このブログですが、数時間、自殺した、財務省吏員戸は架空の存在ではないかと、総タイトルに入れておりました。そのコンセプトは、変らないのですが、傍証づけまで、この章内で、進める見込みが、午前三時に、消えました。で、総タイトルを、変更しました。財務省の自殺した、吏員とは、架空の存在か、それとも実在しているのかに、ついては、いつか、将来、別の章を立てて、論じます。
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副題1、『迂遠で、すこし、ピントのずれた総タイトルをつけて置くのが、私の、弾圧・突破用・秘策の一つである』
いつも、申しあげておりますが、書く事へ妨害を受けているので、未熟な段階でさらします。特に本日は、娘から、「新しい犬を見せてあげます」と言うデートのお誘いがあったので、それに出席するための外出が、必要で、更に焦っておりました。
ところが、あまりにも、遅刻をしたので、「もう、来なくていいです」という電話が先ほど、あったので、主人だけが、娘一家と会ったという形になりました。悪い祖母ですが、戦っている最中だから、仕方がないのです。
で、焦ってさらしていたものを、一回ひっこめて、防衛をしながら書いて行きましょう。で、どうか、前報
半蔵門hotel内で、私は、警察庁長官にお手紙を出したくなった。それ程においしくて、ハッピーになれた。外は氷雨だったけれど 2018-03-17 02:24:38 | 政治
を。読みながら、待って居てください。
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副題2、『前報の総タイトルなど、その典型で、本当に言いたいことを隠しているものなのです』
前報ですが、その総タイトルは、一見すると、まるで、観光案内に見えます。特に乾門の開放がある、桜の季節ですので、半蔵門ホテルは、自由に入れる桜の名所である、千鳥ヶ淵に歩いて15分程度と、近いですし。
しかし、私のブログには、総タイトルを、迂遠な、判りにくいものにしておくという点に、特徴があります。それが、重大な秘密を安全に、書いて行く一種の防衛に当たるのです。
前報ですが、書く事の、最終的な到達点は、気の毒な財務局の現場担当者の、名誉を回復してあげるところにあります。自殺ではなくて他殺だと、私は思い始めております。
しかし多方向から、「雨宮舜は馬鹿だねえ。だって、彼は、自宅で死んだのですよ。外部の人間は入れない筈ではないですか? 密室殺人とでもいうのですか?」と、言うご叱責が、とんで来るでしょう。
でね、それに対して、「いえ、そうでもありませんよ。どんなに複雑なカギをついても、警察の殺人用・特殊部隊なら、合いかぎを作ることができるのですよ」と、言い始めているのが、前報なのです。
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副題3、『警察が合い鍵を、手に入れる手段は、鍵メーカーのスパコンに侵入するという手口なのだろう』
どういう技術で、それが、可能かと言うと、警察の特殊部隊なら、スパコンに侵入することが、自由自在にできるのです。それが、有楽町の、清算機が、動かなかったことで、証明をされました。(後注1)
で、合いかぎの方に戻れば、鍵メーカーのスパコンに侵入すれば、設計図を、読むことができるでしょう。我が家には、二つの玄関があって、合計三つのカギがつけてあります。すべてのカギには、番号がついて居ます。それを、鍵メーカーの設計図に侵入して、番号の符合する設計図を、コピーすれば、非常に簡単に、合いかぎを作る事ができます。
我が家に多数回入る泥棒の、メインであり、重要なものを盗んでいく存在は、警察です。それについては、いくらでも傍証づけをする事ができます。しかし、「どうも、ご近所様も侵入をしているらしい」と、8年ぐらい前から思い始めております。嫌がらせ行為の、最たるものの一つに、絵を、いじって帰るという物があります。我が家が、普通の家と違う点は、パソコンが多数、置いてあるという事と、絵が多数飾ってあるという点です。したがって、美術に詳しい人が内部に入ると。「川崎さんは、豪邸に住んで居る」という事になります。外は全く普通の家であり、ふるい家の部分は外壁がトタンであり、ペンキが塗りなおされていないので、みじめな家ですよ。だけど、内部に蓄積をされているものを、2016年の、三月以前に見た人なら、確かに、「川崎さんは、豪邸に住んで居る」と、言ってもらえるかもしれません。特に美術畑の人ならね。その時点で、主人が大病を患い、北久里浜へ、引っ越しをするという可能性を感じ始め、家具や、モノを、そちらに移動をさせているので、この家もスケスケになってきましたが。美術の材料や、書物、完成した作品などに関して、蓄積があるという事、それは、父からの遺産をどれほどたくさん美術の方向へ、注いだかが反映している事です。骨董ではないのですよ。お金が目的ではなくて、美・そのものが目的ですから。
