このブログのトップページには直メアドもあるので、
日々、皆様から様々なメールを頂いたりもしているのですが。
その中で近頃とても多いのが
「最近、色んなことに絶望しています。
日本は終わってしまうのでしょうか......」
という、そんな感じのもの。
そして、そんなブログの直メールとは別に、
親しい友達からもLINEでこんな言葉が届いたりもしまして......
「ほぼひとりごとになってしまうのですが、、、
最近日本が終わってしまう危機感がすごいです。
もう乗っ取られてしまっているのかな。
戦争に負けてからジワジワやってきていたのでしょうね (o´_`o)
日本人の人間性?
日本人らしさ?良いところが失われてきているし、
どこ行っても海外の方が多くて、
経済的にも仕方のないことだと思いますが、
なんか辛いです(´;ω;`)」
そんなふうに思っている方には、
今こそ読んで欲しい記事があるにはあるのですが......
「通貨戦争 序」
「通貨戦争 破」
「通貨戦争 急」
「通貨戦争 震」
「通貨戦争 離」
「通貨戦争 醒」
この“現”日本国の問題は
「自立できていない国家政治体制」
に行き着くのではないかと思っていたりもします。
そして、なぜ?
この国の政治が自立したものになっていないのか......
を考えると、
国や国民の生活の為に......というよりも、
「単に職業として政治家をやっている人が多すぎる」
ということと、もう一つ、
「政治が経済に支配されている実態があるからではないか」
との考えに僕は至るのです。
企業や資本家がお金で職業政治を動かしている。
職業政治だから動かしやすい。
政治より財力のある大企業や資本家が主軸となる資本主義世界。
当たり前ですよね。
「資本」主義なんだから。
「今の民主主義」なんて資本主義をボヤかす為の造語でしかなく。
資本が大きなところの意図通りの社会作りが目指される。
今の日本の資本力では欧米、中国、ロシアなどには敵わない。
となると、
この国の政治を変えようと思うなら、
実は企業や資本元一つ一つの構造や精神や
志(こころざし)や目標を変えないと変わらない。
職業政治を志政治に。
構造の中で動く一人一人の志に政治改革もかかってる。
とても苦々しく思えてくるのは、
ここ20年の教育システムだったりもするでしょうか。
個人的には迷走を感じていたりします。
ま、誤解かもしれませんが。
それと、為替システムや金本位体制、通貨システム。
これらが新しい概念やシステムに置き換わっていかないと
大資本国にどんどんと飲み込まれていくのではないかと。
そんな資本主義というものは、
大資本を持つ国というものは、
勝者と敗者が分かれる世界を作りたいのだとも思えます。
富むものと貧しいもの。
搾取と見えないようにする搾取。
自由と正義の旗に隠せる支配構造。
数理的合理主義ゆえに格差も是としてしまう社会。
富むものは、
実はアチコチにスラムな街を作りたいのではないかと。
実は彼らはソレがあるほうが安心できる。
富むものは常に特別な椅子に座れて、
上に立つ自分という自己陶酔を感じながら暮らせる。
その贅沢な生活や物品に囲まれた快楽を
被搾取者層の人々にも程よくチラ見せしながら
「憧れ」なるものを喚起し。
「みんなこっちへ来いよ!天国だぞ!」
と天使のように微笑み、誘いながら、
寄り来るほとんどの人をふるい落とすというシステムや政策や
「夢を見れる構造」を敷く。
それを表現できるメデイアやプログラムさえあれば自らの席は安泰。
逆に、そんな夢を叶えた人はどこまでもスターに見せていき、
自然とそう見られるようにもしていく社会構造こそが、
メディア構造こそが、
資本主義が健全に機能している状態。
大谷翔平さんの年棒が3億円と994億円の後払い。
メッシさんの現年棒が31億円。以前は178億円。
テイラー・スウィフトさんの推定年収は180億円。
万博やオリンピックさんや
WHOさんの予算は何百?何千?億円。
あれも、これも。
そこも、かしこも。
その大金は社会格差なるものの象徴とも言えるものなのに、
スターの輝きに目を奪われて、
眩しくて本質を感じることができない。見せない。
霞む。
少し考えれば、
そんな資本主義社会における健全状態の中にこそ
人口減少や少子化の本質的要因があるのだとも思えます。
先のメールをくれた友達の将来や社会への不安の
根本にあるものもそんなことではないのかと。
あの人の暮らしは楽そうなのに、
自分の暮らしはどんどん厳しくなっていく。
この国で歳をとるということに不安がつのる。
押し寄せる海外の人の方が豊かそうで、お金があって。
様々なものの値段がそんな外国人基準へと釣り上げられて。
国は為替のコントロールすらもできず。
結果、自分逹が自国のモノモノすら思うように使えない。
買えない。
仕事や観光先のホテルすらもまともに使えない。高価。
お米も海苔も高くなり、
国民食のおむすび一つ買うのにも悩んでしまう。
なにかと買えない。払えない。
僕らはあとは飢えを待つのみなのか?
