血は、血によってででしか濯(すす)げないのか......
遥か昔、
この国に存在していたであろう邪馬台国という国を思う時。
僕の中に湧き上がってくる印象とはそんな感じで。
それは、とても悲しく、
やるせない気持ちが深く重く折り重なる様なものでもあって。
思いを馳せれば馳せるほど胸が苦しくもなります。
このブログは、
あの東日本大震災の後から幾つかの理由もあって書き始めました。
気が付けばそれから5年以上の月日が経ち。
そんな今年のこの時期に、
ようやく邪馬台国(やまたいこく)に纏わる話を
記せるタイミングが
来たような気がしています。
邪馬台国というのは、本来、
今に繋がるこの国の為政者達が無きモノとしたかった古代の大国です。
それが偶然なのか?必然なのか?
コントロールの効かない隣国の歴史書にこの国のことが記されてしまい。
結果、今日(こんにち)もその存在が広く世に伝わり。残り。
「卑弥呼(ヒミコ)」というミステリアスな女王の存在と名前の響きも相まって、
ロマンティシズムに溢れた多くの人々の想像力までも掻き立てる
亡国ともなりました。
それは、言い方を変えれば、
「消したのに、消すことができなかった国......」
ということかも知れません。
もし、隣国の歴史書が無かったとしたら?
この国の歴史からは完全に抹消されていたかもしれない国であったはずです。
そして、そんな邪馬台国や、さらに古い時代の王朝など、
この国の闇に置かれ、
無きものとされて来た多くの国々や人々の存在の形見とも言えるようなものが、
時に「神社」というものでもあるのです。
そんな忘れ形見的な、
封印の社(やしろ)的な神社の代表と言えば......出雲大社......
ではなく!?
本当のところは諏訪大社であると。
僕は、個人的にはそう認識をしています。
アチコチで大笑いもされそうですが、
自分なりに日本中も回りまくって、実地検証もして。
痛い目にも逢いまくって。
その結果、至って真面目にそう感じているのです。
教会における十字架やキリスト像やお寺における仏像の様に、
全ての神社における共通の御神体とは、
祭壇中央にドン!と置かれる大きな鏡です。
丸い、太陽の様な鏡。
それは、天皇家が保管する国家神器
「八咫鏡(ヤタノカガミ)」を模するものでもあり。
恵(めぐみ)の唯一神「太陽」を模するものでもあり。
「神とは、この鏡に映るあなた自身ですよ」
ということを教えるものでもあり。
そして、
「鏡が歪んでいると、映すもの全てが歪みますよ」
「曇った鏡は、全てを曇らせて映しますよ」
「もしかしたら、
この世は真実と逆さまになっている世界であるかも知れませんよ......」
ということを諭すものである様にも......
僕には思えてきました。
そんな神社における最重要アイテムである鏡。
諏訪大社におけるソレは、実は、諏訪湖そのものである、と。
僕はトアル神様!?からそう教えられてきました。
それは、言ってみれば日本で一番大きな神鏡である......と。
しかしながらその鏡は、
原初の形からはどんどんと小さくなってきて。
やがて濁り。曇り。歪められ。
つい最近までは有るものを有るがまま、
そのまま映し出すこともままならなくなってしまっていた様で。
それもそのはず。
鏡を護らんとしていた古代の神々は時に人の命迄もが注がれる、
強力な呪(しゅ)をかけられた4本の巨大な御柱の中に閉じ込められ。
柱と柱の間に引かれる線は強烈な「結界」ともなり。
為政者に騙され、揺動もされてきた純粋なる罪無き人々は、
「御柱祭」がそんな呪(しゅ)の式次第であるということとはついも知らず。
ただひたすらに、神々の為に、我らの地を守る為に、感謝の為に......と。
その祭りを長い間行い続け、伝え、讃えてもきました。
そんな人々の純なる心力までもを利用した結界は、
諏訪湖というこの国一番の大鏡(おおかがみ)を
長らく鏡として機能させないようにもし続けてきて——————
——————しかし、今年。
つい先日。
「スーパーブルーブラッドムーン」なる
地球上では35年ぶりとなる天体現象が起きていた時。
この「イワシと月と太陽と湖」という記事にも記した通り。
凍った諏訪湖が綺麗に割れる
「御神渡り(おみわたり)」という現象が5年ぶりに確認され。
諏訪湖に対する神様の言葉が久方振りに降りても来ました。
「鏡割りじゃ」
僕は初めて、この言葉を受け取りました。
「諏訪徒然」や「ニコニコBAR」という全17話のシリーズ記事で記してきたような事も?
