副題1、『山崎直子さんのインタビュー記事が日経にありました』
副題2、『なぜ、直子さん、直子さんと、私が、なれなれしく呼ぶのか?』
副題3、『山崎直子さんは、鎌倉市内では、リラックスしている模様だ』
副題4、『売るつもりの元の家で、チェーンソーを振り回したので、睡魔が、ここで襲ってきた』
副題5、『山崎直子さんに、誕生星座を質問してみる。彼女は、山羊座生まれです』
~~~~~~~~~~~~
副題1、『山崎直子さんのインタビュー記事が日経にありました』
2913年6月14日の日経新聞朝刊に、山崎直子さんへインタビューした署名入りの記事が、ありました。残念ながら、それは、すでに、古新聞回収に出してしまってあるので、インタビューアーの名前は今は、わからないのです。だが、そこにはある秘話が入っていて、今、政府から委嘱された講師として、全国で、講演行脚をしている直子さんの『普段の講演では、披露をされない話だろう』と推察しています。
その秘話の内容は後で語りますが、その記事を読んだときに、ふと、かんぐりました。『あれ、これって、私がすぐ、直子さんの講演について、ブログを書くと、予測をされていて、先回りをして、私のブログより、高度で、読み甲斐のある文章として、これが、セッティングをされたのではないか』と。
いや、『それは、ひねくれすぎていますね」と、お考えの向きもあろうかと存じますが、私はたまたま、その記事の前日、直子さんの講演を鎌倉で、聞いているのです。むろん、肉声でです。会場は婦人子供会館で、聴衆は、100人前後です。

文章が短いので、サービスに写真をつけます。鎌倉の我が家のベランダにまとわり着く、むべ(小さい種類のあけび)の花です。去年のものです。
で、例の敵さんたちが、てぐすね引いて、待っていて、『彼女(=雨宮舜)の書く文章の鼻を明かしてやろう』と、考えたとすれば、この秘話が、日経新聞にだけ、出て来てもおかしくないと感じました。
今、私は日経新聞を取っています。これは、緩やかな攻撃ではありますが、NHKニュースを用いて、脅かしや弾圧が行われるのと同一の手法です。それが今日経新聞で、主に行われるのは、朝日新聞が我が家に来ないからでしょう。
2年ぐらいまえまで、4年間ほど、朝日新聞がただで、配布されていました。平行して、お金を出して、日経新聞は取っていました。そのころは、主に朝日新聞に同種の傾向を持つ記事が出ていましたが、今は、朝日新聞が無料で配布されることが無いので、朝日新聞の内容は、私は知りません。
だが、直子さんの講演を聴いて帰ってきた直後に、私が、書いたのは講演会の記録ではなくて、、
『鳩サブレーで有名な、豊島屋さんが、1200万円で、由比ヶ浜の命名権を買ったですと?』 2013-06-14 17:56:16 | 政治
であって、高度に政治的な文章でした。次もそうでした。もしかしたら、例の敵さんたちは、私が、直子さんの日経新聞の記事を読んで、負けたと感じたから、その講演をブログに記録しなかったと考えるかしら?
