本日もツィッター方式で書かせてくださいませ。なお、これは、加筆をお約束していた、前報・・・・・
材木座海岸と、由比ヶ浜の命名権を、4800万円で売るのですって?
2013-06-13 03:14:43 | 政治 ・・・・・
の後半部分を新しく、ブログを起こして書くものです。内容が書き抜けた順番に、タイトルを変えていくつもりです。
最初の総タイトルは、「鎌倉・由比ヶ浜海岸の命名権を、4800万円で売るという39歳の市長は、何者?」としておきます。
副題1、『命名権というあやしい商売を、信じていない私』
副題2、『今季の鎌倉市長選では、筆頭人気は渡辺光子さんだったと思っているが、彼女はなぜ、落選をしてしまったのか。その原因をここで推察をしたい』
副題3、『え、39歳の市長が、由比ヶ浜の命名権を4800万円で売るのですか? その人物は何者ですか?』
副題4、『それを豊島屋(鳩サブレーで有名です)さんが、1200万円で買ったそうです』
副題5、『豊島屋の、前社長はとてもい方ですが、私は、別に、頼るつもりはありません。でも、それを、信じていないのが、伊藤玄二郎一派なのでしょう』
副題6、『その頃の私は、実は、オーラに満ちていたのです。それを言ってはおしまいですがね(笑)』
~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『命名権というあやしい商売を、信じていない私』
私は、昔から、広告というものをあまり信じていません。それから、商売の中で、実体のある商品を売っていない商売というものも信じていないのです。その最もひどいものは、炭酸ガス商法です。これって、一種のだましであり、それによって、また、日本からお金を吸い上げようという悪だくみだと思っています。
そんな、壮大な仕組みは無いものの、最近、商売のタネになっている命名権というのも、いやらしい仕組みだと思って信じておりません。ただ、野球場で、ホームとして、そこを、使っている球団の親会社が、命名権を買って、その球場に、自分の球団の名前を付けるのは仕方がないかなあ?
とは、思っています。
しかし、ある日、NHKの地方ニュースで、鎌倉市では、由比ヶ浜、材木座海岸、もうひとつどこだかの命名権を4800万円で売ると、知らされてびっくり仰天です。
「なんですか? それって」と、怒りに震えました。どうして怒ったかというと、それは、太古からそこに存在している自然物であって、そこに、新たな名前、特に企業名を付けるなど、言語道断の発想だからです。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『今季の鎌倉市長選では、筆頭人気は渡辺光子さんだったと思っているが、彼女はなぜ、落選をしてしまったのか。その原因をここで推察をしたい』
私は現在の鎌倉市長、松尾たかしという人物について、その日までは、一切を知りませんでした。年齢さえ知りませんでした。どうしてかというと、その人物は、江田憲司氏の秘書をしていたそうですが、別に、鎌倉駅頭で、、街頭演説をしているのを、聞いたこともないし、普段から街宣車を流すという事もなかったからです。反対に、長島一由という元テレビマンと言う青年は、常に、街頭宣伝車を流していて、知名度とか、露出度があります。
その期の鎌倉市長選ですが、一般人の見るところ、市民ネットを母体としていて、法政大学の大学院を出ていて、かつ、仙台市で、市行政実務の経験がある、渡辺光子さんが当選するだろうと、大方の市民は思っていたでありましょう。私もそう思っておりました。
私は、北鎌倉の浄智時を、活動拠点としている、匠の会(夜、二時間ぐらい会合があって、そのあとで、飲み会のあるプチ文化人の集い)で、渡辺光子さんとは既に、接していて、ちょっと、気張ったり意地を張ったりするところもあるが、女性とは、きわめて珍しい公明正大さを持っていて、好ましい人物だと思っておりました。
この、女性としては珍しいと言っているのは、いつもご近所問題に悩まされているからです。活発に活動している主婦が、10人もいない地域(=せまい谷)に、住んでいるのですが、そこで、ボス顔をしている数人の主婦の、まるで、中学校のいじめ社会と同じような生活手法に悩まされきっていて、経済的な損失にまで、それが発展をしていたからです。
