雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2018年3月31日(土) 目がかゆい

2018年03月31日 21時42分19秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2018年3月31日(土) 目がかゆい

 花粉がたくさん飛んでいる。実際に目に見えるわけでhない。ボクの目がかゆいので、そう感じるというだけだ。

 いま『資本論』の分析をしているので、同じような「見えない」「見える」という資本主義社会の物象現象がおもしろい。

☆ 

 3月19日の「浜松総がかり行動」のビデオを制作する。約10分を創るのに、約5時間。雨の夕方だったので、編集には苦労した。

 ブログ「ピース浜松」に「憲法と法律シリーズ」を始める。「① 日本国憲法」全文を掲載。

 その最初に、以下のように書いた。

 【 平和問題でも憲法と法律の問題は、非常に重要な位置をしめていると思います。いろいろ資料や論考を掲載していきたいと考えています。まず最初は「日本国憲法」そのもの、です。

 第一条~第百三条
 前文から第十一章
  前文
  第一章 天皇     第一条~第八条      (8)
  第二章 戦争の放棄        第九条          (1)
  第三章 国民の権利及び義務    第十条~第四十条    (31)
  第四章 国会    第四十一条~第六十四条 (24)
  第五章 内閣    第六十五条~第七十五条 (11)
  第六章 司法    第七十六条~第八十二条  (7)
  第七章 財政    第八十三条~第九十一条  (9)
  第八章 地方自治    第九十二条~第九十五条  (4)
  第九章 改正         第九十六条  (1)
  第十章 最高法規   第九十七条~第九十九条  (3)
  第十一章 補則    第百条~第百三条     (4) 

  以下は憲法の正文です。 】

 明日から4月、卯月です。生き物たちが本格的に出てきます。

 


古代ブログ 41 古代資料 3 福岡市・元岡古墳群の暦いり銘文太刀

2018年03月30日 21時13分42秒 | 遠州古代史

古代ブログ 41   古代資料 3 福岡市・元岡古墳群の暦いり銘文太刀

 2011年9月に記者発表されました。福岡市西区の「元岡古墳群C6号墳」から出土した大刀(たち)に象眼文字19文字が刻まれていました。

 鉄刀で長さは75cmです。

 銘文は「大歳庚寅(こういん)正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」

 最後の□は「練」と推定されています。

 「庚寅」は60年ごとにめぐってくる「干支」の年号で、たぶん570年の「庚寅」ではないかと推定されています。

 というのは『日本書紀』に「554年に百済から暦が伝わった」とされているからです。

 ただし、この発掘の事実から「大和政権から古墳の主へ下賜された」と飛躍するのは推理の範囲を越えて、可能な推測を閉ざすものだと思います(このことは別述)。

 造った人と場所は、わからないというのが今のところだと思います。

 元岡古墳群は福岡市の西端にあって、位置的には西に可也山と東の能古能島のあいだにあり、志摩半島の中、もうすぐ糸島市の位置にあります。

 元岡古墳群から南へくだると、平原遺跡や雷山にあたるのも注目すべきかと思います。

 「元岡古墳群C6号墳」からは、古墳時代でも最大級の全長12cmの銅鈴も発掘されています。

 


古代ブログ 40 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 24 伊場遺跡の「和治」木簡

2018年03月29日 13時54分35秒 | 雨宮日誌


古代ブログ 40 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 24 伊場遺跡の「和治」木簡

 伊場遺跡からは、たくさんの木簡が見つかっています。地名では「濱津」だけではありません。

 たとえば「和治」と書かれた伊場木簡。これは現在の「和地」町のことだと思われます。2文字目が漢字が違いますが。

 いまの「平和処分場」のあたりです。「平和」というのは、「平松(ひらまつ)町」+「和地町」の合成ですから。

      ☆

 現在の町名の「和地」とは範囲が同じなのか、重なるかどうかもさだかでは、ありません。

 浜松市博物館『博物館資料12 伊場遺跡出土古代文字資料 地中から現われた古代の文字』(平成15年、34ページ、A5版)の9ページに、実物の「和治」木簡の写真があります。

