毎年恒例にしていた年初の「伊勢参り」を、
今年はこんな理由で......
出雲参り!にしました。
と、言いつつも、
1月、2月の出雲は雪も寒さもかなり厳しいので、
今回は、そろそろ春の香りも漂い出したのかな......
という頃に行くことに。
昔、社会人一年目の頃。
業務で中国地区を担当していたというような縁もあって、
出雲エリアにはチロチロと幾度となく訪れていたりもしていました。
所謂「出雲」と言えば、
多くの人が思い浮かべるであろう出雲大社にしても、
もう2回程キチンとお参りに行ったりなんかもしています。
ただ、今年は60年に一度!(@。@)という、
社(やしろ)を新しく作り替える
「遷宮=せんぐう」という儀の後で、
そんな真新しくなった大社を観れるなんていうことでもあって。
それはちょっと新鮮で嬉しくもあり。
とても楽しみに行って来ました。
行ってみると、
思いもよらなかったのが......桜。
桜咲く出雲。
そして、
予想外の軽やかでキラキラした空気の出雲。
よくよく考えると、
過去2回の参拝は真夏のアッチキチーな時と、
真冬の重々しい空の下での参拝で。
こんな......
こんなに軽やかで明るい出雲大社なんていうのは初めて......
かもしれません。
いや、ちゃんと記せば、
真夏であろうと日本海の寒い冬であろうと、
そんな季節を意識の外に置いたとしても、
出雲大社というのはいつも、
なんとなく「影=陰」が漂っているような印象で......
それは境内のそこかしこに溢れでている強力な「場」の力と共に
「ピン!」と張り詰めた「緊張感」とも言えるようなもので。
故に、伊勢神宮などと違い、誰しもに軽々しく
「良いよ~(^_^)一度行ってみたらぁ~♪」
などとは言えないようなところ。
それはコノ日本という国の「礎=そ」を造った、
偉大なる大王「スサノオ」さんと、
そのスサノオさんの愛娘を娶り、
婿(むこ)息子としてその国を更に大きく拡げていった
「大国主=オオクニヌシ」さんとの微妙なる対立?
の空気感なのか。
それとも、コノ地に彼等を封印した古代大和朝廷の
「呪=しゅ=まじない」の力なのか。
コノ地に元々からある「気」そのものの力なのか......
ただ、良いも無く。
悪いも無く......
それが出雲の特徴であって、存在感なのかな......
などとも思っていた僕には、
今回の遷宮を終えた新たな出雲大社の清々しさと明るさというのは、
それはもうマッタクもってカナリの驚きと新鮮さがありました。
本当に、
マ、マッタク違う。
今迄と......(;゜ ロ゜ )
大社の表玄関である鳥居前には、
昔は地元の学生達の研究発表会場だった様なローカル感溢れる!?
施設などがあったのですが。
そんな建物も「ご縁横丁」なんていう、
伊勢の「おかげ横丁」にも似た、
見事に整備された観光街に生まれ変わっていて......
(; ̄Д ̄)ウワサデハキイテマチタガ......
横丁の名前に引っ掛けた「えんむずびや」さんでは、
島根和牛のステーキを贅沢にはさみ込んだ、
こんな和牛ステーキオムスビなども......
ありえん。
出雲でこのセンスはありえん!?
う、美味いし......( ̄∇ ̄;)
そこから鳥居をくぐり、歩み行く、
樹齢数百年から千年の見事な松が立ち並ぶ類い稀なる参道も、
「松の根が踏まれぬ様に、、」
と、遷宮の改築と共に整備されていて。
なんだかちょっとモダン!?な雰囲気に。
な、なんか......以前と違う。。。(;゜0゜)
参道の周りを見渡せば、
とにかく鬱蒼としていた樹林が、程よく伐採され、整備され。
広い芝生の広場なんぞが広々と造られていたり......
あの......「暗さの象徴!」だった参道横の「池」も、
なんだか東京、代々木公園の皆が集う噴水池!
のような趣に......
「な、、なんだ!?
い、、伊勢みたい......ホントに出雲!?( ̄。 ̄;)」
もう、拝殿に辿り着くまでずっとそんな印象で。
キラキラと光り溢れる大社の境内。
決して、春!桜が綺麗!
