ちょっと、いつものタイプのブログを休みます。逃げているわけではないのですよ。人間としての、私自身の、バランスを取るために、今日は、娯楽に浸っております。テレビの録画番組をニュースではなくて、いつもの通りのクラシック倶楽部(BSプレミアム。朝五時からウィークディの5日間放映をされる)とか、バレー【マタハリ】(日曜日の深夜のBSプレミアムでプレミアムシアターとして、世界各国の評判になった、各種のパフォーマンスを、放映している。その18-3-19版)とか、歌舞伎(衛星劇場)とかを消化しています。
最近では、相当な時間を、歌舞伎に割いています。歌舞伎座でも、国立劇場でも、他の劇場でも、シネマ歌舞伎(東劇)でも、結構なレベルで歌舞伎を見ているのですが、もし、主人がもっと、悪い状況になってしまったら、劇場には出かけられないと思い、スカパーの衛星劇場と言うのを申し込んだのでした。それが、2500+アルファで、他に、4チャンネルを見放題で、2800円だそうですから、2800円払って、五倍視られればいいのでしょうが、昔、光通信がない時期に、BSは、ケーブルテレビでしか見られなくて、その時の、チャンネルの多さに、辟易しているので、歌舞伎を見る為だけに、衛星劇場を、取っているのです。
昔は、いろいろ、こだわりがあって、真っ暗な劇場空間で見てこその歌舞伎であり、種々のパフォーマンスであると、思っていたのですが、今では、歌舞伎座では、かえって、だめなのですよ。意外と、寝てしまったりするのです。それは、いつもいつも疲れ切っているからですが・・・・・で、自分の体が自由であり、気分にも余裕のある時間帯に見るテレビ歌舞伎が、なかなか、いいなあと、思い始めているのです。
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しかし、この衛星放送が、また、たちまちに鎌倉エージェントの支配下に下ってしまって、上演の年度と月を、知らせてくれなくなったり、画面にテロップで、役者名を、入れるサービスがなくなったりしているのですね。衛星放送を、2016年の12月に契約して、数か月間は、そういうサービスが有る画面を見ていたのに、その数か月後、その手のサービスが、画面から消えたのです。
これは、歌舞伎座のプラグラムも同じです。古本屋で、古い時代のプログラムを見つけると、とても面白い形で、編集がされています。しかし、今は、役者の、顔写真も、三ねん間、まったく同じものを使っているし、インタビューも、その月に活躍をしている人ではなくて、年が、上の、人物だけを、取り上げております。その人が立った、15分間だけ、登場するのに、インタビューをしていて、45分~90分程度、登場する人物でも、私がひいきしている役者は、取り上げないとか。いろいろあります。
今、編集している人物たちは、何と、不勉強なのだろうと、思いますが、一方で、対、私を、意識して居て、私が望む方向とは、反対の方向で、編集がなされていると、思います。
私は、何事にも研究したいと思う人間で、また、戦後民主主義の申し子なので、親が、有名な歌舞伎俳優ではない、人の、追跡を、一生懸命、やっている人間なので、テレビ画面で、別世界から歌舞伎に入ってきた人が出てくると、大変強く、注目をします。主役級は、私にもわかります。だけど、主役の手下の若い者とか、町の女房とか、腰元とか、並び大名となると、カメラが注視する時間も短いし、今の私には、プログラムに、6人から、8人が出ているその役目の中で、判別がつきにくいのです。でも、衛星放送の中で、役者名がテロップで出てくると、大変助かります。
どうして、そういう事に成るかと言うと、今、歌舞伎座の切符は、記名をしないと買えません。つまり、私がどの席に座るかが、事前に、把握をされていて、その隣席の人の、スマホが、盗聴器の役目を果たしているのだと、思います。
