「......あーーーっ、、、えーっと、、
僕なら九十九年使って、
付喪神(つくもがみ)として祀りあげるのが正解でしょう!」
なんて冗談をMさんが言っていた......と、
「99%」という過去記事の中で記していましたが。
どんなものでも長く使っていると精霊や霊魂が宿り、
それが99年を超えて100年を過ぎると神様になる......なんて、
古(いにしえ)のこの国では言われていたそうなのです。
そんな霊気の宿る!?
神となった!?
小さな「茶入れ」というのがコチラ。
その名もズバリ
「つくもがみ=付喪神=九十九神」。
またの名を、
形が野菜の茄子に似ているので
「つくもかみなす=付喪髪茄子=九十九髪茄子
=付藻髪茄子=九十九髪茄子茶入=、、、、」
「神」という字は、
伊勢物語の中にある和歌の影響をうけて
「髪」となっているようですが......
写真は先日伺った
「静嘉堂文庫美術館(せいかどうぶんこびじゅつかん)」
の特別展覧会で買ったポストカード。
展覧会に行った目的としては、
前回記事に記した通り
「曜変天目(ようへんてんもく)」
を見る為であったのですが......いやはや、
同時に展示されていたコチラの茶入れにも
カナリ強く惹かれてしまいまして。
ええ。
手のひらに収まるほどの小ささで、
地味さも極まる系のモノではありますが、
まとっているオーラはかなりヤバイ感じ。
思わず長く見入ってしまいました。
魅入ってしまった......とも書けますでしょうか。
あくまで「魅入られる」では無く。
ええ。ええ。
そんな、
この「ツクモナス茶入れ」の辿って来た道のりは
特別過ぎるくらい特別!のようでして。
これほど小さくて地味な茶入れが何故?
一国一城の価値をも超える......などとされて来ているのか。
その理由が理解できるような茶入れの旅の物語は
こんな感じで......
———————元々は唐物(からもの)
と呼ばれる中国製なので、
どこからかこの国に輸入されて来たことは
間違いの無いことですが、
そこからの所有者変遷の歴史は凄まじく。
最初は室町幕府、第3代征夷大将軍、
足利義満(あしかがよしみつ)さんとのこと。
義満さんはカノ金閣寺を建てた方。
茶入れは戦(いくさ)にも
御守りとして携帯していたそうです。
その後は銀閣寺を建てた第8代征夷大将軍、
足利義政(あしかがよしまさ)さんへ。
義政さんからは守護大名、
山名是豊(やまなこれとよ)さんへと渡ります。
その後は伊佐宋雲(いさそううん)さんに渡り、
宋雲さんからは武将、
朝倉宗滴(あさくらそうてき=朝倉教景=あさくらのりかげ)
が五百貫で購入したと伝わっています。
宗滴さんは越前小袖屋(えちぜんこそでや)に質入れをして、
そこから勇猛な武士として名を轟かせていた
松永久秀さんが千貫を支払い入手することとなります。
久秀さんからは降伏の証として
織田信長さんに献上されることとなり、この頃、
千利休さんの弟子の山上宗二さんが
「天下一ノ名物」
と激賞。
その価値は更に高まっていくこととなりました。
信長さんは常に大切に持ち歩いていたそうなのですが、
いわゆる「本能寺の変」で信長さんと共に焼失。
しかし、本能寺の焼け跡から奇跡の発見がなされ、
修復された後、豊臣秀吉さんに献上されます。
ただ、派手好きな秀吉さんは地味めで、
焼けて輝きが失われたこの茶入れをそれほど好まず。
後に摂津国藩主で武将の
有馬則頼(ありまのりより)さんに与えました。
則頼さんの死後は大坂城の豊臣家に戻されましたが、
徳川家康さんの大坂城攻めで豊臣氏と共に焼失。
しかし、しかし!
家康さん直々の探索命令を受けた
藤重藤元、藤厳という陶器職人の親子がまたもや!
