雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森44 ル=グウィンさん『ゲド戦記1 影との戦い』

2010年05月31日 06時10分48秒 | 本と映像の森
本と映像の森44 ル=グウィンさん『ゲド戦記1 影との戦い』岩波少年文庫、岩波書店、新版2009年1月16日第1刷、318p、定価720円+消費税


 「ことばは沈黙に
  光りは闇に
  生は死の中にこそあるものなれ 
  飛翔するタカの
  虚空にこそ輝ける如くに」

「ゲド戦記」の第1巻です。裏表紙に書かれたストーリーは以下の通りです。

 「アースシー(地海)のゴント島に生まれた少年ゲド(通称ハイタカ)は、自分に並みはずれた力がそなわっているのを知り、真の魔法をまなぶためにロークの学院に入る。進歩は早かった。得意になったゲドは,禁じられた魔法で、自らの<影>を呼び出してしまう。」

 ここまで書いたところで、N子さんと娘のIさんが「1巻、貸して」と来たので、しばらく手元を離れていて、やっと帰ってきました。
 
 原題は「A WIZARD OF EARTHSEA」ですから、「地海(アースシー)の魔法使い」という直訳になります。

 ゴント島の「北谷」の奥の「10本ハンノキ」村で生まれたダニーさんはまじない師である叔母さんから鳥やけものをあやつる魔法を習い、「ハイタカ」と呼ばれるようになります。
 ハイタカさんが12才になった時、ゴント島の東方の「カルガド帝国」の軍隊が島を襲います。ハイタカさんは村を守るため霧をあやつる魔法を使い、村民を救います。
 その噂がゴント島にいた大魔法使いの「沈黙のオジオン」さんの耳に入り、オジオンさんが弟子にならないかと、ハイタカの元にやってきて、13才で「ゲド」という真の名前をオジオンさんからもらい、弟子入りします。

 二人の会話はこうです。

 オジオン「魔法が使いたいのだな」「だが、そなたは井戸の水を汲みすぎた。待つのだ。生きるということは、じっと辛抱することだ。辛抱に辛抱を重ねて人ははじめてものに通じることができる。ところで、ほれ、道端のあの草は何という?」
 ゲド「ムギワラギク。」
 オジオン「では、あれは?」
 ゲド「さあ。」
 オジオン「俗にエボシグサと呼んでおるな。」
 ゲド「この草は何に使える?」
 オジオン「さあ。」
 ゲドはしばらくさやを手に歩いていたが、やがてぽいと投げ捨てた。
 オジオン「そなた、エボシグサの根や葉や花が四季の移り変わりにつれて、どう変わるか、知っておるかな?それをちゃんと心得て、一目見ただけで、においをかいだだけで、種を見ただけで、すぐにそれがエボシグサかどうか、わかるようにならなくてはいかんぞ。そうなってはじめて、その真の名を、そのまるごとの存在を知ることができるのだから。用途などより大事なのはそっちの方よ。そなたのように考えれば、つまるところ、そなたは何の役に立つ?このわしは?はてさて、ゴント山は何かの役に立っておるかな?海はどうだ?」
 オジオン「聞こうというなら、黙っていることだ。」

 修行中のゲドは、アルビの領主の娘の誘惑と挑発に乗ってしまい、オジオンが秘蔵していた『知恵の書』で「影」を呼び出してしまい、ゲドが影から逃げて逃げまくり、そして後半から、影を逆に追い詰める、長い長い、旅が始まります。
 
 ゲドが、自らの影に食い散らされ支配されることを救ったのはなんだったのでしょうか。

 それは旅の道連れになった、小動物のオタク(ナウシカのテトのように)であり、
 道端のムギワラソウであり、エボシギクであり、
 最後の「狩り」の旅につきあうことになった親友の魔法使いカラスノエンドウであり、
 カラスノエンドウ一家の弟のウミガラスや妹のノコギリソウと過ごした時間
 ではなかったでしょうか。