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国とは何のためにあるのか?
その国を形作っているのは誰なのか。
なんなのか。
日本の良さとは他人を大切にするところにあって。
数字に表れない、
表層に見えていない部分を大切にするところにあって。
相互扶助の精神と、
強きものが弱きものを助けるという精神性を
多数の人が保持していることに基するような気もします。
そのような気持ちを広く、
多くの人が常識的に持っていた民族であり、
国であったのではないでしょうか。
多数決より参加者の全員一致を目指す会合。政治。
しかし、そんな日本や日本人の良き点こそが
弱肉強食を基とする資本主義では邪魔なものとなるのでしょう。
古の恐竜世界。
ジュラシックパーク。
そんな今の世に希望があるとすれば、
そんな恐竜社会は結局滅びた......という歴史的事実と、
僕ら日本国としたら、
世界中の良いコトゴトを取り込み合わせ、
我がモノとして独自に再生成出来る日本人の特性でしょうか。
政治を変えないと。
それには先ず自分の意識を変えないと。
とにかくそれがスタートで、
僕のような小市民にはそれしかできませんのです。
古い神は新しい神には敵わない......と、
そんなことをアチコチで言われたりもするのですが。
とにかくも、この国が民衆を横に置いた資本主義の中に
ドップリと浸かれば浸かるほど、
多くのものが海外資本に買われていくことは間違いの無いことかと。
正々堂々と強い軍備も持てない、持たないような国は、
もはやどこぞの国の属国となるしかないのかもしれません。
日本の神様方はその辺をどう考えているのか?
何をしているのか?
実のところ、
そんなことこそが僕が神様に心から聞きたいし、
知りたいことであったりもしますけど。
もはや日本的な良さ......他人への配慮や心遣い.......的なものは
どんどんと失われているようにも思えますし。
悲しくもなります。
神様は寂しくないのでしょうか。
即物的で反射的で、
弱肉強食形のキャラクターを持つ異文化人の流入と
生活者数が膨大になっていくのに比例して、
深い懐や優しさ、
他者への配慮心のある日本国民が肩身の狭い状況に
追い込まれてしまったりはしていないでしょうか。
穏やかだった住み慣れた街の雰囲気が
どんどん荒んでいったりしていないでしょうか。
合理主義ゆえに、
日本中どこに行っても街にある店やモノモノが
みな同じようになっていったりしていないでしょうか。
心配で不安がつきません。
星の時代ともなり、
全てを地球単位で考える時代だというのはわかっていますが、
日本という国に住む人間としてのアイデンティティはいったい、
どのように考えていくべきなのか。
国やアイデンティティなんてものは、
最早考えずに捨てるべきものなのか。
神様もそう考えているのか。
そんなことも教えて欲しいと願ったりもします。
しかしながら、
僕の知る神様からの答えというのはいつも曖昧で、
ハッキリとしないものばかり。
まったく、どうしたものか......
神様なんていないんじゃねーの!?
なんて。ね。
ええ。ええ。
何故?この国は貧相な方へと進んでいるのか。
僕らはよくよく考えた方が良いのではないかと。
これまでのこの国で人々を頑張らせ、
発展もさせてきたモノモノが
どんなところから生まれ来ていたのか。
そのベースとなっているものはどんなことなのか。
元々この国は大した海外貿易をしなくても暮らしていける
国土の豊かさも持っているはずで。
そんなことも忘れさせようとしているのか?とか。
なにかと今一度考え、意識もしたく。
親切が通貨になればいいのになぁ......なんて。
ええ。ええ。
おやすみなさいでつ。。(●´ω`●)
日々、皆様から様々なメールを頂いたりもしているのですが。
その中で近頃とても多いのが
「最近、色んなことに絶望しています。
日本は終わってしまうのでしょうか......」
という、そんな感じのもの。
そして、そんなブログの直メールとは別に、
親しい友達からもLINEでこんな言葉が届いたりもしまして......