ところで、美術畑に詳しい人なら、欧米では、壁にびっしりと額を張る事をご存じでしょうが、日本では、桂離宮を始め、「シンプルイズベスト」の国ですから、我が家には、しまってある作品が多数あって、それらが、押し入れから、「出してよ、出してよ」と、言っていると感じます。その声が、実際に在ると、仮定すれば、この家は確かに美術品にあふれている家なのです。それらが、声を出していると言うのは、まるで宮崎駿の世界ですが、私はあり得る様な気がしています。
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副題4、『我が家に侵入している泥棒の内、その行為に、特徴のある、人物がいて、毎回、絵を入れて飾ってある額を、斜めにして帰るのだった』
我が家に侵入している存在が、警察から合いかぎをもらっていると、言う点で、何故、そう言うかと言うと、あまりにも短い時間で悪さをして帰る人間がいるので、そう思い始めているのです。この・・・・多数の絵の額縁を、斜めにして帰る・・・・という脅かし行為が、長らく続いた時期があります。2007年以降です。私への攻撃は、波動を持っていて、こちらが弱いとみると激しい量と速度で、襲ってきます。第六波は、主人の再入院です。その直後から始まっています。第五波は、主人の一回目の入院時に始まっています。第四波は、石井秀樹・あずさ夫妻が、北隣の、藤本家を買ったころから始まっています。第三波は、私が【伝説のプレス】を、出版して、それを、画廊【21+葉】のオーナーで芸大卒の、黒田悠子さんが、宅急便の形の、まま返却してきたころから始まっています。そして、第二波は、月刊ギャラリーの連載をたった一年で、やめさせられたころから始まっています。
ほかにもいくつかの波動は、在ったと思いますが、ここでは、合い鍵と、我が家に侵入をして、絵を斜めにして帰宅する泥棒が、重要なので、月刊ギャラリーの連載を止めさせられたころの、大攻撃・波動について、のみ、特記します。連載を止めさせようと動いた人々は、だいたい、実名が判っております。でも、ここでは、そちらには、触れません。だって、合いかぎをもらって、侵入している可能性のある、ご近所人間、誰の誰べーAと、それらの人物が、関連があるからです。卒業大学が同じだとか、その他の項目で、太い関連があります。相手の方は、画壇の、有名人であり、名誉ある人間です。それが、泥棒ちゃんと、親しいとなると、大変な事でしょう。だから、誰のだれべーAと、仮称で呼んでいるのです。先を見越して、前報を書いています。
あ、それから、二時間後の追記ですが、その有名作家は、既に作品がよく売れる人です。そうなると、画商として、その作家を扱う画廊があるわけです。そこのオーナーが賢いです。その賢さですが、私がいつも言っている東京圏の、ブランド住宅街で、育った人のマナーを知っているという意味でも、とても賢い人物です。彼が、夜、床に就く、家をどこに持っているかは、知りませんが、銀座の画廊で、ほぼ、一日を過ごし、そこで、他人と、接触するわけですから、銀座の住人と言ってよいでしょう。銀座って、日本一のブランド、住宅(?)街です。
もちろん、他の分類項目もあります。たとえば、善人度で言ったら、誰が一番か?とか、美術作品を見る目に於いて誰が一番かとか、色彩感覚に置いて誰が一番かとか、いろいろ、区分けはあるわけですが、まあ、賢さで言ったら、そのひとが一番でしょう。で、どの画廊でも、まったく同じ様式と、同じ態度で過ごす私ですが、内心では、きちんと、ランク付けをしているわけで、それぞれのランクに於いて、高い位置にいる人に対しては、それなりの、尊敬心を内心で持っているわけです。だから、ここでは、そのオーナーを守るために、関連する人々の、実名はさらしません。しかし誰の誰べーAの、これから先の行動にかかっているわけで、彼が引き続き、私をなめきって、ひどい事をやってきたら、また、考え直しますけれどね。
