銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

養老先生は「妙本寺でよく遊んだ」とNHKBSP内で仰った!?!・・・やまゆり園事件の主たる目的は、措置入院という語彙の波及だった!?!

2020-08-12 05:04:18 | 政治

 本日の文章は、総タイトルを何度も変える可能性があります。それは、最初にお断りをして置きます。

副題1、『比企が谷戸(ひきがやつ)・妙本寺は、観光寺院化していない。なぜかというと、超お金持ちだからだ・・・・・と、私は、思っていたのだが、平成29年に就任なさった貫首は、早稲田大学卒で、現在58歳だと、wikipedia で、見た。という事は、この方は、いわゆる雇われ社長様かな?・・・・・となると、今まで、勘違いをしていたとなるが???』

 前報(後注1)の中で、妙本寺のトップは、鎌倉一お金持ちだろうと、言って居ます。「鶴岡八幡宮の、宮司様は、会社にたとえると、雇われ社長なのだけれど、妙本寺の貫首(トップ)は、一種の創業者社長だから」と。しかし、五年ぐらい前は、それでよかったのですが、本日2020-8-13に開いた、グーグルでは、新しい貫首様が、就任なさって居て、その方は、墨田区生まれで、58歳で、早稲田大学(その後立正大学も卒業)卒でした。しかも、妙本寺に、いらしゃる前は、別のお寺の住職だと、書いてあります。

 きょとーんです。住職挨拶と、言う欄に、奥様らしき方も、写って居ます。とても若く見えます。でも、この現在の貫首様が、20歳も若い奥様をもらうだろうか? 遠藤家のお嬢様は、今、38歳ぐらいか、もっと若い筈です。このお写真の、方よりも、もっと小柄な女性だったと、感じるのですが。面貌も違うと、思いますが、はっきりしたことは、わかりません。

  なおここで、パウンドケーキの写真を入れますが、それは、或るサインであって、ケーキそのものが、話題になっているわけではありません。間にいろいろな挿入を挟んで、次のパウンドケーキの写真の所へ、文章が、続くのですと、言う印です。

 しかし、一気にそこに、飛ぶことは、おやめいただいて、途中の思考の流れには、付き合っていただきたいと、思います。彼ら、鎌倉エージェントの行う謀略は、すべて、だまし討ちとして行われますので、正しい結論に到着するためには、傍証づけとして、色々なえぴそーどを展開しておく必要があるからです。

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副題2、『富沢家の、お墓は、妙本寺に在ると、聞いているが?』

 そう言えば、丁寧に思い出せば、富沢夫人は、「(遠藤家のお嬢様が)妙本寺の、承継者の、お子様の、お嫁さんになったのか、それとも、あそこで、修行中の若いお坊さんの、お嫁さんになったのか、それは、わからないのですけれど」と、言って居ました。富沢家は、妙本寺にお墓があるのです。だから、もし、お施餓鬼(夏のお盆に、檀家が集って、お寺で、お料理を一緒に食べて、宴会をする)などに参加をして、その際に、給仕をしている、その若いお嫁さんに出会って「あら、遠藤さんのお嬢さんじゃあないの!」と、なって、それを私に教えてくれたのかもしれません。

 しかし、私にしてみれば、遠藤家が、引っ越したのちの、数年がたっている時点で、それを聞かされるのは、とても、不自然な感じを受けました。しかも、道端の立ち話で、それを聞くのはさらに、不自然だと、感じました。

 で、私が仮名(又は西隣とだけ書いた筈)で、遠藤夫人の、何とも嫌な感じを、書いて居るがゆえに、そのお嬢様を大出世させて、「お前、負けただろう!」と言いたい、伊藤玄二郎の悪意ある思惑を感じたので、・・・・・うーん、富沢家は、家のある場所が、ひときわ高い位置で、他の家からは、隔絶されているので、心理的にも、中立で、昔から、この山の騒動には、タッチしていなかったのに、とうとう、安野・前田軍団に、陥落しましたね・・・・・と、感じたわけです。したがって、このエピソードを聞いたときは、一種のメルクマールと、成りました。何度も、それを繰り返して言いますが、私は、リアルな生活では、喧嘩には、もっていきません。だから、富沢夫人に対して、「いやだ、あなた。何で、そんなことを私に聞かせるのですか。やめて! だって、遠藤夫人って、かくかくシカジカですからね(後注1)」とは、言わないのです。

