おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

渡良瀬遊水地 6  タイリクバラタナゴ ?

2011年04月15日 00時00分00秒 | 魚等
写真1

写真2


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 写真1の個体は、渡良瀬遊水地第1調整池の水路で漁をしていた男性(写真2)が捕獲したタナゴ。
 掌にのせ、タナゴと教えてくださる
 フナ、クチボソ、ブルーギルなどといっしょに網に入っていた

 あらためて写真1の個体をみると、淡い青緑色をおびる銀色の体色、肩部の青緑色の斑紋、
 体側面の淡い青緑色縦帯などの特徴があるのでタナゴと同定
 但し、1対の口ひげ、せびれの2対の白色斑紋を視認できない
 また、ヤリタナゴ、アカヒレタビラ、カネヒラ、マタナゴなどのうち、どのタナゴか筆者は同定できない(注1)

 渡良瀬遊水地湿地資料館・湿地園内のパネル「渡良瀬遊水地に棲む魚」を参考にするとタイリクバラタナゴか
 パネルに、同種は揚子江原産で、在来のタナゴにくらべて適応力に富み、汚水に強く大繁殖を遂げていると記されている

 さて、日本固有種のタナゴは、体長6~10cm、関東以北の太平洋側だけに生息
 生息の南限は神奈川県鶴見川水系、北限は青森県鷹架沼(たかほこぬま・六ヶ所村)とされ、生息地はこの間に散在
 各地で個体数は激減し、絶滅が危惧される状況にある

 関東地方の生息地は特に減少し、分布南限の神奈川県ではすでに絶滅したとみられる
 現在、まとまった生息地は霞ヶ浦水系と栃木県内の一部水域のみ

 埋立て、河川改修、コンクリート護岸化、圃場整備事業による生息地の破壊と二枚貝類の減少、
 ブラックバスやブルーギルによる食害、タイリクバラタナゴなど外来種との競合、
 ペット用乱獲などにより各地で生息数が激減している
 学名:Rhodeus ocellatus ocellatus コイ科


 注1 当該タナゴはカネヒラ(日本在来種のタナゴ)とのご教示(コメント)が、2019年01月26日にありました
 引用・参考文献等:①Website『フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」日本語版』;タナゴ(最終更新2010年7月27日 01:44 ) ②同;バラタナゴ(最終更新 2011年3月28日 (月) 12:28)
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2009年02月07日 撮影地:栃木県栃木市(旧藤岡町)
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菜の花畑の原風景

2011年04月14日 00時00分00秒 | 農村
写真1
写真2


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 中川右岸堤、菜の花が黄に燃える(写真1・写真2)
 埼玉県久喜市の八甫浄水場(旧鷲宮町浄水場)から東北新幹線鉄橋のあたり

 この時季、春、菜の花を見るたびに次のような情景が現れる
   1950年代末の鹿児島県鹿屋市、海上自衛員鹿屋航空隊の周り
   一面に菜の花畑、青空に雲雀

   垂水~鹿屋間のコンクリート舗装バス道路(現国道269号線)
   左側に鹿屋航空隊、右に第一鹿屋中学校と鹿屋運動公園を見ながら垂水方面へ歩く
   過ぎると、右側に菜の花畑、左に自衛隊官舎

   さらに進み、特攻隊員等慰霊塔へ右折
   未舗装のデコボコ道(現県道550号)を郷の原町から大浦町へ歩く
   右側一面菜の花畑、建物などなかった、左は山

   すなわち、西原台地は菜の花が咲き誇る黄の平原
   それは、それは子ども心に壮観だった

   さて、第一鹿屋中学校と鹿屋航空隊の入口は269号線をはさんで同じ位置
   広がる菜の花畑の遠く向こうに慰霊塔を望めた

   鹿屋航空隊は特攻基地だった
   当時、敷地内には赤茶に錆びた蒲鉾型鉄骨が数棟
   それは戦争時の空爆で焼け残った飛行機格納庫

 以上、菜の花畑の原風景、ときは高度経済成長開始期
 それ以降、広がる菜の花畑を目にしていない

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年04月10日 撮影地:埼玉県幸手市
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東北地方太平洋沖地震災害3  高須賀池の地盤移動  遊歩道メチャメチャ