 なお「和地山」町は、和地が持ってた山で、西区の和地から遠く離れた中区にあります。

 


古代ブログ 39 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 23 伊場遺跡の三重環濠 < 再録 >

2018年03月28日 20時43分58秒 | 遠州古代史


古代ブログ 39 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 23 伊場遺跡の三重環濠 < 再録 >

「遠州の遺跡・寺社36 中区の弥生時代・伊場遺跡の三重環濠
2010年10月18日 05時38分07秒 | 遠州古代史

 やはり、浜松(浜津)の第2の出発点は、米作りの始まる弥生時代の、伊場遺跡でしょう。【第1は、縄文時代の蜆塚遺跡】

 その伊場の「三重環濠」を見に行ってきました。

 つまり、当時の弥生の村をとりまく三重の水を湛えた濠ですね。

 三重にしなければいけないほど、現実に、村が攻撃される危険があったのか、それとも、そういう危険性を予測して、つくったのか。
 
 実際に、この伊場の村が襲撃されたことはあったのでしょうか?
 そういうことも、探っていきたいと思います。

 とにかく、何もわかっていません。
 わかったことを書いていきますので、よろしくお願いします。」

   ☆

「遠州古代史 「伊場遺跡」の三重環濠は防御遺跡というけど…
2011年11月22日 05時30分22秒 | 遠州古代史

 「遠州の遺跡・寺社36 中区の弥生時代・伊場遺跡の三重環濠」(2010年10月18日 05時38分07秒 | 遠州古代史)ですこしだけ書いた伊場遺跡の三重環濠ですが、果たしてこれは、ほんとうに軍事的な防御遺跡なのでしょうか。

 JR国鉄線の北側にこの三重環濠の一番北側が、見学できるように保存されていますので、車をその駐車場に止めて、歩いて見学できます。

 この前、行って見た感想は「こんなに水堀が狭くて、防御に役立つの?」ということです。

 もちろん、この環濠だけではなく、塀などの材木で防御をしていると考古学の本には書いてありますが。

 中世の奈良県の環濠集落の水堀や、古墳時代の関東の環濠では、もっとかなり広いです。三重ではなくて、一重です。

 そういう実質的な水堀の例を見ると、伊場遺跡のような狭い環濠は、単純に軍事防御ではなくて、すこし別の意味があるのではないかという提唱が可能ではないでしょうか。

 「三重の輪」というイメージで連想するのは、ヤマトの聖なる山・三輪山です。名前に「三つの輪」とありますが、円を象徴するのは女性ですから(棒を象徴するのは男性です)、三輪山という名前は聖なる女性の山です。

 三輪山という名前の山は、ヤマトだけではなく、飛鳥にもあり、九州の福岡県にもあります。

 つまり聖なる山を,それぞれの土地で「三輪山」と呼んだのではないでしょうか。

 そして伊場遺跡のような三重環濠とは、女性を象徴する「三つの輪」という共通点があります。もしくは「三三九度」という命名で呼ばれるように、女性ー男性ー子ども、という三点セットでしょうか。
 
 別の観点で言うと、ヤマト国家の「三種の神器」である、鏡ー剣ー曲玉、という三点セットになります。丸い鏡は女性のシンボルで、長い剣は男性のシンボルで、曲玉は胎児のシンボルです。

 しかも水は、浜松の古代史では女性の「龍」「蛇」がシャーマンとして管理しているので、それは坂上田村丸伝説でも明らかです。

 伊場遺跡をめぐる三重の水の堀は、たんなる軍事的防御腕はなくて、古代人の心では、伊場の村を守る「霊的な防御」として考えられていたのではないでしょうか。

 そういう「霊的な防御」のいい例として、島根県の田和山遺跡では、三重環濠内に住居はなくて、神殿だけが建っていたようです。

 今日は、かなりはしょって書きました。これから、具体例で、いろいろ展開していきたいと思います。」
 
 


