間違えてボディーシャンプーでアタマ洗っちゃったの!(=゚ω゚)ノ"
って感じでして。ええ。なう。
ミョーに髪の毛がゴワゴワしてるんす。
それでもって、そんな年度末のこの時期というのは、
数年前に施行された「働き方改革法案」なるものの影響もあって、
「法律どおりちゃんと休みをとってやぁー!」
というお知らせや、お願いやらが
アチコチから届いて来たりもするわけなのです。
なので既定のお休みをキチンと消化しにかかったりも
するわけでして。
「......と言いつつも、どこで休もーかなぁ、、」
などと思っていたところ、突然、なんとなく、
長野県の志賀高原あたりに行きたくなってしまい。
チロっと来てみちゃったりしているのでつ。


最初は
「温泉に入れればいいなぁ、、」
なんて気持ちで来てみたのですけど、
場所的には標高2000mもある高原なので、
「まだ雪もあるかなぁ......」
などという淡い期待も抱きつつ。
スキー板などもかついで来てみました。
着いてみると、もうダメだろう......と思っていた雪は、
高原の奥に大人な感じで佇む
「焼額山(やけびたいやま)」
にはまだしっかりと残っていてくれて。
「全コース滑走可能!」
という期待していた以上のゲレンデ状況。
なので、なかなかに癒される休日を過ごさせてもらっている
最中なのでございまつ。
とてもありがたいことなのです。
ゴキゲンで嬉しいのです。ええ。(o´ω`o)


北アルプスも綺麗に見えました。

それでもって、なぜ突然?
志賀高原になったのか?というと、
少々ポンチキな話となるのですが、以前、
石垣島で縁を頂いたシーサーさんが妙に
「志賀高原」という言葉に反応してくるもので。
それで決めたというワケなのですが、
高原ではシーサーさんはゴキゲンに飛び回っていまして。
その姿をぼんやりと感じミテいるに、どうも、
沖縄や南西の島々にいるシーサーさん達にとっては、
雪はとても珍しいもののようで。
面白いものでもあるらしいのです。
勿論!
全て!
右から左へ流していただくお話なのでちゅ!
ええ。
決してまともに捉えてはいけませんのです。
ちなみに、シーサーさんとのご縁の物語は、
僕さんはまだココで記していないお話ともなるのですが、
プリリンねーさんのブログなどには記されているようなので、
興味の湧いた人は探してみてください。(^^)
それで、ココに着いてからわかったことなのですが、
困ったことに、コロナ禍の影響で、
お泊まりしているホテルさんの温泉露天風呂が
閉めざるをえない状況となっていて。
「じゃぁ!」
ということで、
すぐ近くにある別のホテルさんの100%源泉掛け流し温泉を
お借りすることにしたのです、が......
その温泉の名前が結構インパクトのある名前で。
「高天ヶ原温泉(たかまがはらおんせん)」
シーさんさんがやけに喜んでもいるのです。ええ。
なぜか。(o゜ー゜o)?


僕が入った時は誰もいなくて。
ポツンと一人貸し切り状態。
それで湯船に入っている時にこんな張り紙を見つけまして......

「むむむむ!?
マジか?
神社さんが源泉とな!?
しかも、温泉同様、名前がえぐいやん......」
お風呂を出て早々、
僕さんはホテルの向かいにあるという、その
「高天ヶ原神社(たかまがはらじんじゃ、高天原神社)」
さんに温泉に入らせて頂いたお礼をしに寄ってみたのです。

雪の中に佇む素晴らしい雰囲気。
祭神は「西方から集う神々」となっています。
それと、この神社のある「岩菅山(いわすがやま)」の
「岩巣護大権現(いわすごだいごんげん)」さんとなっていました。
境内では、
ずっとはしゃいでいたシーサーさんも凛とした感じとなって。
狛犬さんの様にビシッ!と拝殿の前で佇んでいました。
なので、僕さんも心ばかりのお酒をお持ちして。
祝詞もあげさせてもらい......

