未来技術の光と影。
SIYOU’s Chronicle




これだよ、これ。

心理試験」とはまた別の次元で、ひとつの大きな飛躍を魅せてもらった。


手品師は、日々の鍛錬により、鮮やかなトリックを身に着ける。

ある物を鮮やかに消して見せたり、思いがけない所から思いがないものを取り出して見せたり。

そしてそれを連続して見せることにより、観客にさらなる驚きと興奮を与える。

偉大なるマジシャンは、小さなトリックを幾重にも積み重ねることによって、ひとつの大いなる奇跡を顕す。

小さな手品をいくつも披露するだけであれば、そりなりに楽しめても所詮は手品に終わってしまう。

だが達成しようとしているビジョンが明確であり、それに向けて、一つ一つのトリックが精緻に組み合わせられれば、結果として得られるそれは、もはや奇跡としか呼べない。


今回のドラマは、様々な手法を惜しみなく使用しながらも、はっきりとしたビジョンの統制下にあるため、一つ一つがバラバラにならず、結果として一つの奇跡を生み出している。

最後の謎解きのステージは圧巻だ。

演出は関和亮

調べてみると、数々のミュージックビデオなどを手掛けている。

納得だ。

クルクル回りながらの場面転換は、ミュージックビデオなどでは使用される技法であるのかもしれないが、それをドラマに、小説の朗読に合わせることに、成功している。

恐らくは、初めての試みであろうと思われるにも関わらず、すでに完成の域、いや、それ以上の領域に達している。

歌はもともと、一定のリズムに合わせて作られているから乗せやすいであろうが、そんなことは一切考慮されていない江戸川乱歩の小説の朗読に、巧みに場面転換を当てはめている。

語りを場面転換の周期に合わせることなく、いや、あえて意図的に通常の速度で演じながらも、要所要所で語りと場面転換のタイミングを合わせ、さらに声のトーンを変えて見せる。

声のトーンが変われば、それに合わせて演出も転換する。一つの驚きが、ちゃんと、次に繋がっている。

一つ一つの技法が、あたかもシンフォニーのように統制されているため、観ていて、聴いていて、非常に心地良い。

そして各パートがまた、満島しかり、衣装しかり、満島の道化のような振る舞いしかり、プロジェクターやラジカセなどの小道具しかり、プロジェクターの光を避ける様、場内放送に驚く様、しかり、しかり。

もうね。堪らない。

生きていて良かった。とすら思う。


「ずっと続けていたい。」と、満島が語っていたが、満島であればこそ、満島であるからこそ、女神に宝物を貢がごとく、偉大な才能が惜しみなく注がれていく。


短編を年に3本ずつ。

残りの人生を、生き抜いていくための『糧』を得た。

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