で、本来なら、渡辺光子さんに票を入れるはずでしたが、彼女の選挙カーが数多いし、一瞬の休みも無く、この鎌倉中で、がなり立て、それがあまりにもうるさいので、つい、嫌悪感を持ってしまい、投票所に行きませんでした。で、まさか私一人の票が失われただけで、落選したとは思いませんが、多くの鎌倉市民が、彼女の選挙カーのあまりにもうるさいのに、私と同じように嫌気がさして、票を入れなかった可能性は高いです。で、落選をしました。
これは、伊藤玄二郎一派(+、その頃は表向きにも生きていた井上ひさし)が、私が本を出版することに関して、すさまじいレベルで、音による妨害を続けていて、その一環として、そうするように、裏から、勧められていたと推察しています。渡辺光子さん陣営では、選挙カーのうぐいす嬢などが、その真の目的は、知らされていたかどうかを知りません。
だが、人員やお金の援助も受けていたでしょう。で、結果として落選したら、すぐ、仙台市の副市長に横滑りのいすが用意されていました。生きている時代の井上ひさしは、仙台市に関しては、帝王と言ってよいほど、強い影響力を持っていて、仙台市も宮城県の、彼の言うなりに動いていたと思います。無論、渡辺光子さんには、能力はあります。だけど、一時期、市行政から離れていたそうです。
北鎌倉で、地域市民活動に参加することができるし、その会に、おべべで、参加なさるほど優美な主婦でもいらっしゃるのですから、その時期は仙台にはいなかったわけですね。また、鎌倉市長選の時期、+その準備時期には、必ず、鎌倉市に住んでおられたわけですから、仙台からは、絶対に離れていたのです。それが、急に、仙台市の副市長となるという事は、仙台市役所内では、違和感を持っている人も多かったと思いますよ。男性の課長や部長の中には、『え、どうして、そんな人事に、なるの?』と思った人物もいるでしょう。
私は、別に渡辺光子さんに、個人的な恨みはありません。が、そういう特権をすぐ示す、井上ひさしに対する深い嫌悪感から、これを書いています。最近私の身辺で起きている、異常な事態、====被害者であるこちら側が、加害者である側の前田祝一氏から、「刑事訴訟を起こしてやる」と恫喝されたのも、
お隣の奥様を巻き込んだ壮麗な芝居の一つであって、例のごとく、いまだ、実際には生きていて、地下潜行をしている井上ひさしの案(脚本)に基づいているのではないかと思っているので、そういう人物であるという事で、渡辺光子さんの仙台市、副市長就任を、ここで取り上げております。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『え、39歳の市長が、由比ヶ浜の命名権を4800万円で売るのですか? その人物は何者ですか?』
私としては、松尾たかし、現市長は、「どうして、市長に選任されたのだろう?」と思うほど、知名度の低い人と見えました。
今般、そんな、ひとが、NHKニュース(ただし、地方ニュースではあったが)に突然出て来て、「由比ヶ浜の命名権を、4800万円で売ります」と言ったので、びっくり仰天をして、
初めてグーグル検索をしてみました。すると、非常に驚いたことに、2チャンネルのまとめがあって、このときの選挙について、裏側を暴いたものがありました。
それは、グーグルで、鎌倉市長と入力をして検索を開始すると、7番目に出てくるもので、URLを
http://www.logsoku.com/r/mayor/1254018014/
と、しているものです。
いや、それだけを信じては、いけませんが、私が偶然、その期の鎌倉市長選に投票に行かなかったのは正解だったらしくて、渡辺光子さんも、松尾たかしさんも、評判の悪い事、悪い事。驚くほどの悪口を言われています。そしてそこにある事実も「そうだったのですか? それは知りませんでした」という事ばかりです。驚きました。渡辺さんも、県議の経験がありと公称していたそうですが、大変短い期間だったそうです。松尾さんに至っては、市民を徹底的に、こ馬鹿にしている日常が、暴露されています。
で、それを再現する事はやらないで置きますが、
39歳の松尾たかし市長は、それを読む以前から軽い感じがしています。そんな人が突然に、市民税を注いだ過去もない、しかも、建物でもない、由比ヶ浜・他・三か所の名所の命名権を売るなどと発言をしていたとは、微塵も知らず、本当に仰天をしました。
私はご近所では静かにしていますが、これでも、結構顔が広いのです。その私に、この件の、批判が入ってきていないのはおかしいですね。
でね、きちんと考えて行って、これもまた、伊藤玄二郎たちの発案である、一種の作られたニュースであろうと思いました。
何が目的か?
