雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

祝詞 2

2020-08-06 00:35:19 | 面白い
それを......

四国、

剣山(つるぎさん)へと持ち込むことになったのです。

お話は、幾回かつづきます。(^^)




上の写真は剣山のものですが......そもそも、
僕が「祝詞(のりと)」なるものを覚えてみようと思ったのは、
今住んでいる家を建てた時からとなります。
もう、15年以上も前の話しでしょうか。
その時の僕はいくつかの理由があって、
「自己責任による神棚」
というものを人生で初めて
自宅に設けてみることにしたのでした。
それは幼少の頃になんとなく眺めていた実家のものとは違う、
今もって、まったく神棚には見えない!?ようなものであり。
和モノなのに洋風で。
どこかギリシャ風でもあり。
独特でインテリア然ともしていて。
現代的な家のデザインに溶け込んでしまっているような
感じではあるのですが。
そんな神棚を初めてしつらえた時は、
お札を「一枚だけ」壁に立てかけただけの形でした。
その時に



「あれ?
こりゃ、祝詞?
いるな?」



......と、フト思ってしまったのでやんす。
それがないと、どーも札に、棚に、神様が入らないのです。
遠巻きにはいるけど降りて来られないのです。
そうか。
神社だとそれを神職の皆さんがやってくれてるのか......と。
家だと自分でやらないとダメだな、と。
それが僕さんと祝詞との最初の出会いであり、
きっかけでもありました。
勿論、あくまで私的なタダの感覚的なお話ではあるのですが、
僕はその時からインターネットをひっくり返し。
基礎知識を学び。
様々な本を買いあさっては独学を重ね。
必要と思われる神社もあちこち訪ね歩き。
ポンチキ感覚を研ぎ澄まし。
様々なことの取捨選択を繰り返し。
最終的には、全国の神社で最も広く、
一般的に使われているであろうという
「大祓祝詞(おおはらいのりと)」
なるものを選び、覚えることにしました。
勿論、大祓の祝詞自体にも
幾つかの種類が見受けられたのですが、中でも、
僕はいろいろな理由があって前回記事の最後にも記した
春日大社のものを短縮するのが一番良いな......
という判断に至りました。

その後、その祝詞を毎朝、自宅でイソイソと挙げ始めると、
たった一枚の札から始まった我家の「神棚的なモノ」は
初期のイメージと僕の予想とに反して
グングンとエネルギーを増していき。
更に必要となるものを
僕さんに訴えてくるようにもなって来たのです。
それは、札の置き方や種類などは勿論のこと、
結構、不可思議で、
おかしなものにまで及ぶこともしょっちゅうで。
しかも、
それらはずっと棚に置いておくということでもなく。
時々の状況や僕自身の変化、
家や土地のエナジーの変化などに合わせて
変化もしていきました。
やがて、その変化や進化?
のためだけに全国を飛び回るようなことなども
多くなってきて......



「ぼ、僕さんにも......
仕事や家庭ってものが......
あるのでちゅけどぉぉぉぉぉ.......
お、お金を稼がないと食っていけねぇですぅぅ。。
だんなぁぁ。。(T 。 T)ぶぇ」



そんなある日。
僕さんは不可思議な力を持ち始めた神棚の前で、
頑張って覚えてみた祝詞の限界みたいなものをなぜか?
突然!
感じたのです。



それは建てたばかりの家に、
たった一枚の札を置いてから数年の月日がたち、
東日本大震災が起きてからは
10ヶ月程が過ぎた頃のことでした。



そして、
まさにそのタイミングで出会った人というのがいて。
それが当時、伊勢神宮での神社庁研修を受け終わり、
しかし、関係者に対し神職につくのを頑として拒みつつ、
そのままプラプラと個人事業主として
「神棚屋さん」をやっていたMさんでした。
このブログを長く読んでくれている皆さんには、もう、
おなじみの人かも?しれませんが、
現在は九州の地で神職を勤めている、ソノ、Mさんです。



当時も今もバリバリの霊能力を持つMさんと
僕さんとの出会いというのは、実は、
その当時の自宅の神棚に是非とも欲しかった
「水晶の玉」を手に入れようと、
全国を奔走している時に出会った神棚屋さんというのが
他ならぬMさんの神棚屋さんであったワケなのです。
とてもよく覚えているのですが、
Mさんの売っていた神棚や用品は
全てオリジナル製作のもので。
明らかに他と違うオーラを纏っていました。
とにかく湛えている「チカラ」が違う。
その辺のお店などで買うことなど絶対にできない様なもの。
余計なものを削ぎ落とし、
本質だけを大切に残すかのようにした、
生命の原初的な力が宿っているもの。
というか、作品。
その中の小さな用品.......それはまさに、
その時の僕が探していた「質」の水晶の玉と、
それを置くための、黒い焼き杉で出来た専用の台座。
台座は座布団の様な柔らかい曲線に丁寧に削りこまれ、
磨き込まれたもの。

「普通、神棚屋で売るか?こんな石とかモノを......
なんや?ここ......」

僕はそれら二品をワンセットで買おうと、
Mさんの神棚屋さんにメールでコンタクト。
店主であるMさんは客である僕に

「よければ、
返信で神棚の写真を送ってください、、、」

などとも言って来ました。
もう、この返事にしても、
とてもオカシナ神棚屋さん。

「売りたくないの!?」

みたいな。
しかし僕はそこにこそ抜群の安心感を覚えてしまい。
早々に自宅の神棚の写真を撮り、
そのままMさんにメール送信。
Mさんはその返事で

「かなり独特なのでは!?」

と思っていた僕の自宅の神棚を、
意外にも、あまりお目にかかれない神棚です、と、
大絶賛をしてくれました。
そして、そんな売買のやり取りをしている中でMさんはなぜか?
僕に「古神道の祝詞」なるものまでを教えてくれたのでした。



「uzmetさん。
これは特別な祝詞です。
この国は、いろいろな歴史の中で、
本来の祝詞から大切な要素や言葉を抜き取られてきています。
それは、ほんの些細なものであったりはするのですけど。
でも、とても大切なものなのです。
そんなことをされてきた理由も色々とあるのですが......
とにかく、一字、一句抜けても全く変わってしまう。
祝詞とはそんなものです。
僕は、故あって、その本来の、古来からの祝詞を持ってます。
本当は、僕が行ってuzmetさんの神棚に奏上してあげたいのですが、
なかなか東京までは行けないので、なので、
uzmetさんがよろしければ、
商品をお買い上げいただいたお礼も兼ねて、
その祝詞をメールで正確にお送りしますけど。
どうでしょう?」



僕はこの時、まだMさんが類稀な霊能者であることも、
伊勢で神職の修行をしていた人だとも、
Mさんのお師匠さんのことも、
そのお師匠さんがアノ、
中古でもまず手に入らない、幻の自費出版本の!?
もし見つけても何万円もする!本の著者であることも、
彼の霊能グループが知る人ぞ知る重要な霊能集団であり、
この国のために、
この国の神々のために、
日夜、人知れず全国を飛び回っているチームだとも
ツイも知らなかったのです。
そんなグループが大切に守り通してきたという祝詞のエッセンスを
僕に分けてくれる、と。
Mさんはそう言うのです。

——————お話は続きます(^^)


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コメント (4)
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