 けっきょくのところ、一人ひとりの力は、そういうところからしか、発しません。
 心の中に何も守るべきもの、大事なものがない人間は、最初から虚無を生きているのではないでしょうか。
 ゲドは、地位や名誉や権力や支配力を追い求める衝動(影)を押さえ込んで、自分自身を取り戻したからこそ、ゲドでいることができたのではないでしょうか。

 最後の「世界の果てへ」の旅の前の会話。

 ノコギリソウ「これだけは教えて。もしも、秘密でないことだったら。光り以外に大きな力というと、ほかに、どんなものがあるの?」
 ゲド「それだったら、秘密でもなんでもないよ。どんな力も、すべてその発するところ、行き着くところはひとつなんだと思う。めぐってくる年も、距離も、星も、ろうそくのあかりも、水も、風も、魔法も、人の手の技も、木の根の知恵も、みんな、もとは同じなんだ。わたしの名も、あんたの名も、太陽や、泉や、まだ生まれていない子どもの真の名も、みんな星の輝きがわずかずつゆっくりと語る偉大なことばの音節なんだ。ほかに力はない。名前もない。」
 ウミガラス「死は?」
 ゲド「ことばが発せられるためにはね」「静寂が必要だ。前にも、そして後にも」

 ゲドの行為(する人生)ではなく、ゲドの存在(いる人生、ある人生)に共感します。 
 
 、ピアニストで指揮者のダニエル・バレンボイムさんが「音楽は、沈黙に始まり、沈黙で終わる」という意味のことを語っていたことを思い出しました。
 バレンボイムさんは、著書もあり、その中で「日本人は沈黙の意味をよく知っている」と過大評価してくださっているようです。
 たぶん、曲が終わった瞬間に、間髪を入れず大きな拍手をするような欧米の観客にうんざりしていたんでしょうね。
 バレンボイムさんは、ユダヤ教徒ですが、イスラエルとパレスチナの和解のために、ガザで青少年によるコンサートを企画した、とてもすてきな人です。
 

 


雨宮日記 5月26日(水) アクトでショパンのピアノ講座と演奏

2010年05月27日 05時29分32秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月26日(水) アクトでショパンのピアノ講座と演奏

 前に今年はショパン生誕200年という話を書きましたが、自分の興味もあって、妻のN子さんを誘って、楽器博物館の2階にある「アクトシティ浜松 研修交流センター 音楽工房ホール」で夜、開かれる講座と演奏に行ってきました。

 「シリーズ「音楽探訪」」で「ショパン生涯の軌跡 ~生誕200年のショパンを訪ねて~」というのです。

 いつもより早い夕食を、おじいちゃんとぼくとN子さんで食べて(定時の午後5時半より早かったので、おじいちゃんには迷惑だったでしょうね。)、遠鉄電車で新浜松駅で降りて、会場へ向かいました。
 
 いままで、ぼくは行ったことがなかったので、案内板を見て「あ、ここだよ」と言ったら,N子さんが「ああ、ここなら、保母をやめたときの失業講座で来たところ」だそうです。

 会場は定員150人だそうですが、開場時間の前に列ができていて、ショパン熱なのか、すごい熱気でした。
 若い女性や、女子高校生もいて、「この子たち、もしかして、ショパン弾きかショパン弾きになりたい予備軍かな」と思いました。

 講座は、平野昭さん(静岡文化芸術大学教授)の解説と、第2部の、ピアニストの鳥山明日香さんのピアノ実演でした。
 解説も、演奏もすごくよかったです。

 とくに平野さんの解説で、疑問だったことが解明されました。これはまた、別途、書きます。

 開演の前に、30分間上演された,ショパンの映像DVDが、すごくよかったです。とくに初耳だったのは、第2次世界大戦のときの、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して、占領したときの映像です。

