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-イカットの素材(Ⅰ)木綿― 富田和子

2017-09-18 09:46:36 | 富田和子

◆糸車で紡ぐ…前に伸ばした足で紡錘棒を支えながら、左手で綿を繰り出し、右手で車を回して撚りを掛ける (フローレス島) 
 プニダ島、スラウェシ島のトラジャ地方、フローレス島の一部では紡車が使われている

◆アジアメン 
世界大百科事典日立デジタル平凡社

◆キダチワタ 
葉の形と木の高さからキダチワタと推測 (スラウェシ島)

◆綿花 
キダチワタの綿花 (スラウェシ島)

◆綿繰り…綿繰り器で綿花から種を取り除く (フローレス島)

◆綿打ち…弓でをワタを打って、繊維をほぐし、整える 
(レンバタ島)


 ◆白巻き…ワタを紡ぎやすいように、ロール状にして紡ぎ車、 あるいは紡錘で紡ぐ(フローレス島)

◆紡錘で糸を紡ぐ…左手で綿を繰り出し、右手で独楽を回すように弾みをつけて、紡錘を回転させ撚りを掛ける (レンバタ島)
フローレス島の一部を除くヌサ・トゥンガラの東部の島々では紡錘が使われている


2007年7月10日発行のART&CRAFT FORUM 45号に掲載した記事を改めて下記します。

 『インドネシアの絣(イカット)』-イカットの素材(Ⅰ)木綿― 富田和子

 インドネシアの織物の繊維素材は主に木綿と絹である。イカットにおける素材の違いは絣の種類によって分かれている。経絣は腰機で織られ、素材はほとんどが木綿であるが、葉の繊維を使用している地域もある。緯絣は筬のある高機で織られ、元々は絹が一般的であった。経緯絣は今も変わらず手紡ぎの木綿糸が使用されている。

◆木綿の歴史と各国への伝播
 木綿の原産地はインドと南アメリカで、両地において非常に古くから利用されてきた。インダス川流域のモヘンジョ・ダロからは紀元前2500~紀元前1500年と推定される木綿布の断片が発見され、南アメリカのペルーのワカ・プリエタ遺跡においても、ほぼ同時代の木綿のレースが発見されている。ペルーやブラジル、中央アメリカでは先住民によって、紀元前から木綿が利用されていた記録があるが、それ以外の地域では、木綿製品や綿の種子はインドから伝えられたとされている。紀元前にメソポタミア、エジプトに渡り、その後ギリシア、ジャワ、中国、スペインでも綿が栽培され、ヨーロッパ諸国にも伝わった。アメリカ合衆国の木綿は、イギリスがパナマで栽培したインドの木綿が18世紀に伝わって栽培されるようになったものであるという。中国へは1世紀頃にインドから綿布が、10世紀頃に綿の種子が伝えられたが、当初は観賞用で、本格的栽培は12世紀頃に始まった。日本には古来の綿はなく、初めて記録に現れるのは8世紀だが、中国か朝鮮からの渡来品だったようで、木綿が初めて日本で栽培されたのは平安時代初期、799年に三河に漂着したインド人がもたらした種子による。しかし、この種子は1年で絶えてしまい、その後も何回か種子が渡来して栽培されたが成功せず、平安期を通じて木綿の資料は残っていない。日本に本格的に木綿が伝えられたのは室町時代のことで、商船の往来が活発になり、各国の木綿が輸入されるようになった。経済的栽培が始まったのは16世紀に入ってからであるというが、江戸時代には国内の需要を満たしても余るほどで、日本もかつては世界的な木綿の生産国の一つであった。
 このようにインドを起源とする木綿は、紀元前からインド人が渡来し、1世紀頃からインド文化の影響を受けたインドネシアにおいて、ヒンドゥー教やサンスクリット文化と共に伝えられていたものと考えられる。また中国の文献によれば、インドネシアのスマトラ島南部、あるいはジャワ島で、3世紀にはすでに木綿が栽培されていたという記録もある。

絣はインドで発生したと言われ、アジャンタ石窟の壁画に矢絣風の模様が見られることから、少なくとも7世紀頃には絣が織られていたと考えられている。インドネシアにおける絣の起源は明らかではないが、文献に記されている「斑糸布」という言葉が絣の布だと考えれば、6世紀にはバリ島で絣が行われていたということになるが、この斑糸が絣糸であるかは定かではない。絣の技術は、木綿の経路と同じくインドから伝えられたとも考えられるし、同時代にインドネシアにおいても発生したとも考えられる。 日本では、江戸時代以降に木綿の素材と絣の技術が出会い、それ以降、明治から大正時代にかけて、木綿の絣は広く日常着として活用され、日本人の生活には欠かせないものとなったが、木綿の歴史も絣の歴史も、日本においてはずっと後のことであった。

