ART&CRAFT forum

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「自分の染め色(2)」高橋新子

2016-02-14 11:47:50 | 高橋新子
1997年3月20日発行のART&CRAFT FORUM 7号に掲載した記事を改めて下記します。

 自分の染め色(1)で書いた安西篤子氏の源氏物講読会は緊張感の漂うなか、脱線することもなく重々しい響きをもって、かなりのスピードで進んだ。その間僅かな休憩を一度取っただけで、2時間近くを張りのある声で講読された。きっと強靭な声帯と腹筋と体力の持ち主なのだろうと感じ入ってしまった、受講生は一見して「ああ、源氏物語通…」と思われる方々で、皆静かに聴き入っている。そしてちょうど区切りの良いところで、質疑応答もなく「では今日はここまで」と席を立たれて帰られてしまった。
 その日は柏木の病死によって、ゆかりの人々がさまざまに嘆き悲しむ場面である。目指す衣装の色は当然のことながら華やかなものはなく、もっぱら鈍色(にびいろ)と墨染が主であり、わずかに黄色がかった紅色の単衣がちらりと出て来るだけと思われた。安西氏は「鈍色、つまり地味な色の……」と云われただけだった。
 鈍色は一般に「黒のうすい色」と云われている。天然染料を扱った人には咄嗟にこの色が十色以上思い浮かぶはずである。グレイ、鼠、灰色と云っても赤味の色、茶色のもの、黄色がかった、青味の、銀鼠のと次から次に思い出される。一口に「四十八茶百鼠」と云われる程豊かな色相を持っている。これ等は悲しみの色というよりむしろ渋くて粋で上品な色である。使う染料は現在では五倍子、げんのしょうこ、コチニール、びんろうじゅ、矢車、藍草の茎、梅の枝、つるばみ、臭木の実のがく等数えれば限りがなく、これ等の煮出し液で染めて、おはぐろか金気水で発色させると一つ一つが違う鈍色になって染め出される。天然染料は染め手の個性があきらかに色に現れ、しかも二度と同じ色は出ないし大量生産も出来ない。「物悲しう、さぶらう人々も鈍色にやつれつつ」何枚も重ねた鈍色の下に、わずかに華やかな色が見え隠れする様子は、むしろなまめかしささえ感じられる。鈍色は衣だけではない「夕暮の空の気色、鈍色に霞みて、花の散りたる梢どもを」となりさらに「鈍色の几帳の衣がへしたる透影(すきかげ)涼しげに見えて」と春のさ中に際立った効果を見せている。ところで数十年前に読んだ著名な歌人の源氏訳を思い出してこれ等の場面を捜してみた。そこでは「女房達も皆喪服姿になって」と訳してあった。
 天然染料の染めでは陽の光では美しい銀鼠に見えた絹が、室内の照明でどうにも茶味の強い重い色に見えることがある。一期一会のスリルがつきまとう染めで、自分の染め色を確かに表現するのはかなり難しい。とは云え作品の前に立つと、染め手と直に向い合っている程の息づかいを感じてしまう。楽しくも恐ろしい出会いである。当然自分自身の至らなさも見通されることになっているから。