雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社 60の2 西区湖東町・貴船神社の神さま

2011年10月31日 05時28分05秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 60の2 西区湖東町・貴船神社の神さま

 「60」で書いた貴船神社の神さまは、説明板では、「高おかみ神」と「闇(くら)おかみ神」です。

 「おかみ」の漢字は、上段が「雨」で、中段が「口が3個」で、下段が「龍」なので、つまり竜神さまですね。
 
 『古事記』と『日本書紀』では、この2神は、イザナギがカグツチを切り殺した時に生まれた神さまです。

 なぜイザナギさんは、カグツチさんを切り殺したかというと、イザナギさんがイザナミさんと結婚してイザナミさんが日本列島の「洲(しま)」といろんな神さまを生んだときに、最後に火に燃えるカグツチの神さまを生んだので、イザナミさんはミホト(女陰)を火で焼かれて死んでしまったので、イザナギさんはカッとなって、わが子を切り殺してしまったのでした。

 京都の貴船神社の奥宮に祀られているのがこのタカオカミカミとクラオカミカミの2神です。

 奥宮の本殿の下には気がわきいづるところ(龍穴)があるという言い伝えがあるそうですから、ますます竜神さまです。

 よくわからないのは「おかみかみ」と「かみ」が重複するのか、です。「たかおかみ」「くらおかみ」でいいのではないかと。

 このワンセットの神さまの「たか」は山の上の意味で、「くら」は山の谷間の暗いところを意味するというネットでの説明をみつけました。たぶん、それで正しいでしょう。



雨宮日記 10月29日(土)の3 私たちが本当に直面している危機は

2011年10月30日 06時42分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月29日(土)の3 私たちが本当に直面している危機は

 お互い忙しいので、1年に1回くらいしか会えないご夫婦と、久しぶりに会って、4人で語り合いました。

 この間、則子さんやぼくたちが体験した危機を放したら、以外にも、浜松で数本の指に入る大企業でも危機の性質は同じでした。

 則子さんやぼくや、その有人のN夫妻は、自分の感覚と判断ということを大事にしてきましたが、その大企業でも、自分の判断ができなくて(したくなくて?)、やたらと他人に判断を聞いたり、マニュアルに依存する若者が増えているという話です。

 自分の全責任を背負っての、自己判断は求められていないんですね。

 則子さんが、この夏に経験した、小さなNPO法人での物語と、社員数千人がいる大企業と、まったく同じでした。コワイですけど。

 つまり「自己放棄」ですね。
 
 自分での判断ができなくなっているのだと。

 福島原発事故や、TTP問題など、いろいろありますが、本当の危機はそういう「外部的な」話ではなくて、僕たちの内部の、心のあり方に、原因があるのでは?

 あまりにも重いテーマなので、これからいろいろ考えて、書いていきます。

雨宮日記 10月29日(土)の2 台風15号の「影響」「爪痕(つめあと」

2011年10月30日 06時06分25秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月29日(土)の2 台風15号の「影響」「爪痕(つめあと」
 
午後、浜松市内の放射線量測定で1カ所だけ空白で残っていた、西区伊左地町のH6ポイントに、則子さんと車を走らせました。

 いちばん最短なので、浜松基地の外周を西へ走っていたら、いくつか「あれ?前と違うな」という違和感を感じました。

 9月21日の台風15号の影響かもしれないので、記録しておきます。

 ① 昔の南基地の2つの固定レーダーサイトは、御前崎基地を始め、全国のレーダー基地の要員を要請する部隊です。現在では、浜松基地に配備されたエイワックスの空飛ぶレーダーがあるので、自衛隊の中では比重が小さくなっているようです。
 2つの丸いレーダーの左側の上部が、色が違っていて、見掛けは上部がはがれたように見えます。台風15号で表面がはがれたのでしょうか。

 ② 基地西側の塀に、何かがぶつかって穴が空いている。どうみても車が衝突できる①ではないので、台風で何かがぶつかった後だと思います。

 ③ 基地東南(正門から東へ、基地の外周が北へ曲がって途中)の救難隊のレーダーがあった赤い鉄骨のやぐらの上が,何もなくなっています。台風で壊れた?

