-技術しか伝えられない大学の美術教育に未来はない-
1991年2月15日発行のTEXTILE FORUM NO.15に掲載した記事を改めて下記します。
わが子が芸術系の大学や専門学校に進もうとすることに難色を示すどころか、むしろ率先して推奨する親が増えてきているのはここ十年位の傾向である。大学で芸術を専攻することを、茶道やいけばなやピアノといった習い事を身に付けるのと同じような感覚で受け止めている。しかもここ一、二年は、企業の文化事業への関心が高まるにつれて、芸術系の大学や専門学校の卒業生の就職状況もよくなってきているようだから、今後こういった芸術コースを志望する学生は益々増えていくことだろう。
日本の進学制度において芸術系の学校の頂点に位置しているのは、言うまでもなく東京芸術大学(以下、東京芸大と略す)である。ビジュアルアートつまり美術、デザイン、工芸等に関して言えば、芸術コースを志望する学生のまずほとんどは東京芸大を目指すが、各々の力量に応じて公立、私学、専門学校へと分散していく。してみると、単純に考えると東京芸大にはもっとも優秀な学生が集まり、優秀なアーチストや美術関係者を続々と輩出していなければならないことになるが、現実には必ずしもその通りになっているとは言いがたい。つまらない売り絵画家に甘んじていたり、世の中に埋没して自らの進むべき道を見失ってしまう。そのようなケースを耳にするたびに、芸術にとって教育とはなにかということを考えざるを得ない。
■デッサンをマニュアル通りに描く
ここでは美術に限定して話をしよう。美術系大学の教育理念がどのようなものであるかは、予備校の現実主義の中に如実に映し出されている。予備校ではデッサンの描き方をマニュアルに従って習得させる。ここに学ぶ者は才能のあるなし、センスのあるなしにかかわらず、マニュアルに従いさえすれば誰でもがデッサンを上手に描くことができるようになる。しかし本来デッサンとは、ものがどのように在るのか、ものとものはどういう空間的関係を結んでいるのかを読み取り、それを表現する作業のことを言うのである。その読み取り方、表現の仕方は個人によって異なる。その違いは、各々の個人が各々に異なった生き方を選択していくということに基づく違いである。それを押しなべてみな一律に同じデッサンにマニュアルがあるというのは、それ自体が異常である。
大学ではこの一律的なデッサン力を前提として、更に一律的な表現技術を身に付けさせることを教育の目的としている。個性の発露などは各個人が学校を出て自分で勝手にやっていけばいいというわけだ。このあたりは西洋の考え方などとは逆である。西洋の教授は学生のオリジナリティを重視する。上手い絵を描く技術はむしろ否定し、学生が自身の個性を発見し、伸ばしていく手助けをしようとする。このやり方はエネルギーを要するし、教授の側に余程の自信がなければならない。学生が反発してくれば、互いに理解し合うまでとことん話し合う必要がある。
日本の大学の教授あるいは講師は、自身もまた現役で活躍するアーチストである場合が多い。しかしそこには大学内の子弟関係のようなものが形成されていて、東京芸大の場合だと子弟関係のバックに公募団体が控えている。芸大の学生たちは、社会に対する関心や思考力を鍛えなくても、技術さえ身に付けておけば卒業後は公募団体に出品し、師匠の後押しもあったりしてそこそこに安定した地位を得ることができる。公募団体に所属しない場合でも、最近の学生は機を見るに敏なところがあるから、美術の商業主義に合わせてうまく処世をしていこうとする者も多い。しかしたいていは、途中でどこにいるのかわからなくなってしまう。技術だけにたよって、自分自身のオリジナリティを追求していく基礎的な力に不足しているからである。
■自ら世界を切り開く力の育成を
二月、三月ともなると各大学では卒業制作展が開かれる。卒業していく学生たちの作品による展覧会である。その中で若者らしい熱気が伝わってくるのは武蔵野美術大学テキスタイルデザイン科の卒展である。技術的には粗さが目立つも、体全体で表現しようとする意欲に満ちて生き生きとしている。各人が四年間の学生生活の中からなにかを掴んできているという感じを抱かせるのである。
この科の指導教授は田中秀穂というテキスタイルアーチストである。田中の考え方は、技術よりも表現の内容を重視する傾向にある。だから学生の中から表現の意欲を引き出してくることに彼の教育的情熱が注ぎ込まれる。この科に入ってくる学生は、高校、予備校と経て教えられてきた既成の美術概念を一旦白紙に戻され、表現の根拠と方法を自分自身の中から見つけ出していくように教えられていく。たとえば、色を染めるという行為について、そのテクニックを学んだり、色を視覚的に捉えるだけでなく、染料となる草花にさわったり、色についての印象を言葉で表現する訓練をしたりして五感の全体を使って感じ取ることを覚えていく。学年が上に進んでくると、なるべく技術を使わないで考えることを、田中は学生に要求する。自分が考えたり感じたりしたことを、言葉で表現するごとによって明確にすることを学生は学んでいく。美術といえどもものごとを洞察していく力がなければ、表現を深めていくことはできないのである。こうして創作者としての足腰を鍛えるのである。
もうひとつの例を挙げると、私設の機関ではあるが東京テキスタイル研究所の教育実践もユニークである(テキスタイルの例に片寄っているのは偶然である)。この研究所の特徴は、所長の三宅哲雄の言を借りれば、「何も教えない」というところにある。もちろん反語的な表現であって、意味していることは、染織りのテクニックをノウハウとして伝えるのでなく技術の意味を自分で掴みとってくるように指導するということである。教えられる側に主体性がなければ、何も学べないということになるわけだ。そして、ものをつくるということはどういうことなのか、なぜつくるのか、ということを考えていくことがものづくりの根本的な原動力になるのだから、そういった力を養っていくことが教育の役割だ、と考えている。
三宅の教育観は、教育することと創ることとは同じことだとする。このことは通常の教育機関において、生活の糧として教師という職についているという意識から、アーチストは自らの創造行為と教育との間に矛盾を抱えているという現状を背景におくと、その意味合いが理解できる。東京テキスタイル研究所の講師たちは、単なる雇われ講師として生徒にテクニックを教え、カリキュラムを消化していけばよい、というだけでは勤まらない。教えるという行為を自らのこととして、教育と創作の意味を問い続けていく姿勢がなければ、この研究所の講師はやっていけないような環境が作られている。
しかしこういったことは世の中ではなかなか理解されにくいようである。三宅哲雄は自らの教育理念と経営的現実の間に立って、創設以来の十年間を孤軍奮闘してきた。しかし教育の現場が創造の現場に直結しているような環境の中を数年も通っているうちに、生徒各人の内に秘められていた個性が次第に光り輝いてくるようになる。創設当初は不可能かもわからないと思っていた教育の場が確かにありうるという手応えを感じはじめている、と三宅は今日の感慨を語っている。
絵の描き方や糸の織り方といった技術を教えるだけが美術教育ではない。創造力を啓発することが目的として含まれる以上は、各人が自分で自分の根拠を発見し、精神の自由を獲得する力を養成していくのが教育の役割ではないだろうか。それが実現された時、個人は自らの力によって自身の世界を切り開いていくことができるはずである