この一文ですが、前半が重くなってきたので、前半を強調する総タイトルへと、6日の午前9時に変更しました。後半は、剽窃問題の2の方へ回します。なお、6日の夜11時に、山口みつ子さんと、野見山さんとの、関係について、述べます。たくさん、語りたいことがありますが? 今夜中というと、時間が、足りないかもしれない。
副題1、『2019-10-5の私は、完全徹夜だが、ギャルリーユマニテの、佃嬢の態度は極めて、ハイなレベルで傍証づけをしてくれたので、それは、まず、記録しておかないといけない。何の?と問えば、絵画における剽窃の世界の話に、だ』
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副題2、『美術9条の会というのがあって、そこから、私は、三鷹ストーカー事件について、ボンボン、ボンボン、語る様になった・・・・・そして、その会の、重鎮であった野見山暁次氏との、恐ろしくて、深い因縁が、本日の、文章の導入になる』
2019年10月6日は、台風一過、非常にさわやかな日だった。こういう日に、ふと、人生のリセットを願う事があると、昔、書いたことがあります。そういう風に、ギャルリーユマニテの、佃嬢に思われると、困ると、いう心模様が、こちら側にあります。それを、書かないといけないのですが、その前に、美術9条の会について、語らないといけません。
京橋に目立たない通りがあります。人通りの少ない道です。そこに、2009年まで、ギャラリー山口と、言う画廊があり、いかにもお嬢さん育ちだと、わかる、みつ子さん(人偏に光と書く、珍しい漢字を使う名前のひと)という女性が、画廊を経営していました。
この人は、ひそかにですが、私と心が通じていました。一方で、美術9条の会というのが、起こされ、それを、通じて、私は、激しい政治的・弾圧を受けておりました。そういう状況を、渦の中心となって、起こした、有名人が美術界にも、何人かいて、それらの、人物に情報を流して、こう動いてくれと頼んださらに上位の人間が居るはずで、その一人が、酒井忠康氏で、あり、野見山暁次氏であろうと、思って居ますし、渡辺豊重氏も、その一人です。
私が、三鷹ストーカー事件について、ボンボン、ボンボン、書くのも、美術9条の会を通じて、流された、誤った情報に基づいて、渡辺氏が泳ぎ、それに、連動した、一ノ瀬智恵子さんに、2005年ごろ、いやな思いを味わわされたからです。わたくしは、一ノ瀬さんにも豊重さんにも抗議もしないし、けんか網ません。しかし、予測のできる人だから、三鷹ストーカー事件が起きる、11年も前から、私は、一ノ瀬さんは、将来、お子さんの事で、苦労をするだろうと思っていました。
お子さんは、鈴木紗綾ちゃんという名前で、リヴェンジ・ポルノが、どうのこうのと、大騒ぎになった事件です。あれは、・・・・・美術9条の会と言うものが、内包している悪が、凝縮した事件だった・・・・・・と、思って居ます。神様は、存在すると確信をした事件でした。美術9条の会が、行った諸処の悪こそ、あれ程の、けたたましい事件に、帰着してしまった源泉です。
美術9条の会が、凝縮した悪の別の流れの一つとして、こちらも、凝縮した悪であると、言うものがあって、それが、ギャラリー山口のオーナー、みつ子さんが、自殺を装って、他殺=殺された事件です。やまぐちみつ子さんは、お嬢さん育ちなので、お金に対する感覚が、弱くて、・・・・・経済的不況が訪れた時期に、収支にマイナスの面が強くなって、自殺をした・・・・・と、喧伝をされています。喧伝を、行った人が、川島さんと言い、因縁が、重なるのですが、山口さんの目の前で、画廊(=村松画廊)を開いていた人物です。
この人は、裏から教唆をされてもいるが、一方で、みつ子さんの育ちの良さに、ひそかな嫉妬をしていて、したがって、こういう悪口をばらまいて歩いていたでしょう。読売新聞が、コラムを書いて、ギャラリー山口のドアの写真を、置き、そこに、キャプションとして、・・・・・画廊のオーナーの中には、自殺をする人もいる・・・・と、書いたのは、川島さんの、動きがもとになっています。なお、因縁が重なると、言うのも、その同じドアのところで、現在、そこを使用しているのが、ギャルリーユマニテであり、そこの、二番目のスタッフの、佃嬢が、2019年10月5日、午後2時ごろ、私を・・・・・このドアのところで・・・・・明瞭に無視したので、この一文が、起草をされています。