 なんと、ナチスドイツは、ショパンの音楽の演奏を禁止したんですね。ポーランドの国民的な音楽を「反ドイツ」「反ナチス」と考えたのでしょうけど。
 
 ショパンが生きていたころの状況にも、かかわって、すごく考えさせられる映像でした。

 家に帰ってからN子さんに、1ヶ月前くらい前に買った、仲道郁代さん編著『CDでわかる ショパン鍵盤のミステリー』ナツメ社、を「これ読む?」と貸しました。
 『どうして、こんな、今夜の会話に都合のいい本を持ってるの?』と問いかける目でしたが「今年はショパン生誕200年だから」と言って、ごまかしました。

 ほんとうは、N子さんといっしょに楽しみたいから、今夜の講座も含めて、いろいろ、智彦くんは、準備したんです。自分一人で楽しんでも、おもしろくもなんともないから。

 いっしょに生きたいな。命終わるまで。


 

 
 


本と映像の森43 一色登希彦『日本沈没3 D計画』の2

2010年05月26日 05時33分06秒 | 本と映像の森
本と映像の森43 一色登希彦『日本沈没3 D計画』の2

 「日本沈没」は、最初の「新宿異変」の次に、1月1日元旦の、伊豆大島三原山の大規模爆発が起こります。
 初日の出を見るために、小野寺さんと玲子さんは、相模湾の海岸に居てしまいます。

 玲子さんが小野寺さんに必死に言います。
 「助けたいの……ひとりでもいい…助かるかもしれない人を助けたいんだよう…
  私は(レスキューだから)そうしないわけにはいかないの…
  小野寺くん、あなたも…あなたもそうなんじゃないの?!」

 可能な限り他人との接触を回避し、一人孤独に生きようとする小野寺さんの心を
 揺さぶる玲子さんの熱い言葉!
 
 以下、著者が表面に出た語りです
 「災害を前にした時の近代社会の大きな問題点の一つにー
 災害が目前に迫っているはずの人々が「なかなか逃げない」という特徴がある」

 p72にあげられている参考文献を、まだ読んでいないのですが、紹介しておきます。
 広瀬弘忠さん著『人はなぜ逃げ遅れるのか ー災害の心理学』集英社新書
 同じく広瀬弘忠さん著『災害に出会うとき』朝日新聞社、単行本
 
 玲子さんが、ちょうど近くにいた車のクラクションを鳴らし続けて、叫びます!
 「みんなっ!!
  津波が来るっ!!!
  高い所へ逃げろォっ!!!」

 「意味不明のクラクションから 正しく 危機を読み取ったわずかな者だけが
  〝避難行動〟を取った。単独、あるいは2人連れという〝少人数〟だけが
  機敏に動いた。」

 第3巻の想定では「死者・行方不明者21万3000人は、いまだ非公式概算である。」

 前年のほとんど報道されなかった「新宿事象」の次に起きた「相模湾地震・大津波」から、この物語は大きく動き始めます。
 まずは「D計画(政府版)」の発足へ。

 最初「この第3巻の紹介をもう1回、「丸石神」についてします」と書きましたが、古代史の方に,別途、後で書きます。

雨宮日記 5月25日(火) 黄砂の影響・北朝鮮魚雷の影響

2010年05月26日 05時14分44秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月25日(火) 黄砂の影響・北朝鮮魚雷の影響

 今日、午後起きると、最近は毎日、台所で事務処理をしているか、本を読んでいるか、台所を「している」かのN子さんが「おはよう」と言い、ぼくが「おはようございます」と言うのが日課になりました。
 こういう情景って、結婚して30数年間で、めったにないことで、お互い、すれちがい生活と交換ノートやメモ・「○○通信」で処理してきたので、こういう風に声を聴き合える時間に、感謝しています。

 N子さんが「アクト(タワーのこと)が煙って見えるみたい」というので、調べてみたら、やはり黄砂でした。

 こういう中国の環境異変や、朝鮮半島の異変が、ぼくたちの身近に感じる、というより、ヒシヒシと危機感を感じるこの頃です。

 韓国海軍の沈没事件で、最初、ぼくが違和感を感じたのは、韓国海軍が北朝鮮との国境線ラインのすぐ間近にいて、最大警戒態勢ではなかったの?ということでした。
 あまりにも、何の予知もなく、突然、沈没では、あまりにも、と思ったのです。