 以上の3点は、雨宮の記憶と感覚で書きました。新聞報道では、何も書かれていないようです。航空自衛隊浜松基地の公式サイトを見ても,何も書いてありません。

 詳しい後追い記事は、専門の「ピース浜松」で書きますので、そちらを参照してください。

 夜、昔からの友人夫妻(中小零細企業に勤務してきたぼくたちと違って、新興大企業に勤務しています)宅を訪問して2時間以上、語り合いました。

 そのNさんの話では、通勤途中の歩道に倒れた樹木が(北区細江町で)、いまだにかたづけられていなくて、朝、生徒の自転車が歩道を通れなくて、車道に出てしまい、すごく危ないとのことでした。

雨宮日記 10月29日(土) ブログ「かてごりー」を一部変更しました

2011年10月29日 15時23分01秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月29日(土) ブログ「かてごりー」を一部変更しました

 「カテゴリー」を変更し「音楽の森」(これまで2回分)を「本と映像の森」に合併しました。

 これまで分かれていた「人間・心…」「社会・経済・政治」「宇宙・自然・科学」の3つのカテゴリーを「人間・心・社会・科学・宇宙」に合併しました。

 写真は春夏秋と3シーズン咲いているセイヨウタンポポ(西洋たんぽぽ)の花、2011年10月に浜北区新原で撮影。


 

浜松・放射線量測定 自宅定点 10月27日(木)~29日(土)

2011年10月29日 15時02分24秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定 自宅定点 10月27日(木)~29日(土)

 自宅定点ですが、以前1日に3回測ると言ったのは実際無理だったので「いさぎよく」撤回して、1日1回以上、測るときは06時、14時、22時前後と修正します。
 余裕があるときは、1日に2回、3回と測りますが、無理はしません。

 10月27日(木)14時48分、自宅駐車場A地点
  平均値 0.049
  最大値 0.052
  最小値 0.043

 10月28日(金)14時22分、同上
  平均値 0.048
  最大値 0.053
  最小値 0.044

 10月29日(土)14時52分
  平均値 0,044
  最大値 0.047
  最小値 0.042
  10回のデータは比較的安定しています。

 さて、東京都世田谷では,スーパーのお店の敷地で地中からなんと110μシーベルト/時の高濃度の放射線量が測定されました。
 何か地中に埋まっているのでしょうね。」

 SF小説では、こういう場合は、だいたい大昔に宇宙から墜落した宇宙船が発見されるんですが、やはり「地球文明起源」なのでしょうね。


 

遠州の遺跡・寺社 60 西区湖東町の貴船神社

2011年10月29日 05時42分12秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 60 西区湖東町の貴船神社

 航空自衛隊浜松基地の滑走路西端の外周の信号から西へ下って、伊佐地川(いさじがわ)の上をかかる谷上橋(やがみばし)を越えると、左手に、谷上公民館が見えます。

 その谷上公民館の西側にあるのが貴船神社です。

 住所は西区湖東町4806番地。
 例祭日は、秋の10月16日です。

 神社に向かって315度ですから、神社の中にいる神さまは135度の方向を向いています。つまり、東から南へ45度傾いています。
 
 冬至の方向よりさらに南ですが、まあ冬至の日の出の方向の神社としていいのでしょうか?

 説明板には、祭神は「高おかみの神」と「闇(くら)おかみの神」とあります。
 
 貴船神社では一番有名な、京都府貴船神社が元でしょうか。京都市左京区の、この神社は「貴船神社(きふねじんじゃ)」です。

 この神社は、水の神さまである「高おかみの神」を祭神としています。

 かなり敷地は広くて、参道も長いです。

 則子さんがめざとく「ほら、何か石碑がある」と見付けたので、行って見ると「忠魂碑」でした。

 いわゆる、村社だったのでしょうね。

 詳細は,ブログ「ピース浜松」の方でお知らせします。


 

 

雨宮日記 10月26日(水) 則子さんは新居図書館へ、ぼくは

2011年10月27日 05時57分59秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月26日(水) 則子さんは新居図書館へ、ぼくは…

 最近の二人には珍しく,今日は別行動です。則子さんは、被爆者の会のYさんの車で、湖西市立新居図書館での「原爆と人間展」の片付けに行きました。

 (おばあさんは川に洗濯に…おじいさんは山に芝刈りに…)

 それでボクは車で、浜北区で一つだけ空白になっていた2kmメッシュの放射線量測定と再開神社巡りにでかけました。

 東京都内の高層住宅や家ばかりの地域の放射線量測定は気分が休まらず、たいへんでしょうけど、浜松市内の放射線量測定は、山があり、田んぼがあり、川があり、自然や生きものだらけで、リフレッシュになります。

 今日も、C9ポイントは、小さな川の橋の横で、川の水の流れる音を聞きながら,測定しました。

 (今日はおばあさんとおじいさんは、一緒に川に行きました。
  上流から大きな桃が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきました。
  おばあさん「あれ、何でしょう」
  おじいさん「桃だろう」
  桃は、どんぶらこ、どんぶらこと、2人の前を流れていきました。
  「桃だろう」おしまい。