G山口の跡地に、入っているのが、ギャルリーユマニテです。山口さんを他殺に追い込んだ、重要な人物、保坂航子さん(本当は、涼子であるが、今は、名前を変更している)が、16年から、17年にかけて、三回も個展を行ったのが、ギャルリーユマニテです。そして、その画廊のスタッフの一人である佃さんが、私を無視したドアこそ、私が、山口みつ子さんが、他殺であると、確信をした問題のドアだったのです。→
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副題3、『その読売新聞・記事こそ、井上ひさしが、仮装、または、架空の、死を、発表した原点でもあった。あの2010年の、1月から、4月にかけて程、私の周辺に、重要な出来事が、山積した時期はない。と、そう、言える年であった。八幡宮の、大イチョウが倒壊したのも、その三月である』
私は、読売新聞を取っていません。しかし、その切り抜きを当時、銀座7丁目にあった、Exibit Live and Moris という画廊のオーナーに、見せられました。上の二重ガッコの中で、この当時ほど、激しい攻撃に出会ったことはないと、語っていますが、
それは、7冊目の本を出そうと、準備をしていたからでしょう。そのタイトルを【消された映画】としておりました。これが、それまでの、6冊よりも、一般社会の、人に広く受け入れられやすいテーマであると、例の、CIAエージェントグループからみなされているからでしょう。そこに、登場するのは、レオスカラックス監督、マイケルムーア監督、それから、文化庁と、中国映画、【靖国】などです。この映画のプログラムと、映画【TOKYO】のプログラムが、我が家から盗まれています。 どうして、盗まれると、困るかというと、プログラムにだけ、文化庁が、その二つの映画に、800万円の支援をしたと、なっているからです。文化庁は、責任を逃れるために、急に、組織変更をして、援助金を出す部門を、半官・半民の別組織へ、移動をさせました。
こういう事実を見ていると、私のブログが、如何に影響力が、甚大かがわかり、やがて、私は、自分が、相当に、大物であることに気が付く様になります。あなた様に、威張るためにそんなことを言っているわけではありませんよ。如何に日本に、嘘が、蔓延しているかを説明する為に、そう、いっているだけなのです。
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副題4、『2009年から、2011年にかけては、私にとっては、映画のプログラムが、重要なアイテムになっていく・・・・・実は、それが、瓜南直子さんの死へと、繋がっていくのだった。西部暹氏の、自殺ほう助とは、誠に奇妙な話である。変だ。無論のこと。変だ』
::::::::ここで、挿入に入りますが、映画のプログラムの件で、瓜南直子さんについて、語らないといけなくなりました。
瓜南直子さんが、早世してしまったのは、誰かに教唆されて、映画のプログラムに関して、多数の投稿をしていたからでも、あるのです。これも「瓜南さんは、私に対して激しい攻撃をしたから、神様に、叱られましたよ」と、いう証左の一つなのですが、我が家から、重要な資料である映画のプログラムが、盗まれています。無論のこと、これを盗んだのは、CIAのブルーカラーか、または、警察の特殊部隊です。
本箱の間に、挟んでいたので、いつ盗まれたかは、わかりませんが、とても、重要なprogramが盗まれていて、実は、ここから、例の愛知県で、問題になっている、表現の自由の問題が起きています。
あの慰安婦像、展示の、諸問題の本質は、私には、わかっておりますが、何かを書くと、二転三転して、とんでもない方向へ流れていきますので、ここでは、10年前の東京圏での、出来事が、現在と、いかに連動をしているかだけを語ります。愛知県は、しばし、放っておきましょう。