うーん、それについて、読者の皆様ではなくて、例の敵さんたちに向かってご返事をいたします。
私は、日経新聞の記事については、「何もしりませんでした」と、こたえましょう。「それを知ったのは、18日過ぎに、主人に注意された後でした」とも答えておきましょう。
~~~~~~~~~~~~
副題2、『なぜ、直子さん、直子さんと、私が、なれなれしく呼ぶのか?』
というわけで、今、我が家では、日経新聞を取るのは取っているのですが、私の方は、忙しくて、まったく読んでいる暇が無いのです。NHKニュースとネットニュースが、主に、弾圧用に使われますので、そちらを点検するのに忙しくて、新聞を読む暇が無いのです。
その種のニュースとは、たとえば最近では子宮頸がんワクチンが、一例として挙げられます。いったん勧奨をやめると発表をされ、『良かった。自分が鎌倉近辺問題について、深い内容で、重い文章を書いていることが、別の方向で、国政を正した』とこのブログで書くと、再び、あこれこれ、ワクチン投与を、再開したい旨のニュースが、NHKに、出てきます。
で、日経新聞の記事の事は何も知らないで、18日ごろ、主人に向かって、「ねえ、あなた、直子さんがね。どうして、こうして」と、話しかけていたら、{直子さんって、だれ?」と主人が言うのでした。そういえば直子さんと言う知人は、我が家にはいろいろ有って、彼がどの直子さんについて、私が話しているか、迷ったのもわかります。
でも、私は13日の外出前に、ちゃんと、「山崎直子さんの講演を聴きに行きますよ」と、断って出たので、結構驚いて、「あら、いやだ。直子さんって、宇宙飛行士の山崎直子さんのことよ」と答えました。が、すぐ、『ああ、そうか、外部の人には、このなれなれしさは、違和感があるのだな』と気がついたのです。実は山崎直子さんと、私は高校が一緒です。
御茶ノ水女子大付属高校の先輩と後輩の関係です。その高校は、規模が小さくて、かつ卒業生が、鎌倉にはたくさん住んでいます。それで、同窓会活動が鎌倉支部では、盛んであって、直子さんは、私以外の卒業生からも「直子さん」と呼ばれる存在なので、つい、その癖が自宅でも出ました。それを聞いた後で、主人が、「そうか。お前の言った事はそっくり、同じことが日経新聞に出ているよ」と言うので、やっと、四日後にその記事を読んだのでした。そして、直後の古新聞回収にすでに、出してしまってあります。
読むと確かに、違う話もありました。中学校時代の先生との交流は、鎌倉の講演会には出なかった部分です。山崎直子さんは、中学時代の先生に大きな影響を受け、またその先生が、すでに亡くなっているので、余計に思い出が美しく感じられるようでした。
~~~~~~~~~~~~
副題3、『山崎直子さんは、鎌倉市内では、リラックスしている模様だ』
13日の方ですが、山崎直子さんは、とても、リラックスして話を進めました。今、彼女はJAXAをやめ、政府の宇宙専門の広報担当者として、全国を講演をし歩いているみたいなので、お話にはなれていると思われました。が、それ以外にも理由があって、、彼女は今は、鎌倉市民なのでした。それは、私は、今までは、知りませんでした。
特にお子さんが二人有って、小さい方は、保育園に行っていて、大きい方は、横浜国立大学の付属小学校に、通っているとの事です。
鎌倉にすむ女性にとっては、生活する上で、二つの依存すべきと言うか、そこに集合すべきと言うかの柱があります。ひとつが婦人子供会館であって、もうひとつが、横浜国立大学の付属・鎌倉・小学校と付属・鎌倉・中学校です。私のおじは、そこを、戦前に出ていますが、私は、最近の30年間で、鎌倉市民になった人間なので、子供も、自分も付属、鎌倉小学校とか、付属鎌倉中学校とは、縁がありません。尚、私のブログに良く出てくる藤本夫人も、この付属鎌倉小学校、または、中学校で、PTAの会長をしていたそうです。
神奈川県には、旧制の師範学校が、男子と女子と二つあり、それぞれ、所在地が分かれていて、男子が鎌倉、女子は、横浜本牧の方にあったのです。私は女子の方の付属中学を卒業しています。だが、そちらの中学校も本牧の立野から、弘明寺(旧制でいう工学部があったところ)に引っ越しています。
ところで、ちょっと話は変わりますが、鶴岡八幡宮の東隣に、旧制時代から建っている寮があって、そこで、高歌放吟する男子学生が、私が引っ越してきた直後1980年代から、1990年代までには、まだ居て、それが、真夜中、八幡宮を通り越して、聞こえてきたものですが、今は、取り壊されています。
そういうわけで、山崎直子さんは、この鎌倉に、たくさんの、ママともが居るわけでした。で、それもあって、とてもリラックスした話しぶりだったのです。
~~~~~~~~~~~~
副題4、『売るつもりの元の家で、チェーンソーを振り回したので、睡魔が、ここで襲ってきた』
ここで、2300字です。ところで、これではあまりにもつまらない文章ですよね。すこし加筆をする予定がありますが、今は、できず、お待ちくださいませ。昨日北久里浜で、植木の剪定と言う重労働をしてきたので、その疲れが、今頃出てきています。恐れ入りますが、お待ちくださいませ。
