銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

材木座海岸と、由比ヶ浜の命名権を、4800万円で売るのですって?

2013-06-13 03:14:43 | 政治

 本日もツィッター方式で書かせてくださいませ。で、タイトルも書き抜けた順番に、変更をさせていただきます。一番最初は、『山本一力さんが、破産をした話』とさせていただきます。ところで、午前11時にここを離れて今、夜の10時に戻ってきました。これから加筆をいたします。夜10時15分以降のタイトルは、『材木座海岸と、由比ヶ浜の命名権を4800万円で売るですって?』と、させていただきます。

副題1、『山本一力さんが、直木賞をとったころの、私の方のあれこれ』

 芥川賞ほど、それを取った人の、その後の人生がランクアップする賞もないと思います。その芥川賞が、純文学の、主に新人と呼ばれる人に与えられる賞であり、作家として、すでにプロになった人に与えられるのが、直木賞だという事は、大勢の人の共通する知識となっていると思われます。特に後者は、売れる小説(エンタメとも呼ばれる)を書く人に与えられる賞だという事もよく知られているでしょう。

 ただ、私は、2000年ごろまでは、そういう方面には疎くて、直木賞と芥川賞の違いすらわかりませんでした。(笑)美術に専念していたからです。今、あの時期に、やっておいてよかったと思われるのは、海外へ武者修行に行った事です。それを実行するために、逗子で、一人暮らしをしていました。家族と一緒にいたら、絶対に許してもらえないからです。

 ところで、ここで、スピンオフ的に語る事を許していただければ、逗子で、一人暮らしをしたのは、ひとえに、海外に行く事を目指したからであって、それは、また、他人に、依ってランクアップする事を、待つのでは無くて、自分で、道を切り開きたいと思ったわけで、無論のこと、自分としては、非常に前向きな選択でした。
 ところが、この雪の下二丁目の、特に安野夫人などにとっては、それは、敗北を意味したらしくて、それをきっかけに猛然たる、いじめがさらに昂進したと推察できるところがあります。

 私は無論、それは、わかっていましたが、別に気にもしませんでした。何度も言うようですが、我々はご近所を気にして、人生を送っているわけではないのです。自分には自分の人生があります。今、こういう文章を書くのは、ご近所の方から関わってくるからですね。彼らのやる事(=攻撃)を記録する(そうしないと、とんでもない事になって行くので、正当防衛の一つとして、それを常にやっておかないといけない)のに、エネルギーを取られ過ぎていますが、仕方がないとあきらめて、専心しています。

 ただ、逗子の一人暮らしを、実行できたのは、父の遺産を、家族のために使った残り、2400万円が手元にあったからでもあります。でも、その頃はブログはやっていませんので、自分の意識やら、志向などは世の中には開示していませんでした。メルマガを始めていましたが、それは、よく知っている人を相手でした。
 そして、エッセイはすべて、美術家としての、自分の日常から生まれる感動を種にしており、政治は、はるかに遠い世界でした。そして、美術に専心するために、テレビは見ないし、新聞も読みませんでした。インターネットもやっていませんでした。ただ、AOLというブラウザを使っていて、それで、メルマガの配信をしていました。

 そのメルマガは評判が高くて、2006年ごろには、総勢600人に達するほどの配信先がありました。そして、私は自信満々で、前向き一方であり、ご近所の事など、ほとんど、気にもしていませんでした。

 ただ、本当に少数の人たちから懸念を示されていました。それは、主にお茶大の付属高校の先輩たちで、「あなた、芥川賞でもとるつもり?」とからかわれていました。お茶大の付属高校を卒業した一種の上流社会の人たちにとっては、ことばをあつかうにしても、詩歌(短歌や俳句など)とか、西洋文学の翻訳などが、許容範囲と言えるようでした。