  記憶で書いていますが、たぶん、松谷みよこさんの作品の中で出てきた小話です)

 

 

雨宮日記 10月25日(火) 中心街の放射線測定と白井鐵造展

2011年10月26日 05時43分44秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月25日(火) 中心街の放射線測定と白井鐵造展

 午後、則子さんと2人で、電車に乗って浜松市の中心街の放射線量測定に出かけました。

 出かける時、雲が多くて、風がやけに強かったので、雨になったらいやだなあと、則子さんとどうしようかと相談しました。

 則子さんは「大雨になったらタクシーで帰ればいいわよ」と言うので、悲観主義の智彦くんの案は不採用、楽天主義の則子さんの方を採用して出かけました。

 新浜松駅の改札口の外や、JR浜松駅の構内や北口、アクトの中など測りました。浜松駅のバスターミナルへ行く地下通路の石の壁にタッチして測ったら、9月はじめから測定を開始して、最高値の、0.17を記録しました。

 これは、たぶん、原発事故の影響より、花崗岩ぽい岩石から出てくる放射能の影響だと思います。

 アクトシティの中で、さも偶然のように「すみれの里と宝 白井鐵造展」というのを「発見」して、則子さんに「これ、おもしろそうだね。見ていく?」と,偶然を装って誘いました。

 だって、則子さんに、事前に、放射線量を量って、アクトタワー6階で白井鐵造展を見て、浜響のチケットを買って…それでいい?なんて、事前了解を得るのはめんどくさいです。最初から、その場で承認を得た方が早いです。

 宝歌劇の「レビュー王」で現在の浜松市天竜区春野町の出身である白井鐵造さんは「すみれの花 咲く頃」の歌で有名です。

 展覧会は、白井さんの演出した劇の演出スケッチ、つまり舞台や衣装のスケッチの展示がいちばん良かったです。

 写真は、1973年かな,ベルサイユのばらの実際の舞台で使ったオスカルとアントワネットの衣装です。

 感激したので、家に帰ってから、最近、宝を熱かった映画を見たり、池田さんのベルばらの漫画を読んでいる次女のIさんに報告しました。

 Iさんは、メイワンの中で働いています。

 「明日は遅番だから、仕事に行く前に見に行こうかな」と言ってました。

  ☆

 夜は、なんだか急に寒くなって、冬型の気候です。ということは、夜空もスッキリと見えて、南部の海岸近くにいくと、真っ暗い夜空に、最近では初めての、いっぱいの星が輝いていました。

 周りは田んぼと畑で何もない道路で、車のエンジンを止めて、車の電気も消して外に出ました。

 南に見えるオリオン座から西南へ、明るいマイナス等級の流星が…。

 
 

雨宮日記 10月24日(月) 浜松市役所で2回目の測定

2011年10月26日 05時33分12秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月24日(月) 浜松市役所で2回目の測定

 則子さんと一緒に浜松市役所へ、ある方と打ち合わせにいったついでに、9月に第1回目を測った放射線量測定の2回目をしました。

 結果は、1回目と変わらず、1Fのエレベーター前と、エスカレーターの下(ATMに近い方)が一番、数値が高いです。

 詳しくは、来週の「浜松市内放射線量測定報告」で公表しますが、0.1μSv/hを越えていました。

 1時間に0.1マイクロシーベルトですから、1年間の数値に直すと、その24倍の、さらに365倍で、8760倍です。

 つまり、0.1×8760μSv/年=876μSv/年=0.876mSv/年

 1時間に0.1マイクロシーベルトは、1年間に0.876ミリシーベルトになります。

 写真は25日朝5時に撮影した細い月です。
 

 

放射線量測定情報 浜松市外・磐田&袋井市 10月23日

2011年10月25日 05時27分20秒 | 地震・原発・津波・防災情報
放射線量測定情報 浜松市外・磐田&袋井市 10月23日

 袋井の音楽専門ホールへチェリストのコンサートを聴きにいきましたが、今回は自宅から則子さんと車で行ったので、途中、放射線量を量ってみました。

 10月23日(日)13時43分、磐田市匂坂橋の東横
  平均値 0.028
  最大値 0.029
  最小値 0.026

 10月23日(日)14時00分、大久保東バス停の東
  平均値 0.031
  最大値 0.036
  最小値 0.027

 10月23日(日)14時10分、敷地川の新笠梅橋の横 
  平均値 0.038
  最大値 0.042
  最小値 0.035

 10月23日(日)14時20分、袋井市月見の里遊学館の駐車場
  平均値 0.038
  最大値 0.043
  最小値 0,034

 静岡県が毎日、磐田市(今日、測った位置からはもっと南の磐田市)で測っている数値は、0.05台ですから、南の方がすこし高いのでしょうか。

 