それで、三世橋之助について、お隣と、私が短い会話を交わしたことがあるのですね。私が、「橋之助がねー・・・・・」と言うと隣の人が「ええ、もっと、勉強してもらわないといけないのですがね」と、答えたのです。この時の席は、三階のA席(6000円)だったのですが、B席(4000円)にしろ三階のお客とは、本当に歌舞伎が好きな人が多くて、的確な感想を持っているのです。だから、ファンクラブめいた、場所でだけ、お客さんと接していると、ちょっと、間違った、自分像を描いてしまう時があるかもしれません。
この二人が会話した、数か月(いや、たった二か月後かな?)三世・橋之助の、芝翫襲名が発表されたのでした。つまり、私は橋之助は、甘いと、感じていたのですね。と言うのは背が高くて、美形で、歌舞伎役者としては、申し分のない押し出しがあるのですが、その種の、好条件に甘えていて、やや、甘いのです。それは、まったく初対面の、お隣のお客も同じ様に感じていたのでした。この甘いか甘くないかですが、歌舞伎役者であるだけで、一般のタレントとは、一線を画すほどの、守られ度合いがあると、思います。一般のタレントは、人気が落ちればそれだけで、映画の世界とか、テレビの世界を去らないといけません。
しかし、歌舞伎の場合は、カンパニーを組んでおります。三世橋之助の場合は、18世勘三の二人の子息、勘九郎とか、七之助とか、中村扇雀とか、片岡亀蔵と組むことが多い模様で、そのカンパニーの中では、彼には、得難い役割があるのです。だから、自分の居場所がなくなる心配がないのです。
これと同じ現象が、息子さんについても繰り返されます。三世橋之助には、三田寛子さんとの間に三人の息子さんが居ます。これは、子宝に恵まれたという典型です。この三人のお子さん方が、自分の立場や仕事に関して、また、これも甘いです。それは、歌舞伎通の間では、衆目の認める処でしょう。が、私の言葉は、非常に注目をされているので、それに対する反論でしょう。一日だけですが、四世橋之助が、国立劇場で、主役を務めました。なるほど、なるほど・・・・・
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これを、誇大妄想とおっしゃいますか? いや、そうでもないのです。
たとえばです。ネットカフェよりも高級な場所としての、事務センターと言うのがあります。東京では、Fedex Kinko’s という会社と、アクセアと言う会社が有名です。私は自宅で仕事をすると、非常に大きな破壊現象が起きるので、自分のパソコンをもって、ノマド生活をした期間があります。それは、2004年から、2011年の間です。
しかし、当時の、パソコンは電池が、今と違った種類のもので、早くなくなるのです。で、ワードは、ともかく、ネットカフェでもできます。しかし、表紙(または、カバー)とか、挿絵については、アドビイラストレーターが必要で、それらが、インストールされているのは、事務センターのパソコンだけなのです。尚、東京駅、丸の内側地下には、ファミリーマートの経営する事務センターがありますが。で、自分のノートパソコンにはアドビが入って居るので、電源さえ、充電できれば、自分のパソコンでできるのですが、当時東京都の、区立図書館の電源はすべて、ガムテープが張って合って、閉じられておりました。
これは、芥川賞と、直木賞の選考が、同じ日に築地の【新喜楽】で行われます。で、芥川賞の審査員である、石原慎太郎氏と、直木賞の審査員である、井上ひさしは、その政治的傾向は真っ反対ですが、社交的な意味では、仲が良いのでしょう。それで、頼んだのだと、思います。
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当時はFINDERという隠れアプリがあって、それを入れ込められるせいか、それとも、私が現在造ろうとしている本の、文章のトップの、文字等で、把握をされるのか、同じ場所で、一時間以上仕事をしていると、激しい破壊現象が起きるので、河岸を変えないといけませんでした。たとえばです。借りに新宿に居たと仮定をします。主人が家に帰って来てから外出するので、夜の八時頃からルミネ内の、ビュッフェ形式のレストランで、1時間半程度、仕事(本の制作)をします。これは、最終の段階なので、PDF化してしまおうとしているので、できた処だけを、PDF化するために、キンコーズへ移動します。ルミネから、JR東日本本社ビルへ移動をします。そこで、30ッ分ぐらい過ごしたら、今度はマクドナルドへ移動をします。そこで、一時間を過ごしたら、今度は、近所に在るネットカフェに移動をします。そして、できた部分をまた、kinko'sに行って、PDF化します。