あ!
きっと全て幻なのです。ええ。
気にしないでください。ええ。ええ。
ま、この神社さんから感じられることは、
志賀高原の地というのは安曇野(あずみの)と同じく、その昔、
「安曇氏(あずみし、阿曇氏)」
が治めていた地だったのではないかと。
「西方の神々が集まる」
という記述あたりにもこのことを匂わせる様な感じもあって。
その辺りのことは以前記した
「上高地徒然」
「上高地徒然 2」
あたりに記していること同じ話ともなるでしょうか。
参拝の後にはその記事にあるものと同じ様な日輪(日暈)サイン!?
なども現れてきてくれましたし。

載せ忘れた写真さんも追加で......やべーっす。
空間が歪んでる?んす。


さてさて。
月明かりを柔らかく反射してくれる白い雪が敷き詰められた
夜のゲレンデを散歩して寝ようかと。
沢山の星々もキラキラと広がっていますし。



異世界。
そんな美しさ。(^^)
おやすみなさいなのです。
☆「志賀高原徒然 2」
って感じでして。ええ。なう。
ミョーに髪の毛がゴワゴワしてるんす。
それでもって、そんな年度末のこの時期というのは、
数年前に施行された「働き方改革法案」なるものの影響もあって、
「法律どおりちゃんと休みをとってやぁー!」
というお知らせや、お願いやらが
アチコチから届いて来たりもするわけなのです。
なので既定のお休みをキチンと消化しにかかったりも
するわけでして。
「......と言いつつも、どこで休もーかなぁ、、」
などと思っていたところ、突然、なんとなく、
長野県の志賀高原あたりに行きたくなってしまい。
チロっと来てみちゃったりしているのでつ。


最初は
「温泉に入れればいいなぁ、、」
なんて気持ちで来てみたのですけど、
場所的には標高2000mもある高原なので、
「まだ雪もあるかなぁ......」
などという淡い期待も抱きつつ。
スキー板などもかついで来てみました。
着いてみると、もうダメだろう......と思っていた雪は、
高原の奥に大人な感じで佇む
「焼額山(やけびたいやま)」
にはまだしっかりと残っていてくれて。
「全コース滑走可能!」
という期待していた以上のゲレンデ状況。
なので、なかなかに癒される休日を過ごさせてもらっている
最中なのでございまつ。
とてもありがたいことなのです。
ゴキゲンで嬉しいのです。ええ。(o´ω`o)


北アルプスも綺麗に見えました。

それでもって、なぜ突然?
志賀高原になったのか?というと、
少々ポンチキな話となるのですが、以前、
石垣島で縁を頂いたシーサーさんが妙に
「志賀高原」という言葉に反応してくるもので。
それで決めたというワケなのですが、
高原ではシーサーさんはゴキゲンに飛び回っていまして。
その姿をぼんやりと感じミテいるに、どうも、
沖縄や南西の島々にいるシーサーさん達にとっては、
雪はとても珍しいもののようで。
面白いものでもあるらしいのです。
勿論!
全て!
右から左へ流していただくお話なのでちゅ!
ええ。
決してまともに捉えてはいけませんのです。
ちなみに、シーサーさんとのご縁の物語は、
僕さんはまだココで記していないお話ともなるのですが、
プリリンねーさんのブログなどには記されているようなので、
興味の湧いた人は探してみてください。(^^)
それで、ココに着いてからわかったことなのですが、
困ったことに、コロナ禍の影響で、
お泊まりしているホテルさんの温泉露天風呂が
閉めざるをえない状況となっていて。
「じゃぁ!」
ということで、
すぐ近くにある別のホテルさんの100%源泉掛け流し温泉を
お借りすることにしたのです、が......
その温泉の名前が結構インパクトのある名前で。
「高天ヶ原温泉(たかまがはらおんせん)」
シーさんさんがやけに喜んでもいるのです。ええ。
なぜか。(o゜ー゜o)?