そこは、30年前まで住んでいた家で、今から売ろうとしているのですが、30年間、そこに賃貸物件として住んでいた人たちが、植木の手入れをしてくれていないので、まるで眠り姫の城状態になっています。
しかし、私にとっては、今住んでいる場所では無いので、脚立が無いのです。チェーンソーは、鎌倉から、リュックサックに入れて、もって行ったのですが、脚立が無い。それで、割れたブロックを二つ積み上げて、足場を作ったりして、その上で、チェーンソーを振り回したのですよ。チェーンソーって、普通でも、危ないものなのです。それを足場の不安定な場所で振り回すわけですから、信じがたいほど、疲労してしまいました。
なぜ、主人に任せないかと言うと、主人は「その剪定は、買った人に任せればいい」という考えです。そこは、きれいな形の60坪なので、建売物件を作る目的で、買う人(不動産会社か、工務店)が居たら、植木類はたとえ、5mの高さがあろうとも、すべて、ブルドーザーで、古家とともに伐採をされてしまうのだから、今、持ち主側が切る必要は無い」という考えです。だが、私は売る側として、できるだけきれいに、見えるようにしたいのです。
だからがんばっています。もちろん、業者に任せれば簡単ですね。だが、木持邸を買い損ねた、件で、小額とはいえない違約金をとられていますので、ここは20から30万円は、節約しようと、決意しているのです。
この間まで、その物件を含めて、合計40件の物件を見続けてきたわけですからね。そのシヴィアな目から、見ても、美しく見えるように整えたいのです。
ブログを、2300字で中断するなどめったに無いことですが、今日は、ここで、恐れ入ります。
**************
で、10時間寝て、以下を加筆をさせていただきました。
副題5、『山崎直子さんに、誕生星座を質問してみる。彼女は、山羊座生まれです』
婦人子供会館に、山崎直子さんが、所属する資格があると、私は、言っていますが、直子さんは、今のところ、JAXAは、辞めたものの、政府の広報マンとして、100%のキャリアウーマンらしくて、実際のところ、婦人子供会館に足を運ぶのは、講演者としてスピーチをする場合だけでしょう。それが、この2013年は、4月と、6月と二回あったわけです。
一回目の4月は、お茶大付属高校の卒業生の資格で、お話をして、二回目の6月は、付属小学校PTAの会員の資格で、お話をされたのです。両方重なって出た人は少ないはずです。が、お話の内容は同じだったと思います。
私は4月の方に出席の資格があったので、申し込んでいたのですが、実際には、出席できなくて、ほとんどあきらめていたのですが、「二回目のほうに、まだ少しあきがあるので、どうぞ」と、言うお話があり、二回目に参加させていただきました。
私は講演と言うものは、聞いていないように他者には、見せていながら、非常に深く聞く人間で、主役を恐れ入らせるほど、内容を深く把握した上で、質問をするのを趣味としていました。いえ、趣味と言うのは語弊があります。むしろ、本当のことを言って、生きがいとしていたといったほうが正しいです。
それは、いつも言っているように、鑑賞するよりも、創作する方が、よいと言う信念があり、聴衆として、講演を聴く場合は、鋭い質問をするのが、創作に当たると考えていたからです。
ところが、これが女性だけの集まりでは、なかなか、厄介な事らしいのです。目立ちすぎるとかあってね。それで、先輩たちに、疎まれた過去もあります。ここで、先輩と言うのは、学校時代の先輩も含まれるが、ある組織とか、団体があった場合、先にメンバーだった人と言うのも含まれます。
団体展を構成する美術団体など、特にそうでした。あ、大変な苦労をそこでもいたしましたね。ただ、こういう苦労は、学ぶことを大切に思う、ある一定以上のレベルの女性にとっては、誰にでも訪れる苦労のひとつです。
だけど、疎まれても、嫉妬されても、私は、講演を聞くというのは、そういう風にしたほうがいいという信念があって、長らく鋭い質問を放つ人ではありました。
ところが、今回の山崎直子さんの講演に関してだけは、そういう従来の方法を取りませんでした。これには政治的な深いわけがあるのですが、それとともに、年を取ってきたということもあります。
まだ、40代の直子さんは、本当にぴちぴちとしていて、若いです。それに比べれば、70歳の私は、残念ながら、見かけも中身も、本当におばあさんです。で、功を譲るという気持ちが深く沸いて、
いつもの信念をはずした、すっとぼけた質問をしました。まるで、馬鹿みたいな質問です。
「直子さんは、星座はなんですか?」と。山崎直子さんは、東大の宇宙工学科を卒業して大学院も、同じ科目で、研究を続けた、科学者です。占いなど信じない人でしょう。そういう人に向かって、西洋星占いで言う、星座を聞いてみるとは、本当にばかげた質問です。