もし、仮に私が間違っていて、誰の誰べーAは、実際に侵入はしていなくて、誰の誰べーBに、「こうしたらいいですよ」と、提言をしただけなのかもしれません。誰の誰べーB の方が、合い鍵を持っている可能性については、ずいぶん、前から、感じ取っております。ただし、彼が額を斜めにしたか、どうかはわからないのです。というのも額を斜めにしておくという作業ですが、美術畑以外の人間には、そう簡単ではない作業なのですよ。慣れて居ない人が、短時間で、さっとできる作業ではありません。
2011年にNYで、知ったのですが、アメリカでは、額を吊る紐は、針金を使うのです。しかし、日本では、昔から掛け軸という物があって、それに使う上等な紐類があるので、それを額にも転用しているのです。まあ、日本画だと、六号の額でも、数十万円はするものは、ざらにあるので、そうなって居ても、全然不思議ではないのですが、その伝統は、すべての分野の、額にいきわたって居て、額をつけて居ない、現代アートでも、つるすための道具として、絹糸、又は絹糸風の化繊で、編まれた、紐を使います。で、それは、絹糸だから、滑りやすいかというと、そうでもないのです。特に結び目を真ん中近くにもってきておくと、簡単には、動きません。でね、斜めにするだけでもコツがいるのです。どういうコツかという事は、将来、誰の誰べーBの方が、それを、応用して、額を斜めにすると、私が惑わされてしまいますから、ここでは、黙って置くとさせてくださいませ。
ところで、誰の誰べーAが合い鍵をもらっていて、短時間(それは、主人が寝入ってから、私が帰宅するまでの、たった、一時間程度の間)に、額を斜めにする作業をしていたと、仮定をします。「すると、勝手知ったる川崎(=筆名・雨宮)家」となるわけです。で、2016年12月28日、主人の二回目の入院直後の、第六波の波動の時期でしたが、斜めにするだけではなくて、絵の実物を二枚、玄関から、盗んで行った人間が居ますが、それが、誰の誰べーA,と、Bのどちらかである、そういう可能性があるのです。引っ越していくだろうと、見做されていたので、相当に、弱い時期だったので、それなら、からかってやれと、おもわれて、からかいの、極地の表現として、盗んで行ったと、仮定をすると、時期とか、泥棒ちゃんの人物像が、誰の誰べーAと、ぴったり合うのです。
その誰の誰べーAというのは、自分を「エリートであり、かつ善人だ」と自認をしているみたいですが、非常に・軽・い・のです。・おっ・ちょ・こ・ちょ・い・なのです。それは、宮仕えをした事がないせいでしょう。世間の荒波をくぐったことがないせいだと、思います。そして、何度も、私をからかって来ています。だから、何となく、隠している部分が、判ってしまうのですね。接触してこなければいいのですよ。何度も言っている通り、東京圏のブランド住宅街に住むマナーがあって、それは、必ず、相手を少しだけでもいいから、上に置いておくという手法です。からかってくるなどと言う事は、どれほどに、自分を上だと、思っているかを、表しているか、ですから、駄目なのです。案の定です。彼について、いろいろ、判ってきたところ、中学の時期までは、田舎で、暮らしていた人でした。
その日の私は北久里浜へ、引っ越しの準備の為に行っていました。そして、マットレスが、新たに必要だと、思ったので、川崎のラゾーナへ、それを買いに行きました。北久里浜から横浜を通り越して、京急で、川崎駅へ出るわけで、当然に、夜の帰宅が、2時間程度、遅くなります。主人が心配するだろうと、思って、川崎で、7時半ごろ、電話を掛けました。我が家の電話は、盗聴をされて居て、すぐ、逆探知を、され、私がどこの公衆電話を使っているかが、警察に把握をされ、それで、帰宅まで、一時間はかかると判断をされます。携帯は契約して居て、’スマホは、6】を、持っていますが、GPS機能を使って、いく先々で、嫌がらせに出会いますから、ほとんど携行をしません。その、遅くなった、一時間の間に、絵が、盗まれるという現象が発生しました。だから、警察ぐるみの、泥棒なので、専門職が、やったと、思っておりました。警察内部に、いる、殺人用別働隊が、やったと、思っておりました。
