までお問い合わせください。
 電話は、053-471-5211です。
 住所は、〒432-8014 静岡県浜松市中区鹿谷町11-2、です。

 N子さんと相談をしているのですが、近いうちに、節三さんの執筆した自分史「落葉松(からまつ)」や、評論を合わせて、1冊の本にしたいなと計画しています。
 
 節三さんの力作である、万葉集の「曳馬野」の位置論(三河か遠州か)も、もちろん入れます。


 

雨宮日記 10月24日(日) 里山で池の整備をしたり、草刈りをしたり

2010年10月26日 05時34分53秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月24日(日) 里山で池の整備をしたり、草刈りをしたり

 曇り空でしたが、土曜日夜は、N子さんに「智彦くん、この原稿、編集して、完成してね」と言われて(そう言われると、やっぱり嬉しいです、N子さんに頼られている気がして)、つい遅くまでパソコンで編集作業をしました。

 ようやくお昼過ぎに起きて、シャワーを浴びて、着替えをして、自分のスコップを車に積んで、里山へ向かいました。

 午後から夕方まで、里谷まで、池の畦の整備をスコップでしたり、里の家のまわりの草を刈ったりしました。

 これまでずっとやっていて、慣れているみなさんとは違って、軟弱なので、すこしやっては休んだり、汗びっしょりになって、着替えをしたりしながら、作業をしました。

 UさんとKさんは、鎌で谷の両側の斜面のシダや草を刈って、きれいにしました。
 すると、あちこちで、シュンランが顔を出して、ぼくたちは、嬉しくなりました。

 作業を終えて、みんなで棚池(たないけ、棚田を池にしました)を眺めて、来年は、冬にまずアカガエルが卵を産むよね、初夏にはモリアオガエルやあの枝に白い卵を産むよね…と、胸がわくわくする未来構想を語り合いました。

 詳しくは「浜松生きものと里山ブログ 灰木川と馬込川」で書いていきます。

 

遠州の遺跡・寺社37 浜松市東区松小池町の「松之浦神社」

2010年10月25日 05時30分45秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社37 浜松市東区松小池町の「松之浦神社」

 わが家から、市野町イオン前の通りを東へずっと車で行って、国一バイパスを越えて、すぐ南へ斜めに入る道にいくと、すぐ右手に見えます。

 住所は松小池町304-1です。
 鳥居から本殿を望むと、北方からの角度300度ですから、東西線から南へ30度下がった方向の神社です。
 つまり、夏至方向の神社と言うことです。

 祭神は、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命で、合祀が、スサノオ命、ウガノミタマ命、サルタヒコ命、です。
 
 日天忍穂耳命は、記紀では、天孫降臨の名誉を受けて、降臨するはずが、オシホミミさんは気が弱かったのか、帰って来てしまい、それで、新たにニニギの命さんが、天孫降臨した、という話です。
 
 そういう失敗神さまが、なんで祭られているんでしょうか?
 
 本来、西日本の、倭国の中心に行くはずが、そこから逃げ出して、東日本の、この東海地方に、落ち着いたんでしょうか。

雨宮日記 10月23日(土) 母の遅らした3回忌の会食でした

2010年10月25日 05時11分21秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月23日(土) 母の遅らした3回忌の会食でした

 実質上の雨宮家事務局長のN子さんには、ご苦労をおかけしましたが、前日の22日(金)の午前中に、お寺さんで、半年遅れの「3回忌」を、おこないました。、
 ぼくは仕事が休めないのでパスして、ぼくの父と、N子さんと、ぼくの妹のIさんに行ってもらいました。
 長談義のおっさまにつきあってもらって、ありがとうございました。

 そして、今日は、親戚一同で船越町の「木曽路」に集まって、会食をしました。
 19人が参加しました。

 メインは、名古屋に住む、ぼくの兄(父母の長男)の船での世界一周旅行の報告でした。
 ぼろ船の話から始まって、ソマリア沖で海賊船に追いかけられた話、エジプトで財布をすられたが戻って来た話、船の中での演劇講座の話、などおもしろかったです。
 兄は、高校教師をしながら(教師で稼ぎながら)アマチュア演劇をしているのですが、いちばん受けたのは、演劇の足しに勉強している、神田京子さんに師事している講談の話でした。 
 机をたたく講談の「おうぎ」が大好評でした。