世間の人は、それを知らなかったでしょうが、瓜南直子さんが、映画のプログラムについて発信をすることは、政治的な、嫌みだったからです。私に対する攻撃だったからです。今、それらの投稿が、瓜南さんの過去の、数多い投稿から、すべて、消えています。それも、・・・・・私が言って居ることが正しい・・・・・ということの証左なのですよ。それだけではなく、彼女は、【全日本あすはが連】というのも統率をして居ました。これも、美術9条の会と同じで、私に対する嫌味的攻撃の一つです。
それから、これは、2011年の10月から急に起きた話なのですが、投稿とリアルな世界での、二重の攻撃が、はじまりました。私がフェイスブック紙上で、2011年の五月、多大な支援をした金田佑子(広島在住)さんをも、直子さんは、取り込んで、二人で、組んで虐めてきました。それが11月に、ピークに達したし、警察かCIAガウラにいると、はっきり判明したのです。
事情は、こうです。金田佑子さんは、私から、本心をスパイする役目を頼まれて、2011年の、11月3日を指定して、デートを申し込んできました。広島から状況をするので、会いたいとのことでした。裏がわかっているので、断ると、当時は、どこにも売っていなかった、・・・・・日本酒【恋のうついすから】を、貴方に、お送りします・・・・・といってきて、フェイスブックの頁が、パソコンの画面いっぱいに、日本酒のラベルで、占有され、しかもフリーズして、動かなくなって、再起動をするのに、往生をしたのです。その後、直子さんと、佑子さんは、豊島屋の【源平巻(一種のお菓子)】を話題にして、イチャイチャぶりを、フェイスブック紙面で、見せつけました。それが、私が、瓜南さんを捨てると、決意した最大のポイントです。
この、リアルな世界での攻撃という意味では、ほかにも多数ありました。・・・浄智寺で、北鎌倉五山の菅長・全部と、覚園寺さんを招いてラーメンの会をした・・・・だの、・・・・ドゥローイングギャラリーで、個展をして、鎌倉の有名人が、すべて、オープニングに来てくれました・・・・とだの、投稿するのも、それの、一つだったのです。京都泉湧寺で、グループ展を開いたとか、東京MXテレビの、西部邁氏の番組に出たとか、全部、嫌み的、攻撃にあたるのでした。
この西部さんが、後日自殺をします。これも、最大限の、疑義があるところですが、ここでは、触れません。
まあ、結論として言えば、瓜南直子さんは、派手、派手に、攻撃者としてふるまったのでした。それが、私を弾圧するのに、相当に、役に立つとみなされていたらしくて、ご近所主婦からの攻撃が、このころは、少なかった、というほどです。
私の方ですが、11月まで、我慢をして、読んでおりました。政治的に重要だからです。しかし、その豊島屋のお菓子を使った時点で、佑子さんが絡んできたので、両方捨てると、決意しました。というのも、瓜南さんが、そのお菓子を送ったのは、それが、安くて、見栄えがするからです。大きな金属の、花模様付きの缶に入っていて、当時で、1300円でした。だから、見かけはとても立派ですが、食べてみると、実際には、おいしくない。で、これも、その一つなのですが、瓜南さんが、経済的にひっ迫をしていたのは、8月ごろから、すでに私には判っていました。京都東山へ向かうタクシーの件についての彼女の投稿で、と、同時に、健康を害していることも。
そして、秋には、浄智寺さんが、ラーメンの会を開くのですって。チャーシューを禅寺で、食べるのです?。
いやらしい、いやらしい。ラーメンって、ものすごく塩っ辛いのです。さらに、肝臓が悪くなりますよ。また、その会へ出るために、新しい洋服を買わないといけなかった、瓜南さんには、余計な負担をかけたのです。お金持ちの伊藤玄二郎や、浄智寺さんには、そんなことは、想像もできないのでしょう。わたくしは,2008年に、【黄色いサクランボ】と、いう本を編んでいますが、美術専業で、生きている人は、本当に大変なのです。ニューヨークが舞台で、外人アーチストが、主人公ですが、日本も同じなのです。」・・・・・