僕が入った時は誰もいなくて。
ポツンと一人貸し切り状態。
それで湯船に入っている時にこんな張り紙を見つけまして......

「むむむむ!?
マジか?
神社さんが源泉とな!?
しかも、温泉同様、名前がえぐいやん......」
お風呂を出て早々、
僕さんはホテルの向かいにあるという、その
「高天ヶ原神社(たかまがはらじんじゃ、高天原神社)」
さんに温泉に入らせて頂いたお礼をしに寄ってみたのです。

雪の中に佇む素晴らしい雰囲気。
祭神は「西方から集う神々」となっています。
それと、この神社のある「岩菅山(いわすがやま)」の
「岩巣護大権現(いわすごだいごんげん)」さんとなっていました。
境内では、
ずっとはしゃいでいたシーサーさんも凛とした感じとなって。
狛犬さんの様にビシッ!と拝殿の前で佇んでいました。
なので、僕さんも心ばかりのお酒をお持ちして。
祝詞もあげさせてもらい......

あ!
きっと全て幻なのです。ええ。
気にしないでください。ええ。ええ。
ま、この神社さんから感じられることは、
志賀高原の地というのは安曇野(あずみの)と同じく、その昔、
「安曇氏(あずみし、阿曇氏)」
が治めていた地だったのではないかと。
「西方の神々が集まる」
という記述あたりにもこのことを匂わせる様な感じもあって。
その辺りのことは以前記した
「上高地徒然」
「上高地徒然 2」
あたりに記していること同じ話ともなるでしょうか。
参拝の後にはその記事にあるものと同じ様な日輪(日暈)サイン!?
なども現れてきてくれましたし。

載せ忘れた写真さんも追加で......やべーっす。
空間が歪んでる?んす。


さてさて。
月明かりを柔らかく反射してくれる白い雪が敷き詰められた
夜のゲレンデを散歩して寝ようかと。
沢山の星々もキラキラと広がっていますし。



異世界。
そんな美しさ。(^^)
おやすみなさいなのです。
☆「志賀高原徒然 2」
岩菅山がその様な場所で有ったとは超ビックリしました!大滑降コースにならなくて良かったです!
「西方の神々が集う場所」
とあるのと、地元の伝承には
「ここで日本の神々とカラの国の神々が戦った。
日本の神が勝利したが、血がくまなく流れて川になったので、
血隈川(千曲川)と呼ばれるようになった」
ともあるので、列島の西(九州)から
朝鮮半島や大陸系の血脈もある氏族が入植してきたのだと思われます。
その際に地元氏族との争いもあったのではないかと。
古事記の記述などに関しても分かっている方々でしたでしょうし。
それと、海人である安曇氏の本拠は北九州の「志賀島」なので、
名前もそこから持ってきて山の名前にしたのかもしれませんね。
志賀はシカ(鹿)かもしれません。
鹿の骨で吉凶や国勢を占っていたことなども関係しているかと感じます。
最奥の奥志賀高原エリアの施設デザインに鹿が使われているのがとても興味深かったりします。
写真も二枚ほど追加させてもらいましたー(^^)
岩菅山ビックリで思ったのが、北信五岳の権現信仰に連なるお山で有ったのかと思いました。
奥志賀から登山道が飯綱山方面に通じていた様にちょっと記憶しています。
神様の山はどーんとアピールされるので成る程!のどーんとアピールだと改めて思いました!
奥志賀高原ホテルエリアは以前長野電鉄の経営で、長野電鉄のバスが奥志賀まで運行しているため長野電鉄の鹿のシンボルを残したのかもしれません。
大獅子に対抗して子鹿が良く頑張っていたと思います^ ^
北信五岳では一番低い斑尾山がとても興味深い山の様に思います。
頂上の伝説の祠!にも深雪の中ご挨拶させてもらったことがあります。