この一文ですが、結局は政治に入って行きます。映画論だけでは終わりません。
副題1、『気になって居た映画を、東劇の最終日に見てきました。夫婦の純愛を描いていて、パリテキサス以来、泣きました』
総タイトルに、あげた、二つの映画の違いはいろいろあります。しかし、100%のフィクションだと、思っていた、パリテキサスの方も、関係者の、実際のエピソードが反映をしているそうで、なるほどねえと、思います。筋の運びが、思いがけない方向に、想定外に進みますので。だから、二つとも、一種の実話を、描いたと、成ります。
そして、アメリカ映画ではないです。【しあわせの絵の具】は、制作サイドの関係者から考えると、カナダ・アイルランド合作映画であり、【パリテキサス】の方は、西ドイツ・フランス、合作映画です。だから、きめが細かいです。文芸映画として、心に響く、所があります。
むろん違いはあります。パリテキサスの方はラストで、大泣きをさせる劇的な盛り上がりがあります。こちらの方は、夫婦の、34年を超す、歳月を追っているので、じわじわと、にじみ出てくる涙です。でも、始まって、20分ごろから、もう、涙が出てきますよ。
主人公のモードは、見かけ上の障害があります。実際には、せむしとか、小人と言われかねない程の、小さな体で、のびやかに育っているとは、とても言えない体型であるうえに、リュウマチを患っていますので、節々が角ばってきていて、変形してきます。一方、【パリテキサス】の方は、美形の男女が、夫婦を演じます。妻は、ナスターシャ・キンスキーです。しあわせの絵の具の方は、サリーホーキンスと言う演技派(欧米人としては、信じられない程、やせている、かつ、美形とは言えない顔だろう)です。
本当のことを言うと、モードルイスの、実録映画って、成功した最後を知っているからこそ安心してみて居られる類のもので、もし、このまま、ただ、田舎に埋没しておわったら、気の毒で、見て居られないほどの、人生です。
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副題2、『途中で、夫が、<お前など、ストーヴを消してしまうじゃあないか。だから、駄目な人間だ>と、責めるところがある。この本当の意味が、本日、東劇に居た日本人の観客に判ったであろうか。76歳の、私には、はっきりと、その意味が、判ったが、?!?!?
モードルイス夫婦は、ガスもないし、電気も来ていないし、水道も来てない場所に、16平米の、小屋を建てて住んで居たのだ。ストーヴは、酷寒の地のカナダでの、暖を取るための必需品でもあるし、料理用ガスコンロでもあるのだ。そして、ストーヴをいったん消すと、再度、燃やすのには、時間がかかるのだ・・・・・この小屋だが、奄美大島で、最後を過ごした田中一村の住まいに似ている。』
私は、1942年生まれですから欠乏の、時代を知っています。また、水道のない時代も知っています。まあ、家の敷地内に、井戸は有ったのですが、船橋でも、井戸を使っていたが、日吉でも、東急の開発地ですが、最初は井戸でした。でも、モードの家には、井戸風の場所がないです。井戸とは、つるべがあるか、ポンプがあるもので、庭にそれがあると、結構目立つものですが、モードの家の周辺で目立つのは、鶏が、囲まれている場所ぐらいです。
この、モードが夫に叱られるところですが、私には、とても意味があると、見えました。夫は、孤児院で育った粗野(?)な人間です。いわゆるブルーカラーとしての育ちを持っています。妻の方は、心理的には、不幸な育ち方をしたとはいえ、中流家庭の育ちですから、デスクワーク(たとえば、絵を描く事)が、好きです。こういう処こそ、結婚の、些末な部分であり、かつ主要なところです。
しかし、二人がだんだん寄り添っていくのです。その陰に、二人とも、相手の芯に、美しい心があると、信じているのですね。そして、その寄り添っていくところの、描写が、大変、丁寧で、美しいのです。決して説明的ではない。いろいろな、手や身体の表情とか、で、表現して行くのです。それが、見て居て、涙が出てしまうところです。
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副題4、『最初に涙が出たところは、鶏をめぐるエピソードです。非常に説得力のある場面でした。しかし、丁寧にその筋書きを描くと、いわゆるネタバレとなるので、書けないのですが、
まず、夫が、超が付くほどに貧乏だと、言う事は、観客には、判ります。我々はアメリカ大陸の農家と言うと、100頭以上の羊を、犬と、馬が追い立てているし、牛舎には、少なくとも、30頭の牛が居るという情景を思い浮かべます。岩合光昭さんが、ヨーロッパの農家で、ネコを探す際は、規模がずっと小さくなりますが、それでも、立派な母屋と、別棟としての、これまた立派な家畜小屋があり、ペットとしても犬を二頭、猫など、5匹ぐらい、アヒル、ヤギなどを、同時に飼っています。そして、家の周辺には花が植わって居て、植木も植わっています。しかし、モードの夫となった人間は、土地を持っていないらしくて、周辺を開墾はしておりません。
彼は漁師であり、それを、荷車に乗せて、周辺の家に売り歩きます。第一次産業と、第4次産業を、一人で、一緒にやっている、ものすごく小さなそシステムです。お店も持っていないし、遠くに在る、いちばで、売りさばくわそけでもありません。非常に小さいキャッシュフローで生きて居ます。しかし、そんな小さなお金のやり取りであっても、そして、たった、16平米の家で、もちろん、お風呂も屋根の下にはないし、トイレもないという形の家に住んで居ながら、夫婦の心理的な、やり取りはとても豊かなのですね。かっこつけて居ないのです。夫は、粗野です。しかし、愛情の交流については、理解のある人間です。モードの、気持ちに少しずつ、寄り添っていきます。そこがなんとも嫌味なく表現をされています。そういうところに涙が出ます。それは、私の方が、結婚歴、50年を超えるからです。二人の寄り添い方の、積み重ねが、本当にそうだろうなと、納得できて、涙が出てくるのです。地味だけど、見事に真実が描かれています。
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日本は、実質的な被植民地国家ですから、政治は、お粗末でした。しかし、経済が、しっかりしているので、他国から尊敬を集める様な、国家的規模と、文明度の高さを維持してきたのです。しかし、日産自動車から始まったデータ改ざん問題にしろ、大相撲問題にしろ、日本が、辛うじて、持っている優越ポイントを、次から次へと、失っているのが、現状です。それは、安倍総理大臣が、100%鎌倉エージェントの支配下に在るからです。
森友学園問題も同じです。そちらの方が一見すると、スケールが大きく見えます。私のブログは、ご近所の登場人物について、触れています。短慮の人が見たら、私の事を『何って、小さい事を書いているのだ。もう宇読むのを止めよう』と、成るでしょう。
ここから、土曜日の午前中に書き始める文章です。
すみませんが、、ここで、終わらせてください。加筆をあす致します。徹夜明けで、電車の中で、20分ほど転寝をしただけなのです。就眠させてくださいませ。