 

雨宮日記 10月23日(日) 午前は大雨、午後はチェロ演奏会

2011年10月24日 05時43分07秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月23日(日) 午前は大雨、午後はチェロ演奏会

 今日は航空自衛隊浜松基地の「航空祭 エアフェスタ」の日で、朝からエンジン音でうるさいかと覚悟していたのですが、午前は途中で大雨で、則子さんに聞いたら「朝すこし飛んだけど、大雨で飛ばなくなった」と言ってました。
 
 お昼頃に、用事で職場の事務所に寄ったら、お隣のたんぽぽ保育園(則子さんの以前の職場)は今日が運動会でした。
 午前中が大雨でも、さすがに「どろんこ好き」の保育園、決行していました。

 午後は、則子さんは夕食の準備をしてから、ぼくと車ででかけました。初めて家から袋井市の北西隅の「月見里遊学館」ほーるに行くので、地図を良くみながら運転しました。

 笠井から磐田へ行く「かささぎ大橋」を渡るのですが「かささぎって、九州にいる朝鮮の鳥で、浜松でどうして、かささぎ?」と思って考えたら、ひらめきました。

 この「かささぎおおはし」を西から東へ渡ると「笠井」から「匂坂(さぎさか)」に渡ることになります。
 
 つまり「かさい」+「さぎさか」=「かささぎ」です。

 文献で確認したわけではないです。「幻視歴史学」の雨宮智彦の推理です。

 この「月見里遊楽館」の「うさぎホール」は音楽好きにはうれしい、音楽専用の300数十人規模のほーるです。浜松にはこういうほーるがありません。作りたいですね。

 「月見里」の由来は、この地域の地名「月見町」のようです。

 しゃれてますよね。「月見里」の「うさぎホール」なんて。

 うれしくなるのは、ぼくはうさぎ年の「8月うさぎ」で、今、家には初代兎の「ミント」の後、2代目兎の「豆子」がいるからでしょうか。

 ここで、午後3時半から、フランスの女性チェリスト、アンヌ・ガスティネルさんのチェロコンサートでした。ピアニストも同じような女性。

 前回のバッハの合唱曲の時は、座席の予約が前すぎて「見上げる」ことになったので、今回は、「E席」の真ん中、18番と19番を予約しました。

 最初、チェリストとピアニストが出てきたとき(午後3時35分くらい)、ビックリしたのは、女性チェリストは黒い袖無しのTシャツという感じで、女性ピアニストも白いワイシャツで、すごい、と思いました。
 
 曲目は、シューマン「幻想小曲集」と、シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」と、ブラームス「チェロソナタ第2番」でした。

 チェロとピアノのひびきと交響を堪能しました。

 拍手に応えてのアンコール曲が、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」でした。ピアニストが、はっきりした声で「ラフマニノフ ヴォカリーズ」と言ってくれました。アンコール曲名を言わない場合が多いので、親切ですね。

 今日は、二人のデートで、夕食時に家に帰らなくてもいいので、中区上島の、2人の行きつけの喫茶店「シーン」に行って、夕食を食べて、ぼくはコーヒーを、則子さんは紅茶を飲みました。

 奥の座席に座ったら、カウンター席から男性がやってきて「雨宮さん、久しぶり」と言うので、エッと顔を見たら、10年くらい前に浜北で知り合ったHさんでした。

 その後、信州長野県の安曇野市に移住したので、疎遠になっていました。うれしくなって、いろいろ、お話ししました。

 

 
 

雨宮日記 10月22日(土)の2 細江町で宗良親王のシンポ

2011年10月22日 21時22分42秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月22日(土)の2 細江町で宗良親王のシンポ

 今日は、北区細江町気賀の「みおつくし文化センターホール」で「宗良親王生誕700年記念 南北朝シンポジウム」というのがあったので、則子さんと車で出かけました。

 事前に「12時に出ようね」と、おおまかな約束をしていても、則子さんは雨宮家の「4人家族」の「主婦」というより「家長=責任者」ですから、兎の食事を心配して、洗濯物の心配をして…とすぐには出発できないですね。