彼女が亡くなったとたんに、大勢の人が、彼女を懐かしんで、あげあげの投稿をしていましたが、伴誠(清?)一郎さんの、投稿と、金田裕〈または、佑)子さんの投稿に接したときは、ゾッとしました。この二人が、なんと、自己愛の深い人なのだろうと、気が付いたからです。二人の投稿は、私に言わせると、・・・・・頓珍漢も、極まっている・・・・・と、いうたぐいのものでした。彼女の周辺には、お追従は、使えるが、真実の助け手になれる人は、いなかったのです。
金田裕子さんには、・・・・・あなたが直子さんを殺したも、同然ですよ。あの、11月8日頃、私に「日本酒を送りますを」と言って、その画像のせいで、パソコンがフリーズした、誰も生産していないし、だれも、売ってもいない日本酒、【恋のうぐいすから】の、ラベルを見たときに、【銀座のうぐいすから】をからかってきているわけですねとは、むろん理解をしました。そして、鎌倉エージェントの関係者は、大いにあざ笑ったことでしょう。フリーズさせたのは、古村浩三君ですね。などとも、理解しました。しかし、自分名義で、こういうことをするのは、幼稚すぎます。あなたって、お子さん育てていますか? もしかすると、お子さんが、いないのではないですか? 50代の女性としては、未熟すぎます・・・・・と、いっておきたい。
浄智寺さんの場合ですが、ラーメンの会などを開いてあげるよりも、そっと絵を買ってあげて、三十万円ぐらい上げる方が、どれほどに、瓜南さんの、実際の生活に役立ったことか?
お漬物が好きだ、とか、お酒が好きだとか、タバコを吸うなどが、肝臓を傷めていたとは、思いますが、あれ程、活発な投稿をして、頭は、ピンシャンとしていた彼女が、私が、捨てると、決意してから、たった、七か月後に、死んでしまうのですから、神様は、この世にいらっしゃるのです。
瓜南さんは、私については、正しい事は、何も知らなかったでしょう。気の毒ですが、自分では、正しいことをしているつもりになっては、いるが、神様からは、見放されてしまったのです。私を攻撃するのは、正しい事ではないのですよ。悪魔に、身を売るのと同じです。ただし、貴方が、悪魔側の一人なら、貴方は、私を攻撃しても、死にません。悪魔に身を守られているからです。瓜南さんは、かわいそうに、善人だったのです。
この瓜南さんを、教唆して、動かしていたのは、伊藤玄二郎だと、思います。それが、柴田悦子画廊に、直結をしています。彼女が国文科卒なので、自分よりも、下手に出てくれる人だから、出版社を、経営している伊藤玄二郎にとっては、利用しやすい人物なのです。
しかし、この2019年の、10月1日に、柴田さんが、私に対して、意地悪な事====「この個展は、あなたが、見るべき個展ではありませんよ」と、いいながら、画廊を追い出した====のは、瓜南さんが、関与していたわけではありません。瓜南さんの代理人として、復讐をしてきたわけではないのです。
大原光孝さんが、裏にいた剽窃の問題が、あったからです。特に植木鉢の罠〈後注2)と、いうシリーズを書いた今、柴田さんが、そう出てくるのは、大きな意味があるからです。CIAエージェントと関連してですよ。みさきちゃん、行方不明とも関連してですよ。
::::::::::::という挿入を入れて、元へ戻ります。元とは、7冊目の本の準備をしていたと、言う時点です。赤い矢印を置いて、いるところです。で、次の赤い矢印を、ここに置いて、ここに、上から、ここへ飛びます。→→→→
今、私は、2011年のころと、同じくらいの、レベルで、再び、大弾圧のさなかにあるわけですが、それは、この本の、出版を実行していないのも、おおきな原因だと、思って居ます。つまり、弾圧すれば、私が引くと、思わせてしまったのが、まずかったのです。が、弾圧されたので、印刷製本へもっていかなかったわけではなくて、母が、死にそうだったので、自らの心身に、余裕を持たせるためだったのです。本の出版は、たった一人で、すべてを行うし、そのデータ制作の間に、毎日、毎晩、激しいシステム破壊をパソコンに起こされるので、大変なストレスが、かかる仕事なのです。だけど、それを含めて、彼等は、自分達の、攻撃の手法が正しいと、思っているのかもしれません。(苦笑)