 その上、時は、前後して居て、正確な日付は、わからないのですが、富沢夫人が、夜、私の留守中に電話をかけてきて、私の、主人に向かって、「宅が、ゴルフの打ちっぱなしをいたします。うるさくて、ご迷惑でしょう。奥様に、よろしく、(お詫びの程)を、おっしゃっておいて、くださいね」と、言ったのでした。カッコ内は、発言をされなかった部分ですが、主意は、そこにあります。

 これは、ものすごく大きな悪意を秘めているセリフなのです。しかも遠藤夫人と関係があります。したがって、もろ、政治的な案件なのです。

 

 なお、この、ビオラの写真も上のケーキと同じで、次の、同じ写真へ、文章が続くしるしです。しかし、こちらも、間は、抜かさないで、お読みいただきたいと、存じます。

 どういうことかと言いますと、遠藤夫人が毎日、庭ごみを、60cm低い我が家に掃き入れて、自分で、始末をしないことは、我が家のトイレの窓から、一メートルの至近距離で、完ぺきに見えた事なのです。事実です。今では、その窓から、彼女の腕と、塵取りと、ほうきの、写真を撮っておくべきだったと、思います。しかし、遠藤夫人側からは、その窓は、見えないのです。どうしてかというと、その家が、境界ぎりぎりに建てられているので、彼女の側からは、我が家の窓が見えないのです。最初の持ち主は、一つの敷地内に、二軒の家を建てたので、東の方の、一軒=遠藤家が、借りていた平屋は、境界ぎりぎりに建てられていて、遠藤夫人は、そちら側を自分では、覗いたこともない模様です、最初の持ち主は、二軒のうちの一軒を借家にでもしたのか、ここで、お金を稼いで、逗子へ引っ越して行ったと、聞いています。逗子も実質的には、高級住宅街です。で、遠藤夫人は、その窓の事を知らないらしくて、誰も見ていないと、思って、平気でそういうこと(他人の家にごみを掃きこむこと)をするのでした。二階に窓はあります。しかし、彼女は、そこは子供部屋であり、あそこの、子供たちは、授業のある時間帯(午前中)は、いないのだから、誰も見ていないと、判断をした模様です。

 こここそ、遠藤夫人が、短大卒、程度の人間だろうと、みなすところです。現在60歳以上の女性であり、かつ、四年制大学に進学した人は、中学や高校までは、優等生だったと、思うのです。で、優等生は、学級委員とか生徒会役員をしますね。そうすると、自然に、ノブレスオブリッジの発想が身につくのです。つまり、「自分は、上流階級という、恵まれた家庭に生まれて、しかも、能力も高い。だからこそ、道徳を守り、自分より弱いものを、たすけましょう」という発想の事です。

 反対に高卒や中卒の奥様連中も、しっかりするのですよ。大学卒の人に負けたくないと、思うので、後ろ指さされない様にしたいと、思って、モラールを守るのです。しかし、短大卒の人は、中途半端なのです。で、遠藤夫人の様に、モラールを守らない人が、出てくるのです。その親世代が、娘に臨むものが、「お嫁さんになってね」というぐらいであって、人生の、最高の達成目標が、男の子が生まれたら、東大に、入れることぐらいです。それさえ可能だったら、「ほかの事は、何でもいいじゃーん」という発想です。でね、私は彼女から、毎日嫌な感じを受けているのですが、例のごとく、喧嘩をしない主義の人だから、毎日我慢をしている人なのです。しかし、娘が昔、驚きながら、「お母さんって、やるときはやるのね。たった、一日で、家じゅうきれいにしたから」といったように、年末は、はたらきにはたらきます。すると、境界に、遠藤夫人が掃き入れた(中には、犬の糞も入って居るはず。彼女は、犬をつなぎっぱなしにして、一切、散歩をさせなかったので・・・・・ここは蛇足1というところにつながる)ゴミが、ピラミッド状、又は、砂時計状にたまっているのですね。落ち葉類は、風で、どこかに吹き飛んでいて、無いのですが、泥ゴミがたまって居ます。それを見ると、怒りに震えます。

