「なすスベがない」とか。
「絶望的」とか。
そんなことを強く味あわされたのが今回の台風19号でした。
とても当たり前の話ではありますが、
自然の力の前では人はかくも無力なものなのか、と。
あらためて、骨身に染みて感じている今であったりします。
僕の家は東京の南の端を流れる多摩川という川のほとりにあって。
まだ、太平洋のはるか沖にある今回の台風の衛星写真を最初に見た時、
日本列島と同じ大きさの姿に驚愕し、
子供の頃のかすかな記憶......それは、埼玉県の実家で経験した洪水の記憶......
を蘇らせました。
上陸前には、家の一番低いところに置いている車だけは、高台にある、
タフなコンクリートの屋根を持つ有料駐車場に移動させておくことに決め、
最悪な状況となった時には、この車の中で過ごそう、と。
車は大きなハイブリッド型の4WDで、こういう時にはなにかと頼れます。
テレビもラジオもあるし、充電もできる。水も着替えのウェアも載せてある。
毛布も、アウトドア用の折りたたみ式の簡易マットレスも積んでるので、
トランクスルーにして、横になって眠ることもできる。
ガスバーナーもコーヒードリッパーも、
タフなスノーピークのマグカップも積んでいる。
場合によってはしばらくは車で暮らすべーか?と。
そんな準備をしておきました。
案の定、異様に大きな台風は上陸前から猛威を振るい、
目の前を流れる多摩川の水かさが上がり、
本流に流入できなくなった排水溝の水が逆流を始めて、
マンホールから自宅前の道に噴き出して来ました。
近所の人たちの多くは、既に避難所へ避難している様子。
僕とコニャ(奥さん)は、ここで一度、
一階の重要なものを二階のリビングに上げ、もう少し様子を見ることにしました。
停電の可能性もあるから、無駄かもしれないけど、ご飯もたいておけ、と。
そして、水はそのままグングンと水位を上げて、
玄関の床まで「あと1センチ」というところまで来てしまいました。
風にあおられた水しぶきが玄関ドアの下の隙間から家の中に少し漏れ入り、
また引いて出ていく......と、まるで海の波打ち際に家が置かれている様なギリギリの状況。
この写真は夜の七時頃でしょうか。
停電の直前に自宅玄関を開けた時の様子。
手前下方に写っている汚れた敷石が玄関の床面。
あと1センチ水位が上がれば家の中に水が入ってくるというところ。
玄関の横の窓から道を挟んだ向かいにあるマンションの入口を見たところ。
僕の家より前の建物は全て、このマンションも含めて一階に浸水してしまい、
家の周りは一面の池となっています。
台風のピークまではまだ三時間ほど。
この写真を撮った時、僕は一度、家を失う覚悟をして。
それをコニャにも話して。
このまま浸水が進むと玄関のドアは開かなくなるから、
その時は二階リビングのキッチン裏のドアから表に出るぞ、と。
今、リビングに上げているものも含め、もし救いたいものがあれば、
一階の浸水具合を見ながらリビングより上のフロアにあげていくから、
それをギリギリまでやってみる、と。
ただし、堤防が決壊する事態になったら全ての話は無しだ、と。
すぐに裏から出て、そのまま丘の上に駆け上がるから、
アウトドアウェアに着替えて、靴もそばに置いて、
大事なものはリュックに入れて、
いつでも走って出れるように横に置いておけ、と。
徹底して多摩川の上流にある定点カメラ映像を全て観測するし、
目前の堤防の決壊でない限り、
背後の坂道を走って登れば丘の上にはホンの1分で行けるから大丈夫だ。
車もそこにおいてあるから、しばらくは車で過ごそう、と。
そして、そんな話をした後、停電が発生しました。
その直後には地震も発生。
普段はお風呂場にある大きなろうそく5本をリビングに持ち込んで明かりを確保。
情報はスマホやタブレットの電波に頼った収集しかできない状況となり、
目前で進む浸水の様子と収集した情報とを適時すり合わせ、
様々な判断と対応と、その先の予測と準備とを刻々としていく......
水はまだ、ジリジリと上がって来ている......
そんな時間と状態が2時間ほど。
途方もなく長く感じた二時間。
と、ここで。僕さんノンキにも!?
あらかじめ炊いておいたご飯を食べることに。
「ガスは大丈夫でしょ?
