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雑文になってしまうが。
今日の「エール」に登場した「国防婦人会」
見た人は解ると思うが、観ていて「こわいね。」と、思う。
ドラマなので、大げさな脚色はあるのだろうが、鼻息荒く「お国のため」と息巻く班長さんが(というか、組織というか、その時の日本全体の風潮が)、皆を巻き込んで行く。
班長さんは自分が絶対に正しいと信じている。
参加しないものは「非国民」であるとして、悪と見做される。
簡単に一言では言えないが、このような自分が正しいと信じている声の大きい者が中心となり、廻りが段々と感化され、それがさも真理であるかのように流布される。
戦争中に限ったことではない。
現代では「ママ友」などにそれが見られる。
単にご近所で、近くの公園で良く会うからと、中の良い友達が出来るのだが、それがいつの間にか「ママ友」のグループに巻き込まれ、運が悪いとその中核的な者に振り回されることになる。
何となく、グループ内での常識的なものを吹き込まれ、それがあたかも真実であるがごとく語られるうちに、最初は「なんかヘン」と思っていたはずが、いつの間にか自分もどっぷりと浸かって行く。
そして「お稽古ごと」とか「お受験」とかに、翻弄されることになる。
テレビのニュースなどで、「戦争の悲惨さを語り継ぐ」「戦争の悲惨さを風化させてはいけない」という言葉を良く聞くが、いつも違和感を覚える。
それはまるで、当時の人々が、戦争の悲惨さを知らなかったために、戦争を始めた。だがら、戦争の悲惨さを子供達にちゃんと伝えることが出来れば、もう戦争は起こらない。
そう、主張しているように聞こえるのだが、世の中はそんな単純なことではない。
上層部では色々あったであろうが、一般庶民が戦争に突き進んで行った背景には、「国防婦人会」のような同調圧力があり、それに巻き込まれて行くうちに、自分も圧力をかける側に回って行く人々の生来の定めのようなものの存在がある。
これは、進化の上で、群れで生きて来た生物に取って必要なことであったのだが、全ての生物の頂点に立ち、地球全体の命運を握ってしまった種にとって、大変危険な性(さが)である。
今後の人類の行く末を、本当に憂うなら、このような同調圧に対して、ちゃんと「それ、ちょっとおかしくないか?」と子供たちが普通に言える、大人になっても普通に言える、そんな人材、社会風土を作らなければならない。
だが、国を統べている上層部には、一般市民にそんなになられてはやっかいだから、そんな改革を目論む者はいない。
ここ数年、「大坂なおみ」を代表とする日本人らしからぬ日本人の活躍が目立つ。
スポーツ選手の場合、遺伝的な体格のせいだと、片付けられることが多いが、私は実は、彼ら彼女らの育った環境によって養われた、精神的な要因が大きいと思っている。
「NOと言えない日本人」と言われるように、日本人が同調圧に弱いのは明らかだ。
今必要なのは、ちゃんと自分の意見の言える子供達を育てることではないのか。
「皆がやっているから」と、お受験に翻弄され、一流校に合格したと喜んでも、実際にその学校に進んでから、どのような教育がなされているか、それは自分が、自分の子供に望んでいることなのか、などなど、全く無頓着な者の、なんと多い事か。
そもそも、自分の子供に「どんな子供になって欲しいか」それが「お受験」に合っているのか、考えている者の、なんと少ないことか。
親が自分の属する「ママ友」集団の中で、承認要求を満たすために、子供が犠牲になっていることに気付いていない。「子供のため」と信じているのでタチが悪い。
やれやれ。
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