 そうしたら、ヤフーで産経新聞の「想定を越えた北の魚雷能力」という記事を見ました。
 まるで1941年12月8日の「想定を越えた日本軍の魚雷能力」という話の焼き直しのようだと思いました。
 いつでも、どこでも、想定「敵軍」の実際能力の軽視が起こるのですね。

 沖縄の米軍基地群や普天間基地の問題にもからんでくるので、「軍事力」「防衛力」「抑止力」やその目的・実態など、この雨宮ブログでも事実と論理に沿って、考えていきたいと思います。
 
 
 

人間・心・集団の学習8 魂・人格の幸せとくらし・生活の幸せ

2010年05月25日 05時49分13秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団の学習8 魂・人格の幸せとくらし・生活の幸せ

 「幸せ」という時に、2種類の「幸せ」「幸福」があるのではないかと、思いました。
 以下、それについての考察です。

 ひとつは、当然、くらしや労働や家庭がふつうに維持できる「幸せ」です。この「幸せ」は、物質的な、他人との「協同」「たたかい」「連帯」によって、よりよくしていくことができます。

 ところが、もう1種類の「幸せ」は、物質的な・社会的関係的なものでもなく、心の・精神的なものでもなく、人間の中枢である「魂」「人格」に関係していて、これは自分自身や親しい「旅の仲間」との関係でだけ、考えられます。

 この「魂・人格の幸せ」は、「くらしの幸せ」と平行して、どちらも追求されないと、人間って、いびつに歪んでいくと思います。

 ただし、この「魂・人格」は、発達したりしないと思います。ただ、幼い頃からの「魂・人格・霊性」が、汚染されたり,歪んだりしないように、つねに「魂・人格」を磨かないといけないと思います。

 宮沢賢治さんの童話『ホモイの火』を読んでください。

雨宮日記 5月23日(日) 大雨の予報と…自然と社会と

2010年05月24日 06時08分02秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月23日(日) 大雨の予報と…自然と社会と

 早朝に仕事から帰ってきました。昨夜は、大雨の予報でしたが、うまく仕事のあいだは小雨で終わりました。
 
 N子さんが、珍しく、夜中にボクが出かける時に、玄関に出てきて「いってらっしゃい」と言ってくれて、30年前の新婚当時の感覚が蘇って、幸せでした。

 午前5時頃に家に戻って、玄関を開けると、玄関に、N子さんが支度してくれた下着が置いてありました。
 ありがとう、N子さん。
 すごく豊穣な,幸せな気分になって、今から寝ます。




本と映像の森43 一色登希彦『日本沈没3 D計画』小学館

2010年05月24日 05時33分34秒 | 本と映像の森
本と映像の森43 一色登希彦『日本沈没3 D計画』<ビッグコミックス>、小学館、2006年9月1日初版第1刷、212p、定価505円+消費税

 第3巻から、雨宮の関心のある部分を拾います。ほかの人なら、違う拾い方があると思いますが。
 第3巻は、大晦日の「雑種天国」から始まります。最初は、小野寺さんの回想。

1 スケール

 日本海溝の底から浮上するあいだの、マッドサイエンチスト田所博士(実際には、いちばん正常な人かも)のセリフ。

 「小野寺くん、わしは最近、街を歩いていて ふと、道路を見下ろして…「こんなところに こんな物があっただろうか?」と思う場所に 路面のヒビ割れを見つけて、しばらく 立ち止まってしまった。」

 「分かっている、幸長(ゆきなが)。東京の路地の亀裂が 今見たものと 直につながっているなどと 言いたいわけではない。」

 「わしが言いたいのは この一連の物事を 見る時の スケールの置き方の 問題だ。」

 「そのスケールを 大きくとりすぎれば 拾えるものを 拾い損ね。小さすぎれば 相関する広範な事象を 読み取り損ねる…デリケートな 問題だ。」

 「小野寺くん、我々が見たものは ものそのものではなく,大きな物事の 片鱗にすぎない。意味する総体は 別にある。その総体の全体像が 分かるまでは 事の重大さも 推し量れない。」