 私の書くエッセイは、赤裸々過ぎるというか痛々しいという分野の話題であって、そんな事は書かない方がいいのにという、忠告を込めてのからかいだったと思います。
 だが、私は全く気にしませんでした。というのも、これは、本音で語るのですが、私は総体として、考える事が好きで、美術に専念しているときも、繰り返しの労働をしていて、頭に美術の図形の発想が浮かんでいないときは、エッセイの種になるような事を考えており、

 考える事は、すなわち、文章を書く事なのです。書かないと脳がパンクします。だから、書いては、脳とは別の場所に保存をして、新たな発想を脳内に入れます。
 しかし、このころ、からかわれたがゆえに、芥川賞と、それと同時に発表をされる直木賞に興味を持ったのです。それ以前は、一切そういうものには、興味がなかったのにですよ。

 その頃の修行は、お金をバンバン使う形式で、思いがけずも早く、残金が少なくなってしまいました。残金が、600万円になった時点で、重い病気二つにかかり、肺炎の方は西洋医学で、治ったわけですが、左半身の背中に激痛を伴う病気(西洋医学では、頚椎内神経の損傷と診断をされている)は、けん引や投薬では治らず、驚いたことに主人の施療(東洋医学)では、痛みが消えることとなり、それが、もう一度雪の下二丁目で、専業主婦をする事へつながって行きます。
 私は矛を収めたわけです。ただ、その頃は、お金ができたら、再び、同じ生活をしたいと思っていたのに、今、母からの遺産が入っても、その気が起こりません。それは、無論体力の差なのです。で、一応挫折をしたわけですが、その三年間が、私を鍛えに鍛えたので、恫喝などには、びくともしない現在の私があるわけでした。

 しかし、そういう種類の内面の変化というのは外には見えないわけですから、芥川賞をもらったわけでもない私は、ご近所さまにとっては、危うく離婚をしかかった、一人の、だめ主婦とみなされているのでしょう。それは、彼、彼女らよりも一段低い存在であり、それで、前田祝一氏が、恫喝をしてきたこの28日も起きたわけですし、その前の、17日の天城高原へ旅行へ行った間からの10日間で、周到な準備をされてしまい、それに、協力した人が多かったのも、私を一段低く考えているからできた事でしょう。
 元へ戻ります。
 逗子で、修業をしていた孤独の時代を止めて、アトリエは、引き続きキープをしながら、鎌倉の家で、専業主婦暮らしを再開したころ、家族は、私が自室で、孤独で、濃密な仕事をすることを嫌がりました。つまり、お母さんが家出をしてしまったのは、芸術の仕事という魔物があるからだと、みなしていたからでしょう。それは、私にもよくわかっていて、朝八時に、アトリエに向かい、午後五時にそこから帰宅するという、まるで、サラリーマンの様な生活をしながら、家族と一緒の時間は、必ず、居間にいて一緒にテレビを見るという生活を送りました。

 三年間、全くテレビを見ていなかったので、見るのを再開した時のテレビには、相当に、強烈な印象がありました。その時期、最も印象に残ったのが、山本一力氏の直木賞受賞のニュースです。
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副題2、『山本一力さんは、破産をした事があるとか?』

 芥川賞受賞者とか、直木賞受賞者というのは、ニュースの素材としてとても、おいしい対象らしくて、よく、長時間の放映がありますが、この山本一力さんが、受賞したころの、氏への取材ほど、大量なものはかつて、見た事がありません。それ以降も見た事がありません。

 それは、氏本人、および、奥さまと子供たちのキャラにあるわけですが、もう一つ、山本氏が破産をして、四億の借金を抱えている身であって、それは、一種の敗残者であるのに、直木賞の受賞によって、人生の挽回を遂げたという美談があるからでした。

 そして、もう一つ意味があるでしょう。それは、読者の皆様を放っておいて、ハッキングをしている例の敵さまにのみ、伝えたくていうのですが、このころ、600万円の活動資金では、足りないと思い始めた私が、ひそかに、美術と文章の両面で、コンクールの応募の準備を始めた事への、だめ押し的な、やゆであったとも思われるのです。「お前には、将来とも絶対に、賞など、やんねーからな」という決意表明が、裏にあると、推察しています。