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副題3.『私は、1978年にすでに、・・・・・以下の、事を、いわれている。相手は、企業相手専門の東京の有名な弁護士さん。第〇弁護士会会長・・・・・あなたは、最初の印象では、典型的な被害者像に見えました。しかし、全く違うのですね。頭がいいですね。驚くほどだ・・・・・と。』

 :::::::遠藤夫人が、これ程に、私を小ばかにするのは、もともとは、北久里浜の大規模詐欺事件に端を発して居ます。それは、書類上は、法務局を通る様に、作り上げられているのですが、実際には、京急北久里浜駅の東側の丘の上の、一等地を二千坪分、唯で、私有化した大規模詐欺事件です。中に、元、横須賀市の水道山(=1200坪も含みます。

 しかし、実行した人間が、元海軍参謀、益山重夫と、言う頭脳派ですから、一般の人はとても理解できない仕組みで、出来上がっている詐欺事件です。しかし、しかし、私は、全貌を正確に理解をしています。で、必要な書類(公図)などを、段ボール一杯、大金(印紙代)を払って、収集してあります。しかし、気が付かないうちに、こちら、鎌倉雪ノ下の家から、盗まれてしまって居ます。

 それは、益山重夫氏の親友が、元陸軍参謀・瀬島龍三・伊藤忠会長です。で、その盗みも警察がやって居るでしょう。そして、ご近所の二軒、安野家と、大原家は合鍵を警察からもらって居ます。とんでもない形で、二人は、泥棒に入り続けます。何度かいてもやります。というのも、他に警察が、からんでいるので、(警察の特殊部隊も泥棒に入る)から、自分達に罪は、擦り付けられないだろうと、高をくくっているのです。

 恐ろしい事です。私がやって居ることは、唯、唯、「こういう事がありましたよ」と、事実を書くだけの事です。それが、いやなら、あの地籍変更届もやらなければいいし、やまゆり園事件も起こさなければいいし(植松聖は、単なるお人形です。発案と首謀者は、例の鎌倉エージェント・・・・・特にいまだ、実際には、生きている井上ひさし・・・・・でしょう)京都アニメーション放火(青葉真司も、お人形さんです)も、起こさなければいいのです。

 そして、ご近所問題に限れば、富沢家の高枝切りも、鎌倉市庁舎の、移転問題も、石春産業の道路補修も、小町通りの、御影石の舗装からアスファルトへの変更も起こさなければいいのです。そして、瓜南直子さんに、毎日 ≪全日本あすはが連に関する投稿を行わわせる≫ ことをやめればいいのです。::::::::

 という基本的な事を話したうえで、例の年末の大掃除の日に戻ります。驚いたことに、遠藤夫人は、否定してきました。「やって居ません」ですって。でも、砂時計状にたまった泥を見せると、やっと、少しおとなしくなってきましたが、謝罪の言葉は一向に出てこないのです。

 で、彼女が謝罪をしてこない限り、大人を相手に、「謝りなさい」とは、言えませんね。だから、次の話題を出しました。「昔の事ですけれどね。お宅の坊やが、付属(小)のお友達を連れてきて、我が家の壁に、サッカーボールを何回も、蹴り上げたのですよ。(あれは、困ります。中にいると、壁がトタンなので、ものすごい音がして)」と、言いだしました。すると、まだ、カッコ内を、言わないうちに、「やって居ません」と、彼女は怒鳴る様に言いました。

