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「棲界」-川村紗智子-

2010-11-23 15:36:39 | 三宅哲雄

棲界  -川村紗智子-        


ART&CRAFT vol.7   1997320日発行


西武池袋線で三つ目の江古田駅で降り、日本大学芸術学部と練馬病院の境界の前で左折、突き当たりが今回訪問した川村紗智子さんの自宅兼アトリエである。道順は川村さんに電話で教えていただき今回初めて訪問するのであるが、駅から川村宅迄慣れ親しんだ道のごとく、又、迷うこともなく訪れた。


実は、私は日本大学芸術学部の卒業で江古田に隣接する板橋区向原に下宿をし青春の4年間を過ごした思い出の残る地である。駅舎は当時のままで変わったことといえば自動改札だけで、駅から大学迄の道筋に於いても商店の業種は今様に変わっているが狭い道路を中心にした学生街独特の雰囲気は今も変わっていない。左折すると道の両側は住宅になり少し違和感を覚えたが緩やかな道の高低差は20数年前の広々とした畑を思いおこさせていた。このようなことは誰でも一度や二度経験したことがあると思われるが、風景が一変するような開発がされた地では感慨は湧かない。大地が削られ、その地で生きていた人間の営みや動植物が一掃されると環境が変わり空気が変わる。環境を構成する要素の一部が変わっても他の構成要素が不変なら、その環境はかつてその環境を構成していた人を迎え入れるが一変した環境はかっての住民もよそ者とみなすのでしよう。すなわち環境が受け入れる入れないという問題だけでなく人が環境を構成する要素に成り得ていたのか否かを自覚するのは大地の上で共棲する人と動植物を始めとして人間が造り出した建築物、肉眼では見えないがミクロの生物や物質、そして光や風など大宇宙の営みとどれだけ時間・空間を共有したかに掛かっているのだ。人は生を得て死するまで多様な環境の中で生きていく、意識下の範囲内でも家庭、学校、職場、旅行地、通勤や通学などに要する移動地などなど…これらの環境を構成する生物と物質は常に構成要素を変えながら動いている。又一人の人間が生涯刻々と変化しながら生み出す環境は決して他の人と同一でない。このような一人の人間の生涯を構成する環境を何と呼ぶのであろうか? 私は『棲界』と呼ぶことにした。


透過する世界

川村紗智子はこの地で豊かな趣味を持つ両親と自由な家庭環境の中で創作する楽しさを自然に学んだ結果として武蔵野美術大学短期大学部に入学した。大学では陶芸を専攻したが陶芸を志して入学したのではなく、むしろ硝子に興味を持っていたが今日のように硝子を学ぶ場がなく、やむなく陶芸を専攻し卒業後に岩田硝子に入社し念願の硝子の世界で仕事をすることになる。その後、栗田クラフト陶芸教室の講師となり再び陶芸の世界に戻り今日の陶芸家川村紗智子が存在するかのような経歴であるが、川村にとっては陶芸とか硝子というジャンルを選択しているのでなく透過する世界に興味を持ち続け、岩田硝子在職中はガラスデザイナーとして活躍し、栗田クラフトでは陶芸を指導する傍ら土も光を透過することを発見し「向こうの世界」を土で表現することに挑戦している。


当初は光を使用して土でも光を透過することを具現化した作品であったが、「密教曼陀羅」との出会いから自分が生きていく時空を問うこととなり、光だけでなく風や水や、そして時間や空間を透過する世界を表現できたらとの願いから「曼陀羅」の作品が生まれた。だが幼少の頃より持ち続けている「透過する世界」はたぶん今だ表現されていないのではないかと私は思う。川村が使用する素材は透過性を持つ硝子から一般には透過性を持たない土に変り、土でも光を透過することを発見したが満足しない。


「密教曼陀羅」の宇宙に触れ、求めているのは物理的透過性だけではないと気付いたが作品として表現出来たのは曼陀羅の形であって川村が表現したい豊かで大きな広がりを持つ宇宙を表現出来ているとは思えない。だが川村は臆することなく自分の求める世界が表現出来た作品との出会いを求めて創り続けている。一昨年当研究所ギヤラリーでの個展のテーマはたしか「創造と消滅」であつたと思うが川村は個展に先立ち「いつもは創ることばかり考えているが今回は創ることと消し去ることとを考えて作品をつくります。」と語り、ギヤラリーの中空に「巨大な船」を浮かべ、傍らには「破裂した球体」を配置した。展示日に川村はいつもの笑顔をみせながら「消し去ることは無理なので今回は諦めました」と自分の非力を感じながらも挑戦する意気込みを表したのは印象的でした。1994年、川村にとつて始めての野外制作の機会は「’94信楽・陶芸の森」であった。この経験から「自分は大きな作品を制作したと思っていたが山の上から見たら点でしかない。結局は大きさではなく、小さくても大きな作品もあり、大きくして驚かす必要はないということが確認できたのは収穫であった。」又「一ケ月展示され作品は太陽や雨や風にさらされ、水が浸み込み、苔が生え、作品に自然の営みが記憶された。作品を撤去する日になり陶板をめくると作品の下に隠されたもう一つの作品を見ることができた。」と語った。


川村紗智子は自由な家庭環境で育ち、素材には拘束されず、工芸の世界では日常的な師弟関係を持たず、作品も実用的な茶碗からオブジェまでこなす至って器用で恵まれた作家である。不器用で恵まれない作家は多いが川村のような作家は珍しい。器用貧乏という言葉があるように一般的に器用な人の作品はそつがないが軽い。私は川村の作品もその種であるのかと思っていたが、最近どうもそうではなさそうだという感がする。川村は家庭や学校そして職場などでの交友関係をとおして自分とは異なる人を知り、その人々から学ぶと共に人を排除せず受け入れる。この思想は人間だけでなく川村が生きてきた時空を形成する生物と物質にも適応されていて交流を持っている。このことを作品の制作姿勢が如実に語るようにチャレンジ精神が旺盛で作る前に考えるより自ら作つた作品を前にして多くを学んでいるのである。しかしながら理路整然としているわけではないが、何にでもフラフラと動くのではなく自分が求める世界すなわち「生命の本質を作品に取り入れたい」と願う方向性は確実に踏まえているように思われる。


私は川村紗智子の仕事ぶりを拝見することにより川村紗智子は「川村紗智子の棲界」で豊かに生きていることを実感した。                  三宅哲雄



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