しかし、前報で、言っている通り、最近前田清子さんと、夜道で、短い会話をする、体験がありました。それは、前報では、3月5日以降と書いていますが、3月1日以降だったと、書き直しましょう。それと、その日から、一週間の、誰の誰べーAの動きの両方を合わせて、考え直すと、絵を盗んだのは、泥棒の専門家(この場合は、警察の殺人用別動隊)ではなくて、一般人、特に誰の誰べーAだったのかもしれないと、成って行くのでした。
これは、非常に重い、かつ重要な、話なので、丁寧に、ゆっくり書いて行きましょう。
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副題5、『このブログは、全体で、ミステリーの形式を保持しているのだけれど、それに必要な写真を、数葉、ここに置きたい』
これから、書く事の説明のために必要な写真をまず、3枚置かせてくださいませ。
以下は、我が家の東北の道路です。【写真一】と、なずける。丸いマンホールのふたを含む、部分のコンクリートが、他の部分よりしっかりしていると見えますね。それは、1986年に、我が家のアジサイ畑を、掘り起こして、コンクリート打ちにしたので、その1986年より、20年以上前に住宅地として、ここが、造成された当初、打たれた他の部分より、しっかりしているのです。ここを最近、石春産業が、機械で、掘り起こして、土が見えたので、「もともと、我が家の花畑だったので、そのままに、して置いてください」と頼んだのだけれど、彼等は、言う事を聞きませんでした。この件は、鎌倉市の道路位置指定などが、関連して、石春産業がそういうのかもしれないので、別の章を立てて、そこで詳しく語ります。
ところで、上と同じ道路を、反対の向き、西南に向かってみた写真が下です。【写真二】と、名付けます。左側に木のベンチが置いてあります。脚立風のものです。そこを境にして、急に道路が狭くなっています。こちらの方の幅こそ、この山全体の、普通の幅なのです。私が引っ越してきた当時は、我が家の前も、この幅でした。ところが、脚立の前から、手前に向かって、コンクリート打ちをされてしまったのです。そこは、東北に向かう方と同じく、だまし討ちに近い形で、です。それは、別の機会に丁寧に、説明をいたしますが、本日は、ひどい事が連続して起きているのがこの山だと、言うに、とどめましょうか?
いや、将来の予測が得意ですので、それもかたらないといけません。こちら(下の写真の道路)の方は、まだ、掘り起こしもされていないのですが、私と主人の二人が、一泊旅行に、近々行きます。病後ですから、普通なら無理なのですが、弟が助けてくれます。私の弟ですが、私の、主人とは、とても仲良しです。その旅行の間に、一気にやってしまうかもしれません。旅行に行く事は、常に連中に狙われていて、行くときに、浜銀前で、必ず、デモ隊とか、署名運動が、行われています。表向きは、いろいろ別の名前を名乗っていますが、内部では、共産党員が核をなしている部隊だと、思います。午前九時ころの、ウィークディなので、『暇人ですねえ』と、内心で笑っていますが、そういう現象も、井上ひさしが、本当は、まだ、生きて居るという事の、証拠だと、見ています。
静岡県立美術館に行っていた2008年、2月8日に小町通りの、800メートルをすべて、工事で埋め尽くし、そこから、この山の、上水道工事にもっていった連中ですから、この上水道工事が、アスベスト被害を、あおり切って行われたのに、実際には、古い缶を抜いていないという嘘、それを、隠蔽するために全国各地で、アスベスト被害訴訟が起こされていて、必ず原告側勝訴となり多大な、国税と、民間企業のお金が、被害者の遺族等に、渡る裁判が、ほぼ、集団訴訟の形で、行われていますね。それは、この鎌倉 雪ノ下二丁目の谷戸で、安野智紗夫人と、前田清子さんが行った過去の悪事を隠蔽するために、支払われているのですよ。前田祝一氏は、こういう集団訴訟の、一つの原告団になって居て、それが、ネットに出ていたので、元から、共産党員だろうと推察していましたのが、この時に、決定的に、共産党員だろうとの、確認を得ました。
この写真2において雨水溝の、ある部分のコンクリートと、真ん中の旧・道路だった部分とは、色が違いますね。
次の写真は、鎌倉春秋窯(=柳沢昇の自宅)の西側です。ここも道路は、他と同じく、ほとんど幅一メートルですが、真ん中が、幅50cm程度しかなくて、台形に盛り上がっています。歩きにくい事おびただしいです。これが、どうして、こういう道になっているかと言うと、上の【写真一】のところで、だまされて、こういう工事をされてしまったと、言っています。