◆木綿の種類
 イカットの主な素材である木綿は保温、吸湿、耐久性において絹や麻よりすぐれ、つまり、肌ざわりがよくて暖かく丈夫で、また他の植物繊維に比べれば染色しやすいことが特色である。
衣料繊維に利用される、栽培ワタには起源の異なる4種がある。一般にアジアメンと称されるシロバナワタ(ヘルバケウム種)とキダチワタ(アルボレウム種)、アメリカ大陸産のリクチメン(ヒルスツム種)とカイトウメン(バルバデンセ種)である。

※アジアメン…小型で繊維も短いが、太く強度があり、布団の中入れ綿として利用され、30番手以下の太糸の紡績用に用いられる。アジアメンには、中近東からインドにかけて栽培され、日本でも栽培されているシロバナワタと、原産地のインドで高木のキダチワタ(木立棉)の二つの系統がある。
※リクチメン(陸地棉)…繊維の長さは中位、比較的繊細で中~中細番手の糸の紡績用原料と される。アメリカ大陸からポリネシア地域原産で、アジア綿とアメリカ野生綿
との雑種起源と考えられ、世界のワタ作付面積の70%を占める。
※カイトウメン(海島棉)…繊維は最も長く、100~140番手の細手の糸を紡ぐことができ、最高の品質とされている。南アメリカの原産で、その湿気の多い温暖な海洋性気候に適し、ブラジル、西インド諸島、アメリカ東海岸の一部に栽培される。エジプトメンもカイトウメンの一系統で、エジプトのナイル川流域とアメリカ西部で栽培される。

 インドネシアで栽培されてきた木綿は、アオイ科のキダチワタやリクチメンが主なものであり、そのほかにもシロバナワタやチャワタも多少栽培されてきた。これらはインドから伝播したと考えられている。現在では、木綿を栽培し、糸を紡いでイカットを制作している地域はごくわずかとなってしまった。木綿の経絣が盛んに織られているヌサ・トゥンガラ地方でも、人々は市場で買った機械紡績糸を使用する場合が多い。ただ、ワタの木も糸を紡ぐ道具や技術もまだ残っており、各島を訪れれば、糸作りのプロセスを見ることもできる。

◆手紡ぎ木綿のイカット
 インドネシアで唯一の経緯絣であるグリンシンの場合は、手紡ぎの木綿糸を使用する伝統が今もかたくなに守られているが、現在では村内で木綿糸が作られることはなく、バリ島の隣のプニダ島で糸は作られている。プニダ島には木綿の緯絣があり、かつては手紡ぎの糸を天然染料で染めて制作されていたが、現在では紡績糸と化学染料によるものばかりで、プニダ島の手紡ぎの木綿糸はグリンシンのためにだけ紡がれているようであり、紡ぎ手もわずかになっている。
 最近では綿とレーヨンの混紡糸が使われたり、レーヨン製のイカットも織られている。布の風格としては天然繊維、天然染料に及ばないのだが、使い手側にしてみれば、木綿よりもレーヨンの方が、軽く、柔らかく、涼しく、洗濯の乾きも早いので人気があるようだ。そんな風潮を憂い、伝統的なイカットの技術を守るように、働きかける外国人の活動もある。今年、10年振りにフローレス島のある村を訪れたら、以前は見ることのできなかった手紡ぎの糸を使い、天然染料で染めたイカットが復活していて驚いた。手紡ぎの糸の風合いは私も大好きではあるが、紡績糸よりもかなり太い糸になるので、細い糸で創り出される繊細な絣模様は表現できなくなり、粗い模様となりやすい。また、織り上がった布も硬くて重い。暑いインドネシアで、日常着用するには、やはり少々不便に感じられる。果たしてどちらの布が良いのかは、使い道によって異なり、それぞれに長所・短所があるものだと思わされる。イカットが目的の織物好きにとっては、やはり手紡糸のイカットは魅力的で、思わず手に取るが、値段の高さに躊躇したりもする。だが、イカットが売れて得られるお金は、村人達にと・u桙チて貴重な現金収入である。この先も、手紡ぎと天然染料によるイカットが作り続けられるかどうかは、観光客がやって来て、イカットが売れるかどうかに掛かっているのが現実でもある。


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