ということだけではないその感触。
いやはや、驚きです。
きっと何かが変ったのだと思います。
僕は。
僕が変ったのか?
大社が変ったのか?
その両方かもしれないけど。
でも、確かに僕はそう思いました。
出雲の「何か」が変りました。
それは遷宮のタイミングで。
それは新たなる日本の、世界の門出に際して。
そんな感じ?
でしょうか。
出雲大社で僕が何にも増して一番好きな所は、
実は、その有名な日本一の「しめ縄」でもなく。
勇壮なる社や背後の山々でもなく。
長い歴史ソノモノを纏った建築、空気、文化、でもなく......
この「参拝を終えた後」「境内を出る時」に再び通る参道で......
入口であり出口でもある、
鳥居を出て行こうとする手前のところ......ココ......
多くの寺社というのは、
高い山や平地にあっても大抵は土地を高くして、高い所に造られます。
なので参道というのは何処でも大体「登る」形となり。
例え、平らな地にある参道でも、
歩いていくと、最後、拝殿の前では必ず登ることとなります。
そんな中で、出雲大社の参道というのは、
とても興味深いことに入り口の鳥居から社殿へ向けてずっと、
緩やかな、
それは本当に心地のよい「下り傾斜」の道が続きます。
格式の高い、
それも「別格!」とも言える日本屈指の社でこの下り道......
他に思い当たるのは「明治神宮」ぐらいでしょうか。
そして、
その下りきった参道の「底」に社殿があるのです。
底の国。根の国。
それが出雲大社。
帰り道。
行く時に下った長い参道は、当然、今度は上り坂となります。
ゆるやかに、心地よい角度のついた登り道......
それは時折、
その道を歩く己から「帰る」という感覚を消し去って、
「よし!これから行くぞ!」
というような感覚を喚起させます。
境内を出て、帰るというのに、
また何処かに向かって行くようで......
境内の最後、出雲大社の鳥居が近づき。
その坂道から鳥居越しに見える光景......
それは鳥居の先に見える世界が
「新しい何か」
「別の世界」
のようにも感じられて。
そして、
世界を切り取る「額縁」の如く佇む見事な鳥居を登り坂の頂点で潜る時。
僕はいつも、
なんだか新しく生まれ変わる様な気持ちになってしまうのです。
緩やかな坂道を登りきって出雲大社を後にする時には、
僕はいつもこう思うのです。
「さぁ、頑張るぞ!」
決して記紀神話や表だった所で語られるようなことは無いのですが。
コノ国の歴史を「本気」で探求していくと、
出雲という地に住んでいた人々が、
コノ国の「礎=そ=祖」を造ったということが見えて来ます。
その国の王というのは、おそらく、
神話で語られる所の「素戔男命=スサノオノミコト」だと思われます。
王の中の王。
出雲大社というのは、
誰もが知る様に多くの妻を娶った色男!?
「オオクニヌシノミコト=大国主命」を祀った社(やしろ)。
この神様が「縁結び」と言われる由縁。
そして、大国主命は、
上にも記した様にスサノオさんの婿=義理の息子。
なので、出雲大社の最奥には、
大国主さんの父であり、
コノ国の「初代大王」と言ってもよいスサノオさんの社
「素鵞社=ソガノヤシロ」
という社が然りげなく佇んでいます。
この、偉大なる王、
スサノオさんを主祭する神社というのは、
当然、他にも同じ出雲の地にあって。
それが「熊野大社」
出雲国の「一宮」=「一番格式が高い宮」です。
出雲大社より格上です。
おそらく、一般にも有名な紀州和歌山の「熊野」も、
この出雲の熊野が語源に成っていると思われます。
出雲一族が国を拡げる際に「奈良」に入る道すがら、
自国の大王の宮名を冠し「熊野」と名付けたのでしょう。
そんな大王が祀られる熊野大社。
出雲の地に降り立った時には、
僕は何処よりも先にココに伺います。
そして今回......
こちらも......
この上なく美しき「桜咲く出雲」でした(^^)
出雲の地というのは深遠で濃厚な時が刻まれています。
意味深い沢山の地、社(やしろ)があります。
また改めて「出雲徒然」的に、ここに記していければと思いますが、
きっとそれは、
この日本という「島」が「国」として成立していく時の
「浪漫」に触れるようなコトかもしれません。(*^-^*)
今年はこんな理由で......