もう、一晩中、よれよれになりながら、頭を酷使しきって、256頁分の本を一晩で作り上げます。それを、kinko7s で、プリントアウトをして持って帰ります。そして、一週間ぐらい、検討します。その上で、修正する必要が出て来るので、今度は、池袋で、似たようなことをします。また、10日後ぐらいに、修正したい部分が出て来るので、今度は、秋葉原周辺で、一晩を過ごします。東京駅周辺は、使いません。マクドナルドもないし、キンコーズもないし、ネットカフェもないからです。ファミリーマートの、事務センターは、一晩中過ごすのには、危険すぎますので。
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この無理な上に、無理な生活を、五年以上続けました。60代だから、できた事でしょう。今、70を過ぎたら、無理ですね。でもね、もし、母が死ななければ、続けたと思います。母は適切な老人ホームに入って居て、適切な介護を受けておりました。だけど、2010年には、92歳を超えており、相当に弱っておりました。もし、私が疲労困憊をしていると、遺産・争・続になりかねないと、危惧して居て、ゆったりと過ごそうと、2010年に入ってからは、決めておりました。というのも、不動産が、複数、ありました。これが、平等には分配できないものだからです。
で、2011年から本づくりを再開しています。しかし、上でいう第一段階で、とどめて置いて、それを見本版として、kinko-'s で、書物の形にしております。興行的生産に回そうと思うと、この後、それこそ、徹夜で、外で、何日も頑張らないといけないので、今は、それをしておりません。で、一種類につき、五冊ぐらいだけです。オンデマンド方式と言う形ですが、一種類の本を見本版として作る際にも、キンコーズに、3万円から、5万円は支払います。だから、一冊につき、5000円から、一万円がかかります。で、こういう種類の本は、人様には、献呈できません。デモね、『なんとかなるさ、神様は何とかしてくださるさ』と、楽観的に考えているのですよ。
しかし、超が付く本音を語れば、本は、少部数で作ると、工業生産的にも、一冊、5000円はかかるのです。と言うのも自宅では、激しい破壊現象が起きるので、外で、仕事をします。で、レストラン(たいていは、ばいきんぐとかビュッフェ形式を使う)、ネットカフェ、ルノアールとか、エクセルシオーネを使う、時の、お茶代、そして、キンコーズの高いパソコンの使用料と、プリントアウト代、・・・・・
ブログに広告がついて居るし、読者数は多いのですが、アフィリエイト収入は入らないので、親からもらったお金を注ぎ込んで生きております。
しかし、度肝を抜くほどのお金を使っても、突っ走ったのは、こういう妨害をして来る連中に対する深い深い怒りがあったからです。
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2003年ごろから、裏側に在るものの真実は判っておりました。非常に深い怒りを感じておりました。土地を盗まれ(と言うのは使えないという形にさせられている。自分に責任はないのに)友人に裏切られ(と言うのは、換言すれば、友人を盗まれたという事と同じだ)そして、ほんの制作と言う、一人間として最後に残されている、大切な、生きがいをも、妨害を受ける。これは、いったい何なのだ。こんなことが、許されてたまるモノか? 日本は近代国家で、かつ、法治国家でしょう。どうして泥棒さんたちの方が威張っているのですか?