無論のこと、私に、ブログを書くのを、止めさせる事が目的ですが、相当に間接的なものです。だが、確信はあります。そして、そこで、書く事はまさしく、正解でしょう。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『それを豊島屋(鳩サブレーで有名です)さんが、1200万円で買ったそうです』
結局、このニュースの眼目は、『豊島屋さんが、それを4800万円ではなく、1200万円で買い、海岸の清掃などの費用に充てる事になった』と言う後半の部分を強調する事でした。で、それを表に出すために、「4800万円の命名権を売り出していた」というニュースの方も後付けに近い形で、作り出されたと感じています。
NHKに言わせると、・・・・・4800万円でオークションに近い形で、入札を募集していたが、4800万円で、買った人はおらず、結局のところ、豊島屋さんが、1200万円出して、命名権を買った。だが、豊島屋さんは、由比ヶ浜の命名権を、執行する事は無く、もとのまま、由比ヶ浜と、材木座海岸として残し、その清掃用の費用として、1200万円を拠出するとの事で、現在の豊島屋さんの社長が登場しました。
その人は、私の知っている豊島屋の社長さんではありませんでした。私の知っている社長さんの、弟さんか、息子さんだと思われました。
で、私に、すぐ分かった事は、・・・・・は、はーん。これは鎌倉市長、松尾たかし氏に、院政を敷いている、伊藤玄二郎が、私に、「お前、豊島屋の社長を頼っても駄目だぞ。豊島屋の社長は、こっちの味方なんだ」と言いたいわけですね・・・・・と、理解したわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『豊島屋の、前社長はとてもい方ですが、私は、別に、頼るつもりはありません。でも、それを、信じていないのが、伊藤玄二郎一派なのでしょう』
私が豊島屋の前社長に、初めて出会い、感銘深いお話を聞いたのは、2003年の3月16日の事でした。場所は、現在、その名前をきららというビルの中です。それは、旧名を中央公民館と言い、駅から、一分の距離にある、カルチューセンター兼、音楽ホール(500人収容)と、ギャラリーを兼ねたビルです。
今は大船の旧松竹撮影所跡地に、芸術館という、より、大きなホール(大ホールは、1500人収容。ほかに、小ホールがある)と付属のギャラリーができたので、こちらが中央公民館と、呼ばれる事が無くなったのですが、アクセスはこちらの方が便利なので、こちらで、開かれている催し物は多いのです。
そして、一階のロビーが広いので、そこで、バザーや物産展も開かれます。その日は屋内に、豊島屋が、ホテルの宴会場のパーティでよく見る、屋台を出していて、和菓子作りの実演をしていました。その職人に、指導をしておられる様子に驚いたので、私の方から話しかけたのです。
~~~~~~~~~~~~~
副題6、『その頃の私は、実は、オーラに満ちていたのです。それを言ってはおしまいですがね(笑)』
その頃の私と言ったら、パリで、三カ月芸術修行をしていて(1998年)、その後、ニューヨークの三か月の修行を2回(1999年、と、2000年)を経ていました。しかも、2001年には、短期ですが、また、ニューヨークへ行って個展をして来ました。また、メルマガも、非常に評判が良くて、あたりを幸いなぎ倒すという感じで、ありとあらゆる人を惹き付けていたのです。
その頃も、今書いているような嫌な事、安野夫人や、前田夫人のいじめとか、は、あったのですよ。自宅付近では、大変な時期でもありましたが、そんな事は一切気にも止めませんでした。前向き、前向きで、美しい事ばかり身近においていました。