 ぎりぎり開会の午後1時近くに会場に車で近づいたら、近くの臨時駐車場に案内されて、会場は満杯でした。

 則子さんも、ぼくも戦後派なので、なにしろ南北朝内乱や、楠木正成や後醍醐天皇の基礎知識がなくて、そういう基本講演があってもよかったなと思いました。

 ぼくたちより年上の世代が9割と見ましたが、どういうつてなのか、若い20代・30代に見えた人たちもいました。

 この14世紀の「南北朝内乱時代」については、またきちんと書きたいですが、大事なのは「なぜ遠州が南朝の拠点になったのか」ということです。

 報告・発言は、玉石混淆で、井伊之谷宮宮司さんの宗良親王(むねながしんのう)についての報告はよかったです。

 次の三河の「研究者」という方の発言は、歴史なのか,伝説なのか、境目のない報告で、歴史なのか文学なのか、まるで浜松地方の「坂上田村麻呂伝説」や「曳馬城落城の時の椿姫抵抗伝説」のように思いました。

 長慶天皇さんは、現在の学会ではその存在が認められていますが、それは南朝の存在した「吉野」での話で、「長慶天皇の宮が三河にあった」というのは、ほとんど「伝説」で、それが実在の歴史という主張なら、ほとんど「オカルト」の領域です。

 地方自治体のからむ「歴史」の怖さは、一部の人は「東日流(つがる)外三郡誌」事件で身に染みたと思うのですが、いまだに懲りない人たちは、いっぱいいるのですね、と思いました。 

 収穫だったのは、浜松市南区の白羽にむねなが親王が嵐で漂着した伝説と、そのむねなが親王が今の浜松北校前の「三社神社」に立ち寄って「あわがゆ」を御馳走になった伝説ですね。おもしろいです。


雨宮日記 10月22日(土)の1 則子さんは風邪気味?

2011年10月22日 21時15分57秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月22日(土)の1 則子さんは風邪気味?

 ボクもほとんど医者に行かず、国民健康保険から保険料だけずっと払って、まったく医者を使わない健康優良中年として表彰して欲しいですが。

 則子さんも、滅多に医者にはいかない、踏んでも蹴っても健康優良児ですが、珍しく、21日には「お腹がすこし痛い」というので心配しました。

 今日は「ちょっと熱があるかも」というので「わかった。今日はお布団に行かずに、自分の部屋で寝るから、ゆっくりしてね」と言うと、「来ても良いよ」と言うのです。

 うわ、どうしよう。そんなこと言われると迷うじゃないですか。

 気分的・情緒的には則子さんと身体をくっつけて暖まって…でも、理性的には風邪引いてる妻を自分の性欲で…してはいけないなあと…

 to be or not to be…


浜松・放射線量測定情報 自宅定点 10月20日(木)、22日(土)

2011年10月22日 21時04分05秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅定点 10月20日(木)、22日(土)

 ずっと測っている雨宮自宅定点(A地点)での線量測定は、いつもほとんど0.04台で、0.03台はまったくなく、0.05台がときたまアルくらいです。

 毎日変動する理由は何でしょうか。考えられるのは、以下の通りです。
 ① 測定器(堀場PAー1000)自体の10%あるという誤差
 ② 実際に野外での放射線量のリアルな変動
 ③ ①と②の両方による変動

 これを解明するには、もっと高い精度の移動測定器が欲しいですね。静岡県や浜松市が精度のいい放射線測定器を買って、市民へ貸し出してくれれば、それで比較対象ができるのですが。

 なお静岡県に先日、電話したときに確認しましたが、静岡県が買って使っている移動測定器は、50万円台の測定器だそうです。

 ゴミ環境ネットで使っている堀場製作所のの測定器は12万円なので、その4倍の価格です。

 以下、おとついと今日の測定。

 10月20日(木)23時22分、くもり
  平均値 0.050
  最大値 0.057
  最小値 0.042

 10月22日(土)20時33分、小雨、傘を差して測定器が濡れないようにして測定
  平均値 0.044
  最大値 0.047
  最小値 0.042


原発ニュース 10月20日(木) 国が50km圏をヨード剤配布地域に

2011年10月22日 20時11分25秒 | 地震・原発・津波・防災情報
原発ニュース 10月20日(木) 国が50km圏をヨード剤配布地域に

 10月20日に、国の原子力安全委員会の作業部会に、事務局が原発防災圏の拡大案を提示しました。
 新聞に寄れば、素案は以下の通りです。
 ① 5km以内を「予防防護措置区域」(PAZ)として重大事故発生時に無条件で避難
 ② 30km以内を「緊急時防護措置準備区域」(UPZ)として放射能レベルが一定以上の時に屋内避難・避難の準備をする
 ③ 50km以内を「屋内待避、ヨウ素服用対策準備区域」(PPZ)として、屋内待避、ヨウ素剤配布を準備する。

 国が初めて、浜岡原発から40km圏内の浜松市を、対策区域にみとめた画期的な瞬間です。