新・本と映像の森 260 葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』青空文庫
戦前のプロレタリア文学だが、いま読んでも新しいし、「プロレタリア文学」臭味もまったくない。
ネットの青空文庫で読める。
ネットでいくつも朗読がある。約10分。
語り手はダム現場で働くセメント工の松戸与三。
「松戸与三はセメントあけをやっていた。外の部分は大して目立たなかったけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽おおわれていた。」
「彼が仕舞(しま)い時分に、ヘトヘトになった手で移した、セメントの樽たるから小さな木の箱が出た」
「彼が拾った小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。それにはこう書いてあった。
――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器クラッシャーへ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌はまりました。
仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺おぼれるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒ふんさいとうへ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細こまかく細く、はげしい音に呪のろいの声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許ばかりです。私は恋人を入れる袋を縫っています。
私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。
あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相かわいそうだと思って、お返事下さい。
此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。
私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われるのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。・・・・・・(後略)」
☆
「彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻あおった。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ぶち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
「へべれけになって暴あばれられて堪たまるもんですか、子供たちをどうします」
細君がそう云った。
彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。」
怒りか悲しみか、何を感じるだろうか。問題は、① 手紙の書き手と犠牲者、 ② そして松戸与三と妻と6人の子どもの境遇と、③ 「読み手」の境遇の共通性だと思う。
この小説が書かれて90年ほどが経っても、読み手はこれを過去の歴史小説として読むことはできない。現代の、同じような。いやもっとひどい労働条件もある。
岐阜県のダム現場には葉山さんの石碑が立っているという。
☆
エドワード・ドミトリク監督のイギリス映画「コンクリートの中の男」で、イタリア移民のレンガ職人ジェレミオはコンクリートに転落して生き埋めになって死んでしまう。
監督は、この映画のアイデアをどこから得たのだろうか。エドワード・ドミトリクは戦争中はアメリカ共産党員であり、アメリカ共産党の機関紙や文化雑紙で日本のプロレタリア文化運動や葉山嘉樹の『セメント樽の中の手紙』が紹介されても、何ら不思議ではない。
でも、いまは確実な証拠は何もない。素人の妄想にすぎない。