関係しているのか?いないのか?
それは全く分かりませんが。
とにかく、時ならぬこの神様の言葉は、
諏訪同様に歴史から隠され、封印もされた大国
「邪馬台国」の話を記しても良いタイミングが来たのでは無いのか?
と、僕に確信させる出来事とはなったのです。
それは少しの驚きもしましたが、嬉しくもなることでもあって。
そんなワケもあって、
今回綴らんとするこの物語は、あくまで!
タダのド素人の夢物語として読んでもらえればと。
それだけでとても嬉しくもあります。
そして、これを読んだ時のその方の想いというのは、
きっとそのまま、
非業の思いで亡くなっていった邪馬台国の人々にとっては
とても嬉しいこととなる様にも......思えていたりもするのです。
それは、
この国の未来にも光を与えてくれるようなものであるとも思えるのです。
未来は、いつも過去の上にあるのですから。
光を射し入れた過去は、
未来に光を射してくれるのではないかと思うのです。
誰もが認識している様に、
邪馬台国というのは古代日本の大きな王国の一つです。
ということは、
その痕跡は本当はこの国のいたるところにあるハズなのです。
なにも九州や奈良、
大阪やらにしかその痕跡や遺跡が無いという考え方に関しては、
そのこと自体、少し疑ってみる必要がありそうだな、とも思えるのです。
この話が何を意味しているのか?
上記した文中に僕はこう書きました。
「この国の闇に置かれ、
無きものとされて来た多くの国々や人々の存在の形見とも言えるようなものが、
時に神社というものでもあるのです」
今、この国にある、
8千を超える沢山の神社の中で一番数の多い名前の神社があります。
その名前は———————————————
邪馬台国を巡る徒然なる空想物語はココから始まります。
次回へ続きます。(^^)
東洋医学では、流れが悪く、
滞りがちな血液を「瘀血(おけつ)」と呼んでいる様です。
「瘀(お)」とは「停滞」という意味で、
文字通り血流が滞ったり、ドロドロとしたり、
血管内で淀んでしまった状態の血液を指すそうです。
「瘀血」になった血液は正常な状態に比べて粘度が強くなっていて、
それで流れが悪くもなっている様なのですが。
解説書などには「ふる血」とか
「汚れた血」「悪血」などとも書かれていたりします。
かつて邪馬台国が存在していたであろう地に、
数人の信頼できる方々と一緒に足を踏み入れた時。
その瞬間。
実はこの「瘀血」が巫女としての能力も高い女性の鼻から突然、
多量に吹き出して来て止まらなくなりました。
その血は彼女の服を汚し、大地にも多量に滴り落ち。
そして......
地中深くに吸われていきました。
その時一緒にいた皆さんは、
僕同様にその事を明瞭に覚えていると思いますが、
その血はマサに瘀血。
ドロドロとボタボタと、かなり淀み、汚れた血でした。
鼻血など出したことの無い彼女自身は勿論、
一緒に居た全員が驚き、唖然としていた事も覚えています。
今回の徒然なる夢物語は、
ひと先ずそこへ向けて記していくことになります。
遥か昔、
この国に存在していたであろう邪馬台国という国を思う時。
僕の中に湧き上がってくる印象とはそんな感じで。
それは、とても悲しく、
やるせない気持ちが深く重く折り重なる様なものでもあって。
思いを馳せれば馳せるほど胸が苦しくもなります。
このブログは、
あの東日本大震災の後から幾つかの理由もあって書き始めました。
気が付けばそれから5年以上の月日が経ち。
そんな今年のこの時期に、
ようやく邪馬台国(やまたいこく)に纏わる話を
記せるタイミングが
来たような気がしています。
邪馬台国というのは、本来、
今に繋がるこの国の為政者達が無きモノとしたかった古代の大国です。
それが偶然なのか?必然なのか?
