ということで。
着きまちた♪
焼津神社さん。
通称「入江大明神」。
倭姫さんとの関係なども含めて、
お話は次回へと続かせていただきまする。(^^)
焼津神社の主祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)さん。
初期の大和朝廷の列島支配のために、
天皇の命を受け日本各地を平定して回ったと伝わる
勇猛果敢な朝廷の武将。
しかし、あまりに強かったため、
その力を恐れた時の天皇に様々な策略を仕掛けられ、
いつも遠くに追いやられてしまっていた人物でもあったようで。
その足跡は今も日本各地に様々な形で残っています。
特に焼津神社のある地においての伝承は有名で、
神話には以下のような物語が記されています。
=============================
ヤマトタケルは九州の熊曾(くまそ)を平定した後、
出雲の出雲建(いずもたける)を倒し、大和へと戻りました。
しかし、その力をますます恐れた景行天皇は
休む間もなく東国の平定を命じます。
その投獄平定に向かう前、
タケルは倭姫命から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と、
火打ち石の入った袋を授かりました。
現在の静岡県、焼津の地着いたタケルは敵に欺かれ、
草むらの中で四方から火を点けられ窮地に追い込まれます。
この時、タケルは妃(きさき)の
弟橘姫(おとたちばなひめ)を守りながら戦っていました。
四方を火に囲まれたタケルはとっさの機転で倭姫命から授かった
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で草をなぎ払い。
逆に、火打ち石で敵に向かって火を放ちました。
すると炎は向きを変え、
敵に向かって勢いよく燃え広がり、
タケル達は窮地を脱することができました。
この後、天叢雲剣は
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれるようになり、
名古屋の熱田神宮にお祀りされました。
この伝説から、この地は「ヤキツ」といわれるようになり、
現在の「焼津(やいづ)」という地名となりました。
=============================
巫女職トップの倭姫さんらしい、
タケルさんの危機を予知していたような「渡しモノ」が
凄過ぎるお話ですけど......
この逸話は712年に編纂された「古事記(こじき)」にも
記されているもので、
少なくとも「焼津神社」や「焼津」という地名には
1300年以上の歴史があるということにもなります。
ただ、僕さんとしてはこれ迄も幾度か記してきたように、
ヤマトタケルさんというものは
伝承の主体となる方もいたかと思いますが、多くの場合、
古代大和朝廷が各地の併合のために派遣した
軍事部隊の武将の役職名的なものと考えていて。
祭神となっている神社の多くは、その地を併合した後に、
元々の地域神の上に自らを被せて祀らせた......
という形になっているのではないかと考えています。
この焼津神社にしても、
境内や付近一帯からは古墳時代の遺跡が沢山発見されていて。
この地にはタケルさんが来るかなり前の時代から
一大集落や村があったことがわかっています。
広い境内にはそんな遺跡の展示や、
武の神の神社らしく綺麗に整えられた土俵などもありました。
伺った時は年末で、氏子の方々が境内を自由に使って
正月の諸々の準備をされていました。
人々にとても大切にされている神社だということが
ひしひしと伝わってくる風景。
神社が近隣の人々の絆を育んでいることを実感。
この国が失いかけている風景でもあるでしょうか。
なんだか心が和みます。
拝殿に向かうと、
社殿の横に大きな楠(くすのき)が見えます。
拝殿で手を合わせた後、木の方に回り込んでみると、
このクスが御神木のようで、樹齢は300年以上とのこと。
全体の御姿はどことなく、この地の伝承の通り、
平原を焼き払った炎の形のようにも見えます。
僕の目には大きな炎にしか見えないクス。
「この炎の木が中心だな......」
と、そんなことを思いながら木の根本を見てみると、
小さな賽銭箱と供物台が。
本殿と違って人も殆ど来ません。
「ここで祝詞(のりと)なのか......」
僕は周囲を見まわし、誰もいないことを確認し。
祝詞を捧げようと持ってきたお酒を木の根元の台に供え、
後ろに下がって手を合わせてみると......
「うえええ!?
ま、マジか......
開運に開運......って、
ここに供えるからこの酒を!?選んだのか......
偶然にしても......驚くな......」
前回記事に記した通り、
スーパーにあった沢山の種類のお酒の中から、ふと、
「焼津神社にはこれだな、、」
と思って買った「開運」という名前のお酒。
それがドンピシャ!で御神木の供物台の賽銭箱の文字と同じ。
しかも、台の前にはまるでミカン!?のような丸い石も二つ。
以前から記してきた通り、
神様から天叢雲の剣(アメノムラクモノツルギ)と
ミカンの関係を聞いていた僕としては、
この丸い石はミカンにしか見えず。
石にもお酒を届けつつ、追加のミカンもお供えして......