出雲参り!にしました。
と、言いつつも、
1月、2月の出雲は雪も寒さもかなり厳しいので、
今回は、そろそろ春の香りも漂い出したのかな......
という頃に行くことに。
昔、社会人一年目の頃。
業務で中国地区を担当していたというような縁もあって、
出雲エリアにはチロチロと幾度となく訪れていたりもしていました。
所謂「出雲」と言えば、
多くの人が思い浮かべるであろう出雲大社にしても、
もう2回程キチンとお参りに行ったりなんかもしています。
ただ、今年は60年に一度!(@。@)という、
社(やしろ)を新しく作り替える
「遷宮=せんぐう」という儀の後で、
そんな真新しくなった大社を観れるなんていうことでもあって。
それはちょっと新鮮で嬉しくもあり。
とても楽しみに行って来ました。
行ってみると、
思いもよらなかったのが......桜。
桜咲く出雲。
そして、
予想外の軽やかでキラキラした空気の出雲。
よくよく考えると、
過去2回の参拝は真夏のアッチキチーな時と、
真冬の重々しい空の下での参拝で。
こんな......
こんなに軽やかで明るい出雲大社なんていうのは初めて......
かもしれません。
いや、ちゃんと記せば、
真夏であろうと日本海の寒い冬であろうと、
そんな季節を意識の外に置いたとしても、
出雲大社というのはいつも、
なんとなく「影=陰」が漂っているような印象で......
それは境内のそこかしこに溢れでている強力な「場」の力と共に
「ピン!」と張り詰めた「緊張感」とも言えるようなもので。
故に、伊勢神宮などと違い、誰しもに軽々しく
「良いよ~(^_^)一度行ってみたらぁ~♪」
などとは言えないようなところ。
それはコノ日本という国の「礎=そ」を造った、
偉大なる大王「スサノオ」さんと、
そのスサノオさんの愛娘を娶り、
婿(むこ)息子としてその国を更に大きく拡げていった
「大国主=オオクニヌシ」さんとの微妙なる対立?
の空気感なのか。
それとも、コノ地に彼等を封印した古代大和朝廷の
「呪=しゅ=まじない」の力なのか。
コノ地に元々からある「気」そのものの力なのか......
ただ、良いも無く。
悪いも無く......
それが出雲の特徴であって、存在感なのかな......
などとも思っていた僕には、
今回の遷宮を終えた新たな出雲大社の清々しさと明るさというのは、
それはもうマッタクもってカナリの驚きと新鮮さがありました。
本当に、
マ、マッタク違う。
今迄と......(;゜ ロ゜ )
大社の表玄関である鳥居前には、
昔は地元の学生達の研究発表会場だった様なローカル感溢れる!?
施設などがあったのですが。
そんな建物も「ご縁横丁」なんていう、
伊勢の「おかげ横丁」にも似た、
見事に整備された観光街に生まれ変わっていて......
(; ̄Д ̄)ウワサデハキイテマチタガ......
横丁の名前に引っ掛けた「えんむずびや」さんでは、
島根和牛のステーキを贅沢にはさみ込んだ、
こんな和牛ステーキオムスビなども......
ありえん。
出雲でこのセンスはありえん!?
う、美味いし......( ̄∇ ̄;)
そこから鳥居をくぐり、歩み行く、
樹齢数百年から千年の見事な松が立ち並ぶ類い稀なる参道も、
「松の根が踏まれぬ様に、、」
と、遷宮の改築と共に整備されていて。
なんだかちょっとモダン!?な雰囲気に。
な、なんか......以前と違う。。。(;゜0゜)
参道の周りを見渡せば、
とにかく鬱蒼としていた樹林が、程よく伐採され、整備され。
広い芝生の広場なんぞが広々と造られていたり......
あの......「暗さの象徴!」だった参道横の「池」も、
なんだか東京、代々木公園の皆が集う噴水池!
のような趣に......
「な、、なんだ!?
い、、伊勢みたい......ホントに出雲!?( ̄。 ̄;)」
もう、拝殿に辿り着くまでずっとそんな印象で。
キラキラと光り溢れる大社の境内。
決して、春!桜が綺麗!
