さて、前報(後注0)が放ったらかしで、未完です。で、そこを完成せねばならないのですが、ずいぶんと長い時間を空けてしまったので、次の章を、新たに起こし、そこにまず、前報で、書く予定だったことを簡単に書いておきます。
副題0、『私が今、シリーズ化して、書きたい事は、多大な力と、時間を必要としていて、なかなか、完成に至らない。しかし、書くことは、書くつもりになっている。というのも人生に、5度ぐらい経験した、精神的にも、社会的にも、大危機であり、それは、神様へまず、貢物として、ささげておかないと、いけないからだ。神様へ、詳細にして、丁寧な、文章として、事実を報告をして置くと、神様は、何とかしてくださるのだった。神様が、私に成り代わって、相手を罰してくださるのだった。そういう流れを、この20年間に、何度もキャッチしたので、その流れに、頼るつもりになっている。
ところが、本当に、自分と神様との間だけの、文章とすると、とんでもない災禍に、二重、三重に、で会う事になるのだった。しかし、これを、一種のミステリー小説として、読んでくださる読者がいる限り、災禍は、大きくならない。しかし、神と、私だけの、対話としての文章とするのとは、異なる、タイプの、ブログというものにするためには、多大な説明を必要とする。だったら、下書きだけで、置いておけばいいと、皆様は、お感じになるだろう。ところが、もし、そういう事にしたら、かえって大変で、被害が幾何級数的に、甚大になる。したがって、このブログは、書かないといけないのだが、私の進退を、むしばむ作業ともなっている。で、ブログを書くという作業は、矛盾を内包していて、大渓谷を綱渡りする様なもので、ある。
一方で、その大攻撃を起案した、連中は、私がこれから何を書くかを知っている。彼等は、ばれないと、思って居たし、もし、万一ばれた場合にしても、まさか、ブログ化するとは、思いもよらなかった模様である。
しかし、私は書き始めている。この、2019年10月11日と、13日の、二回にわたって行われた悪辣極まりない、大攻撃には、合計32人の人が関与している。山の上だけで、9人の人、ぷらす、その家族(ただし、成人している人だけを数えるが)8人が、関与している。単身家庭もあるが、パートナーや、既に、成人した、子供がいる家もあるので、9人の主役だけではなくて、合計、17人が関与しているのだった。
今、30%ぐらい書き進んだところだが、それが重い任務であるがゆえに、かえって、家事とか、雑事を先に行う。特に夫が、心臓に血栓ができて、生きるか死ぬかの、状況をくぐった。それは、私が料理をしなかった数年間の、影響だと、思っているので、今は、台所仕事に、1日8時間以上を割いている。彼が調理を好きだったし、自分の調理方法の結果は、私より、上等だと、信じているので、すっかり任せきっていた。だけど、大いにまずかった。好きなものを優先的に作るからだった。
私の方は、1週間に60種類以上の食品を取ることにしていて、ほぼ、栄養士並みの、気の使い方で、料理を作る人なので、私が、主に作っていた時期は、家族はだれも、病気にはなっていない。私は、主人が料理を担当してくれていた時期に、マイクロソフトワードの使い方、アドビのフォトショップ、および、イラストレーターの使い方をマスターして、本を、印刷直前データまで、作ることとか、そのほか多分野で修業をしていた。だから、今、コンナニ、堂々と、安倍総理批判を展開できているのだけれど、しかし、夫を、生きるか死ぬかの目にあわせてしまったのは、とても、まずい事だったと、思って居る。
ところで、調理とは、本当に真剣に取り組むと、準備と、後片付けも自分一人で、するのだから、優に、8時間かかってしまうのだ。ベトナムとか、タイでは、屋台で、外食として、夕食、もしくは、三食を済ませる文化があるそうで、そうですか?と、言うほかはないのだけれど、日本の場合、外食だけだと、栄養が足りないと、思う。で、その11日と、13日について描く文章が、とても、遅れている。
まあ、昔(2011年とか、2013年ごろまでの事)ほど、焦ってはいなくて、この遅れていることを含めて、神様が、何とか、良いように計らってくださるだろうと、信じている。
しかし、この攻撃を計画した方では、私が、書かないで、居る間に、さらに、おおきな攻撃をすれば、結局、書き止めてしまうだろうと、思っているし、さらに、より複雑な、方法で、私が、真実を書くのを、中断してしまう様に、手配をしている。彼等は、本当に、攻撃の、手を休めない。常に、次の攻撃策を、準備していて、『いまだ!』と思った時に、それを、伝家の宝刀として、出してくる。
まさしく、想定通り、それの、ひとつが、出現した。東京五輪2020で、マラソンと、競歩を札幌で、開催すると、突然に、バッハ会長がぶち上げた。なあるほどと、苦笑をするがごとくに、納得をする。