2 小野寺さんと玲子さんの大晦日の会話

 小野寺「すまない…呼び出しといて オレ… ロクに話もしてない… 楽しくもなんともないよな」

 玲子「なに!あはは、そんな事?いいんだよ 小野寺くん ぜんっぜん!! だって今話したくないんじゃなくて うまく話せないだけなんでしょ? 
 だから、私に声をかけてくれたんでしょ?」

 小野寺「なんで俺を、“うまく話せなくて困ってる”…って 思った…?それはお前が日々、仕事と日常の間で 味わっている思いだからか?」

 

雨宮日記 5月21日(金) 「ために」の押しつけはやめましょう

2010年05月23日 23時46分45秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月21日(金) 「ために」の押しつけはやめましょう

 清水眞砂子さんの『本の虫ではないのだけれど』で見たと思い込んだの「だけれど」、あとで捜すと見つからない。
 はて、最近読んだ他の本なのかな?
 
 とにかく「こどものために」とか「自分のために」とか、「ため」にというのは、どうもうさんくさいということです。
 昔の「お国のために」というのは私たちにとっては論外ですが。

 こどもたちは、いやおとなたちも、みんな自分の人格と魂をもって自分の時間を生きているのだから、必要なものや心を正確に必要なときに届ける支援をしてあげればいいので、親が「おまえのためを思って」塾に通わせたり「未来のために、いい学校に入るために、いい職場に就職するために」、子どもたちが生きるのは本末転倒だと、ぼくも思います。
 
 「平和のために」、「一人はみんなのために、みんなは一人のために(どう考えても意味不明なスローガンですが)」、「あっと驚く為五郎」

 「ためになる」で検索すると「ためになる資格の取り方」とか出てきて、ようするに利益になるという意味なのでしょうか。
 だとすると、ぼくやN子さんは、じぶんのためにはならない、自分には「損な」ことばっかりやっているかも。

 「ために」という中には、もちろん必要な「ため」もあるだろうけど、いろいろ考え居てくと、ほとんどがうさん臭くなりました。

 たとえば浜松市の子供なんとか条例、あれは自民党浜松がとんでもない時代錯誤の文章を押し込んだので一気に、おかしさが露出しましたが、はたして、そもそも必要なものだったのでしょうか、そこから考え直したいと思います。

 「ためになる」の逆は「ためにならない」ですね。
 「おまえのためにならないぞ」と言うのが,ありふれたヤクザさんの普通のセリフですが。

 「ために」「ためになる」「ためにならない」を英訳するとどうなるのでしょうか?たぶん「profit(利益) of」とかそんな単語になるのかな?

 小松左京さん原作、一色登希彦さんマンガ化(かなり改変・脚色)『日本沈没 4』に、「おまえのために」という端的なシーンがあったので、以下、紹介します。

 主人公の一人・小野寺俊夫さんの中学校時代…俊夫さんとお父さんの対話中のそれぞれの心の中…1994年、神戸…。

 俊夫『このひと…このひと達…体が大人に見えるだけだ…考えが合わない人間が目の前にいることに、心が耐えられないだけなんだ…』

 父『いいか、何を言ってもムダだぞ。お前が納得するまでいつまででも喋るぞ。いつか、お前もわかる。今はこれがお前のためだっ。』

 俊夫『どうする?この人は何を言ってもこっちが諦めるまで喋り続ける。自分の弱いところをひとつカケラも認めないそのためだけに…気の毒だから相手にするのはやめよう…もういいや…もう…黙ろう…』

 「為に」で検索したら「前に述べた事柄が原因であることを表す語。」というの説明が出てきました。
 つまり、「原因 いま親の言うとおりに勉強する → 結果 いい学校に入れる」というのが「為」という意味のようです。