それで、麻布十番で、夜、六本木ヒルズを探そうとして、わからないので、あたりにいる人に聞いたら、その人は麻布十番でお店を経営している都会人中の都会人でしたが、「あなた、外人?」と、質問をしてくれたあとで、大いなる好意を示してくれて、麻布十番から、15分を掛けてわざわざ六本木ヒルズまで、連れて行ってくれたほどです。
これは、夜だったから、私が美人ではない事が見えなかったとしても、後日、山手線の車中(それは明るい場所です)で、若い日本人女性から、「あなたは、フランス人ですか?」と質問をされた事があります。まったく扁平な顔をしているのですよ(笑)。彫りは深くないです。
それを言ってはおしまいだと思いますが、その頃の私は自分がだれの事をも、引きつけると言う事を信じて疑いませんでした。
実はマスコミ有名人からも、軒並み、おほめの言葉をいただいていました。だが、今回の、豊島屋の社長さんのケースと同じく、陰惨な方法で、仲を割かれると思うので、語りません。それに、自分から、自分が他人を引き付けるところがあるのだと言ってはおしまいですが、手相には、その手のしるし、星とか、超愛線とか、人気がある事を示す線とかが、出ているのです。
そういうわけで、その2003年3月16日、私は、豊島屋の社長さんと、大変意味のある会話を交わしたのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~
副題7、『豊島屋の社長さんは、複雑な多重な生活をしている人で、実は私も、そうです。それゆえ、琴線があったのでしょう』
主人が一回、紀伊国屋と言う、高い値段で、いいものを売っている事で、有名なスーパーの中で、「豊島屋の社長が、お供を連れて、買い物をしていらしたが、まったく物の選別(=お金の事)を、気にしていないみたいだった」といった事があります。
引き比べて、私たち夫婦は、本日子供に招かれて辻堂に入って来たのですが、そこに、最近とても元気だと言われている、アール元気というスーパーがあります。そこで、いろいろ買い物をしたのですが、四千円以内で済んだので、びっくりしました。
同じ量を鎌倉のユニオンというスーパーで買えば、八千円を超えると思うし、紀伊国屋で買えば、一万五千円を超えるでしょう。もし、紀伊国屋で、一匹ものの、鮮魚でも、かごに入れれば、二万円を軽く超えると思います。
そういう場所で、何も気遣わず、お供に、あれこれ、無言で指示を出しておられる、豊島屋の前社長さんが、どんなに権威に満ちていることか?
それは、上にあげた、旧中央公民館での、屋内用飾り屋台の中で、職人に指示を出している豊島屋の社長さんの姿に、はっきりと、見てとる事が出来ました。
しかし、普通のお客に向かう姿勢は、非常に低いです。低姿勢です。一方で、鎌倉を離れてアメリカで、イサム野口とお食事を一緒にする時の、前社長は、おぼっちゃまそのものです。ともかく、悪い意味ではないが、複雑で、多重なペルソナを持っているのが、豊島屋の前社長です。
一方の私ですが、実は豊島屋の前社長と同じく、複雑で、多重な生活態度をとる人間です。そこが、ぴったりと合って、いわゆる琴線が合うという状態になり、非常に重要な会話を交わす事が出来ました。
すみませんが、ここで、本日、14日は書くのを終りとさせていただきたいと存じます。実は、その時の会話を記録した文書データが、パソコンが、最近壊れたので、探すのが大変で、続きは、あすから再開をさせていただきたいと思います。恐れ入りますが、よろしく。
ここが、今書いている最先端です。