「ほぼひとりごとになってしまうのですが、、、
最近日本が終わってしまう危機感がすごいです。
もう乗っ取られてしまっているのかな。
戦争に負けてからジワジワやってきていたのでしょうね (o´_`o)
日本人の人間性?
日本人らしさ?良いところが失われてきているし、
どこ行っても海外の方が多くて、
経済的にも仕方のないことだと思いますが、
なんか辛いです(´;ω;`)」
そんなふうに思っている方には、
今こそ読んで欲しい記事があるにはあるのですが......
「通貨戦争 序」
「通貨戦争 破」
「通貨戦争 急」
「通貨戦争 震」
「通貨戦争 離」
「通貨戦争 醒」
この“現”日本国の問題は
「自立できていない国家政治体制」
に行き着くのではないかと思っていたりもします。
そして、なぜ?
この国の政治が自立したものになっていないのか......
を考えると、
国や国民の生活の為に......というよりも、
「単に職業として政治家をやっている人が多すぎる」
ということと、もう一つ、
「政治が経済に支配されている実態があるからではないか」
との考えに僕は至るのです。
企業や資本家がお金で職業政治を動かしている。
職業政治だから動かしやすい。
政治より財力のある大企業や資本家が主軸となる資本主義世界。
当たり前ですよね。
「資本」主義なんだから。
「今の民主主義」なんて資本主義をボヤかす為の造語でしかなく。
資本が大きなところの意図通りの社会作りが目指される。
今の日本の資本力では欧米、中国、ロシアなどには敵わない。
となると、
この国の政治を変えようと思うなら、
実は企業や資本元一つ一つの構造や精神や
志(こころざし)や目標を変えないと変わらない。
職業政治を志政治に。
構造の中で動く一人一人の志に政治改革もかかってる。
とても苦々しく思えてくるのは、
ここ20年の教育システムだったりもするでしょうか。
個人的には迷走を感じていたりします。
ま、誤解かもしれませんが。
それと、為替システムや金本位体制、通貨システム。
これらが新しい概念やシステムに置き換わっていかないと
大資本国にどんどんと飲み込まれていくのではないかと。
そんな資本主義というものは、
大資本を持つ国というものは、
勝者と敗者が分かれる世界を作りたいのだとも思えます。
富むものと貧しいもの。
搾取と見えないようにする搾取。
自由と正義の旗に隠せる支配構造。
数理的合理主義ゆえに格差も是としてしまう社会。
富むものは、
実はアチコチにスラムな街を作りたいのではないかと。
実は彼らはソレがあるほうが安心できる。
富むものは常に特別な椅子に座れて、
上に立つ自分という自己陶酔を感じながら暮らせる。
その贅沢な生活や物品に囲まれた快楽を
被搾取者層の人々にも程よくチラ見せしながら
「憧れ」なるものを喚起し。
「みんなこっちへ来いよ!天国だぞ!」
と天使のように微笑み、誘いながら、
寄り来るほとんどの人をふるい落とすというシステムや政策や
「夢を見れる構造」を敷く。
それを表現できるメデイアやプログラムさえあれば自らの席は安泰。
逆に、そんな夢を叶えた人はどこまでもスターに見せていき、
自然とそう見られるようにもしていく社会構造こそが、
メディア構造こそが、
資本主義が健全に機能している状態。
大谷翔平さんの年棒が3億円と994億円の後払い。
メッシさんの現年棒が31億円。以前は178億円。
テイラー・スウィフトさんの推定年収は180億円。
万博やオリンピックさんや
WHOさんの予算は何百?何千?億円。
あれも、これも。
そこも、かしこも。
その大金は社会格差なるものの象徴とも言えるものなのに、
スターの輝きに目を奪われて、
眩しくて本質を感じることができない。見せない。
霞む。
少し考えれば、
そんな資本主義社会における健全状態の中にこそ
人口減少や少子化の本質的要因があるのだとも思えます。
先のメールをくれた友達の将来や社会への不安の
根本にあるものもそんなことではないのかと。
あの人の暮らしは楽そうなのに、
自分の暮らしはどんどん厳しくなっていく。
この国で歳をとるということに不安がつのる。
押し寄せる海外の人の方が豊かそうで、お金があって。
様々なものの値段がそんな外国人基準へと釣り上げられて。
国は為替のコントロールすらもできず。
結果、自分逹が自国のモノモノすら思うように使えない。
買えない。
仕事や観光先のホテルすらもまともに使えない。高価。
お米も海苔も高くなり、
国民食のおむすび一つ買うのにも悩んでしまう。
なにかと買えない。払えない。
僕らはあとは飢えを待つのみなのか?