逃げるにしても腹が減ってたらアカンからさ、ここで食べとこーぜー、、」
と、ろうそくの明かりの中でゆっくりと、
コニャと二人で有り合わせのおかずでご飯を食べました。
ただ、幸運なことに停電は二時間ほどで復旧。
夜九時ぐらいの、
台風の目が家の真上を通っていくピークの前には電力は戻っていて、なぜか?
地震の直後から水も引き始めていました。
「ここからもっとひどくなるのではないか......」
というところで引いていったのは、
ちょっと不思議な感覚ではありましたが......
本当に奇跡としか言いようがなく。
僕らに関しては自宅の浸水という事態は本当にギリギリのところでまぬがれました。
しかし、何のためらいも躊躇もしない泥水が
目前でドンドンとセリ上がってくる光景は、自然への畏怖とあきらめと、
どうしようもないやるせなさと、無力感を伴う怒りと悲しみと、
そんなモノモノが複雑に混濁する感情として今も体に刻まれています。
「二度とこんな思いはしたくないな、、、」
と。そんな気持ちもあるでしょうか。
時刻は10時ぐらいだったでしょうか。
風が弱まり、水も明らかに引き出してきたので、
一旦、僕は周囲の状況確認をしようと表に出てみました。
すると、自宅のある一帯には黄色い「侵入禁止」のテープが張られていて。
どーも僕の家は、その進入禁止区域の境界にあったようで。
僕とコニャはそんなところで一夜を過ごしていました。
「つーか、さ。テープ張る時にはさ、
ひと声かけてくれてもよくない?なぁぁ。。?」
この一帯のほとんどの人は避難所に行っていたのと、停電もしていたので、
そこに人がいるのか?どうか?はよくわからないまま、とにかく、
走って来た車が水に突っ込まないようにテープを張っていったのだとは思いますが......
その後も、すぐ近くで氾濫が起きたとの情報などが入ったりもして、
僕はタフなモンベルのウェアを着込み、懐中電灯を持って、
情報収集のために幾度か近所を走り回ったりしていました。
そして、そんなこんなをするうちに、やっと、雨のない、
太陽の日差しが差し込む朝がやって来てくれて。
いろいろなことが少し落ち着きを見せて来た頃、
避難をしていた近所の人たちも戻って来て。
みなさんと一緒に泥にまみれた一帯の道路を綺麗に清掃しました。
僕は、皆との掃除が終わった後、自宅裏の坂道を駆け上がり、
高台に移しておいた車を取りに行きました。
背後の丘の上の家々の人たちは、
僕らが目の当たりにしていた世界とは無縁の、普段と変わらなそうな?
平静なる時間を過ごしているように見えました。
そんな丘の上から自宅のある川の方を振り返ってみると、
そこは一面の泥でおおわれていました。
今日、この瞬間に至るまで、丸二日間ほど。
未だ、僕の家の周りでは救急車や
消防車やパトカーのサイレンが鳴り止まないのですが......
ココ数日はそんな感じで、刻一刻と変化する状況への対応や、
自宅内の荷物の移動や泥掃除などに追われた、結構壮絶な毎日ではありました。
しかし、その後のテレビや様々なメディアを見ていると、
こんな話はまるで冗談のように軽いものであって、もっと、
とんでもなくひどい状況にある人たちが沢山いらっしゃいます。
この瞬間にも家を失い、財産を失い、未来がかすみ、命をも失い......
まだ、この先も、もっとむごいニュースが増えていくのかもしれません。
「なんていう、ことだ、、、」
僕はなんとも言えない、荒んだ気持ちになります。
気持ちがわかる、なんて、そんなことはとてもじゃないですが言えません。
ただ、ヒドイ状況下にある人の気持ちを思い図れるくらいには理解します。
「自分など、幸運だ、、」
最新の情報を接収しようと、取り出したスマホから、
朝日新聞社さんが撮影したという写真が僕の目にとまりました......
その写真の中には、僕の住んでいる町も家も確実に写っています。
写真の川のすぐ横に、僕の家はあります。
「なんと......クレイジー......
文明とは、
どんな方向に磨くべきなのだろうか、、
こんなところで暮らしている俺は、
バカ者なのかもしれない......