で、激しい攻撃の一つとして、彼らは、別のことを思いつきます。私に、個展をさせることを思いつきます。個展は、結構、忙しくて、力がいるからです。で、結果として、消耗します。体力もお金も消耗をします。
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副題5、『ここで、専門的にはなるが、個展とは、二種類あること。それは、企画展と、瑕疵が廊を、使う形式の、区別があることを語らせていただきたい』
それですが、exibit Live and Moris のオーナー森さんに、「彼女(=私)に企画展を、申し出でよ」と、命令をします。誰が、命令をしたかというと、これも酒井忠康氏でしょう。いや、氏は表に出ず、栗田玲子さんを通したかもしれません。
どうして森さんが、選ばれたかというと、よく立ち話をしていたからです。北に在るユマニテから、絵を見ることを始めた日には、最後による画廊でした。地下の二階に在って、外部から遮断をされていると、言う条件下に在るのと、
森さんが、奥さんを亡くしたのちは、ここで、若い作家たちと、一緒に、お酒を飲んで、それを、夕食代わりにしていたと、言う状況がありました。それで、私は、四回に一回は、その、夕食会に、何かを差し入れていました。私は、そのころは、まだ、いわゆる、お金持ち風な生活スタイルの人だったし、ほかの人から、お母さんみたいと、言われるほどに、心遣いとか、気遣いのある人だったからです。
いやあ、しかし、これを言いたくないのですが、森さんの画廊は、盗聴をされていたと、見ています。だから、使役をされました。
しかし、その代わり、森さんは、今、画廊ではないものの、銀座に、事務所を与えられているのです。その家賃は、内閣の官房機密費等で、支払ってもらっているのではないですか? 裏通りの、三階で15万程度、光熱費は、自分支払いでしょうか? これは、彼等、鎌倉エージェントに協力をした見返りです。これも、内閣官房機密費から出ていませんか?
ともかく、森さんは、敵さんの、隠れた代理人として、私に企画展を申し込んできました。これも、また、瓜南さんが、伊藤玄二郎に逆らえなかった、おおきな、ポイントと似ている状況で、わかっているのに、私は、それが、断れませんでした。企画展とは、画廊で、自分の作品を飾って、お客さんに見せる際に、自分の方は、画廊にお礼のお金を上げないで済むシステムです。画廊への謝礼金は、普通だと、おおきな画廊で、40万円以上を支払います。しかし、企画展というと、それが無料になるのですから、うれしい制度で、それを、申し出でてくれた画廊には、逆らえなくなるし、そこを、紹介をしてくれた人にも逆らえなくなります。しかし、画廊側も、人件費や、光熱費が、かかるので、作品が売れる作家のものしか、引き受けませんし、売れても、売上金の15%~40%を画廊側が、とります。
私が、2000年に、平野和子さんが、経営していた、ギャラリーbeaux で、個展をしたときには、色付きの、版画だったので、40万円以上の売り上げがあったかなあ。「ひじょうにめずらしい」と、いわれました。ユマニテさんが、敵さん側に利用をされる様になったのも、この個展の直前からです。
ユマニテさんが、「一枚につき、三万八千円で、売ったらいいでしょう」と、値付けをしてくださって、それをメルマガで、書いたからです。以前から、いっている通りです。いまだ、実際には、生きている、井上ひさしは、このブログ、または、非公開だった時代のメルマガもすべて、丁寧に読んでいて、そこから、私を攻撃する手段を思いつきます。
井上ひさしは、そこまでをやって、あとは、伊藤玄二郎が動きます。ユマニテに、直接交渉をする人は、宮崎進氏の姪とか、黒田悠子さん(芸大卒業生として、芸大派閥の誰かから、命令と、教唆を受けている可能性がある)が、金成悠子さんをまず動かして、その後、オーナーへ、伝わるとか。しかし、私の場合は、マスコミ有名人ではありません。