でもね。『それを聞いて、彼女が眉をひそめることは無いだろう』という、確信を持っていました。それ以前の、一時間の話から、彼女が相当に多面的な人であり、いわゆる練れた人であることを知り始め、この質問を馬鹿にすることは無いだろうという、確信があったのです。ただ、聴衆はどよめきました。『ちょっと、はずしすぎではないの』と言う無言の批判は感じましたね。
しかし、彼女は、私の予想通り、嫌がることも無く、すぐ、「山羊座です」と答えてくれました。で、私も瞬間的にフォローをして、「そうですね。準備期間のことを考えると、山羊座さんで、なるほどと思いました」と、一種のほめ言葉をささげました。
と言うのも華やかに見える、成功(宇宙へ実際に飛び立って、しかも、無事に帰還をした)の影に、9年間の待機の期間をはじめとして、種々の不安や懸念を持ちながら、ただ、ひたすら耐える時間もあったというお話でしたから。
東大を受験するという勉強方法も忍耐の塊が、必要だと、皆様ご存知でしょうし。
さて、この文章は、次の、文章、
山崎直子 → 宇宙工学 → 中谷家 → 私のアジサイ畑欺もう事件被害
へ、続きます。今、そちらの方を、整理推敲中です。で、そちらは、いったん引っ込めておきました。と言うのもそちらは、大変に内容が重いものとなっています。だが、自分にとっては、書くことの必然性がありますので、書きました。そして、それは、従来では、書いたり公開する時に、邪魔されるはずの文章なので、一気呵成に初稿を書き、妨害をされないことを目的にして、すぐ、公開してます。だが、それだけに、整理推敲するのに、時間がかかります。
後刻(または、後日)の再アップをお待ちくださいませ。
2013年6月19日に初稿を書き、22日に推敲を終える。
雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
なお、このブログの2010年から数え始めた延べ訪問回数は、1674119です。
副題2、『なぜ、直子さん、直子さんと、私が、なれなれしく呼ぶのか?』
副題3、『山崎直子さんは、鎌倉市内では、リラックスしている模様だ』
副題4、『売るつもりの元の家で、チェーンソーを振り回したので、睡魔が、ここで襲ってきた』
副題5、『山崎直子さんに、誕生星座を質問してみる。彼女は、山羊座生まれです』
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副題1、『山崎直子さんのインタビュー記事が日経にありました』
2913年6月14日の日経新聞朝刊に、山崎直子さんへインタビューした署名入りの記事が、ありました。残念ながら、それは、すでに、古新聞回収に出してしまってあるので、インタビューアーの名前は今は、わからないのです。だが、そこにはある秘話が入っていて、今、政府から委嘱された講師として、全国で、講演行脚をしている直子さんの『普段の講演では、披露をされない話だろう』と推察しています。
その秘話の内容は後で語りますが、その記事を読んだときに、ふと、かんぐりました。『あれ、これって、私がすぐ、直子さんの講演について、ブログを書くと、予測をされていて、先回りをして、私のブログより、高度で、読み甲斐のある文章として、これが、セッティングをされたのではないか』と。
いや、『それは、ひねくれすぎていますね」と、お考えの向きもあろうかと存じますが、私はたまたま、その記事の前日、直子さんの講演を鎌倉で、聞いているのです。むろん、肉声でです。会場は婦人子供会館で、聴衆は、100人前後です。

文章が短いので、サービスに写真をつけます。鎌倉の我が家のベランダにまとわり着く、むべ(小さい種類のあけび)の花です。去年のものです。
で、例の敵さんたちが、てぐすね引いて、待っていて、『彼女(=雨宮舜)の書く文章の鼻を明かしてやろう』と、考えたとすれば、この秘話が、日経新聞にだけ、出て来てもおかしくないと感じました。
今、私は日経新聞を取っています。これは、緩やかな攻撃ではありますが、NHKニュースを用いて、脅かしや弾圧が行われるのと同一の手法です。それが今日経新聞で、主に行われるのは、朝日新聞が我が家に来ないからでしょう。
2年ぐらいまえまで、4年間ほど、朝日新聞がただで、配布されていました。平行して、お金を出して、日経新聞は取っていました。そのころは、主に朝日新聞に同種の傾向を持つ記事が出ていましたが、今は、朝日新聞が無料で配布されることが無いので、朝日新聞の内容は、私は知りません。
だが、直子さんの講演を聴いて帰ってきた直後に、私が、書いたのは講演会の記録ではなくて、、
『鳩サブレーで有名な、豊島屋さんが、1200万円で、由比ヶ浜の命名権を買ったですと?』 2013-06-14 17:56:16 | 政治
であって、高度に政治的な文章でした。次もそうでした。もしかしたら、例の敵さんたちは、私が、直子さんの日経新聞の記事を読んで、負けたと感じたから、その講演をブログに記録しなかったと考えるかしら?