 「ために」には、因果関係という意味では、いいものもありそうですが、最低限「ために」を理由にした押しつけや強制は、やめましょう。
 

遠州古代史の本3 辰巳和弘さん著『聖なる水の祀りと古代王権』

2010年05月23日 08時12分36秒 | 遠州古代史
遠州古代史の本3 辰巳和弘さん著『聖なる水の祀りと古代王権 ー天白磐座遺跡ー』<シリーズ遺跡を学ぶ033>、新泉社、2006年12月28日第1版第1刷、93ページ、定価1500円+消費税

 2010年4月11日付けで「遠州の遺跡・寺社6 天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡」を書きました。
 その時にも、この本を紹介しましたが「遠州古代史の本」としては、大事な本なので、あらためて、ここで紹介します。

 天白磐座遺跡が再発見されたのは「1988年も明けたばかりの1月23日、土曜日のことだった」(p4)。
 「私(辰巳さん)と学生の5人は、本殿背後を護るように盛りあがった小丘陵(薬師山)のいただきにある巨岩群へと足を運んだ。」(p4)
 「わたしの話をさえぎるように、ひとりの学生が声をあげた。
 「先生、土器が落ちています。」」(p9)
 
 以下、目次を紹介します。
 
 第1章 天白磐座遺跡の発見
  1 巨岩の群れ
  2 古代祭祀の跡
 第2章 よみがえる古代地域王権
  1 井伊谷古墳群の発見
  2 地域首長墓の系譜
  3 聖水を祀る王権
 第3章 天白磐座遺跡の発掘
  1 磐座を認識した人々
  2 際立つ天白磐座遺跡の場
  3 “聖地”発掘
  4 解明される「神の座」
  5 経塚造営
 第4章 磐座祭祀を読み解く
  1 発掘成果からみたカミ祀り
  2 「祭祀空間」を体感する
  3 造営者はだれか
  4 式内イ井神社と磐座遺跡
  5 岩立たすカミの祀り

 ところで、この天白磐座遺跡のある「盛りあがった小丘陵」の名前が「薬師山」というのが気になるところです。
 
 
 
 

本と映像の森42 仲道郁代さん『ショパン 鍵盤のミステリー』

2010年05月21日 05時51分29秒 | 本と映像の森
本と映像の森42 仲道郁代さん『ショパン 鍵盤のミステリー ーCDでわかるー』ナツメ社、2010年3月9日初版、159ページ、定価1800円+消費税

 最近の音楽本って、演奏CDがついていたり、編集がじょうずでカラフルな写真や解説が楽しみなのですが、この本も、うわ、いいな!と確信して買った本です。

 無心にピアノの鳴るのを聞くのもすてきですが、メロディーの謎「ミステリー」を解き明かすのも楽しいですね。
 
 仲道さんは、浜松育ちのピアニスト。「ベートーベン ピアノソナタ」全曲演奏などで著名ですが、いっしょにショパンの謎に挑もうと思います。


雨宮日記 5月20日(木)朝 大雨とアマガエルの大合唱

2010年05月20日 05時49分04秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月20日(木)朝 大雨とアマガエルの大合唱

 仕事をしている夜のあいだずっと、大雨で、ずぶ濡れになりました。
 帰ってきて、服を全部替えてホッとして、寝る前に、いまこのブログをリラックスして打っています。

 田んぼの多い南部地域では、どこも、田んぼに水を入れ始めているので、今日は、雨大好き、水大好きの「ニホンアマガエル」さんが、どこでも、ゲッ!ゲッ!ゲッ!ゲッ!と大声で大合唱でした。

 困るのは、小さなアマガエルさんたちが雨に浮かれて、ぼくが車を走らせるコンクリの道路上にぴょんぴょん跳ねてきて、そこで雨をじっっと堪能していることです。
 うわ!アマガエルくん!引いちゃうよ!逃げて!
 心の中で悲鳴を上げながら、カエルをひき逃げしないように、ハンドルを右に左に切るのですが、よけきれないこともあって、そういう時は、ごめん!と片手で祈って、許してもらっています。
 
 
 

雨宮日記 5月19日(水) N子さん珍しく風邪かな?

2010年05月20日 05時32分43秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月19日(水) N子さん珍しく風邪かな?