この工事を実際に施行したのは、【斉起業】というとび職でしたが、自分達がやっている事の、法律に触れる悪辣さに恐れおののいて、自分たちに責任が及ばない様にするために、ここに我が家の山の土を運んだのです。中谷共二氏が、私をだまして、無許可で崩した我が家の山の泥を、一部だけ、ここに運んで盛り上げて、それが雨で、流れて行かない様に、しっかりしたコンクリートで囲ったのです。これを、【写真三】と名付けます。
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副題6、『ここで、当時の町内会長、中谷共二氏に、ご登場を、いただかないといけない。そして、彼と、北久里浜の、旧・帝国・海軍・参謀・益山重夫氏とか、旧・帝国・陸軍・参謀・瀬島龍三との関係を、語らないといけない。中谷共二氏は、私に、自分のやってしまった悪事を了承させるために、いろいろな私事を語ったが、最も大切な事、瀬島龍三と、裏で、結び付いている事だけは語らなかった』
当時の会長中谷氏は、カリフォルニア大学出身の帰米二世です。彼本人が、私の目の前(=彼宅の応接間)で、口頭で、教えてくれたことなので、すべて正しい話でしょう。戦時中は、一方では、日本人として行動をしたとは思いますが、一方では、別の考え方もできるのです。戦時中は、アメリカ軍人として、対日宣伝工作に従事していたのかもしれません。アンダーラインを敷いたところは、私の想像の部分ですが、もし、後者だとすると、明々白々のCIAエージェントと言えます。だからこそ、だまして我が家の山を崩したのです。その源泉は、北久里浜に在ります。で、北久里浜について説明をしないといけませんが、その前に、中谷氏について、もっと、彼の、個人的な事情とか、私が彼の人格に対して、抱いている感想とか、を、語って置きたいと思います。
その論功行賞だと、思うのですが、羽田空港の、飛行機燃料を一手に扱うガソリンスタンドを、経営しているそうです。
これは、普通の民間人ではできない商売だと、思います。戦後は、すべての物資が統制経済で、配給をされていました。うちの父は霞が関で、重油を配給する部署に勤めて居ました。東大ではないが、一応今でいう大卒です。その上、母の叔父が、同じく今でいう大卒で、財務局に勤めて居ました。だから、私は官吏の事には相当に詳しくて、かつ、法律にも相当に、詳しいのです。だから、法律用語を振りかざして、自分の方が上だと見せつける柳沢昇に、接すると、気恥ずかしくて、気恥ずかしくて、たまりません。内心で、おなかを抱えて、笑ってしまいます。
ところで、重油とは、船の燃料になるものです。黒くてべったりとしています。それは、船のエンジン室が、巨大なので、そういう燃料でも、燃えてくれるからです。しかし、飛行機のエンジンは、もっと華奢ですから、精製済みの石油を使わないといけません。しかし、すべてが統制経済下であった、戦後の日本で、羽田空港で、そういう高価な、石油精製品を、自由に扱える日本人(一般人)が、居るわけはないのです。したがって、中谷共二氏は、アメリカとの二重国籍を持っている人であり、戦時中は、ほぼ、80%がアメリカ人として機能して居て、対日宣伝工作とか、日本軍の暗号を読み解く部隊等に、勤務していたと、推察できるのです。
この手の役割を果たした人間として、有名なのは、東京ローズです。しかし、彼女は実働部隊のブルーカラー扱いの人間です。今、相撲取りとか、テレビタレントが、いいように、あしらわれて、利用をされている(貴ノ岩傷害騒動)様に、下っ端と、見做されている存在は、大衆に自らを露出しますが、上層部は、姿を見せません。井上ひさしが、自分を死んだことにしたのは、これが狙いだったかもしれませんよ。「大衆に、自分の姿をさらさない方が、エリートなのだ」という、私の文章を読んで、『そうだ。死んだ事にしよう。そうしたら、大衆に自分の姿をさらさないで、エリートとして、日本を動かすアイデアが出せる』と、思ったかもしれないのです。