と、内心で激しく怒っていたのです。そして、泥棒は入るでしょう。そして、外へ出れば、
駅のトイレにガードマンが張り付いて、トイレに入るのを嫌がらせを受ける。これは、京橋の画廊、ユマニテでも、もっとひどい形で、行われました。目の前で、鍵をかけるという挑発的行為として、トイレを使わせないという事が行われました。

この写真は、京急金沢文庫駅の、男性ガードマンですが、女子トイレの前には、女性ガードマンが立っていたのです。ただし鍵はかけませんよ。そこまでしたら、早速ご報告をしますけれど。手前の方の男性は、神奈川県警の特殊部隊の人間でしょう。別の日に京急駅員を装って、横須賀中央駅に居ました。
もう一人、もっとスレンダーなイケメンが居て、鶴岡八幡宮のガードマンを装って、いろいろな騒音を出す任務の人間もいます。そちらは合計、4回ぐらい同じ顔を見ています。時には廃品回収業者を装って二トントラックで、鎌倉市内を、逍遥しています。この二人は、普通の体格で、上品です。しかし、もう二人ほど、驚くほどに頑健で、しかも顔のきつい人間が居ます。それは、ブルーカラーとしてのアサッシンで、殺人用別働隊の人間です。
2014年6月13日に保土ヶ谷のネットカフェゲラゲラに現れて、私を拉致しようとしました。(後注1)へ、しかし、私は不思議な形で、それらを逃れられるのです。
ところで、これらは、神奈川県警所属でしょうが、東京(警視庁所属)の人間にも高卒らしい、ブルーカラーとしての人間と、大卒らしい、ホワイトカラーの人間が居るのです。そのどちらも四人ずつ、私はその顔を特定しております。で、ホワイトカラーの四人の方のうちの一人でも、警視総監とか、警察庁長官に成る日が来るかもしれないので、長生きをしないといけません。私は、将来の警視総監とか、警察庁長官に、尾行やら、嫌がらせ行為を受ける存在なのですよ。それが、2003年から始まっているので、『自分は大物である』と、つい言ってしまうのです。
ブルーカラーの方ですが、白髪の初老の人間は、2014年6月4日に、銀座3丁目のコバヤシ画廊前で、タクシーの運転手に変装をしていて、私と安藤てる子さん(刑事が変装して、友達が尾をして近づいて来た、そういう人材である)を日比谷シャンテまで、運んだ人間です。(後注2)この初老の男性は、2003年に、丸の内、中央郵便局のロビーで、若い女の子と2人で歴史の勉強をしていました。そちらの女の子は、東横線の菊名駅ホームにも表れたことがあると、覚えております。
もう一人目が真ん丸の男性が居ます。2007年の、9月27日の早朝、渋谷郵便局の二階に現れて大音響のサイレン音を罠として、もし、私が、この音なんでしょう。変ですねえ』と彼に話しかけたら、彼は、「音などなって居ませんよ。あんたは幻聴があるでしょう」と言い放って、待ち構えていたサクラの他の郵便局員と一緒に、拉致してしまい、私を筋弛緩剤か何か後に残らない薬で殺して、その上で、室などの高温多湿の場所に数日おき、遺体を100%腐敗させたうえで、青木ヶ原等に捨て、その後、観光客が発見をした事にして、家族が遺体を特定できないほどの腐敗状態で、見合わせて、その後、川崎千恵子であることを特定し、新聞記事にするはずだったでしょう。
この同じ人間が、その4年後の、2011年、8月10日の深夜、あきはばらのワシントンホテルのスタッフを装って貸しパソコンを届けに来たのです。私は自分のノートパソコンも持っていましたが、二台のパソコンを使って仕事をしたかったので、電話で、フロントにお願いをしたのでした。そして、「既にお風呂へ入ってしまったので、届けてくださいませんか?」と頼んだら、眼のくりくりした、例の渋谷郵便局の二階に居た警察の殺人用別働隊の男性が届けに来たのです。どうして、たった四年のうちに渋谷郵便局からワシントンホテルに、転職ができます。しかも、渋谷郵便局では、掃除夫姿だったのが、どうして、ワシントンホテル秋葉原のフロントマンへ、転職ができます。
すでに、6時になりました。主人が起きてきたので、大急ぎで結論だけを、書きます。もし、私が、一週間もこのブログを更新できなかったら、暗殺されています。その際は、上に挙げた渋谷郵便局で、発送をしていた私の四冊目の本、【伝説のプレス】を開封もせずに、送り返して来た、黒田悠子さんにも、1000分の一程度の、暗殺者としての、責任があります。安野智紗夫人や、前田清子さんなど、十二分の一ぐらいの責任があります。
後注1、