 <<<「賞など、絶対に貰えないのだ」という絶望感を与え、さらに、それを、強く味わわせるためには、それ以前に、賞、特に芥川賞と、直木賞が、すばらしい賞であるという事を、示しておく必要がある。そうすれば、ダメージを与えるための効果がより高くなる>>>と、彼らが考えると、この年の、直木賞受賞者、山本一力さんの背後の事情が、特別に高いテレビ露出度だったのが、うなずけるのです。

 まあ、一般の読者の方は、また、誇大妄想にふけっているとお笑い召されるでしょうが、気にせずに、これを書いておきます。たぶん、敵陣の中枢にある人間には、何かが、つたわるでしょうから。
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副題3、『それが、誇大妄想ではない事が、本日2013年6月13日に突然に分かった』

 この節、副題3は、朝、これを書いて、外出し、外出先で見た事を基にして、夜加筆しているところなのですが、・・・・・

 ある銀行の二階の照明器具が変更されているのを知って、決して誇大妄想ではない事を知りました。
 その銀行は、新築後3年以内であって、照明器具が劣化して古びたという事は絶対にないのです。
 美しいシャンデリアが垂れ下がっている優美な空間だったのに、行灯型のシーリングライト数個にとりかえられていて、優美さは、すっかりと失われているのでした。

 『おや、おや、私がこのブログの世界で、そのシャンデリアを問題にしたので、取り去ったのですね』と思い当たります。それは、この3月末以降に書いた文章の中にあります。連続してお読みいただいている方には、どういう文章だったかを、記憶しておられるかもしれません。しかし、それのリンクをここには示しません。お隣と関係があるからです。お隣の奥様に花一輪もらっている一宿一飯の恩義に感じ入って、その文章をここに、示しませんが、最近の私の書いている文章が、全部正しかった事を、さらに、確認するに至りました。
 そして、この種の現象は、鎌倉においては、小町通りの美しい御影石のプロムナードが失われたり、神奈川県立近代美術館の、職員用玄関の前に植えられていた、アメリカきささげの大木が切り倒されたりと、何度も繰り返し行われた事なので、敵さまと私の間では、ピーンと糸を張ったように呼応する出来事なのです。

 敵さまの中に、日本ペンクラブ元会長だった井上ひさしと、鎌倉ペンクラブ会長だった、伊藤玄二郎が、含まれているので、「直木賞について、今回は、テレビ露出を多くせよ」などという指令を出せば、NHKや、テレビ朝日は、すぐ言う事を聞くでしょう。その二人は、エージェントなので、テレビ局より上に位置していて、いわゆる強者中の強者なのです。特に山本一力氏が、直木賞をとったのは、2002年なので、井上ひさしは正式にも生きていた時期でした。

 今年ですか? 早稲田大学出身の70歳を超えた女性が、芥川賞をとりました。その時に、再び露出が多かったのですが、それでも、山本一力氏ほどではありませんでしたね。それは、どうしてかというと、私の方が、自宅へ帰れば、専業主婦ですから、生活費は、あるわけで、お金がまあ、まあ、間に合う状態になったので、コンクールには応募していないからです。

 2004年以来、ほぼ、10年間もコンクールには応募していません。だから、直木賞や芥川賞を賛美して、そのうえで、与えないでおく事が、彼女を、悲しませるだろうという推察が当らなくなったからです。

 で、その当時の山本一力氏は、莫大な露出量があったので、この私にも、山本一力氏の破産の詳細が分かりました。奥様の実家が銀座にビルを持っているそうです。その屋上に広告塔を建てたのだけれど、借り手がいなかったそうですが、四億円とは、単に、広告塔の、建設費だけではないと思われます。借金をしたその利子も含まれているのでしょう。企画をした段階では、まだ、バブルの真っ最中だったと思われますが、いざ、開業したら、景気が落ち込んでいて、借り手がいなかったというわけです。
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副題4、『公共施設(野球場)の、命名権という、収入は?』

