1994年10月1日発行のTEXTILE FORUM NO.26に掲載した記事を改めて下記します。
グループ展が持たれる場合の動機や趣旨といったものは実に様々である。大きく分けると、美術館や画廊あるいは特定の個人や法人によって企画されるものと、出品者によって自主的に持たれるものとがある。ここでは後者に限定するとしても、やはりその成り立ち方は一様ではない。しかし近年の傾向として非常に大雑把に言えることは、任意のグループの定期的な発表会であるとか、(こういう言い方には語弊があるかもしれませんが)一人で展覧会をやるにはまだ自信がないといったあたりの人たちが、仲間を組んで「はずかしながら」といった風情で開かれているものが多いような気がする。かっては(主として1960年代の話ですが)グループ展といえば、現状不満の血の気の多い連中が徒党を組んで、既存のものに異議申し立てするための方法というイメージがあったが、そういったタイプのグループ展は今日ではほとんどお目にかかることがなくなった。だから昔のことを知る人々(私も含めて)は、美術や工芸のようなものづくりの世界において、グループ展がある役割を果たすような時代は過ぎ去ってしまったのだ、というふうに考えがちである。この考え方は決して誤ってはいないし、私自身、グループ展に対してはどうしても点が辛くなってしまう傾向は否めない。昔気質の発想法からすれば、何のために人と人が寄り添ってあるエネルギーを消侭しょうとしているのか、というところにひっかかってしまうのである。
とはいえ、時代の様変わりに対していつまでも依怙地をはっているのは、単なる「わからず屋」のそしりをまぬがれられないし、決して生産的とはいえない。
今日の風潮を表現するにグルメブームにひとつの象徴を見出だすとすれば、そのように様々な美味なるものをめぐって数多くの人々が寄り集い、味覚を験し、歓談を交わすことの中から次の時代の文化が生み出されてくるとも限らないのである。グループ展というものを別な観点から見ていくことの可能性は決してないわけではないだろう。
ここで書こうとしているのは「糸からの動き」というグループ展についてのことである。このグループ展の成り立ちというのもいささか異色なところがある。東京テキスタイル研究所の榛葉莟子教室で学んだ人たちの有志による展覧会であるが、その教室自体は他の指導者に変わっている。だから榛葉教室の定期的な創作発表会という趣旨のものでもない。かといって、榛葉さんを先生と仰いでの一種の社中展のようなものでもない。OG有志による自然発生的な自主グループ展というのが近いようだが、厳密にみればそうともいえないようなところがある。どこがそう言えないかと言えば、仲間意識があるようでなさそうであり、なさそうでやっぱりあるというような、そういうある種不思議な集り方をしている。今回が確か2回目であったと思うが、これで解散ということが起こっても自然であるし、3回目が開催されるのも自然であるというようなところがある。よく言えば、榛葉教室に集まった人たちのそれぞれに別個な気持の在り方が複雑な流れを形成しつつ、その中にひとつの渦巻が生まれてくるようにしてグループ展が成り立ってくる。渦巻が解けていき再びそれぞれの流れへと分散すると、次にいつどこで渦巻が発生してくるかは予測が難しい、といったようなところだろうか。 しかし、流れ自体は消えない。あるいは、常に生成して止まない流れを持続していくことが、このグループ展に参加している人たちの、個人に立ち返っての務めということになるかもしれない。
今回の展覧会の内容についてもう少し具体的な感想を述べていこう。一番強く感じたことは、会場が狭い、ということである。一人一人の作品が限定された空間の中で窮屈しているように見えた。言い換えれば、作品の大きさが表現の欲求の大きさに見合っていない。もっと広い会場で不自由のない創作展開をすれば、展覧会のボルテージがもっと上がってくるのではないだろうか。それだけの力を各人が持っていると思う。しかしその一方で作品を適度の大きさにまとめ込もうとする、逆の力が働いているのも認めざるを得ない。慎み深いというのか自己制御の力というのかわからないが、妙なところで閉鎖的である。素材に向かっていく姿勢、素材との対話を通して自分がもとめているものを発見していこうとする姿勢の在り方には出品者間に共通しているものを感じる。言葉で表せば「内省的」といいたいような姿勢である。このあたりに榛葉教室の成果が認められるような気がするのだが、その力の方向にばかり偏していくと不完全燃焼に陥るように思えないでもない。内省的な力は作品の内部に相応のエネルギーを貯え込んできている。貯め込まれたエネルギーは放出されることを待ち望んでいる。外部へと向かう気勢もまた欠くことができない。求心と遠心の二つの力のバランスの中に成立するのが「造形」ということだと思うのである。