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副題1、『一般の日本国民は、これは、海外で、バッハ会長が、決めたことなのだ。ドーハの世界陸上で、四割の女子選手が、棄権したことで、発生したことで、バッハ会長は、アスリートファーストな、紳士である・・・・・などと、おもっているだろうか? 全く違う。これは、伊藤玄二郎と、(公的には、自分を死んだと、発表をしているが、実際には、今なお、生きている)、井上ひさしが、組んで、発案をした事で、私が、【植木鉢の罠】シリーズを書いていたころから、発案をされていたと、思われる。というのも、植木鉢の罠も、自然発生事案では、無くて、この二人(=伊藤玄二郎と、井上ひさし)が、発案したことであって、それに関与した、数人のご近所住人たちは、道具として、使われたのに過ぎない。
ところで、そちらで、大きく動いたと、私が推察している、大原光孝という人物について、今度は、焦点を当てて、【画家の剽窃】というシリーズを書き始めている。これは、私のご近所に住み、既に、数々のいじめを実行してきている、大原光孝という人物に創形美術学校で、彼の後輩にあたる、本田和博さんの絵と、そっくりなものを、描かせて(ただし、もともと、三号程度の小品を、水増しして、拡大し、30号から、50号程度の大きさに仕上げたもので、雑な事極まりなくて、これで、よく春季院展(三越・日本橋本店で、展示をする)で、入選したものだと、びっくりしてしまうが、裏から、15年以上前の、当時すでに、審査員だった、中島千波さんに手をまわしたのだと、思われる。
むろん、伊藤玄二郎と、井上ひさしが発案をした事なのだけれど、目的は優れた美術評論を書き始めていた、私をからかって、委縮させることに在った。
私は、本田和博さんの作品についてさしたる事を書いたという記憶はない。メルマガ(500人程度の、知的・ハイ・ソサイエティ所属の人を相手に送る)で、何かを書いたかもしれない。
しかし、問題は、尾行とか、盗聴に在る。私が、恒による画廊には、すべて盗聴が仕掛けられていると、推察している。昔風な、プラグとかソケットに、部品をつけるという形での盗聴ではない。今は、スマホが、即席の盗聴器になるのだ。画廊に立ち寄って、長居をすると、次の訪問時から、その画廊の、オーナーとか、その日展示をしている作家(主役)のスマホを即席の、盗聴器に仕立て上げるのだ
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副題2、『私の文章の特徴は、平易な語彙を使う事だ。瀬木慎一さんは、突然に、私を告訴するという手紙をよこした。しかし、電話をかけて、対話した時に、【おとがい】と、言葉を私が出しただけで、告訴の話など、雲散霧消してしまった。事前に、中央大学法学部卒と、言う同窓のよしみで、伊藤玄二郎から、私に対して、悪口を聞いていたと、推察できた。
「ものすごく、低劣な文章を書いているのに、人気美術評論家気取りなのですよ」と、言うようなことを、吹聴をされていたのだと、思う。私は確かに、このブログでも、学術用語を使わないし、美術評論的な文章でも使わない。それは、まあ、英語が得意な事と関係がある。英文だと、学術論文と、普通の会話と、用語が同じなのだ。日本社会だと、論文に使う動詞とか、名詞も、会話体で使うものとは、異なって来るが、英語だと、共通の動詞を使う。まあ、ヨーロッパ語源の、抽象名詞で、長いものがあるが、それは、それとして、文化が違う。
その上、私は表現者として、人を感動させることができる・・・・・それをすでに知っている。中学生の時に、国語の先生が、女子の中では、私の作文、男子の中では、のちに、東大へ、進学する、優秀な子の作文を選び、謄写版で、摺ってみんなに配ってくださった。私の中学は、総勢100人の内、10人が東大へ、進学するほど、1950年代は、名門だった、横浜国立大学付属中学校だったが、・・・・・その優秀な子供たちの内で、私は、ほかの子と、50点の差をつけて、入試一番だったそうで、一種の浮き上がった存在だった。別にいじめられたという記憶はないのだけれど、打ち解けて、もらう事もなかったと思う。ところが、その作文を読んだとたんに、みんなが急に仲良くしてくれる様になった。休日には、おうちに招いてくれる様になった。私が作文で書いたのは、クラス対抗のバレーボールの試合に負けてしまった経過だった。大向こう受けは、一切狙って居ないのに、生き生きしていてまるで、現場が目に浮かぶようで、面白いのだそうだ。
次にお歌で、表現力が高いという事もあるが、それは、詳細には、触れない。煩雑になるので。