でも、
川は......好きなんだけど、な......」
これから先、気象変動が進むとして、
今回くらいの台風は、多くのニュースが伝えていたように、果たして、
「一生に一度、あるかないかの大きさです」
などと言えるものなのかどうか。
今回の規模の台風などは当たり前ともなって、
もっと大きなものが上陸するようになるようなことも......無い、などと言えるのか。
アスファルトで埋め尽くされた都会の下の大地は、
本来もっと水を吸収できるものではないのか?
そんな土地や緑や木々の保水能力を、どれだけスポイルしている都市構造なのか?
山でも平地でも、
池や湖を片っ端から埋めるような住宅開発ばかりしているけど、
何をおいても経済、経済、と謳う、このままの精神や法律、政府で大丈夫なのか?
平地において貯水目的の大きな池や土地はもっと大きく、深く、多く残したり、
整備したりするべきではないのか?
川幅が狭まるところ。
川が合流するところ。
電柱。電源。発電所。通信システム。
このままでいいのか?
建築に際し、基準となっている法というのはこれまでのものでいいのだろうか?
都心部だけが浸水しないような構造になってやしないか?
人の命や土地に優劣をつけてやしないか?
そういえば、我が家に関してのみの話としては、
台風の後と前では、色々なモノが出し入れや運ぶために整理もされて。
捨てることもできて。
泥を被ったり浸水した部分は隅々まで丁寧に洗うことともなって。
以前より全てが綺麗になっている状態になっていたりもするけど......
......とにかく、我々はもっともっと賢明な文明を築けないものか、と。
そう強く願い、思う次第なのです。
スペインでの飛行機トラブル3連チャンに続き、戻った早々の台風対応。
なんだか、とてもタフ(Tough)な日々が続いています。
泥掃除を一旦終えた日の夜に行われたラグビーワールドカップの日本代表戦。
相手のスコットランド含め、どちらのチームも、皆、一様に仲間を信じ、
自らの体をなげうっていく選手達ばかりで。
その真っ直ぐで、勇猛果敢な姿をみさせてもらい、何か、
胸に熱く込み上げてくるものがあったのです。
僕は、この国に生まれ、生きていることを誇りに思いたいのです。
「絶望的」とか。
そんなことを強く味あわされたのが今回の台風19号でした。
とても当たり前の話ではありますが、
自然の力の前では人はかくも無力なものなのか、と。
あらためて、骨身に染みて感じている今であったりします。
僕の家は東京の南の端を流れる多摩川という川のほとりにあって。
まだ、太平洋のはるか沖にある今回の台風の衛星写真を最初に見た時、
日本列島と同じ大きさの姿に驚愕し、
子供の頃のかすかな記憶......それは、埼玉県の実家で経験した洪水の記憶......
を蘇らせました。
上陸前には、家の一番低いところに置いている車だけは、高台にある、
タフなコンクリートの屋根を持つ有料駐車場に移動させておくことに決め、
最悪な状況となった時には、この車の中で過ごそう、と。
車は大きなハイブリッド型の4WDで、こういう時にはなにかと頼れます。
テレビもラジオもあるし、充電もできる。水も着替えのウェアも載せてある。
毛布も、アウトドア用の折りたたみ式の簡易マットレスも積んでるので、
トランクスルーにして、横になって眠ることもできる。
ガスバーナーもコーヒードリッパーも、
タフなスノーピークのマグカップも積んでいる。
場合によってはしばらくは車で暮らすべーか?と。
そんな準備をしておきました。
案の定、異様に大きな台風は上陸前から猛威を振るい、
目の前を流れる多摩川の水かさが上がり、
本流に流入できなくなった排水溝の水が逆流を始めて、
マンホールから自宅前の道に噴き出して来ました。
近所の人たちの多くは、既に避難所へ避難している様子。
僕とコニャ(奥さん)は、ここで一度、
一階の重要なものを二階のリビングに上げ、もう少し様子を見ることにしました。
停電の可能性もあるから、無駄かもしれないけど、ご飯もたいておけ、と。
そして、水はそのままグングンと水位を上げて、
玄関の床まで「あと1センチ」というところまで来てしまいました。
風にあおられた水しぶきが玄関ドアの下の隙間から家の中に少し漏れ入り、
また引いて出ていく......と、まるで海の波打ち際に家が置かれている様なギリギリの状況。
この写真は夜の七時頃でしょうか。
停電の直前に自宅玄関を開けた時の様子。
手前下方に写っている汚れた敷石が玄関の床面。