古代ブログ 38 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 22 浜松の源流ー「濱津鄕」木簡

2018年03月28日 09時36分43秒 | 遠州古代史

 

古代ブログ 38 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 22 浜松の源流ー「濱津鄕」木簡

 今の「浜松市」は戦国時代の徳川家康が名づけた「浜松城」から来ていますが、その源流が厳然と存在します。

 射場遺跡から「濱津鄕」と書かれた木簡が出土したのです。

 「鄕」は「群」の下の単位で、「濱津鄕」は、今の浜松市街のあたりと推定されています。

 「濱」は「浜」の旧字です。

 つまり「浜松」=「海岸の松の木」ではなく、「浜津」=「海岸の港」だったのです。

 現に、『倭名類従抄』の古い「高山寺本」では「浜津」となっています。「高山寺本」は平安後期の写本です。

 そして室町中期の「大東急記念文庫本」では「浜松 波万万都」と変化しています。


 参考文献:浜松市博物館『博物館資料12 伊場遺跡出土古代文字資料 地中から現われた古代の文字』平成15年、34ページ、A5版

 


雨宮日記 2018年3月27日(火) 3・1ビキニデー集会ビデオ⑤を完成

2018年03月27日 22時22分38秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2018年3月27日(火) 3・1ビキニデー集会ビデオ⑤を完成
 
 テレビアニメ「ピアノの森」のプレ企画を見る。おもな主人公たち5人の一人ひとりに、それぞれ実際の若いプロピアニストを配置するという豊かな企画。

 感激ですね、これなら演奏も期待できますね。

 午後は、ビデオ編集。高知県の漁師増本和馬さんの発言を編集。81才。これで、5本目。

 ビデオ編集をしながら、いろいろ現実世界のことを話すのと、テレビやネットの映像を見るが、面白い。

 則子さんは浜北の長女のところへ孫育てに。自分の子育てのときの必死さとはすこし違って、たいへんだけど楽しそう。

 国会は佐川さんの証言、どうかなあ。

 


古代ブログ 37 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 21 中区三島町の浜松神社<再録>

2018年03月26日 20時35分27秒 | 遠州古代史


古代ブログ 37 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 21 中区三島町の浜松神社<再録>

<再録>

「遠州の遺跡・寺社 64 中区三島町の浜松神社
2011年11月17日 05時42分43秒 | 遠州古代史

 浜松市内に「浜松神社」はたぶん、これ一つです。浜松を代表するような名前ですが、実際は、中区南部の三島町60番地の旧村社です。

 馬込川が東から西へ曲流している場所の南にあります。

 南北向きで、神社に向かって14度です。

 祭神は『浜松神社名鑑』(のp43)によれば「大山祇命(おおやまずみのみこと)」です。

 『浜松神社名鑑』によれば「古き神主の記録によれば、当社は康正元年【注 西暦1455年】、当村の開郷の際伊豆の国三島大明神より、当所産土神として御分霊を勤請し三島大明神と称したれど、社名は別宮は相成らずとの事にて浜松大明神と改称し明治元年維新の際大明神の御神号を廃して以来浜松神社と称す。」とあります。

 この「大山祇命」は、日本列島の古い神さまで、古事記では「大山津見神」として、天孫のニニギさんが九州に「天孫降臨」したときに出迎えた「コノハナノサクヤヒメ」の父親です。

 この「遠州の遺跡・寺社」では「遠州の遺跡・寺社3 山神社と蜆塚遺跡 2009年11月21日 16時42分10秒 | 遠州古代史」で紹介しました。

 ネット「マピオン」で海抜3m。
 ネット「グーグル」で、緯度経度は、
 北緯  34.69071度、
 東経 137.73904度、です。」

 


新・本と映像の森 122 テレビアニメ「ピアノの森」開始!

2018年03月25日 20時58分04秒 | 雨宮日誌

 新・本と映像の森 122 テレビアニメ「ピアノの森」開始!