ところで、中谷氏の奥様が、非常に優秀で、かつ、おとなしく控えめで、立派な女性でした。双葉出身だったとか、聞いています。戦後の日本では男性の数が極端に少なかったのです。戦死者が多かったから。だから、健康で大卒の中谷氏は、当時の日本では、最高級の女性と結婚をする事が出来ました。男の出世とか、子供の出世とかは、妻であり、母である人の生活態度とか能力にかかっています。後藤健二さんが、東大卒の奥様と結婚をして、一気に田園調布の、教会のメンバーになるなど、格上げをして、それ以前の、女衒まがいの仕事をしていた若い日を、洗浄した様に、中谷氏も、戦時中の、スパイまがいの活動を、奥様のお陰で、すべて、洗浄したと、思います。そして、日本社会で、エリートとして生きていく事となります。
私が引っ越してきたころ、鎌倉駅のホームの先端に立つと、吸い殻入れが設置してあり、タバコを吸っていい仕組みになって居ました。私は、タバコを吸いませんが、今の状況は、この雪ノ下の山から、始まっている・・・・国民を盾にとった、謀略です・・・・から、・・・・・それは、中谷氏が、我が家の山を無許可で、崩した事から始まっているなあ・・・・・と、しみじみ思うのです。
しかし、そこに立つと、当時は、中谷家が、ありありと、見えたものでした。我が家がある山が、緑濃く屹立しています。低いのですが、山が、そこでは薄くて、かつ尖っていますので、屹立している様に見えました。その山の東の先端に、中谷家だけが、見えるのでした。鶴岡八幡宮のすぐそばの高い位置に建っているのですから、さぞかし充分に、エリート気分、またはお殿様気分を味わう事ができたでしょう。
そして、もう一人の重要な登場人物である、藤本悌子夫人の実家も見えるのでした。藤本夫人は旧姓を関と言って、小児科医院を経営している人のお子さんでした。その家は大正期に建てられたであろう洋館で、当時は鳩の巣・屋敷と、呼ばれていました。それほどにボロボロでしたが、藤本夫人は、20年ぐらいそのま真にしていました。
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副題7、『これから先、中谷共二氏の私に対する裏切り行為について、入って行きます。
もう、今日は、書くのをやめにしますので、大切なことで、記憶が、薄れると、困る事をメモ書きで、列記しておきます。
鎌倉市の職員、阪中英夫が、高枝切の件で、我が家の視察に来た時に、中谷氏が無断で、切り崩した、我が家の東北の山を見て、『あそこ、危ないですよ。崩れそうですねえ』と言った。偶然か、それとも、伊藤玄二郎たちの嫌がらせとして、それを発言をしたのか? それを将来、確かめておく必要がある。
山を無断で切り崩された事によって、大損害を受けているのだけれど、中谷氏個人の遺族にそれを求めても支払ってくれるはずもない。一方で、安野智紗夫人など、自分が過去に行った悪事を、税金とか、町内会費という他人のお金で、糊塗してもらっている。
百年河清を待つと言う言葉がある。私は彼女の将来がどうなっていくのかを絶対にこの目で見定めたい。神と悪魔の戦いの結果、どうなるのかを確かめたい。したがって、今、死ぬわけにもいかないし、この鎌倉雪ノ下を動くわけにもいかない。主人が北久里浜に引っ越しをしたがっているので「一人で行ってください」と言ってある。
この山は、安野夫人と前田夫人たちの、せいで、引っ越しが異様に多い。私が知る限りにおいても、20軒しか家がないのにもかかわらず16回の引っ越しを見聞している。
中谷氏と、或る日、道路ですれ違った。その時、彼は、如何にも弱々しい態度で、「川崎さん、近所の人をいじめないでくださいね」と言った。私は何も答えなかったが、内心で激怒した。『何を、バカげたことを言っているのですか? あなたがやるべきことは、まず、安野夫人に井戸端会議を止めさせ、前田夫人に、藤本夫人宅へ行って、心から謝罪をさせる事でしょう。・・・・中略・・・・これから先の事ですが、あなたがそれをどんなに阻止しようとも、私は、必ず、あなたのやったことを、正しく、書き表します。そして世間にさらします。待って居なさい』と。
この時の中谷氏の眼と、2009年ごろに、山口画廊内で、3メートルの近さで、私を見つめた野見山暁次氏の眼は、そっくりだった。それは、自分の方が悪いという事を知っている眼だった。しかし、一方で、・・・・・自分の方には、CIAエージェントとしての、絶対の特権があるので、最終的には、自分は大丈夫。だけど、一応心配だから、声をかけて置こう・・・・・という本心を表明していた。なかたに氏は、一人で歩いていたので、そういうセリフを、自分で、吐いたのだけれど、野見山さんの方は千里さんを連れていたので、せりふの方は千里さんに吐かせた。