あと1センチ水位が上がれば家の中に水が入ってくるというところ。
玄関の横の窓から道を挟んだ向かいにあるマンションの入口を見たところ。
僕の家より前の建物は全て、このマンションも含めて一階に浸水してしまい、
家の周りは一面の池となっています。
台風のピークまではまだ三時間ほど。
この写真を撮った時、僕は一度、家を失う覚悟をして。
それをコニャにも話して。
このまま浸水が進むと玄関のドアは開かなくなるから、
その時は二階リビングのキッチン裏のドアから表に出るぞ、と。
今、リビングに上げているものも含め、もし救いたいものがあれば、
一階の浸水具合を見ながらリビングより上のフロアにあげていくから、
それをギリギリまでやってみる、と。
ただし、堤防が決壊する事態になったら全ての話は無しだ、と。
すぐに裏から出て、そのまま丘の上に駆け上がるから、
アウトドアウェアに着替えて、靴もそばに置いて、
大事なものはリュックに入れて、
いつでも走って出れるように横に置いておけ、と。
徹底して多摩川の上流にある定点カメラ映像を全て観測するし、
目前の堤防の決壊でない限り、
背後の坂道を走って登れば丘の上にはホンの1分で行けるから大丈夫だ。
車もそこにおいてあるから、しばらくは車で過ごそう、と。
そして、そんな話をした後、停電が発生しました。
その直後には地震も発生。
普段はお風呂場にある大きなろうそく5本をリビングに持ち込んで明かりを確保。
情報はスマホやタブレットの電波に頼った収集しかできない状況となり、
目前で進む浸水の様子と収集した情報とを適時すり合わせ、
様々な判断と対応と、その先の予測と準備とを刻々としていく......
水はまだ、ジリジリと上がって来ている......
そんな時間と状態が2時間ほど。
途方もなく長く感じた二時間。
と、ここで。僕さんノンキにも!?
あらかじめ炊いておいたご飯を食べることに。
「ガスは大丈夫でしょ?
逃げるにしても腹が減ってたらアカンからさ、ここで食べとこーぜー、、」
と、ろうそくの明かりの中でゆっくりと、
コニャと二人で有り合わせのおかずでご飯を食べました。
ただ、幸運なことに停電は二時間ほどで復旧。
夜九時ぐらいの、
台風の目が家の真上を通っていくピークの前には電力は戻っていて、なぜか?
地震の直後から水も引き始めていました。
「ここからもっとひどくなるのではないか......」
というところで引いていったのは、
ちょっと不思議な感覚ではありましたが......
本当に奇跡としか言いようがなく。
僕らに関しては自宅の浸水という事態は本当にギリギリのところでまぬがれました。
しかし、何のためらいも躊躇もしない泥水が
目前でドンドンとセリ上がってくる光景は、自然への畏怖とあきらめと、
どうしようもないやるせなさと、無力感を伴う怒りと悲しみと、
そんなモノモノが複雑に混濁する感情として今も体に刻まれています。
「二度とこんな思いはしたくないな、、、」
と。そんな気持ちもあるでしょうか。
時刻は10時ぐらいだったでしょうか。
風が弱まり、水も明らかに引き出してきたので、
一旦、僕は周囲の状況確認をしようと表に出てみました。
すると、自宅のある一帯には黄色い「侵入禁止」のテープが張られていて。
どーも僕の家は、その進入禁止区域の境界にあったようで。
僕とコニャはそんなところで一夜を過ごしていました。
「つーか、さ。テープ張る時にはさ、
ひと声かけてくれてもよくない?なぁぁ。。?」
この一帯のほとんどの人は避難所に行っていたのと、停電もしていたので、
そこに人がいるのか?どうか?はよくわからないまま、とにかく、
走って来た車が水に突っ込まないようにテープを張っていったのだとは思いますが......
その後も、すぐ近くで氾濫が起きたとの情報などが入ったりもして、
僕はタフなモンベルのウェアを着込み、懐中電灯を持って、
情報収集のために幾度か近所を走り回ったりしていました。
そして、そんなこんなをするうちに、やっと、雨のない、
太陽の日差しが差し込む朝がやって来てくれて。
いろいろなことが少し落ち着きを見せて来た頃、
避難をしていた近所の人たちも戻って来て。
みなさんと一緒に泥にまみれた一帯の道路を綺麗に清掃しました。
僕は、皆との掃除が終わった後、自宅裏の坂道を駆け上がり、
高台に移しておいた車を取りに行きました。
背後の丘の上の家々の人たちは、
僕らが目の当たりにしていた世界とは無縁の、普段と変わらなそうな?