 驚いて、声もないと言う感じでした。:::::::ただね。この後ろの話の方は、神様の裁定が、既に出ているのです。だから、私は明るいのですよ。その家は平屋で、しかも古い作り方なので、部屋が、分離して居ません。で、お兄ちゃんが、高校生で、お嬢さんが、中学生になったころに、お嬢さんの方の生理など始まり、思春期の問題が出てきて、庭に、三畳程度のプレハブ小屋を建てて、お兄ちゃんの、勉強部屋とした模様です。しかし、高三で、卒業後、お兄ちゃんが、家に帰ってきた気配がないのです。東京圏の大学に進学したにしろ、下宿生活を始めたのだと、思います。

 つまり、親子関係ですが、とても変だと、言う事です。あの家では、親を批判することはご法度なのでしょう。つまり、明るい民主主義的な、そして、自由な雰囲気というのがないのです。でも、坊やの方は、圧迫は受けているものの、両親が、・・・・・私の悪口を言い、自分が、本当に、サッカーボールの壁ぶつけをした事を、否定していること・・・・・を、おかしいと、思ったのでしょう。だから、批判をしないで、唯、黙って、親から、離れて行ったのです。

 付属小と、付属中の先生は、人間形成に、おいて、まともだったというわけです。また、友人達も、まともだったのでしょう。その、坊やの気配が消えた、その種の無音の雰囲気は、既に、13年前に安野家の方で、経験していることでした。そちらのご長男も、高卒後、一切家によりついていないのです。しかし、そちらは、現在の奥さんが、前の奥さん(=子供たちの実母)を、追い出した、家ですから、ご長男が、寄り付かないのは、当たり前ですが、こちらは、実母ですよね。それに母として、遠藤夫人は、ご長男の方を、お嬢さんより、かわいがっていたと、思いますよ。したがって、私は、この件では、神様の裁定が、既に降りたと考えて居ます。

 しかし、前の方の、案件が大問題です。その後、回覧板を持っていった時の事です。珍しくご主人が出てきて「あの事、貴方を訴えますよ」と言いました。ごみを掃きこんだ件と、サッカーボールをけり上げた、件が、嘘だと、言う風に言いたいために、こんなブラフ(おどかし)を仕掛けてくるのでした。あっけにとられました。その後、妙本寺に、お嬢さんをお嫁入させるのですよね。

 汚い平屋の、太陽の光の、ささない借家を選んで、引っ越してくる様な、一般人(ただし、後程、この家を、買いとったみたいですが、最初は、借家で、入ってきた人達です。どうして、こんな古い家を選んだのだろう。ご主人は、昔、うつ病でも患ったことがあるのでは、ないかしら?と、思ったほどです。が、鎌倉一、富裕なお寺に、娘を、嫁入りさせるとは、家の格が違いすぎます。たぶん、児島百代先生(北鎌倉女子学園の音楽の先生。かまくら春秋社から、自伝を出している)と、伊藤玄二郎が組んで、実行したお見合いでしょうから。

 で、ミスター遠藤は、東大卒だと、判断する様になるのですが、このブラフをかけてきたときから、・・・・・『あら、いやだ。ずいぶん強気ですね。それほど強気になれるって、もしかしたら、あなたって、東大卒? でもね。私ね。あなたは知らないでしょうが、東大に、勤務していたのですよ。で、東大卒にもいろいろあるのを知って居ます。あなたってね。東大というブランド名に安住していて、卒業後、何も自分を磨いてこなかった人ですね。

 あなたね。私は、ここで、貴方とは、喧嘩しませんよ。だけど、けっして、忘れませんよ、此の事は』・・・・・と、決意しました。

 で、その十数年後、ここで、書いて居るわけです。特に鎌倉市庁舎移転と、言う話題に、関連して書いて居るわけです。やっと書けたわけですが、これも、私という人間を、丁寧に、観察して居れば、わかるはずの事なのですよね。それに、次にあげる行も、何度もすでに、このブログ内で、書いて居ますが、東京圏のブランド住宅街に、住もうとする限り、相手と、自分の間柄って、必ず、対等にして置いて、少し相手を立てるぐらい、でない、とだめなのですよ。自分のやったことを否定したり、しかも、相手を脅かして黙らせようとするなんて、最低の、態度です。