 ところで、山本一力氏の破産は、直木賞受賞後という成功の裏打ちがあって語られるので、批判ごころがわく事もないのですが、私が前から嫌な話だなあと思っているのが、公共の施設の命名権を売り出している事です。

 野球場などで、そこを地元としているプロのチームの、親会社が、買うケースなどは、許される方だと思うのですが、

 それ以外の、ほぼ、税金で作られた施設の命名権を売るという、仕組みはどうもいただけません。ひどいなあと思っています。それにそういう提案は、ほぼ、お役所仕事でなされるので、そんな提案をしなくても、少し、労働内容を厳しくすれば、十分に採算が合うだろう、予算なのにと、民間会社に勤務している人間たちは思いますからね。

 しかし、この鎌倉では、もっと、驚くべきことが起こりました。なんと、施行した建物類ではなくて、太古の昔から、そこにあった自然の命名権を売るのだとか?
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副題5、『現・鎌倉市長、松尾たかし(=崇)とは、何者なのだ?
    VS 渡辺光子、現、仙台市、副市長』

 私は、今住んでいる鎌倉市の現在の市長、松尾たかしさんについて、一切を知らないのです。それはどうしてかというと、その人が当選した期の市長選は、現代における極限のやかましさだったので、すっかり嫌気がさして、選挙には行かなかったからです。
 どうしてそれほど、やかましかったかと言うと、ちょうど、私が六冊目の本を制作中でした。私が本作りを始める、三月から、八月まで、敵さまたちは、種々様々な妨害を繰り出すのですが、

 パソコンの動きが変になるということがまず大きいです。最初はマイクロソフトのワードが変だったのですが、それにもめげず、4冊を出版したころから今度は、アドビ関連のソフトが、動かなくなるという事が起こり始めました。それは、何とか、クリアーしたのですが、同時進行的に、自宅周辺で、音による妨害が、頻繁に起こり始めたのです。

 まず、安野家で、チターの音階練習を毎日、二時間行うこと。(これは、音楽ともなっていないもの)、鶴岡八幡宮で、音楽会を開くのだけれど、夜の7時から始まるのに、朝の九時から、その「マイクの練習です」と言う連呼が、大音響で始まる事。しかも、ひと夏に二回も太鼓の音楽会が開かれ、音楽会が総計4回もあった年もある事。同時に土木工事も行われる事。
 などで、相当に、「参ったか?」と言われているところに、この市長選です。本当に一瞬の休みも啼く選挙カーの轟音が響きました。大音量を出して、数台同時に、活動をしているらしいので、鎌倉駅を中心にして、山の内側はそれこそ、騒音であふれかえったのです。

 特に松尾現市長の対抗馬、渡辺光子さんの選挙カーには悩まされました。渡辺光子さんとは、私は北鎌倉の浄智寺で、5,6回、二時間程度一緒にいて、結構良く知っていて、このPC内でも、・・・・・女性には珍しく、公明正大なところはある。ちょっと意地を張るところはあるけれど・・・・・と書いたのですが、ちょっとでも、私と知遇のある人間は、敵方のスナイパーとして利用され始めるの典型で、騒音を出す人として、彼女はこの時期、機能したのでした。
 これが思いすごしでは無いわけは、彼女はのちほど、仙台市の副市長になります。仙台こそ、井上ひさしの牙城です。闇の世界の大権力者である彼のさじ加減ひとつで、仙台市の人事など、どうにでもなるのでしょう。以前にも仙台市役所で勤務をしていて、課長をしていたとのことですが、その後、北鎌倉へ住んだ期間というブランクがあるのに、それは無視して、副市長就任ですから、当然のこと、裏からのサポートはあると思います。
 ともかく、心の中で、評価の高い人物が敵方のスナイパーとして利用をされているという事実に、下そっと言うほど、嫌気がさして、選挙には行かなかったのです。無論のこと、渡辺光子陣営からは、「入れるだろう」とみなされていましたが、音(=大騒音)への嫌悪感から行きませんでした。