コントロールの効かない隣国の歴史書にこの国のことが記されてしまい。
結果、今日(こんにち)もその存在が広く世に伝わり。残り。
「卑弥呼(ヒミコ)」というミステリアスな女王の存在と名前の響きも相まって、
ロマンティシズムに溢れた多くの人々の想像力までも掻き立てる
亡国ともなりました。
それは、言い方を変えれば、
「消したのに、消すことができなかった国......」
ということかも知れません。
もし、隣国の歴史書が無かったとしたら?
この国の歴史からは完全に抹消されていたかもしれない国であったはずです。
そして、そんな邪馬台国や、さらに古い時代の王朝など、
この国の闇に置かれ、
無きものとされて来た多くの国々や人々の存在の形見とも言えるようなものが、
時に「神社」というものでもあるのです。
そんな忘れ形見的な、
封印の社(やしろ)的な神社の代表と言えば......出雲大社......
ではなく!?
本当のところは諏訪大社であると。
僕は、個人的にはそう認識をしています。
アチコチで大笑いもされそうですが、
自分なりに日本中も回りまくって、実地検証もして。
痛い目にも逢いまくって。
その結果、至って真面目にそう感じているのです。
教会における十字架やキリスト像やお寺における仏像の様に、
全ての神社における共通の御神体とは、
祭壇中央にドン!と置かれる大きな鏡です。
丸い、太陽の様な鏡。
それは、天皇家が保管する国家神器
「八咫鏡(ヤタノカガミ)」を模するものでもあり。
恵(めぐみ)の唯一神「太陽」を模するものでもあり。
「神とは、この鏡に映るあなた自身ですよ」
ということを教えるものでもあり。
そして、
「鏡が歪んでいると、映すもの全てが歪みますよ」
「曇った鏡は、全てを曇らせて映しますよ」
「もしかしたら、
この世は真実と逆さまになっている世界であるかも知れませんよ......」
ということを諭すものである様にも......
僕には思えてきました。
そんな神社における最重要アイテムである鏡。
諏訪大社におけるソレは、実は、諏訪湖そのものである、と。
僕はトアル神様!?からそう教えられてきました。
それは、言ってみれば日本で一番大きな神鏡である......と。
しかしながらその鏡は、
原初の形からはどんどんと小さくなってきて。
やがて濁り。曇り。歪められ。
つい最近までは有るものを有るがまま、
そのまま映し出すこともままならなくなってしまっていた様で。
それもそのはず。
鏡を護らんとしていた古代の神々は時に人の命迄もが注がれる、
強力な呪(しゅ)をかけられた4本の巨大な御柱の中に閉じ込められ。
柱と柱の間に引かれる線は強烈な「結界」ともなり。
為政者に騙され、揺動もされてきた純粋なる罪無き人々は、
「御柱祭」がそんな呪(しゅ)の式次第であるということとはついも知らず。
ただひたすらに、神々の為に、我らの地を守る為に、感謝の為に......と。
その祭りを長い間行い続け、伝え、讃えてもきました。
そんな人々の純なる心力までもを利用した結界は、
諏訪湖というこの国一番の大鏡(おおかがみ)を
長らく鏡として機能させないようにもし続けてきて——————
——————しかし、今年。
つい先日。
「スーパーブルーブラッドムーン」なる
地球上では35年ぶりとなる天体現象が起きていた時。
この「イワシと月と太陽と湖」という記事にも記した通り。
凍った諏訪湖が綺麗に割れる
「御神渡り(おみわたり)」という現象が5年ぶりに確認され。
諏訪湖に対する神様の言葉が久方振りに降りても来ました。
「鏡割りじゃ」
僕は初めて、この言葉を受け取りました。
「諏訪徒然」や「ニコニコBAR」という全17話のシリーズ記事で記してきたような事も?
関係しているのか?いないのか?