2011年04月13日 00時00分00秒 | 農村
写真1
写真2
写真3
写真4

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 2011年03月11日、東北地方太平洋沖地震。
 関東地方内陸部に位置する埼玉県幸手市の高須賀池と、その周辺も被災。

 高須賀池の岸辺には数多くの地割れ。
 写真1~写真3のように、複数の地割れが南南東~北北東に走る。
 地割れの中で、深さの最大は約75㎝、巾の最大は約165㎝。
 地割れのある地盤はおおよそ西(西南西)から東(東北東)へ移動し、一部は水中に沈み込んでいる(写真1)。
 それは、ロープつき木製柵と植樹木が水中に没していることに知る(写真1)。
 筆者がよく使った遊歩道はメチャメチャ(写真1・2)。

 写真3と地震前の写真4をくらべると地盤移動がいっそう明らかになる。
 移動前写真4の住宅前に写る茶色葉の木は、写真3に見ると左側へ移動。
 移動後の位置は、移動前写真4に見るとオレンジ色ネットの左端・木製遊歩道の入口付近。
 そのオレンジ色ネットの左端・木製遊歩道付近の入口も、写真3に見ると左側へ移動。
 移動後の位置は、移動前写真4に見ると左端、遊歩道の3本目の柱付近。

 地震の大きさ、強さに驚く。

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:写真1・2・3;2011年4月2日、写真4;同年2月19日 撮影地:埼玉県幸手市
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4月10日  始まったシロカキ

2011年04月12日 00時00分00秒 | 農業
写真1

写真2


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 埼玉県の旧北川辺町柏戸(現加須市)は早場米産地
 4月10日、シロカキ・代掻きが行なわれている(写真1・写真2)

 水稲刈取り後、農業者は3回~4回水田を耕した
 最終耕起後、水を入れ、耕した土を細かく砕きドロドロにし、田面を平らにする
 これらの作業をシロカキと呼ぶ
 その結果、水稲苗移植・田植は円滑に進む

 シロカキを終えた田んぼで作業中の農業者は次のように教えてくださる
   ①4日後、14日には田植を行なう
   ②柏戸の米は100%コシヒカリ

 一般的に、シロカキまでに農業者などは次の作業を行なう
  ①稲刈後、水田を耕す(秋耕・春耕)
  ②畦を焼く
  ③河川の頭首工や堰あるいは溜池を整備 
  ④頭首工・堰・溜池から水をひく用水路や使い終えた水を流す排水路を修復 
  ⑤入れた水が漏れないように畦を修復
 
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年04月10日 撮影地:埼玉県加須市・旧北川辺町
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東北地方太平洋沖地震災害2  水田の液状化・噴砂孔

2011年04月11日 00時00分00秒 | 農村
写真1
写真2
写真3


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 2011年03月11日の東北地方太平洋沖地震。
 関東地方内陸部に位置する埼玉県幸手市の高須賀池と、その周辺も被災。
 水田の地割れとそこからの噴砂は弊ブログ2011年04月10日に紹介。

 本日は液状化の水と砂が噴き出した孔・噴砂孔の紹介(写真1~写真3)。
 写真1と写真3の孔は同一で明確。
 写真1の孔は、長さ約130㎝、幅約56㎝、深さ約40㎝。
 写真2の孔は、写真1にくらべて長く、浅く、沈下した孔。

 若い父親と子ども2人が写真1・写真3の噴砂孔を見に来て、子どもたちは孔で遊び始めた。
 水田をもつ家族。
 若い父親は、祖父の話として関東大震災時、中川右岸際の自宅の庭から水が噴き出した、と教える。

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年04月02日 撮影地:埼玉県幸手市
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