私と山口みつ子さんが、美術作品について楽しく語り合っていた時のことである。私はいろいろな人から天与の美声を持っていると言われている。それは、小さい時に声の音程が高すぎることを、母を経由して、従姉妹に注意されたからだ。それが、三歳ごろだった。以来、声には、非常に注意深くなって、気を付けてきたので、そういう風に他人から褒めてもらえるほどのいい声になった。山口みつ子さんも、ややソプラノ気味の、きれいな声だった。そして、二人は明るい気分でいっぱいだったから、雲雀がさえずる様な感じでおしゃべりをしていたのである。英語で、おしゃべりの事をchat と言う。音声だと、ちゃ、ちゃ、ちゅ、ちゅ、ぴ、ぴっと小鳥がさえずる感じを表している。
しかし、そこへ千里さんが割って入った。しかも、おそるべき、しわがれ声で、かつ、悪魔みたいなだみ声だった。そして、『何をぎゃあ、ぎゃあ、騒いでいるのよ』と言った。騒いでなんかいなかった。しかし、すでに、映画【シッコ】のDVDのメイキング部分を見ていた。その中で、英国の政治家が、植民地支配について、こう、言っていた。
「被・植民地国家の、国民が、元気になるのは、支配・国家側は許さない。元気で明るくて、健康だと、反乱をし、独立を、目指すからだ」と。
山口千里さんの声と態度はまさしく、「あなたは、明るくてはいけない」と言っていた。だから、野見山さんが、完璧なCIAエージェントであると判った。私は2009年のその日には、『自分は、野見山さんにも、CIAにも勝てない』と、思ったので、素早くギャラリー山口から出て行った。千里さんと野見山さんには、すごすごと言う形に見えたのだと、思う。で、それ以降、野見山さんは、美術9条の会(特に二次会等の呑む場所)で私をひぼうする言葉を発揮し続けたのだと、思う。それで、私は美術界で、非常に不利になり、一方で、野見山さんは、文化勲章を受けた。
この経験から、学んだことは、決して、ひいてはいけないという事。戦わないといけないのだ。こういうケースでは遠慮して居ては、いけない。
・・・・・・言葉に出さないでもいい。相手が誤解をしている時期があってもいい。しかし、内心では「絶対に負けないぞ」という強い、覚悟をもって戦いつつ生きるのだ。
もし、私があの時、引かないで、みつ子さんと、ずっと、親しく、付き合い続け、お食事等を一緒にしていたら、みつ子さんは殺されなかったと、思う。その為には、私の方も、力をつけないといけない。・・・・・そういう風に2010年に決意した。それ以降、は、頻繁に実名で、ものを書く様になったのだ。それが、また、実力を、深めた。今、みつ子さんと千里さんの、競り合いを目にしたら、絶対に、「二人から離れろ」、と、みつ子さんに言うだろう。そして、心から納得をして貰える様に、説得ができる、そういう、可能性はある。
副題9、『ここで、北久里浜における、1978年に起きた、実質的な土地をめぐる詐欺事件(ただし、書類上は整っている地籍変更届と言う形で)について、触れないといけなくなった』
そこで、横須賀市の水道山を地籍変更届の仕組みを利用して、益山重夫と言う人物が、ただで手に入れました。名義上は妻の実弟、中野通巳吉が行ったことにしていますが、それは、これが、実質的な詐欺なので、名義を、いろいろ、流れさせて、責任の所在を不明にさせる意図があったと、思います。どこかで、詳しくそれを語っていますが、彼は、京急池田分譲地が、開発されたときに、そのインフラ整備を利用して、駅に一番近い土地(元山林)を、500平米だけ、買い求めました。そこには、1960年代は誰も住んで居なかったのですが、益山重夫氏の土地に、隣接して、戦前からの、地主である、原正芳氏と、辻某氏が、土地を持っていました。
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後注1、
有楽町駅の禿頭・高橋某が、100%の嘘をついて、運賃を二重に取ったので、鎌倉の安野夫人(=CIA)の悪辣さがますます明瞭に! 2018-03-01 20:48:19 | 政治
証拠写真を公開します。有楽町の嘘つき駅員が、刑事の変装だった事と、私が、理不尽な被害を、日頃24時間に亘って、被っている事を語る為に△ 2018-03-02 23:50:26 | 政