平静なる時間を過ごしているように見えました。
そんな丘の上から自宅のある川の方を振り返ってみると、
そこは一面の泥でおおわれていました。
今日、この瞬間に至るまで、丸二日間ほど。
未だ、僕の家の周りでは救急車や
消防車やパトカーのサイレンが鳴り止まないのですが......
ココ数日はそんな感じで、刻一刻と変化する状況への対応や、
自宅内の荷物の移動や泥掃除などに追われた、結構壮絶な毎日ではありました。
しかし、その後のテレビや様々なメディアを見ていると、
こんな話はまるで冗談のように軽いものであって、もっと、
とんでもなくひどい状況にある人たちが沢山いらっしゃいます。
この瞬間にも家を失い、財産を失い、未来がかすみ、命をも失い......
まだ、この先も、もっとむごいニュースが増えていくのかもしれません。
「なんていう、ことだ、、、」
僕はなんとも言えない、荒んだ気持ちになります。
気持ちがわかる、なんて、そんなことはとてもじゃないですが言えません。
ただ、ヒドイ状況下にある人の気持ちを思い図れるくらいには理解します。
「自分など、幸運だ、、」
最新の情報を接収しようと、取り出したスマホから、
朝日新聞社さんが撮影したという写真が僕の目にとまりました......
その写真の中には、僕の住んでいる町も家も確実に写っています。
写真の川のすぐ横に、僕の家はあります。
「なんと......クレイジー......
文明とは、
どんな方向に磨くべきなのだろうか、、
こんなところで暮らしている俺は、
バカ者なのかもしれない......
でも、
川は......好きなんだけど、な......」
これから先、気象変動が進むとして、
今回くらいの台風は、多くのニュースが伝えていたように、果たして、
「一生に一度、あるかないかの大きさです」
などと言えるものなのかどうか。
今回の規模の台風などは当たり前ともなって、
もっと大きなものが上陸するようになるようなことも......無い、などと言えるのか。
アスファルトで埋め尽くされた都会の下の大地は、
本来もっと水を吸収できるものではないのか?
そんな土地や緑や木々の保水能力を、どれだけスポイルしている都市構造なのか?
山でも平地でも、
池や湖を片っ端から埋めるような住宅開発ばかりしているけど、
何をおいても経済、経済、と謳う、このままの精神や法律、政府で大丈夫なのか?
平地において貯水目的の大きな池や土地はもっと大きく、深く、多く残したり、
整備したりするべきではないのか?
川幅が狭まるところ。
川が合流するところ。
電柱。電源。発電所。通信システム。
このままでいいのか?
建築に際し、基準となっている法というのはこれまでのものでいいのだろうか?
都心部だけが浸水しないような構造になってやしないか?
人の命や土地に優劣をつけてやしないか?
そういえば、我が家に関してのみの話としては、
台風の後と前では、色々なモノが出し入れや運ぶために整理もされて。
捨てることもできて。
泥を被ったり浸水した部分は隅々まで丁寧に洗うことともなって。
以前より全てが綺麗になっている状態になっていたりもするけど......