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副題4、『真実を書く、私をクレーマーだとして、一蹴しようとする、連中が、周辺に、大勢いる。そして、それが、通らなかった場合には、ご近所・住民・数人で、組んで、措置入院という仕組みを使って、・・・・・私を精神病院へ、幽閉しよう、・・・・・と仕組んでいる。やまゆり園事件とは、措置入院という仕組みと、語彙を全国民に、知らせるというのが、主たる目的だった』

 ただし、鎌倉エージェントが、ここに登場します。彼等は、自分達の過去の大悪事を詳細に知っている私を、殺したいわけです。したがって、その一助になるだろうとして、遠藤家も、持ち上げようとしていますので、お嬢さんを妙本寺のお嫁さんにして、その次に、

 私の方が、過剰なクレーマーだと、言う事にしたいわけです。ここで、上の方の、ビオラの写真の所へ、帰ります。

 富沢夫人が、夜、私のいない時間帯に、電話をかけてきて、主人に向かって、「宅の、打ちっぱなし(ゴルフのネットが、自宅に張ってある。その家は、三区画を買ったそうで、敷地がとても広いので、距離を取って、ネットに向かって、打球を打つことができるのだった)で、ご迷惑をかけます」と、言う電話をかけてきたことは、

 既定の出来事として、・・・・・この山の、主流派、又は、全戸が、私が書いて居ることは、すべて、私の方に、原因があり、私の方が、神経質すぎるので、そうなるのだ。彼女は、一種のクレーマーだから・・・・・と、言う事にしたいわけでした。だって、私は、富沢氏のごルフの打ちっぱなしを、その時以前には、気にもしていなかったのですから。

 その様にして、単なる村八分を超えて、・・・・・措置入院で、私を精神病院へ入れてしまおう・・・・・というのが、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントの本当の目的で、それを、うまく進めるために、まず、措置入院という語彙を、全国的に、有名なものにしないといけないと、なって、起こしたのが、やまゆり園事件です。それが、あの事件の、本当の狙いです。あの、事件では、19人は死んでいませんよ。そして、国民全部をだまし討ちにしながら、ともかく、この、雪ノ下の山の方で、ご近所、数人によって、私は、精神病院へ、入れられそうになっているというわけです。

 その措置入院への道への、最近数年間の首謀者が、富沢夫妻というわけであり、白井達雄・小野寺夫妻というわけです。その前の20年間は安野夫妻と、前田夫妻でした。

 だから、2019年10月13日の、我が家の東北のタブシイを、丸裸にする、行事は、我が家の資産に、損傷を与えるものなのに、我が家には、何のお断りを、出すわけでもなくて、実行を、されたわけですね。それほどに、私を小ばかにしていると、言うわけです。近々、措置入院で、精神病院に入れてしまうのだから、あのブログは閉鎖できるさ、それまでの、辛抱だから、今、何を書かれても、大丈夫さ。小馬鹿に仕切っておいて、苦しめてやれ、自分から、ノイローゼになって、自分から、入院してくれたら最高だしね。

 そして、その小馬鹿にする態度を、10年以上前から、もろに出してきたのが、遠藤家、夫妻だと、言うわけです。そして、渡辺賢司という人物が、30数年にわたって、私の犠牲(アジサイ畑欺罔事件に)よって、道路が、50cm幅に狭められることもなく、自分が自由自在に家まで、到達できる様になったのにもかかわらず、あいさつ一つしないと、言う態度をとるのも、すべて、連動しているところなんです。実際には、私に対して、足を向けては、寝られない立場なのですよ。

 藤本禎子夫人が、1984年の、当時は、幅1メートルしかなかった我が家との、間の、道路の真ん中に、自宅のフェンスを作ると言い出したからです。それは、自分を村八分にする前田清子さんに対する復讐だったのですがね。それをすくうための犠牲を払っているのが、私なのに、我が家の崖を当時に、無断で崩した、あいて=中谷氏(は、瀬島龍三とつるんだ、実質的な、CIAエージェントだった)が悪すぎたのでした。中谷氏の、遺児二人が、ひどいことを裏で、今でも、やっていて、・・・・・ま、大変な人生です。しかし、CIAが相手では、どこに引っ越しても同じですから、ここで、ひたすら、一つ、一つの、現象に、対処するしかないのです。