 昨日18日(火)は、父が「めまいがして心配だ」というので、N子さんがいっしょにタクシーで遠州病院へ行きました。
 ぼくが昨日は午後2時頃に起きてN子さん(と長女の)部屋を見ると、この時間帯では珍しくN子さんが寝ていました。
 「朝から午後まで4時間くらい病院にいたわ。疲れた。」
 
 ところが翌日の今日も、午後寝ているので「まだ疲れが取れないの?」と聞くと「なんだか風邪みたい、のどが痛い」というので、うわ、4時間も遠州病院に居たので、空気感染したんだなと思いました。
 
 「わかった。家事もするし、夜はゆっくり寝て」と言えるならいいのですが、今夜は、ぜったい外せない自衛官人権裁判の事務局会議なので「ごめん、ぼく1人では無理だよ。N子さんに無理をしてもいっしょに行ってもらわないと。」と頼み込んで、一緒にマイカーで行きました。
 ありがとうございました、N子さま。
 明日の夜は、ぼくだけで行ってきますから。
 N子さんが雨宮家の中心、大黒柱(いや赤い柱か,ピンクの柱ですか)ですから、元気でいてもらわないと。ぼくはその柱をいつもきれいに磨いている掃除人というだけです。

 
 


 


本と映像の森41 清水眞砂子さん『本の虫ではないのだけれど』

2010年05月19日 22時37分36秒 | 本と映像の森
本と映像の森41 清水眞砂子さん『本の虫ではないのだけれど』かもがわ出版、2010年5月27日発行、251p、定価1900円+消費税

 雨宮日記の続報です。
 清水眞砂子さんの分科会での講演にN子さんが感激して買って来ました。

 「私たちを食べさせ、着せるのに忙しかった両親も、学校の先生たちも、幼い私の先進がどこを旅していたかを知らなかったろうと思うのだが、知らないでいてくれたことを私は今、心底感謝している。そのおかげで私はだれに邪魔されることもなく、この世の不思議に心を驚かせつづけることができたのだから」

 清水さんは入学してきた学生に「わかりいそがないで」と言います。
 「わからなくていいの。わからないことがすてきなの。どうやっても歯が立たないものに出会うこと。自分の小ささを思い知らされること。それが歓びとなるような世界との出会いをしたい。」

 そういうすてきな世界、本の世界を清水さんはたっぷりと語ってくれます。

 そして、42ページを読んで驚きました。
 「私は、こうすべき、ああすべき、べき、べきで、たいへんな「べきべき」人間だったのです。「べきべき人間」などという言葉は私が勝手に作ったのですが…」
 「べきべき」、「ねばねば」というのは、ここ数年、ぼくが批判を込めて使っている言葉です。つまり、まったく独立に同じ言葉を作ったわけです。

 それから、清水さんが夫の菅沼さんと結婚してから、住んでいる掛川の自然を2人で歩き始めて、自然を知り始めたという話や、山にいったとき、2人でいると、いろいろしゃべっちゃうから動物は寄って来ない、一人でいるとオコジョが間近でのぞき込んだという話。
 あれ、ぼくたちと同じ2人がいるという不思議な感覚でした。

 この本ではやはり「ゲド戦記」のことです。
 「ゲド戦記」はジプリでアニメ化されましたが、ぼくは2巻くらいまで、それも詳しい評論でしか知らなかったので、6巻まで出ている紹介を読んで、さっそく読んでみようと思います。

 清水さんは「「ゲド戦記」は人が名声を獲得していく話ではなく、無名を獲得していく話であり、力を獲得していく話ではなく、自らの意志で力をなくしていく話ということができる。そして最後に作者が私たちに見せ、聞かせてくれたもの、それが…」