だから、一回買ってくれた人が、二度目として、買ってくれる可能性は、少ないです。「一回は、お付き合いをします。でも、二度目はダメよね」と言われてしまう可能性があります。ですから、企画展など一生無理だと、思っています。
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副題6、『私は、むろんのこと断りたかった。裏に伊藤玄二郎がいることが、見え見えだし。しかし、live and Moris のオーナー=森さんの眉間に深い傷があること。その原因も聞いていた私は、一瞬ひるんでしまった。地下二階の、広いスペースを、使っていて、立派な、書斎を持ち、多数の、厚くて真面目な本を読んでいる彼も、若いころはやんちゃだったのだ。いわゆる出入りの経験があると、想像をしている。だから、断れなかった』
映画【パッチギというのを、テレビ放映で、見たことがあります。それは、在日の青少年と、日本人不良少年の、衝突を描いたものだったと、思います。わたくしは、大阪で、その傷がついたと、聞いたので、すぐその映画を思い出しました。しかし、もっと、年長になってから、半分やくざの一味として、けがをしたのかもしれないと、思いました。一方で、新左翼運動があります。内ゲバで、有名なものです。
大阪で、新左翼的、運動があったのか、なかったのかは、知りません。ここで、突然に、副題2の、紫色の矢印へ、戻ります。そして、そこからの、続きをここで、書きます。→→→→
その日だったか、違う日だったかは、忘れましたけれど、ともかく、山口みつ子さんが、自殺だと、いう形で、殺されたのが、2010年の1月17日です。そして、その新聞記事が出たのが、いつだっただろうか? ともかく、企画展は、三月の初旬に設定をされていたので、その前ですが、森さんが、その新聞をわたくしに手渡しをしたのです。
山口みつ子さんのお葬式(いわゆるしのぶ会)が、一月31日(日)に設定をされていたのに、急きょ中止になったそうです。山口みつ子さんは、大勢の人に尊敬され慕われていました。だから、画廊が、閉鎖される最後の最後の日、2010年1月31日に、みんなで、飲み食いをしながら、しのぼうと、なっていたのをです。女性陣が、いつものオープニング用の、おごちそうを、五倍量ぐらい用意し、あとは、持参されたワインと、注文の、お酒類で、二時間程度、歓談する予定だったでしょう。それなのに、それを行わせなかったのが野見山さんです。氏が、秘書の山口千里さん他を、通じて、大急ぎで、電話とメールを使って、中止にしたのです。
野見山さんは、ひそかにですが、山口みつ子さんが、他殺だと、知っていた可能性があります。千里さんも知っていたでしょう。が、この人は、神経が太いので、他殺だと、知っても、気にしないのではないですか? しかし、野見山さんは、後ろめたかったのです。
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副題8、『私は、先輩にはあたるが、未知の女性から、「あなたは、天与の美声を持っています。だから、嶺南坂協会の聖歌隊に入りなさい。わたくしは、三期(ICUを7年前に卒業した人)の人で、そこの聖歌隊に、入っている人を知っているから、紹介してあげます」と、いわれた事があります。
その私が、ギャラリー山口の事務所の入り口で、みつ子さんと、話していたら、上にあげた、読売新聞に出ているドアとは、別のドアから、目立たない様に、山口千里さんが、入ってきて、大声で、「誰よ、ぎゃあ、ぎゃあ、騒いでいるのは」と、いった事があるのです。それが、何年の何月、何日だったかを、記録にとって奥履きでした。しかし、10年以上前の話です。
そのころは、まだ、商業主義的な世界へ、伸びていくことができると、思いこんでいたので、こういうつまらない事は、こだわるではないと、思って、記録しませんでした。しかし、記録をしなかった方が、間違って居たと、思います。
ああいうことを平気で言う彼女は誰かから、激しく、洗脳をされ、教唆をされていたのです。嶋田章三さん? それとも、野見山さん?