 予告!

 マンガ「ピアノの森」は、ボクの大好きな長編マンガです。主人公の思春期の少年少女たちのショパンコンクールへの挑戦、そなかでの演奏と葛藤・友情を描く傑作ドラマです。

 主人公たちの中心は一ノ瀬海(かい)と雨宮修平でしょう。彼らの友情の和解もドラマのみどころのひとつです。

 それから中国人パン・ウェイの苦闘と成長もみものです。

 ガチガチだった雨宮修平の演奏がコンクールの最中に「変化 へんげ」して蝶々になるのも楽しみです。それを「音」で、どこまで出せる?

 パン・ウェイの音も最終本選のショパンのピアノ協奏曲から「飛翔」(これはボクの表現)するんですよね。

 ある程度の省略はしょうがないけど、主要部分は源作に忠実に造って欲しいです。

 期待します。

 以前、カイの小さいこるの話はアニメになったような気がしますが、実際にどこから始まるか。

 配役に丸山誉子が出ていることを考えると、たぶん地方でのコンクールで丸山誉子がカイに再開するところからでしょうか。わくわくしています。

 4月からNHKテレビで日曜夜24時10分より、つまり9日の午前0時10分より。毎週です。楽しみだなあ。

 


雨宮日記 2018年3月24日(土) 3・1ビキニデー集会④を完成

2018年03月24日 20時20分35秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 2018年3月24日(土) 3・1ビキニデー集会④を完成

 ビデオ制作日。3・1ビキニデー集会シリーズ ④ 被曝者あいさつを完成。6分ほど。撮影者4人の画像を編集。

 4人の画像を編集するのは大変だけど、半面、編集の選択・多様性があがるのは楽です。撮影するときも、4人いると自分の自由度が上がって楽。

 完成の出来は、自分では分かりません。

 


雨宮日記 2018年3月23日(金)の1 馬込川へお散歩

2018年03月23日 21時10分01秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 2018年3月23日(金)の1 馬込川へお散歩

 午後、暖かいので、則子さんと、春を探しに馬込川へお散歩に行きました。

 川はもう黒制服に白ネクタイのオオバンだけになりました。まだオオバンは数十羽います。

 風はあるけど、前みたいに寒くありません。

 則子さんは花粉症でクシュンクシュンしています。

 


雨宮日記 2018年3月22日(木)の1 また雨、目がショボショボする

2018年03月22日 08時20分31秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 2018年3月22日(木)の1 また雨、目がショボショボする

 朝8慈。則子さんは仕事に出かけた。昨日にひきつづいて小雨。

 目がショボショボするのは軽い数年前からの軽い花粉症。則子さんほどでは、ないが。何度も目を拭く。

 この時期は、右半身麻痺+腰痛+花粉症、です。だからって、どうこうしようというわけにはいかない。

きのう沼津市長が自宅で急死。58才でした。若いのに。合掌。

 『しんぶん赤旗』1面に、財務省内で昨年冬から「安部事案」という言葉が言われていたと、ある。すごいスクープだ。というより、そういう内情がリークされるようになったんだ。


過去現在未来のメモリーノート 8 ニュースの発信年月日は明確に

2018年03月22日 08時05分46秒 | 過去現在のメモノート


過去現在未来のメモリーノート 8 ニュースの発信年月日は明確に

 ネットニュースでボクは日常的に「ヤフーニュース」を見ている。その1面はそんなことはなのだが、2面以下へ行くと、ニュースの発信日時が書いてないものが多い。

 それが数か月前、1,2年前の「中古」ニュースだったときは、腹がたつ。

 これは「ニュース(英語で新しい)」では、ない。「オールド」だ。

 すべての記事には発信日時を明示してほしい。

 見てもらえるならなんでもあり、でないならばジャーナリストの最低義務は守ってほしい。

 何年何月南日に発信できたか、場合によっては何時何分に発信したかは、ニュースの「いのち」「魂」なのっだ。

 「日時のフェイクニュース」は見たくない。