うーん、それについて、読者の皆様ではなくて、例の敵さんたちに向かってご返事をいたします。
私は、日経新聞の記事については、「何もしりませんでした」と、こたえましょう。「それを知ったのは、18日過ぎに、主人に注意された後でした」とも答えておきましょう。
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副題2、『なぜ、直子さん、直子さんと、私が、なれなれしく呼ぶのか?』
というわけで、今、我が家では、日経新聞を取るのは取っているのですが、私の方は、忙しくて、まったく読んでいる暇が無いのです。NHKニュースとネットニュースが、主に、弾圧用に使われますので、そちらを点検するのに忙しくて、新聞を読む暇が無いのです。
その種のニュースとは、たとえば最近では子宮頸がんワクチンが、一例として挙げられます。いったん勧奨をやめると発表をされ、『良かった。自分が鎌倉近辺問題について、深い内容で、重い文章を書いていることが、別の方向で、国政を正した』とこのブログで書くと、再び、あこれこれ、ワクチン投与を、再開したい旨のニュースが、NHKに、出てきます。
で、日経新聞の記事の事は何も知らないで、18日ごろ、主人に向かって、「ねえ、あなた、直子さんがね。どうして、こうして」と、話しかけていたら、{直子さんって、だれ?」と主人が言うのでした。そういえば直子さんと言う知人は、我が家にはいろいろ有って、彼がどの直子さんについて、私が話しているか、迷ったのもわかります。
でも、私は13日の外出前に、ちゃんと、「山崎直子さんの講演を聴きに行きますよ」と、断って出たので、結構驚いて、「あら、いやだ。直子さんって、宇宙飛行士の山崎直子さんのことよ」と答えました。が、すぐ、『ああ、そうか、外部の人には、このなれなれしさは、違和感があるのだな』と気がついたのです。実は山崎直子さんと、私は高校が一緒です。
御茶ノ水女子大付属高校の先輩と後輩の関係です。その高校は、規模が小さくて、かつ卒業生が、鎌倉にはたくさん住んでいます。それで、同窓会活動が鎌倉支部では、盛んであって、直子さんは、私以外の卒業生からも「直子さん」と呼ばれる存在なので、つい、その癖が自宅でも出ました。それを聞いた後で、主人が、「そうか。お前の言った事はそっくり、同じことが日経新聞に出ているよ」と言うので、やっと、四日後にその記事を読んだのでした。そして、直後の古新聞回収にすでに、出してしまってあります。
読むと確かに、違う話もありました。中学校時代の先生との交流は、鎌倉の講演会には出なかった部分です。山崎直子さんは、中学時代の先生に大きな影響を受け、またその先生が、すでに亡くなっているので、余計に思い出が美しく感じられるようでした。
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副題3、『山崎直子さんは、鎌倉市内では、リラックスしている模様だ』
13日の方ですが、山崎直子さんは、とても、リラックスして話を進めました。今、彼女はJAXAをやめ、政府の宇宙専門の広報担当者として、全国を講演をし歩いているみたいなので、お話にはなれていると思われました。が、それ以外にも理由があって、、彼女は今は、鎌倉市民なのでした。それは、私は、今までは、知りませんでした。
特にお子さんが二人有って、小さい方は、保育園に行っていて、大きい方は、横浜国立大学の付属小学校に、通っているとの事です。
鎌倉にすむ女性にとっては、生活する上で、二つの依存すべきと言うか、そこに集合すべきと言うかの柱があります。ひとつが婦人子供会館であって、もうひとつが、横浜国立大学の付属・鎌倉・小学校と付属・鎌倉・中学校です。私のおじは、そこを、戦前に出ていますが、私は、最近の30年間で、鎌倉市民になった人間なので、子供も、自分も付属、鎌倉小学校とか、付属鎌倉中学校とは、縁がありません。尚、私のブログに良く出てくる藤本夫人も、この付属鎌倉小学校、または、中学校で、PTAの会長をしていたそうです。