グループ展が持たれる場合の動機や趣旨といったものは実に様々である。大きく分けると、美術館や画廊あるいは特定の個人や法人によって企画されるものと、出品者によって自主的に持たれるものとがある。ここでは後者に限定するとしても、やはりその成り立ち方は一様ではない。しかし近年の傾向として非常に大雑把に言えることは、任意のグループの定期的な発表会であるとか、(こういう言い方には語弊があるかもしれませんが)一人で展覧会をやるにはまだ自信がないといったあたりの人たちが、仲間を組んで「はずかしながら」といった風情で開かれているものが多いような気がする。かっては(主として1960年代の話ですが)グループ展といえば、現状不満の血の気の多い連中が徒党を組んで、既存のものに異議申し立てするための方法というイメージがあったが、そういったタイプのグループ展は今日ではほとんどお目にかかることがなくなった。だから昔のことを知る人々(私も含めて)は、美術や工芸のようなものづくりの世界において、グループ展がある役割を果たすような時代は過ぎ去ってしまったのだ、というふうに考えがちである。この考え方は決して誤ってはいないし、私自身、グループ展に対してはどうしても点が辛くなってしまう傾向は否めない。昔気質の発想法からすれば、何のために人と人が寄り添ってあるエネルギーを消侭しょうとしているのか、というところにひっかかってしまうのである。
とはいえ、時代の様変わりに対していつまでも依怙地をはっているのは、単なる「わからず屋」のそしりをまぬがれられないし、決して生産的とはいえない。
今日の風潮を表現するにグルメブームにひとつの象徴を見出だすとすれば、そのように様々な美味なるものをめぐって数多くの人々が寄り集い、味覚を験し、歓談を交わすことの中から次の時代の文化が生み出されてくるとも限らないのである。グループ展というものを別な観点から見ていくことの可能性は決してないわけではないだろう。
ここで書こうとしているのは「糸からの動き」というグループ展についてのことである。このグループ展の成り立ちというのもいささか異色なところがある。東京テキスタイル研究所の榛葉莟子教室で学んだ人たちの有志による展覧会であるが、その教室自体は他の指導者に変わっている。だから榛葉教室の定期的な創作発表会という趣旨のものでもない。かといって、榛葉さんを先生と仰いでの一種の社中展のようなものでもない。OG有志による自然発生的な自主グループ展というのが近いようだが、厳密にみればそうともいえないようなところがある。どこがそう言えないかと言えば、仲間意識があるようでなさそうであり、なさそうでやっぱりあるというような、そういうある種不思議な集り方をしている。今回が確か2回目であったと思うが、これで解散ということが起こっても自然であるし、3回目が開催されるのも自然であるというようなところがある。よく言えば、榛葉教室に集まった人たちのそれぞれに別個な気持の在り方が複雑な流れを形成しつつ、その中にひとつの渦巻が生まれてくるようにしてグループ展が成り立ってくる。渦巻が解けていき再びそれぞれの流れへと分散すると、次にいつどこで渦巻が発生してくるかは予測が難しい、といったようなところだろうか。 しかし、流れ自体は消えない。あるいは、常に生成して止まない流れを持続していくことが、このグループ展に参加している人たちの、個人に立ち返っての務めということになるかもしれない。
今回の展覧会の内容についてもう少し具体的な感想を述べていこう。一番強く感じたことは、会場が狭い、ということである。一人一人の作品が限定された空間の中で窮屈しているように見えた。言い換えれば、作品の大きさが表現の欲求の大きさに見合っていない。もっと広い会場で不自由のない創作展開をすれば、展覧会のボルテージがもっと上がってくるのではないだろうか。それだけの力を各人が持っていると思う。しかしその一方で作品を適度の大きさにまとめ込もうとする、逆の力が働いているのも認めざるを得ない。慎み深いというのか自己制御の力というのかわからないが、妙なところで閉鎖的である。素材に向かっていく姿勢、素材との対話を通して自分がもとめているものを発見していこうとする姿勢の在り方には出品者間に共通しているものを感じる。言葉で表せば「内省的」といいたいような姿勢である。このあたりに榛葉教室の成果が認められるような気がするのだが、その力の方向にばかり偏していくと不完全燃焼に陥るように思えないでもない。内省的な力は作品の内部に相応のエネルギーを貯え込んできている。貯め込まれたエネルギーは放出されることを待ち望んでいる。外部へと向かう気勢もまた欠くことができない。求心と遠心の二つの力のバランスの中に成立するのが「造形」ということだと思うのである。