 

雨宮日記 10月22日(金)の2 比較しないで、助け合う人生でしたね

2010年10月25日 04時48分59秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月22日(金)の2 比較しないで、助け合う人生でしたね

 知り合いからハガキをもらいました。
 嬉しいことに「雨宮ご夫妻のように、ずっと仲良く!が目標です」と書いていただきました。
 
 実際上は、そう「ずっと仲良く」もしていないのですが、というより、かなり本気になって口げんかします。
 娘たちが小さい頃、「あ!お父さんとお母さん、けんかしてる!」と娘に何度も言われました。
 「あのね、けんかじゃないの。お父さんとお母さんは、お話をしているの」と説明しました。
 
 娘たちが大きくなった今でも、ぼくとN子さんが本気で熱く、話をしていると、
 「ちょっと、テレビ聞こえないから、他の部屋へ行ってよ」と追い出されます。

 それはともかく、仲良く見えるのは、たぶん、おたがいに比較しないし、他人との比較もしないからでしょうね。
 夫婦同士で、たとえば給料を比較したりしたら、絶対にぼくが「劣等感」にさいなまれるに決まっています。
 N子さんのほうは「私は夫より稼ぎがいい」という{優越感」でしょうか。

 そういう比較ができるのは、量で比較できる側面しか比較できません。
 あるいは、家事の時間とか、あるいは学校の成績(点数)とか、比較できる学歴とか、あるいは「ワークライフバランス」とか言う、比較できる量でしか、考えられない人生ってさびしいと思います。

 もし比較したいのなら、他人とではなく、昨日の自分と今日の自分を比べるべきだと、思います。
 毎日、努力して、バージョンアップしていく夫婦でありたいなと思います。
 (これはぼくだけの決意ではなく、N子さんとの領海じゃない、了解事項です。)
 
 二人とも、いちおう「社会活動家」「市民運動家」であると思っています。
 ただし、「活動家夫婦」「運動家夫婦」はいっぱいいますが、「夫婦活動家」「夫婦運動家」は、あまり見掛けません。
 つまり、夫婦漫才やデュオ歌手のように、2人でワンユニットで生きている夫婦です。

 もちろん、それぞれ、ソロ活動もしていますが。
 
 そういう二人の人生をつくってきて、他人との比較なしに、幸せだなと思います。
 この幸せを持続するためには、やっぱり、2人とも「昨日より今日」「今日より明日」と、微少バージョンアップをしていかないと、崩壊してしまう、あるいはしらけてしまうんだと思います。

 

 

 

 

雨宮日記 10月22日(金) 「智彦くんのはくズボンがない」と「はるやま」に買い物に

2010年10月23日 05時37分23秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月22日(金) 「智彦くんのはくズボンがない」と「はるやま」に買い物に

 明日は母の3回忌法事の会食ですが、N子さんが「智彦くんのはくズボンがない」と言って、夕方、いっしょに市野の「紳士服のはるやま」に車で行きました。

 N子さんが「これでいい?」と言うのを「それでいい」と即決で決めて、安いズボンを2本でセットで買いました。
 ぼくの、ズボンならなんでもいいという感じの態度に、N子さんは帰りに「智彦くんと、こういう買い物に来ると楽しくないなあ、早く決めて帰ろうという感じで」と嘆いていました。
 それは、そうでしょうね。

 これがいい?
 あれがいい?
 それともこっちにしようか?というショッピングの楽しみを奪う、ぼくの「それでいい」という一言でした。
 
 
 
 

本と映像の森94 連載コミック『宇宙兄弟』より「死ぬまで生きるんだ」

2010年10月23日 05時26分54秒 | 本と映像の森
本と映像の森94 連載コミック『宇宙兄弟』(「週刊モーニング」)より「死ぬまで生きるんだ」

 「宇宙兄弟」の弟のムッタがジェット機の{目隠し計器飛行」訓練をうけます。
 教官のおじいちゃんが言ったことば。

 立ち読みの記憶ですので、正確には違うと思いますが。

 「そりゃあ、アクシデントの事故で落ちる場合もあるさ。
  だがな、わしらは、死ぬまで生きるんだ。
  自分をコントロールして、自由に飛ぶんだ」

 「死ぬまで生きるんだ」という言葉が印象的だったので、引用しました。