「「ねえ、わたしが留守の間、何してた?」
 「家のことさ」
 「森は歩いた?」
 「いや、まだ」
 「ゲド戦記」は、こんなありふれた夫婦の会話で幕を閉じる。」

 「三十年余の年月をかけて、ようやく二人が手にした会話。
 「そうよ、わかるわ。これは私たちの物語だもの」」
 N子「が言い、かたわらで」ぼく「がうなずく。」

 全6巻のタイトルを紹介します。全部、岩波少年文庫で読めます。少年文庫版で6冊で4830円。通常のハードカバ^ーだと1万1295円です。

  第1巻 影とのたたかい
  第2巻 こわれた腕輪
  第3巻 さいはての島へ
  第4巻 帰還
  第5巻 ゲド戦記外伝(短編集)
  第6巻 アースシーの風
 (少年文庫版によります。ハードカバ^ー版は5巻と6巻の順序が逆です)。


 

雨宮日記 5月16日(日) N子さんと「影とのたたかい」

2010年05月19日 06時06分06秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月16日(日) N子さんが静岡県母親大会に

 5月の第2週「母の日」は、日本中で、それぞれの「県母親大会」が開催されます。
 
 N子さんが「浜松基地自衛官自殺裁判」の訴えで、小笠高校に開かれる「静岡県母親大会」に参加するというので、そのチラシを見たら、「ゲド戦記の訳者、清水まさこさんが語る」という分科会があるではありませんか。

 「ゲド戦記」訳者の清水さんは,直接よく知らないし、「ゲド戦記」もちゃんと読んだこともないのに、N子さんに、自信をもって「この分科会を聞くといいよ!」と断言してしまいました。

 20年以上前に読んだ本で、「ゲド戦記」の第1巻「影とのたたかい」の話があって、記憶に残っていたので、N子さんに勧めたのですが、大正解でした。

 続きは「本と映像の森40」でどうぞ。

本と映像の森40 古田武彦さん『失われた九州王朝』ミネルヴァ

2010年05月17日 05時31分56秒 | 本と映像の森
本と映像の森40 古田武彦さん『失われた九州王朝 ー天皇家以前の古代史ー』<古田武彦古代史コレクション2>、ミネルヴァ書房、2010年2月20日、559ページ、定価2800円+消費税

 古田武彦さんという名前をここに書くと、なんとも言えない、甘酸っぱいような、つまり甘さと酸っぱさが同居した気分になります。
 
 1970年代、自分の20代の青春時代に『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』の3部作を読んだ衝撃。

 それは「神話=天皇家の神話」「倭=日本天皇家」という固定観念からぼくを解き放ってくれ、客観的な、生き生きとした古代史と人間像をもたらしてくれて、この「雨宮ブログ」に流れ込むようになりました。

 その後、古田さんは、悪名高い和田家文書「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を古田さんのそれまでの主張とは変化して、それを信じ切ってしまい、いわば「変質」していきますが、それだからといって、それまでの主張が変化するわけではありません。

 雨宮は、古田さんが「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を「盲信」する以前の到達点と思想を「前期古田さん」と呼び、詐欺師の和田さんにからめとられた「後期古田さん」と明確に区別します。

 この本での「前期古田さん」の主張は、近畿天皇家は『日本書紀』が主張しているような朝鮮との関係はあまりなく、7世紀末まで朝鮮半島に軍を派遣していたのは、北九州に本拠のある九州王朝だったということです。

 九州王朝の本拠地が、いま「太宰府」と呼ばれている場所です。
 九州王朝は、7世紀末の唐・新羅連合と百済・倭国連合との「白村江」での決戦で大敗北をきっして、滅亡します。

 天智や天武の王朝は、この滅亡した「倭国」ではなくて、九州を占領した唐軍とも同盟したり、対立したりした、亡命朝鮮人を含む近畿の王朝で、やがて「倭国」を圧倒して「日本国」を名乗り、日本列島全体の、中国からも承認された正当な王朝となります。

 そういう「物語」で、いろんなことが説明できます。
 「倭の五王」「好太王碑」「七支刀」「磐井の「反乱」」、「九州年号」「日出ずる処の天子」などなど。

 この本でも、和田ウイルスの汚染は治っていませんが、汚染以前の清涼な状態を復元することは可能だと思いました。