◆指でパープル液を付けて描いたと思われる文様 (豊雲記念館蔵)
◆身を取り出してパープル腺を出したところ
◆パープル腺を刺激して液を取っているところ
2005年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 38号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの染色- 上野 八重子
◆貝紫
2005年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 38号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-アンデスの染色- 上野 八重子
◆貝紫
まず、豪快な…と言うか、楽しくて美味しいおまけ付きと言うペルーならではの染色をご紹介しましょう。
焼け付く陽射しの中、カメラのピントを合わせる間もなくみるみる色が変わり、黄→緑→黒→紫とこの間5分、ワクワクする時間なのです。染材料を煮出す事もなく、媒染剤も使わないこの染めは貝紫染と言い、ペルーでは紀元前12世紀頃より行われていたようです。今まで自分が目にした資料では、この染めは帝王紫と言われる貴重な染めであり、染色時には危険を伴い、また貝を絶滅させると言う事で幻の染めと思っていました。が…体験してみると大きな違いがあったのです。
一口に「貝紫染め」と言ってもその染色法は国や地域によって異なり、地中海沿岸では小さな巻き貝から1gの色素をとるのに2千個の貝を割ったと言われ、その貴重さから帝王紫と呼ばれていました。浸し染めが行われていましたが今では滅びてしまっています。又、メキシコでは貝の口蓋に息を吹きかけ脅してパープル液を出させ、それを糸にこすりつけた後、貝は海に戻す方法で染めています。男たちは波の荒い岩場に降りて海岸線を何百キロも移動しながら行うので、年に何人かが波にさらわれるという事ですが今では殆どが化学染料に変わってしまい、染めている人は僅かとなっています。日本でも志摩半島の海女がパープル腺液を松葉につけ、描き染めする習慣がありました。
このパープル腺とはアクキガイ科の貝(ヒメサラレイシ、アワビモドキ、ヘマストマ、ツロツブリ、シリヤツブリ、トランキュルス、イボニシ)にあり、外敵から身を守る時とか餌を取るときに吹きかけて痺れさせる…いわゆる貝の武器なのです。体内では乳白色や黄色で紫外線に当たると紫色に変色する性質を持っています。
ペルーの貝紫染めには和名:アワビモドキ(学名:Concholepas peruviana LAMARCK)が使われます。日本でおなじみのアワビとよく似ていますがアワビはミミガイ科でパープル腺はありません。ペルーではチャンケと呼ばれ古代より食用として捕られていて、身を取り出した後に手や衣服が紫色になることから染色に結びついていったのではないでしょうか。藍染めをした時に爪がいつまでも青いのと同じように、これも紫色の爪となって楽しい余韻を残してくれます。現在では、もっぱら食用として捕られていますがパープル液は貝自身を染めてしまい、売り物にならずに「やっかい者扱い」されているとの事で染色には殆ど使われていません。
「あ~っ、ここでも貝紫は幻かっ!」と思われるかもしれませんが、貝さえ手に入れれば手軽に出来ますのでペルーに行った時には染めてみてはいかがでしょうか。
では簡単に染め方を書いてみましょう。まず、魚市場から生きてるチャンケを買ってきます。身の回りにナイフを入れひっくり返し、パープル腺を刺激してパープル液を出させます(蛍光色の黄色)元気な貝なら1個からTシャツに思い切り描ける量が採れます。筆を用意し、図柄を自由に描いてみましょう。原液のままでは濃い紫色、水で薄めるとピンク色になりますが、部屋の中では黄色のままです。しかし、野外に出し陽に当てると見る間に変色していきます。そのままガンガンと陽に当てた後、濯いでカスを落とすときれいな紫色が現れてきます。
さて、パープル液を絞り出した後の貝は…もちろん刺身で美味しく頂けるのです。ここでは染色の為に貝を殺すのではなく、むしろ食用が主でオマケに染めが出来る…と言う事で何となくホッとします。
ところで書き出しにある「体験してみてわかった大きな違い」とは、まず染色法が地中海沿岸は浸し染め(色素を溶解するのに古い尿、蜂蜜、食塩水を使っていたらしい)メキシコはこすり染めと言う事で製織前の糸を持ち歩いて染めていたのに対し、博物館にあるアンデス染織品はあきらかに布にしてからの染めであり、それも貫頭衣という大きな布に大胆な模様が描かれているのを見ると2千個の貝で1gとか、布を担いで海岸線を渡り歩
く…とかではなく、もっと簡単に染めていたのでは?と疑問に思っていました。 が…確証はなく「やはり、布を担いで…なのかなぁ?」と考えが揺らいでいた時、ペルーで染色体験ができ疑問が解けたのです。
ペルーの海岸地域はフンボルト寒流があり、寒流には燐酸塩を含んだ湧昇深海流が合流し、強い太陽光線と合わせてプランクトンを産し、それに魚が群れ…と村落には豊かな海の幸をもたらしています。貝紫貝チャンケもそんな海の幸の一つなのです。きっと古代の染織家たちは作品完成を急ぐことなく「今夜は久しぶりにチャンケの刺身だから、食べる前に染めようか!」なんて言いながら模様を描いていたのではないでしょうか。
目まぐるしく動いている今の世の中、そんな中で古代のペースを考えるのは難しい事かもしれませんが、時にはこうして原点を見つめるのも必要だと思うこの頃です。以前、日本の染色ツアー者が貝紫染めをする為に多量の貝を犠牲にしたと言う話を聞きましたが、自分の欲求を満たす為に異国文化のペースを脅かすのは如何なものか…と胸が痛みました。
さて、ここでアンデスの貝紫染めのまとめをしてみましょう。
ペルー海岸地域は高温多湿状態になっても雨にはならず、万年降雨量0と言うほどで延々と砂漠が続き、アンデス山脈から端を発した河川が広がる地域のみが町を形成しています。地上絵で有名なナスカ、主都のリマ、古代染織品の宝庫イカ、チャンカイ等がその一つです。ペルー綿はそれらの村落で栽培され、貝紫染めには綿織物が使われていますが「綿もある、貝もある…」という中から染めるという行為が必然的に始まったのではないでしょうか。アンデスに限らず流通経路のなかった古代文化では身近にあるものから発展してしていったように思われます。そして衣服は貫頭衣(ポンチョ)、これは日本でいうと着物に当たるものでいわゆる民族衣装です。2枚の布の真ん中を空けて縫い合わせる簡単なものですが脱着が楽にでき、1日の中で寒暖の差があるアンデスではとても重宝な衣服なのです。ある時、白地のポンチョを着ていた古代人が、フッとお洒落心が働いてチャンケ貝の液で模様をつける事を思いついたのではないでしょうか…なんて、これは私の勝手な想像なのですが。 その模様は指で液を付けただけと思われる大雑把なものから、彼らが得意とする図案化された模様まであります。布に描いていたという点では地球の反対側、志摩半島の海女も同じ事をやっていたというわけです。
貝紫染めは天然染料…一般的にいう草木染めに分類されますが、限られた貝でしか染められませんので、やはり「幻の染め」と言えるでしょうか。 アンデスの染色については他にも特殊な染料や生産地で見た事など、お話ししたい事が多くありますので次回も続けたいと思います。(つづく)