大坂城の焼け跡からカケラを探し出します。
藤重親子は損傷していた破片を職人技で継ぎ合わせ、
見事に修復。
その出来映えにいたく感動した家康さんは、なんと、
褒美として藤元さんに九十九髪茄子を与えました。
以降は藤重家の家宝として代々守り通され、
1876年(明治9年)に三菱財閥の
岩崎弥之助(いわさきやのすけ)さんに譲られます。
そして、財閥の私設美術館である
「静嘉堂文庫美術館(せいかどうびじゅつかん)」
に所蔵され、現在に至る————————————
と、そんな旅路。
伝説の茶入れ。
良き眼福(がんぷく)でした。(^^)
そんな歴史を持つ茶入れなので、
ポストカードは我が家では
信長さんのコーナーに置いてみたのですが.......
なんだか、妙に気配が落ち着きますのです......
神様来たの!?的な。
ええ。ええ。
———————百年(ももとせ)に
一年(ひととせ)足らぬ九十九髪(つくもがみ)
我を恋ふらし面影に見ゆ————————————
藤原業平(ふじわらのなりひら)。
伊勢物語より。
あ!
サッカー日本代表やりましたーーーっ!
ドイツ戦勝利!
サッカーファンには歴史的な夜。
さいこーっす。
よく眠れそうっす♪
今はスペインがもの凄い初戦を展開してますけど......
まぁ、ひとまず。
おやすみなさひ。。(^^)
僕なら九十九年使って、
付喪神(つくもがみ)として祀りあげるのが正解でしょう!」
なんて冗談をMさんが言っていた......と、
「99%」という過去記事の中で記していましたが。
どんなものでも長く使っていると精霊や霊魂が宿り、
それが99年を超えて100年を過ぎると神様になる......なんて、
古(いにしえ)のこの国では言われていたそうなのです。
そんな霊気の宿る!?
神となった!?
小さな「茶入れ」というのがコチラ。
その名もズバリ
「つくもがみ=付喪神=九十九神」。
またの名を、
形が野菜の茄子に似ているので
「つくもかみなす=付喪髪茄子=九十九髪茄子
=付藻髪茄子=九十九髪茄子茶入=、、、、」
「神」という字は、
伊勢物語の中にある和歌の影響をうけて
「髪」となっているようですが......
写真は先日伺った
「静嘉堂文庫美術館(せいかどうぶんこびじゅつかん)」
の特別展覧会で買ったポストカード。
展覧会に行った目的としては、
前回記事に記した通り
「曜変天目(ようへんてんもく)」
を見る為であったのですが......いやはや、
同時に展示されていたコチラの茶入れにも
カナリ強く惹かれてしまいまして。
ええ。
手のひらに収まるほどの小ささで、
地味さも極まる系のモノではありますが、
まとっているオーラはかなりヤバイ感じ。
思わず長く見入ってしまいました。
魅入ってしまった......とも書けますでしょうか。
あくまで「魅入られる」では無く。
ええ。ええ。
そんな、
この「ツクモナス茶入れ」の辿って来た道のりは
特別過ぎるくらい特別!のようでして。
これほど小さくて地味な茶入れが何故?
一国一城の価値をも超える......などとされて来ているのか。
その理由が理解できるような茶入れの旅の物語は
こんな感じで......