神奈川県には、旧制の師範学校が、男子と女子と二つあり、それぞれ、所在地が分かれていて、男子が鎌倉、女子は、横浜本牧の方にあったのです。私は女子の方の付属中学を卒業しています。だが、そちらの中学校も本牧の立野から、弘明寺(旧制でいう工学部があったところ)に引っ越しています。
ところで、ちょっと話は変わりますが、鶴岡八幡宮の東隣に、旧制時代から建っている寮があって、そこで、高歌放吟する男子学生が、私が引っ越してきた直後1980年代から、1990年代までには、まだ居て、それが、真夜中、八幡宮を通り越して、聞こえてきたものですが、今は、取り壊されています。
そういうわけで、山崎直子さんは、この鎌倉に、たくさんの、ママともが居るわけでした。で、それもあって、とてもリラックスした話しぶりだったのです。
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副題4、『売るつもりの元の家で、チェーンソーを振り回したので、睡魔が、ここで襲ってきた』
ここで、2300字です。ところで、これではあまりにもつまらない文章ですよね。すこし加筆をする予定がありますが、今は、できず、お待ちくださいませ。昨日北久里浜で、植木の剪定と言う重労働をしてきたので、その疲れが、今頃出てきています。恐れ入りますが、お待ちくださいませ。
そこは、30年前まで住んでいた家で、今から売ろうとしているのですが、30年間、そこに賃貸物件として住んでいた人たちが、植木の手入れをしてくれていないので、まるで眠り姫の城状態になっています。
しかし、私にとっては、今住んでいる場所では無いので、脚立が無いのです。チェーンソーは、鎌倉から、リュックサックに入れて、もって行ったのですが、脚立が無い。それで、割れたブロックを二つ積み上げて、足場を作ったりして、その上で、チェーンソーを振り回したのですよ。チェーンソーって、普通でも、危ないものなのです。それを足場の不安定な場所で振り回すわけですから、信じがたいほど、疲労してしまいました。
なぜ、主人に任せないかと言うと、主人は「その剪定は、買った人に任せればいい」という考えです。そこは、きれいな形の60坪なので、建売物件を作る目的で、買う人(不動産会社か、工務店)が居たら、植木類はたとえ、5mの高さがあろうとも、すべて、ブルドーザーで、古家とともに伐採をされてしまうのだから、今、持ち主側が切る必要は無い」という考えです。だが、私は売る側として、できるだけきれいに、見えるようにしたいのです。
だからがんばっています。もちろん、業者に任せれば簡単ですね。だが、木持邸を買い損ねた、件で、小額とはいえない違約金をとられていますので、ここは20から30万円は、節約しようと、決意しているのです。
この間まで、その物件を含めて、合計40件の物件を見続けてきたわけですからね。そのシヴィアな目から、見ても、美しく見えるように整えたいのです。
ブログを、2300字で中断するなどめったに無いことですが、今日は、ここで、恐れ入ります。
**************
で、10時間寝て、以下を加筆をさせていただきました。
副題5、『山崎直子さんに、誕生星座を質問してみる。彼女は、山羊座生まれです』
婦人子供会館に、山崎直子さんが、所属する資格があると、私は、言っていますが、直子さんは、今のところ、JAXAは、辞めたものの、政府の広報マンとして、100%のキャリアウーマンらしくて、実際のところ、婦人子供会館に足を運ぶのは、講演者としてスピーチをする場合だけでしょう。それが、この2013年は、4月と、6月と二回あったわけです。
一回目の4月は、お茶大付属高校の卒業生の資格で、お話をして、二回目の6月は、付属小学校PTAの会員の資格で、お話をされたのです。両方重なって出た人は少ないはずです。が、お話の内容は同じだったと思います。
私は4月の方に出席の資格があったので、申し込んでいたのですが、実際には、出席できなくて、ほとんどあきらめていたのですが、「二回目のほうに、まだ少しあきがあるので、どうぞ」と、言うお話があり、二回目に参加させていただきました。