ともかく、私は自分の内面が、あつくたぎっていて、かつ、他者に対して、愛情を持っている。才能があることを、見つけた、若い人を支援したいと思って居る。だから、生き生きした文章が書ける。で、それを、画家が、一般の人に見せると仮定をする。すると、一般の人は、その画家と、その作品を、よくわかる様になる。
一方で、既成美術評論家の文章はどうだろう。それは、美術界、特に現代アートという、知的、プライドの高い世界固有の、文章であって、一般の人にとっては、ちんぷんかんぷんであると、思う。ただ、彼等は、文学部(又は、芸術学部)の、美学等を専攻しているので、底で、学んだ知識やら、スタイルを捨てきれないのだ。怖いのだと、思う。そして、私が、人々の人気を得ることを、恐れ、かつ嫌う。
私は画廊内で、本田和博の絵を見て、息をのんだ。色が美しいというわけではない。グレー(無彩色)の濃淡だから、普段の私だったら、通り過ぎるはずの作品だった。が、マチエール(画肌)が、すごい。そして、テーマも独特である。
最近、藤田嗣二の、マット(つやのない)画肌が、シッカロール(赤ちゃん用の、風呂上りに、肌にはたく粉末)作られていたと、発表をされた。
本田さんのは、シッカロールより、もっと粒子が荒いもの(大遺跡粉末等を使っているが、さらに、乳鉢で、自分で粒子の粗さを調節しているかもしれない。
この種のことを、私は、15年前から、わかっている。すべて、わかっているが、人間愛の、一つの表れとして、書いてこなかった。しかし、植木鉢の罠は、本当にひどい。誰かが、我が家から、植木鉢を大量に盗んで、それを、まるで、私が間違った日に出したかの様に装って出した人間が居るのだ。それに、大原光孝は、重要な役割を果たしていると、私は推察している。
だから、心底から、怒った私は、以前から、知っていた、この【画家の剽窃】シリーズを書いたのである。大原光孝という画家が、後輩の画家の画題を盗んで、本家とは、似ても似つかぬ、あらっぽい絵を制作し、春季院展に出した陰には、創形美術学校の、教授をしていた、柏健さんも絡んでいる可能性もある。勿論、酒井忠康氏は、からんでいるだろう。
あれから、15年たって、中島千波さんは、芸大の、教授である。どういう哲学を、学生に教えるつもりなのだろう。疑問がいっぱい沸き起こる。
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副題3、『ここまで書いても、伊藤玄二郎一派は反省をしなかった。それで、2019年10月11日と、13日に、更にあくどいことをやってきた。それは、絶対にばれないというかばれても、書くことができないだろうと、推察していたであろうに、私は、ほとんど、正しくスケルトンを書いた。その後、それを、展開充実させていく予定になっている。
だから、バッハ会長に頼んで、盛大な、打ち上げ花火的、ニュースを発表をしてもらった。マラソンは、姪イン種目である、沿道で、応援をすることを楽しみにしていた人は、いっぱいいるはずだ。東京都民は、時間さえかければ、それをライブで、見ることができる。それを札幌に取られてしまったら、東京五輪2020は、気の抜けたビールの様なものになる。
私は、このバッハ会長の発言は、単なる、ブラフで会って、そのうち、札幌が、「無理です」と、発言して、元へ戻ると、見ている。こういう市議を、バッハ会長に飲み込ませたのは、
伊藤玄二郎 ⇒ 石塚雅彦、⇒ 三輪喜久代(+、日経新聞ヨーロッパ宗支局長)あたりであろうと、推察しているし、
小池都知事に対して、「安心をしておきなさいね。これは、嘘のニュースです。近々、サッポロ側から、・・・・・準備が、間に合いませんでした。お断りをします・・・・・と、言う発表があり、元へ戻るからね。ただね。テレビカメラの前に出るときは、最上級のおしゃれをしてね。これは、雨宮舜(本名、川崎千恵子)という人間をやっつけるための、ブラフなんですが、貴方が、きれいでないと、そこを突っ込んでくる人間ですからね。女のおしゃれについては、一家言があるらしいし、ひどく、うるさいのよ」と、告げた、人物が居るはずです。それは、きっと大宅映子でしょう。見て来た様なうそを言いの類ですが、それほど、遠い距離で、真実から、離反している嘘でもないと、思いますよ。
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副題4、『もし、本当に、札幌になったとしたら、東京五輪は、大失敗だった。無駄なお金を使って、この国をだめにしたと、言う形で、安倍総理大臣が、激しく批判をされるでしょう。表には、出てこなくても、選挙に自民党が負けるという結果が出るかもしれません。
東京五輪への期待値とかは、どんどん下がるはずですし。
後注0、