———————元々は唐物(からもの)
と呼ばれる中国製なので、
どこからかこの国に輸入されて来たことは
間違いの無いことですが、
そこからの所有者変遷の歴史は凄まじく。
最初は室町幕府、第3代征夷大将軍、
足利義満(あしかがよしみつ)さんとのこと。
義満さんはカノ金閣寺を建てた方。
茶入れは戦(いくさ)にも
御守りとして携帯していたそうです。
その後は銀閣寺を建てた第8代征夷大将軍、
足利義政(あしかがよしまさ)さんへ。
義政さんからは守護大名、
山名是豊(やまなこれとよ)さんへと渡ります。
その後は伊佐宋雲(いさそううん)さんに渡り、
宋雲さんからは武将、
朝倉宗滴(あさくらそうてき=朝倉教景=あさくらのりかげ)
が五百貫で購入したと伝わっています。
宗滴さんは越前小袖屋(えちぜんこそでや)に質入れをして、
そこから勇猛な武士として名を轟かせていた
松永久秀さんが千貫を支払い入手することとなります。
久秀さんからは降伏の証として
織田信長さんに献上されることとなり、この頃、
千利休さんの弟子の山上宗二さんが
「天下一ノ名物」
と激賞。
その価値は更に高まっていくこととなりました。
信長さんは常に大切に持ち歩いていたそうなのですが、
いわゆる「本能寺の変」で信長さんと共に焼失。
しかし、本能寺の焼け跡から奇跡の発見がなされ、
修復された後、豊臣秀吉さんに献上されます。
ただ、派手好きな秀吉さんは地味めで、
焼けて輝きが失われたこの茶入れをそれほど好まず。
後に摂津国藩主で武将の
有馬則頼(ありまのりより)さんに与えました。
則頼さんの死後は大坂城の豊臣家に戻されましたが、
徳川家康さんの大坂城攻めで豊臣氏と共に焼失。
しかし、しかし!
家康さん直々の探索命令を受けた
藤重藤元、藤厳という陶器職人の親子がまたもや!
大坂城の焼け跡からカケラを探し出します。
藤重親子は損傷していた破片を職人技で継ぎ合わせ、
見事に修復。
その出来映えにいたく感動した家康さんは、なんと、
褒美として藤元さんに九十九髪茄子を与えました。
以降は藤重家の家宝として代々守り通され、
1876年(明治9年)に三菱財閥の
岩崎弥之助(いわさきやのすけ)さんに譲られます。
そして、財閥の私設美術館である
「静嘉堂文庫美術館(せいかどうびじゅつかん)」
に所蔵され、現在に至る————————————
と、そんな旅路。
伝説の茶入れ。
良き眼福(がんぷく)でした。(^^)
そんな歴史を持つ茶入れなので、
ポストカードは我が家では
信長さんのコーナーに置いてみたのですが.......
なんだか、妙に気配が落ち着きますのです......
神様来たの!?的な。
ええ。ええ。
———————百年(ももとせ)に
一年(ひととせ)足らぬ九十九髪(つくもがみ)
我を恋ふらし面影に見ゆ————————————
藤原業平(ふじわらのなりひら)。
伊勢物語より。
あ!
サッカー日本代表やりましたーーーっ!
ドイツ戦勝利!
サッカーファンには歴史的な夜。
さいこーっす。
よく眠れそうっす♪
今はスペインがもの凄い初戦を展開してますけど......
まぁ、ひとまず。
おやすみなさひ。。(^^)
そんなさまざまな変遷を経て
今はそこにあって
数奇な道を辿って。
利休さんは
「釜一つあれば茶の湯になるものを
数(よろず)の道具を持つは愚かな」
と書いておられますが
いざ、釜をかけるとしたら
趣向がどう、季節の料理
お道具の取り合わせ
そのお茶事は
お茶会の意味はどうと
それはたいへんな一大イベントに
なるのを見てきました。若い頃
たくさん、お手伝いもしました。
九十九神さんがついてるほどの
お茶入れって
とても、使えないですね。
仕覆も箱も箱書きも
見てみたい気がします。
僕さんはそう思うのです。
観賞用に作られたものでなければ使いまくってほしいな、と。
曜変天目とはそこが違う感じがしましたでしょうか。
曜変天目はどこか観賞用として作り磨かれた部分が感じられましたが、
つくも髪茄子は使ってほしいオーラでした。
飾り物じゃないよ、と。
利休さんの哲学と通じている部分があるのではないかと。
こんな小さなもののカケラを、焼け跡から探し出し、修復し、、、凄すぎます。神さまだからでしょうか?!
そしてその後に観た【すずめの戸締まり】の驚き。。。
そしてそして!
今から始まるコスタリカ🇨🇷戦!!
神さま!!!!!何卒!