ありていに言って、千里さんの声の方が、よほど、汚なかったですよ。その瞬間、この人って、土建業者か何かのお嬢さんかしら? だから、夫のある身でありながら、しかも、夫は、遠い場所で、働いているお医者さんであって、忙しくて、疲れているのに、奥さんとして、サポートをしてあげないでいて、しかも、お子さんに、母親として、育てなおしをしなければいけない問題があるのに、野見山さんが好きであるあまり、その秘書をやっているのかしら? でもそれって、ものすごいレベルで、無責任というものでしょう』と、思ったほどです。どうして土建業者と、言う想像をしたかというと、のみやまさん
その時、傍らにいた、野見山さんが、わたくしをはじ目て、見たらしくて、びっくりした目をしながら、おびえていました。何か、裏で、私に対して、悪いことをやっているからの怯えでした。そして、私が、氏が、事前に、想像をしていたよりも、圧倒的に、美しかったので、おびえたのでしょう。わたくしが美しいというのは、遺伝的な顔の構造を言っているのではありません。精神の、持ちようが美しいので、あなたは、美しいと、他人から、いってもらえることがあるのでした。こっちにしてみれば、すでに、野見山さんとは、何度もあっています。しかし、彼の方に、私への、認識が、なかったのでした。
ところで、山口千里さんは、非常に美しい顔の人です。外人っポイ顔ではなくて、お雛様系、そして、人妻だけど、若いです。もし、山口みつ子さんが、自殺をしたと、信じるのなら、野見山さんに捨てられたと、考えたから、そうなったと、なります。
実は、野見山さんのギャラリー山口での、最後の個展、(これは、いつだったかなあ?)で、オープニングの日に、私は、いつもより、ちょっと長居しました。普通だと、ワインも飲まずに帰るのですが、その日には、話し合うつもりもなくても、中学時代の同期生であり、かつ、野見山さんの、千里さんが、秘書に就任する前には、秘書的、役割を果たしていた大久保忠春さんも居たし、上に言って居る、千里さんも、居たからです。彼女が、恐ろしい怒鳴り方をした、日より前は、私は、千里さんとは、仲良しのつもりでした。
どうして、仲良しだったかというと、千里さんが、なかなか、国画会の会員に、なれなかったからです。彼女は、結構、リアルな絵をかいていたし、テンペラなので、繊細な、感じにも見えるので、既に、絵が売れる段階になっていました。それが、だれか(?)の、嫉妬を招いていとも考えられるし、美貌が、嫉妬を招いていたとも、考えられますが、もう、一つの理由は、聖心女子大卒で、あって、美術界における美大系、学閥の、恩恵を受けられないからでした。私も国際基督教大学卒なんて、もともとの卒業生が、一学年、300人以内で、かつ、10期生ですから、美術界に先輩などいるわけもないので、ずいぶんと早期から、ああ、もう、やめたいなあと、思って居たのですが、ああいう組織って、入ったが最後、出られないところがあるのです。裏切り者扱いをされてしまうのです。
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副題8、『山口千里さんと、みつ子さんの、類似点と、相違点・・・・・ところで、野見山さんのデカダンスについて』
ここで、千里さんが、どうして、野見山さんを好きなのか、その理由が、私には理解ができないと、言う話をしないといけません。千里さんの、作品は、現代アートいうよりも、絵画という感じの、整って、整理をされた絵です。そういう作風の人が、どうして、ああいうギャーっと激しい自己主張がある様なゑ、(ただし、理性的、理論的な、自己主張ではなくて、野生の叫びという様なものですが)、を、好きなのかが、わからないのです。野見山さんに性的魅力があるのかなあ? しかし、頭の良い彼女が、そういうケースだったら、私に向かって、「私は野見山さんが、大好きなのよ」と、言うはずがないです。だから、あくまでも、芸術家としての野見山さんが好きなのでしょうが、どうしてもわからないところがあるのです。
それは、野見山さんの父親がサラリーマンではないと、言う点なのです。労働者を搾取している社長だから、おお金持ちなのですが(炭鉱の、経営者が、実家である)、そういうケースだと、自分が金持ちである事に、後ろめたさを感じるものなのです。宮沢賢治などには、その典型です。宮沢賢治の父親の職業は、労働者の労働を搾取している姿を見ることはない立場でした。質屋を、経営していたからです。だけど、賢治はその仕事に大変な負い目を感じていて、相当に悩んでいて、だからこそ、文章を書く人となったわけでしょう?