ということだけではないその感触。
いやはや、驚きです。
きっと何かが変ったのだと思います。
僕は。
僕が変ったのか?
大社が変ったのか?
その両方かもしれないけど。
でも、確かに僕はそう思いました。
出雲の「何か」が変りました。
それは遷宮のタイミングで。
それは新たなる日本の、世界の門出に際して。
そんな感じ?
でしょうか。
出雲大社で僕が何にも増して一番好きな所は、
実は、その有名な日本一の「しめ縄」でもなく。
勇壮なる社や背後の山々でもなく。
長い歴史ソノモノを纏った建築、空気、文化、でもなく......
この「参拝を終えた後」「境内を出る時」に再び通る参道で......
入口であり出口でもある、
鳥居を出て行こうとする手前のところ......ココ......
多くの寺社というのは、
高い山や平地にあっても大抵は土地を高くして、高い所に造られます。
なので参道というのは何処でも大体「登る」形となり。
例え、平らな地にある参道でも、
歩いていくと、最後、拝殿の前では必ず登ることとなります。
そんな中で、出雲大社の参道というのは、
とても興味深いことに入り口の鳥居から社殿へ向けてずっと、
緩やかな、
それは本当に心地のよい「下り傾斜」の道が続きます。
格式の高い、
それも「別格!」とも言える日本屈指の社でこの下り道......
他に思い当たるのは「明治神宮」ぐらいでしょうか。
そして、
その下りきった参道の「底」に社殿があるのです。
底の国。根の国。
それが出雲大社。
帰り道。
行く時に下った長い参道は、当然、今度は上り坂となります。
ゆるやかに、心地よい角度のついた登り道......
それは時折、
その道を歩く己から「帰る」という感覚を消し去って、
「よし!これから行くぞ!」
というような感覚を喚起させます。
境内を出て、帰るというのに、
また何処かに向かって行くようで......
境内の最後、出雲大社の鳥居が近づき。
その坂道から鳥居越しに見える光景......
それは鳥居の先に見える世界が
「新しい何か」
「別の世界」
のようにも感じられて。
そして、
世界を切り取る「額縁」の如く佇む見事な鳥居を登り坂の頂点で潜る時。
僕はいつも、
なんだか新しく生まれ変わる様な気持ちになってしまうのです。
緩やかな坂道を登りきって出雲大社を後にする時には、
僕はいつもこう思うのです。
「さぁ、頑張るぞ!」
決して記紀神話や表だった所で語られるようなことは無いのですが。
コノ国の歴史を「本気」で探求していくと、
出雲という地に住んでいた人々が、
コノ国の「礎=そ=祖」を造ったということが見えて来ます。
その国の王というのは、おそらく、
神話で語られる所の「素戔男命=スサノオノミコト」だと思われます。
王の中の王。
出雲大社というのは、
誰もが知る様に多くの妻を娶った色男!?
「オオクニヌシノミコト=大国主命」を祀った社(やしろ)。
この神様が「縁結び」と言われる由縁。
そして、大国主命は、
上にも記した様にスサノオさんの婿=義理の息子。
なので、出雲大社の最奥には、
大国主さんの父であり、
コノ国の「初代大王」と言ってもよいスサノオさんの社
「素鵞社=ソガノヤシロ」
という社が然りげなく佇んでいます。
この、偉大なる王、
スサノオさんを主祭する神社というのは、
当然、他にも同じ出雲の地にあって。
それが「熊野大社」
出雲国の「一宮」=「一番格式が高い宮」です。
出雲大社より格上です。
おそらく、一般にも有名な紀州和歌山の「熊野」も、
この出雲の熊野が語源に成っていると思われます。
出雲一族が国を拡げる際に「奈良」に入る道すがら、
自国の大王の宮名を冠し「熊野」と名付けたのでしょう。
そんな大王が祀られる熊野大社。
出雲の地に降り立った時には、
僕は何処よりも先にココに伺います。
そして今回......
こちらも......
この上なく美しき「桜咲く出雲」でした(^^)
出雲の地というのは深遠で濃厚な時が刻まれています。
意味深い沢山の地、社(やしろ)があります。
また改めて「出雲徒然」的に、ここに記していければと思いますが、
きっとそれは、
この日本という「島」が「国」として成立していく時の
「浪漫」に触れるようなコトかもしれません。(*^-^*)
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