 まあ、富沢夫人が、どういう育ちで、どういう性格の人であるかを、正確に分かっているので、夜、私の留守に、主人に「打ちっぱなしが、どうのこうの・・・・」と、言う電話をかけてきたこと自体で、すぐ裏にあるものがわかるわけです。だから、ここに住み続けているわけですが、すさまじいレベルで、「殺してやろう」というたくらみが続いているわけです。

 でもね。それをやって居るのが栄光学園、慶応大学、三菱重工と、言うエリートコースをたどった、富沢家であり、ごく、ごく最近の登場人物として、その卒業大学名と、その勤務先を知らないものの、大企業勤務らしい平木さん一家なので、驚くのです。平木さん一家は、夫婦そろって、四年制大学卒だと、見ていますが?

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副題5、『私には、神様が付いている。したがって、こんな苦境でも心配をしていない』

 そして、そのすべてを統括しているのが、白井達雄さんです。が、その上には、伊藤玄二郎がいるでしょう。しかし、伊藤玄二郎は、隠れているのが、好きだ。と、言うか、そういうずるいタイプなので、自分が表に立つことはなくて、東大卒の、白井達雄・小野寺夫妻を使うのです。でもね。その夫婦も、あまりにも安易で、たかをくくりすぎです。

 また、昨日、過去、何度も、それと同じ種類の、ことを、行ってきた、いやがらせをまた行いました。私が寝室に入り、電気をつけるとその前後に、誰もいない、白井邸の、二階のペンダント灯をつけると、言う嫌がらせをやってきたので、東大卒なのに、何んて頭が悪いのだろうと、思います。が。そのことはあまりにも慣れているので、カーテンを開けて、人間が画いるかどうかを、確認さえしませんでした。が、私が、寝室の電気を消して5分後に、

 白井達雄さんの、勤務先と役職名がわかったのは、本当にラッキーでした。しかも、興信所などを使わず、パソコンで、BSC賞を受賞した建物を過去10年間にわたって、さかのぼって、調べただけで、わかったのです。どうして、そういうラッキーなことが実現したかというと、京都アニメーション放火事件が起きたからでした。NHKは、青葉真司が、転送された病院名を言わなかったのですが、映像だけで、『これは、800床を超える大病院ですね。大阪で、800床をこえる病院って、どこだろう?』とググっていると、近大病院が出てきたのです。しかも、BCS賞受賞ですって。

 それだけで、白井達雄さんの、勤務先がわかるのですよ。こういうところが、私のもっともすぐれたところで、それを、東大時代に、上司に褒められています。最近、私は、【24歳までは、勇敢だった】と、言うシリーズを書き始めて居ます。これは、そういう若い時代の、年上の人に褒められた、エピソードを、語ろうとして、始めているシリーズです。後注3、

 ともかく、白井達雄さんは、松田・平田設計事務所の、横浜支店長にして、重役でした。小野寺夫人に言いたいのですが、「急に白井さんが、会社を、やめさせられる可能性が、ありますよ。彼等は、あなた方夫妻に、色々命令して、私への、いやがらせ行為を、やらせるでしょうが、もし、自分達に火の粉がかかりそうになったら、トカゲのしっぽきりで、あなた方は、関西にでも、飛ばされるでしょう。その覚悟はできていますか?」と。ただし、ここで、こう書くと、何が何でも、私が書いたことは、否定したい彼等は、白井達雄さんを、やめさせることはないでしょう。?!?!?