私は講演と言うものは、聞いていないように他者には、見せていながら、非常に深く聞く人間で、主役を恐れ入らせるほど、内容を深く把握した上で、質問をするのを趣味としていました。いえ、趣味と言うのは語弊があります。むしろ、本当のことを言って、生きがいとしていたといったほうが正しいです。
それは、いつも言っているように、鑑賞するよりも、創作する方が、よいと言う信念があり、聴衆として、講演を聴く場合は、鋭い質問をするのが、創作に当たると考えていたからです。
ところが、これが女性だけの集まりでは、なかなか、厄介な事らしいのです。目立ちすぎるとかあってね。それで、先輩たちに、疎まれた過去もあります。ここで、先輩と言うのは、学校時代の先輩も含まれるが、ある組織とか、団体があった場合、先にメンバーだった人と言うのも含まれます。
団体展を構成する美術団体など、特にそうでした。あ、大変な苦労をそこでもいたしましたね。ただ、こういう苦労は、学ぶことを大切に思う、ある一定以上のレベルの女性にとっては、誰にでも訪れる苦労のひとつです。
だけど、疎まれても、嫉妬されても、私は、講演を聞くというのは、そういう風にしたほうがいいという信念があって、長らく鋭い質問を放つ人ではありました。
ところが、今回の山崎直子さんの講演に関してだけは、そういう従来の方法を取りませんでした。これには政治的な深いわけがあるのですが、それとともに、年を取ってきたということもあります。
まだ、40代の直子さんは、本当にぴちぴちとしていて、若いです。それに比べれば、70歳の私は、残念ながら、見かけも中身も、本当におばあさんです。で、功を譲るという気持ちが深く沸いて、
いつもの信念をはずした、すっとぼけた質問をしました。まるで、馬鹿みたいな質問です。
「直子さんは、星座はなんですか?」と。山崎直子さんは、東大の宇宙工学科を卒業して大学院も、同じ科目で、研究を続けた、科学者です。占いなど信じない人でしょう。そういう人に向かって、西洋星占いで言う、星座を聞いてみるとは、本当にばかげた質問です。
でもね。『それを聞いて、彼女が眉をひそめることは無いだろう』という、確信を持っていました。それ以前の、一時間の話から、彼女が相当に多面的な人であり、いわゆる練れた人であることを知り始め、この質問を馬鹿にすることは無いだろうという、確信があったのです。ただ、聴衆はどよめきました。『ちょっと、はずしすぎではないの』と言う無言の批判は感じましたね。
しかし、彼女は、私の予想通り、嫌がることも無く、すぐ、「山羊座です」と答えてくれました。で、私も瞬間的にフォローをして、「そうですね。準備期間のことを考えると、山羊座さんで、なるほどと思いました」と、一種のほめ言葉をささげました。
と言うのも華やかに見える、成功(宇宙へ実際に飛び立って、しかも、無事に帰還をした)の影に、9年間の待機の期間をはじめとして、種々の不安や懸念を持ちながら、ただ、ひたすら耐える時間もあったというお話でしたから。
東大を受験するという勉強方法も忍耐の塊が、必要だと、皆様ご存知でしょうし。
さて、この文章は、次の、文章、
山崎直子 → 宇宙工学 → 中谷家 → 私のアジサイ畑欺もう事件被害
へ、続きます。今、そちらの方を、整理推敲中です。で、そちらは、いったん引っ込めておきました。と言うのもそちらは、大変に内容が重いものとなっています。だが、自分にとっては、書くことの必然性がありますので、書きました。そして、それは、従来では、書いたり公開する時に、邪魔されるはずの文章なので、一気呵成に初稿を書き、妨害をされないことを目的にして、すぐ、公開してます。だが、それだけに、整理推敲するのに、時間がかかります。
後刻(または、後日)の再アップをお待ちくださいませ。
2013年6月19日に初稿を書き、22日に推敲を終える。
雨宮舜 (本名、川崎 千恵子)
なお、このブログの2010年から数え始めた延べ訪問回数は、1674119です。