それは全く分かりませんが。
とにかく、時ならぬこの神様の言葉は、
諏訪同様に歴史から隠され、封印もされた大国
「邪馬台国」の話を記しても良いタイミングが来たのでは無いのか?
と、僕に確信させる出来事とはなったのです。
それは少しの驚きもしましたが、嬉しくもなることでもあって。
そんなワケもあって、
今回綴らんとするこの物語は、あくまで!
タダのド素人の夢物語として読んでもらえればと。
それだけでとても嬉しくもあります。
そして、これを読んだ時のその方の想いというのは、
きっとそのまま、
非業の思いで亡くなっていった邪馬台国の人々にとっては
とても嬉しいこととなる様にも......思えていたりもするのです。
それは、
この国の未来にも光を与えてくれるようなものであるとも思えるのです。
未来は、いつも過去の上にあるのですから。
光を射し入れた過去は、
未来に光を射してくれるのではないかと思うのです。
誰もが認識している様に、
邪馬台国というのは古代日本の大きな王国の一つです。
ということは、
その痕跡は本当はこの国のいたるところにあるハズなのです。
なにも九州や奈良、
大阪やらにしかその痕跡や遺跡が無いという考え方に関しては、
そのこと自体、少し疑ってみる必要がありそうだな、とも思えるのです。
この話が何を意味しているのか?
上記した文中に僕はこう書きました。
「この国の闇に置かれ、
無きものとされて来た多くの国々や人々の存在の形見とも言えるようなものが、
時に神社というものでもあるのです」
今、この国にある、
8千を超える沢山の神社の中で一番数の多い名前の神社があります。
その名前は———————————————
邪馬台国を巡る徒然なる空想物語はココから始まります。
次回へ続きます。(^^)
東洋医学では、流れが悪く、
滞りがちな血液を「瘀血(おけつ)」と呼んでいる様です。
「瘀(お)」とは「停滞」という意味で、
文字通り血流が滞ったり、ドロドロとしたり、
血管内で淀んでしまった状態の血液を指すそうです。
「瘀血」になった血液は正常な状態に比べて粘度が強くなっていて、
それで流れが悪くもなっている様なのですが。
解説書などには「ふる血」とか
「汚れた血」「悪血」などとも書かれていたりします。
かつて邪馬台国が存在していたであろう地に、
数人の信頼できる方々と一緒に足を踏み入れた時。
その瞬間。
実はこの「瘀血」が巫女としての能力も高い女性の鼻から突然、
多量に吹き出して来て止まらなくなりました。
その血は彼女の服を汚し、大地にも多量に滴り落ち。
そして......
地中深くに吸われていきました。
その時一緒にいた皆さんは、
僕同様にその事を明瞭に覚えていると思いますが、
その血はマサに瘀血。
ドロドロとボタボタと、かなり淀み、汚れた血でした。
鼻血など出したことの無い彼女自身は勿論、
一緒に居た全員が驚き、唖然としていた事も覚えています。
今回の徒然なる夢物語は、
ひと先ずそこへ向けて記していくことになります。
今は、花粉が飛んでいて、鼻の粘膜がただれている感じで、血が滲んでいたりするのに、鼻血は出ないです。
だからこそ、やっぱりあの時に何かがあったのか、助けてもらったのかもしれませんね。
黒い服を着ていて良かったです。
「この御方が卑弥呼様です!」って、一人の方を指しての呼称ではいないんじゃ?なにかの総称なんじゃ?とぼわっと思っていたのでしたー。
ちょっぴりスッキリー(^ ^)
色々な加護が無ければ行かないし、やらないことですよね。
いつも思いますけど。よく生きてるなぁ、、と。
全ての記事がパズルの様に繋がるように書いてますので、過去記事も見てもらえると人によっては色々な絵が見えてくるかもしれません。
また、西暦では200年代という、実はとても新しい時代の話です。
諏訪や富士王朝の話の方がとても深遠で神々にとっても重大な話だったりします。
なので、適当に流し、あしらってもらえたらありがたくー。。ええ。ええ。(*´ω`*)どもどもー