 選挙に行かないと、だいぶ前から決めていたので、他の候補者の検討をすることもなくて、その時、当選した現市長、松尾たかしさんについても一切を知らないのです。
 ところで、ここで、今となっては、どっちでもいいこととなってしまいましたが、開票前には、渡辺光子さんの方が優勢だとみなされていました。それなのに、彼女が落選したのは、あの選挙カーの暴力的騒音に、大勢の人がまいってしまって、彼女に票を入れるのを中止したのではないかしら?
 で、彼女もまた伊藤玄二郎の命令に従うと、天運を失うの典型だと思うのですが、ただ、仙台市の副市長の方が名前は大きくないものの、仕事の内容が大きいかもしれませんね。ほんとうに、行政というモノが好きなのなら、そちらの方が働き甲斐があるかもしれません。

 ただ、私はかねてより、彼女ほど、長期に、家族以外の事に、集中をし過ぎていると、ご家庭の方が大丈夫かなとか、あれほど、長期に、家を空けていると、お子さん方に何かの矛盾が現れないだろうかと、は、思っていて、そういう面では、鎌倉市長に当選した方が良かったでしょうと、思っています。でも、ともかくの事として、
 その時に選挙に行かなかったので、公報も読まず、したがって、渡辺光子さん以外の候補の事も一切知らないでいて、松尾さんというひとが当選したと聞いても、「へえ、そうですか?」と思うばかりで、引き続いて関心を持つ事はありませんでした。
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副題7、『松尾たかし現・鎌倉市長って、わが子よりも若いのです。それは驚いた』

 なんにも関心のなかった現在の鎌倉市長ですが、この2013年の五月に二回もNHKニュースに登場して、しかも、その裏に伊藤玄二郎がいる事が見え見えだったので、急に関心を寄せることとなりました。

 ただし、NHKニュースと言っても地方ニュースです。午前11時から、それから、夕方六時から、そして、8時45分から放映される、一都六県という地方ニュースの中ですから、関東以外の人は、その姿を見た事は無いと思います。

 その二つとも驚くべき内容ですが、特に驚いたのは、由比ヶ浜とか、材木座海岸という太古からそこにある自然の景色に命名権を設定して,それを、4800万円で売ることにしたというニュースです。

 これを問題としたいので、冒頭に、山本一力氏の話を入れたのです。氏が破産をしたのは広告塔です。それは、銀座でも、お菓子を作って売るとか、パスタを作って売るとかいう製造の実態を伴わない商売です。氏が直木賞をとったから、だれも批判をしませんが、「そんな、あぶく銭稼ぎに手を出して、と周辺は、借金が発生した時に言ったはずですし、彼本人も悔いたはずです。

 その広告塔より、さらに、「あぶく銭」感が強いのが命名権です。しかも、鎌倉市の場合は、税金で、作り上げた施設ではない、海岸というものに対する命名権を売ると主張をするのですが、その主役(?)が、第21代市長の松尾たかし君です。

 私は驚いて、wikipediaを引いてみました。すると、1973年9月生まれで、現在39サイとの事です。『え、それって、わが子よりも若いですよ』と、さらに驚くのでした。たまたま彼の育った土地が、西鎌倉という、鎌倉としては、新開地の方で、山の外なので、さらに、何も知らないのでしたが、ともかく、わが子よりも若い男性に、市長面をされる時代になっていたのでした。びっくりしました。むろん、完璧な市長なら、それでもいいのですが、4800万円で、由比ヶ浜の命名権を売るのだそうです。

 ここで、また、猛烈な睡魔の襲われました。この続きはあす書きましょう。お待ちくださいませ。

 いや、はや、驚きました。

コメント
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