......とにかく、我々はもっともっと賢明な文明を築けないものか、と。
そう強く願い、思う次第なのです。
スペインでの飛行機トラブル3連チャンに続き、戻った早々の台風対応。
なんだか、とてもタフ(Tough)な日々が続いています。
泥掃除を一旦終えた日の夜に行われたラグビーワールドカップの日本代表戦。
相手のスコットランド含め、どちらのチームも、皆、一様に仲間を信じ、
自らの体をなげうっていく選手達ばかりで。
その真っ直ぐで、勇猛果敢な姿をみさせてもらい、何か、
胸に熱く込み上げてくるものがあったのです。
僕は、この国に生まれ、生きていることを誇りに思いたいのです。
大変な土日でしたね。お家もコニャさんもuzmetさんも無事で良かったです。私は一階に住んでいますが、幸いにも近くに大きな川などがなかったので同じ区内ではありますが、今回はあまり被害はありませんでした。水位が目の前で上がってくる様子を想像すると恐怖だけしかありませんね。
月並みな言葉になってしまいますが、本当にお疲れ様でした。
今週末もまた雨みたいですね。
危機感を持って過ごしたいと思います。
今日、やっとゆっくり寝ることができそうです(^^)
自然災害では阪神大震災が飛び抜けてタフなものでした。
今回の台風では、欲望に流されるまま、
あまりに自然を見つめてこなかった都市構造に強い憤りを覚えました。
多摩川沿いにお住いとブログでも拝見させていただいていたので、多摩川氾濫のニュースを見ていて、心配になりましたがどうすることも出来ずもどかしく思いましたが、無事でありますようにと祈るしか出来ませんでした。
土が大事。本当に、それがまざまざと見せつけられた災害ですね。
続けてのコメントで申し訳なく思いながらも、本当に危機一髪でしたね…(>_<)
途中、水が引き始めたとお返事くださったときは、まだ台風が通過中で減水は早いのでは?と私も不思議に感じたのを覚えています。
やはりuzmetさん&コニャさんのご人徳と、周りの皆様の祈り、そして神様がたのサポートのおかげなのでしょうね☆ミ
ツカヘイさん一家もご無事でしょうか(*´-`)
しあわせものです!
本当に、我が家が浸水の境目だったのですね。
ツカヘイさんのおかげです。あと、龍神さんが動いてくれていました。感謝しかありません。
土曜日は台風をわかっていて
営業していました。
もちろん、お客さまは少なめでしたが
それでも、もしものときに
焼いておけば!と
それは以前からの
阪神淡路大震災や台風からの経験でした。
amenouzmetさんの
震災を経験されたからこその
危機管理能力
情報収集力も
すごいなと思って
読みました。
まもりの中におられて
ほんとうによかったです。
多摩川の様子をニュースでみて
まさかこんなことにと
思いながら
祈りに祈りました。
わたしが知る限りの
足を運び、縁ある水の神さま
龍神さんにも、たくさん。
この国のこれからを
思うと
なんとも言えない気持ちにも
なりますが
いま、ここで
自分のできることを
精一杯と思う、毎日です。
おつかれでませんように。
感謝しております。
ありがとうございます。
僕は鬼怒川の氾濫の時もその場にいたのです。
信じてもらえそうもないですけど、、、あの、ヘリが人を救出している最中、
その少し上流で、コニャと両親を乗せた車で鬼怒川の橋を渡り切りました。
被害の少ない、封鎖もされていない橋を探して、3つ目のアタックだったと思います。
僕の車のが通った直後、その橋は崩壊の危機で封鎖されました。
また、いつか記そうかと思ってますが。。
クレイジーです。
ラグビー日本代表、熱い選手たちですね。
テレビの前で、娘と大声を出して応援してました。
確かに熱く込み上げるものがあって、そんなことも久しぶりだったので、いい時間を過ごすことができました。
ブログでの情報、ありがとうございました。
今回の少女の様なスピーチは十年以上も前からあります。
1992年の、当時12歳であったセヴァンさんのものに至ってはベストセラー本ともなっていますし、
ウルグアイのムヒカ大統領のスピーチは歴史に残る、愛のある秀逸なものでもありました。
しかし、世界は未だ変わりません。
世界はラグビーの精神から学ばなければいけないことがあるのではないか、と。
最近はそんなことを思っていたりします。
今回のことで何を学べばよいのか考えあぐねている毎日です。複雑な思いです。
詳しい記事を書いてくださり有難う御座います。人とのつながりが本当に大事だと改めて考えさせられます。
今後とも勉強させていただきます。
その一方、おなくなりになられてしまったかたや被害に遭ってしまったかたも数多くいらっしゃいました。残念ながら。我々が大きな被害を受けなかったのは、日曜日の夕方に職場の後輩にもLINEしましたが、まさに奇跡だったと思います。
ただ、奇跡や幸運ということで片付けることなく、以降に生かせるような対策もたてなければならないと肌身に感じました。自然が相手なので難しいことばかりではありますが。。。
なにかと、少しでも成長したいっす。
いのうえさんはマサに公人であり、皆を守る仕事をしてますから、
とにかく、色々と頑張っていただきたく。
たくさん期待しておりまする。
大きい人も小さい人もいます
トライ(越境)しなければ
克つことはなく
トライを続けるために
色んな人が色んな事が
必要なんだと思います
今までがすべてでも
自分がすべてでもない
と思います