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副題6、『鎌倉エージェントが、この世で、一番頭がいいわけではない。自分達は、そう思っているらしいが、さかさまになる事も多いのだ。』

 ともかく、伊藤玄二郎達は、勝とう、勝とうと必死ですが、逆の目に出ることも多いのですよ。京都アニメーション放火事件を起こしたら、大・重要・人物である、白井達雄さんの、勤務先や役職名がわかったというのも、その一つですが、

 高枝切りを起こした後で、私が、そのいさいを丁寧に、書いて行くと、・・・・・其れは予想外の展開だったらしくて、マッチポンプで、思い付きを、実行するのです。今回の思い付きは、遠藤夫人を目の前に、出現させると、言うものでした。

 それは、安野夫妻が、私が、外出する時間を見計らって居て、その次に、東側の窓から、道路を下りていく、私を、認めたうえで、鎌倉警察署の、生活安全課か、または、かまくら春秋社に電話をかけるのです。

 それは、我が家の、室内盗聴の結果が、即、安野家に入るみたいなので、あそこの夫婦は、私の主人との会話を聞いていて、どうも、でかけるらしいと、なったら、注意を、私の外出に、集中します。西側、又は、南側の窓で、我が家の玄関の様子を、見はって居て、次に、東側の窓から、私が、石段を下に降りていくのを、確認します。その上で、かまくら春秋社か、生活安全課に、連絡を入れます。

 すると、その二人の内のどちらかは、駅前ロータリーにある数軒の、喫茶店の、どこかで待機させていた遠藤夫人に連絡を入れ、「いよ、いよですよ」と、準備させます。そして、私が、小町通りを出るか、出ないかと、言う、一にまで、到達すると、そこで、遠藤夫人を出現させて、私をびっくりさせるのです。

 ただね、私は、遠藤夫人に対して、たった1%でも、同情はしていないのです。何の、憐憫の情を、持っていないのです。もう、大っ嫌いです。だから、全くひるむところなく、文章を引っ込めることもないのです。そして、遠藤夫人を冷静に眺めるのでした。ひどく驚きました。私の隣に、すんでいたころは、155cm、50~53Kgぐらいの体格でした。しかし、今では、大福もちを、平らに、つぶした様な、体格になって居て、横幅は、三倍、体重は、二倍ぐらいになっていたのです。そして、暗い顔、暗いグレーの肌。全く幸せそうではありませんでした。

 これから先は、明日書きます。お待ちくださいませ。

@@@@@@ここが、第一の書きかけ中の最先端です。

それが、鎌倉駅前のスーパー東急のくりはら嬢が、東京から、夜、帰宅して、そこへ寄ると、必ず、一階のレジにいるのだと、言う現象につながっていくし、それをやめさせるために、彼女の写真を撮ったのですが、余り、ぼんやりだったので、

@@@@@ここが、第二の、書きかけ中の最先端です。

 妙本寺の、トップが、いわゆる創業者社長にあたると、言って居たのは、比企一族の、末子の方が、たまたま、京都の、寺院に預けられていて、

妙本寺は、駅に近いので、寺領を貸すと、莫大な、借地料が入ります。もし、それを、全部売り払ったと仮定したら、即座に、200億円以上が手元に入ると、推察します。その上、神社仏閣は、安全な投資をしていると、聞いていて、したがって、三菱銀行鎌倉支店は、日本一、預金残高が多い支店なのだそうですが、神社仏閣が、定期預金(?)という形で、資産を預けておられるからです。もっと、駅に近いのはおんめ様(大巧寺)や本覚寺も同じですが、妙本寺はスケールが、違います。で、お金持ちだから、観光寺院化していない。したがって、鎌倉市民以外は、意外と知らない人が多いお寺です。

 しかし、私も妙本寺をうらやましがらないのですが、他の人も羨ましがってはいけません。妙本寺は、比企一族の末裔が再興したお寺だと、聞いています。比企一族は、鎌倉時代には、北条氏に惨殺をされた、一族なので、長い年月を通してみれば、プラス・マイナス・ゼロと、言っていい、現在の幸運だからです。

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副題α、『俳句会で、三か月に一度訪問した時期の妙本寺は、今より、更に静かなお寺だった。西北の、部分に崖に、囲まれた墓地(

 私が妙本寺を知ったのは、俳句会の先生の、お好みのお寺であって、三か月に一回、吟行の場所として、訪問をしていたからでした。

 

後注1、

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