「来年は開運だな、こりゃ(^^)」
などと都合の良い解釈をしてみた僕さん。
どこかしら心は大満足。
奏上した祝詞もご機嫌仕様。
お話は続きます(^^)
着きまちた♪
焼津神社さん。
通称「入江大明神」。
倭姫さんとの関係なども含めて、
お話は次回へと続かせていただきまする。(^^)
焼津神社の主祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)さん。
初期の大和朝廷の列島支配のために、
天皇の命を受け日本各地を平定して回ったと伝わる
勇猛果敢な朝廷の武将。
しかし、あまりに強かったため、
その力を恐れた時の天皇に様々な策略を仕掛けられ、
いつも遠くに追いやられてしまっていた人物でもあったようで。
その足跡は今も日本各地に様々な形で残っています。
特に焼津神社のある地においての伝承は有名で、
神話には以下のような物語が記されています。
=============================
ヤマトタケルは九州の熊曾(くまそ)を平定した後、
出雲の出雲建(いずもたける)を倒し、大和へと戻りました。
しかし、その力をますます恐れた景行天皇は
休む間もなく東国の平定を命じます。
その投獄平定に向かう前、
タケルは倭姫命から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と、
火打ち石の入った袋を授かりました。
現在の静岡県、焼津の地着いたタケルは敵に欺かれ、
草むらの中で四方から火を点けられ窮地に追い込まれます。
この時、タケルは妃(きさき)の
弟橘姫(おとたちばなひめ)を守りながら戦っていました。
四方を火に囲まれたタケルはとっさの機転で倭姫命から授かった
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で草をなぎ払い。
逆に、火打ち石で敵に向かって火を放ちました。
すると炎は向きを変え、
敵に向かって勢いよく燃え広がり、
タケル達は窮地を脱することができました。
この後、天叢雲剣は
草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれるようになり、
名古屋の熱田神宮にお祀りされました。
この伝説から、この地は「ヤキツ」といわれるようになり、
現在の「焼津(やいづ)」という地名となりました。
=============================
巫女職トップの倭姫さんらしい、
タケルさんの危機を予知していたような「渡しモノ」が
凄過ぎるお話ですけど......
この逸話は712年に編纂された「古事記(こじき)」にも
記されているもので、
少なくとも「焼津神社」や「焼津」という地名には
1300年以上の歴史があるということにもなります。
ただ、僕さんとしてはこれ迄も幾度か記してきたように、
ヤマトタケルさんというものは
伝承の主体となる方もいたかと思いますが、多くの場合、
古代大和朝廷が各地の併合のために派遣した
軍事部隊の武将の役職名的なものと考えていて。
祭神となっている神社の多くは、その地を併合した後に、
元々の地域神の上に自らを被せて祀らせた......
という形になっているのではないかと考えています。
この焼津神社にしても、
境内や付近一帯からは古墳時代の遺跡が沢山発見されていて。
この地にはタケルさんが来るかなり前の時代から
一大集落や村があったことがわかっています。
広い境内にはそんな遺跡の展示や、
武の神の神社らしく綺麗に整えられた土俵などもありました。
伺った時は年末で、氏子の方々が境内を自由に使って
正月の諸々の準備をされていました。
人々にとても大切にされている神社だということが
ひしひしと伝わってくる風景。
神社が近隣の人々の絆を育んでいることを実感。
この国が失いかけている風景でもあるでしょうか。
なんだか心が和みます。
拝殿に向かうと、
社殿の横に大きな楠(くすのき)が見えます。
拝殿で手を合わせた後、木の方に回り込んでみると、
このクスが御神木のようで、樹齢は300年以上とのこと。
全体の御姿はどことなく、この地の伝承の通り、
平原を焼き払った炎の形のようにも見えます。
僕の目には大きな炎にしか見えないクス。
「この炎の木が中心だな......」
と、そんなことを思いながら木の根本を見てみると、
小さな賽銭箱と供物台が。
本殿と違って人も殆ど来ません。
「ここで祝詞(のりと)なのか......」
僕は周囲を見まわし、誰もいないことを確認し。
祝詞を捧げようと持ってきたお酒を木の根元の台に供え、
後ろに下がって手を合わせてみると......
「うえええ!?
ま、マジか......
開運に開運......って、
ここに供えるからこの酒を!?選んだのか......
偶然にしても......驚くな......」
前回記事に記した通り、
スーパーにあった沢山の種類のお酒の中から、ふと、
「焼津神社にはこれだな、、」
と思って買った「開運」という名前のお酒。
それがドンピシャ!で御神木の供物台の賽銭箱の文字と同じ。
しかも、台の前にはまるでミカン!?のような丸い石も二つ。
以前から記してきた通り、
神様から天叢雲の剣(アメノムラクモノツルギ)と
ミカンの関係を聞いていた僕としては、
この丸い石はミカンにしか見えず。
石にもお酒を届けつつ、追加のミカンもお供えして......
「来年は開運だな、こりゃ(^^)」
などと都合の良い解釈をしてみた僕さん。
どこかしら心は大満足。
奏上した祝詞もご機嫌仕様。
お話は続きます(^^)