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「地の襞」 -磯辺晴美-

2010-11-23 13:01:29 | 三宅哲雄
◆礒辺晴美「大地に育まれるもの-Earth Born-」155×266cm

地の襞 -礒辺晴美-         三宅哲雄

ART&CRAFT vol.6 1996年12月20日発行

今年の4月から5月にかけて目黒区美術館に於いて「日本の染織・テキスタイル展」が開催された。展覧会の図録の巻頭挨拶に「(前文略)染織・テキスタイル造形に関する認識については、関西文化圏では多くの人にとって常識に近いと思われる最新の情報も、関東・東京では多くの人の耳に届く機会も少なく、大学院で専門に研究・調査・制作などに従事しているような人々だけが知り得る非常に高度な専門的知識になっているといえるでしょう。日本の誇るべき伝統と文化の一分野である「染織・テキスタイル」の現況に対する認識を関東圏の人びとと共有するためにも、こうした企画展は非常に有意義なものであると考えております。本展では、関西を中心として活躍している現代作家29人の作品93点を展示し紹介いたします。(後文略)」と記されております。私共、関東在住者にとって日頃見る機会のない作品を拝見する機会を与えられたことを感謝すべきなのか、考えさせられました。私の解釈が歪んでいるのかとも思いますが、言葉を変えるならば「関東では染織・テキスタイルは一部の人々だけ知り得るものであり、これではいけない、日本を代表する関西の作家の作品を是非ご覧になって、勉強しなさい。」というように聞こえました。たしかに歴史的にみても関西圏特に京都は常に日本の染織をリードする役割を担い、優れた作家を生み出すと共に高度な技を研鑽し継承してきた文化圏であることには依存はありません。又、1960年代から胎動を始めたファイバー,アートといわれる造形活動の中心的役割を果たした人々の多くが関西圏に居住していたことも事実でしょう。だからと言って何故に関東圏では染織・テキスタイルが一部の人々のものと断定できるのでしょうか?。しかしながら、ここで述べようとするのは文化圏に対する見解の相違を論じるつもりはなく、京都在住の磯辺晴美という一人の作家の仕事について私的な思いを記すことにより、関西や関東いや日本や欧米などというような枠組みの文化論ではなく、一人の作家の作品や制作姿勢等を通じて読者が染織・テキスタイルの現状を伺い知る機会になれば幸いだと思います。

地の襞

 駅迄迎えに来てくれた磯辺さんの運転する車に始めて乗せていただき滋賀県西大津のアトリエを訪問し、作品を拝見しながら話を伺った。磯辺は京都に生れ、スゥェーデンで織りを学び川島織物で工業織物のデザインを手掛ける傍ら織物作家として内外で活躍し、現在は教育と制作活動に多忙な日々を送っている。私は川島テキスタイル・スクールに在籍していた時からの知り合いで、今日でもタペストリーの作家といえば第一に磯辺晴美を挙げます。磯辺の仕事は経糸をキャンバスとし緯糸を絵の具として機のうえで自由に描くことだと言えるでしょう。磯辺が川島織物に在籍中に壁布のデザインをする様子を拝見する機会があったが、私には全く魅力に欠ける不燃の糸を10cm程度の幅で数種類経糸として機にかけ、同種の糸を多様な組織を使いながら緯糸として入れ、糸の状態では思いも拠らない魅力的な布に変身させたことは驚きでありました。机上で設計したうえで、機で試織するのが通常の織物デザインと思っていた私には磯辺の仕事ぶりは新鮮であると共に熟練したデザイナーでも机上ワークは限界があり機のうえでドゥローイングする必要性を実感しました。しかしながら誰でも機上での試織が旨くいくものではなく個々の糸の特性を瞬時に把握し、いかに使用すれば糸の持つ魅力を最大限に発揮させることが可能かを全身で判断し表現することができるかが問われるのです。工業染織の仕事に従事しながら自己表現の制作を続けている作家は少なくなく、多くの人は工業染織の仕事は生きる為の糧として割り切り、自らの仕事にエネルギーを集中させると語りますが、器用に自分を使い分けることが可能な人はそれほど多くないと思います。磯辺は工業染織や受注したタペストリーや個展の為の仕事などと使ぃ分けて仕事をすることが出来ない性格で、与えられた仕事か自ら望んだ仕事かの区別はあっても仕事への関わり方には変化がなく自然に対応することしか出来ないのです。このことが20数年磯辺の仕事を見てきて違和感を感じることがないのでしょう。たしかに初期の仕事、イギリス在住の仕事、昨今の仕事と鑑賞者にとっては大きな変化が見られますが、磯辺にとっては自らが生きていく風土や環境が変われば、その環境を素直に受入れ自然に表現する素地を身につけていると言えるのでしょう。昨年の個展で発表された「地の襞」のシリーズは制作の場所が滋賀県西大津に移り、自然林を背景にしたアトリエで草花を植え、猿や薙子との触れ合いを持ちながら、一方、乱開発で失われていく自然を目のあたりにして生まれたものです。私は技法のことは判りませんが、機幅一杯に掛けた布が1/3に縮み布が波打ち、大地が静かに躍動する姿を作品は語りかけます。磯辺はタペストリーを織ることについては、決して織物が自分にとって絶対の表現方法であると思ってなく、現在、一番自由で自然に自己を表現出来る手段で、もっと自然な表現方法や素材があれば、それを選ぶと、さわやかに語るのです。

織物は立体である

磯辺晴美の個展会場で当研究所の卒業生に偶然出会い、卒業生は作品に接近して、しげしげと眺めたあげくに、「どのようにして織っているのでしょうか?」と私に質問しました。私は冷たく「デイテールを見るのでなく全体を見なさい。」と答えました。磯辺の仕事は緯糸で表現する技法を主とするが、スゥェーデン織り特有の経糸も表面に現れる技法も多用され、組織も二重・三重織りなど多様な技法が使われています。素材はもとより織り密度、織り技法が最初に全て決定されているのでなく、試織段階で大枠を決め、あとは織りながら自由に糸や技法を使い分け、常に頭の中にある全体イメージにいかに近づくか目をとおして手と足が自然に動くのです。最初に技法ありきでなく、いかに表現したいかにより、ほぼ無意識といっていい状態で技法を選択し織っているのです。 磯辺は織物は立体であると言う。一般的に鑑賞者の視点が制約される織物は二次元で立体ではないと言われているが、それは絵画、彫刻、などという西欧美術理論から押し付けられた概念であり、その理論に従う必要はない。むしろ、今日、平面であると言われている物の多くは平均的人間のスケールや視覚力を基準にして判断されていると思う。織物は言うまでもなく経糸と緯糸との組み合わせであり、結果として立体を形成し、素材の持つ表情と先染めによる糸を使用することなどから、表面には直接現れない色や素材の質感が表面に滲み出て、一般的に言われる織物の重厚さが表れるのです。平面であるという認識に立ち織物を織ろうと立体と捉えて織ろうと制作者の自由であるが、この認識の差が結果として作品に表現されるのです。私は磯辺と同様に織物は立体であると認識しており、立体として認識するからこそ織物特有の表晴を現すことが可能になり全世界の人々は今日でも織物に愛着を覚えるのでしょう。 文化は上から与えられるのでなく日々の生活の中で育まれると私は信じています。磯辺晴美のような姿勢で作品を生みだす作家が増え、一人一人と語りかける作品に鑑賞者が出会い、結果として鑑賞者が豊かな生活を営むことに結びつけば作家としては、この上ない喜びでしょう。                            



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