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国とは何のためにあるのか?
その国を形作っているのは誰なのか。
なんなのか。
日本の良さとは他人を大切にするところにあって。
数字に表れない、
表層に見えていない部分を大切にするところにあって。
相互扶助の精神と、
強きものが弱きものを助けるという精神性を
多数の人が保持していることに基するような気もします。
そのような気持ちを広く、
多くの人が常識的に持っていた民族であり、
国であったのではないでしょうか。
多数決より参加者の全員一致を目指す会合。政治。
しかし、そんな日本や日本人の良き点こそが
弱肉強食を基とする資本主義では邪魔なものとなるのでしょう。
古の恐竜世界。
ジュラシックパーク。
そんな今の世に希望があるとすれば、
そんな恐竜社会は結局滅びた......という歴史的事実と、
僕ら日本国としたら、
世界中の良いコトゴトを取り込み合わせ、
我がモノとして独自に再生成出来る日本人の特性でしょうか。
政治を変えないと。
それには先ず自分の意識を変えないと。
とにかくそれがスタートで、
僕のような小市民にはそれしかできませんのです。
古い神は新しい神には敵わない......と、
そんなことをアチコチで言われたりもするのですが。
とにかくも、この国が民衆を横に置いた資本主義の中に
ドップリと浸かれば浸かるほど、
多くのものが海外資本に買われていくことは間違いの無いことかと。
正々堂々と強い軍備も持てない、持たないような国は、
もはやどこぞの国の属国となるしかないのかもしれません。
日本の神様方はその辺をどう考えているのか?
何をしているのか?
実のところ、
そんなことこそが僕が神様に心から聞きたいし、
知りたいことであったりもしますけど。
もはや日本的な良さ......他人への配慮や心遣い.......的なものは
どんどんと失われているようにも思えますし。
悲しくもなります。
神様は寂しくないのでしょうか。
即物的で反射的で、
弱肉強食形のキャラクターを持つ異文化人の流入と
生活者数が膨大になっていくのに比例して、
深い懐や優しさ、
他者への配慮心のある日本国民が肩身の狭い状況に
追い込まれてしまったりはしていないでしょうか。
穏やかだった住み慣れた街の雰囲気が
どんどん荒んでいったりしていないでしょうか。
合理主義ゆえに、
日本中どこに行っても街にある店やモノモノが
みな同じようになっていったりしていないでしょうか。
心配で不安がつきません。
星の時代ともなり、
全てを地球単位で考える時代だというのはわかっていますが、
日本という国に住む人間としてのアイデンティティはいったい、
どのように考えていくべきなのか。
国やアイデンティティなんてものは、
最早考えずに捨てるべきものなのか。
神様もそう考えているのか。
そんなことも教えて欲しいと願ったりもします。
しかしながら、
僕の知る神様からの答えというのはいつも曖昧で、
ハッキリとしないものばかり。
まったく、どうしたものか......
神様なんていないんじゃねーの!?
なんて。ね。
ええ。ええ。
何故?この国は貧相な方へと進んでいるのか。
僕らはよくよく考えた方が良いのではないかと。
これまでのこの国で人々を頑張らせ、
発展もさせてきたモノモノが
どんなところから生まれ来ていたのか。
そのベースとなっているものはどんなことなのか。
元々この国は大した海外貿易をしなくても暮らしていける
国土の豊かさも持っているはずで。
そんなことも忘れさせようとしているのか?とか。
なにかと今一度考え、意識もしたく。
親切が通貨になればいいのになぁ......なんて。
ええ。ええ。
おやすみなさいでつ。。(●´ω`●)