1982年12月10日発行のTEXTILE FORUM NO.1に掲載した記事を改めて下記します。
イギリス手紡ぎのふるさとを訪ねて 1982年9月7日(火)~9月20日(月)
-London・Oxford・Ross-on-wye・Cardiff・Dartington・Dillington-
イギリス手紡ぎの旅 コーディネーター 冨田のり子
海外旅行がブームと騒がれて久しいですが、その実態を実際海外にいて見てきて、いつも思う事はその中身がいかに貧弱かという事です。短期間に何ヶ国回れたか、どれだけ安く有名ブランドの商品を買えたかそして有名な建物・場所をバックに何枚もの写真を撮ってその旅行が終ってしまうというような旅をされるケースが、殆んどであるように思うのです。それをみるにつけて、同じ日本人として少々はがゆく思っていました。何故そしていかに旅するかを自分で考えないで旅が終り、そして、それが「過去の思い出」だけになってしまうのは残念だと思うからです。「量から質への転換、それに個人の個性が加わった」旅というのはやはり一人一人が個人で出かけなければならないのでしようが、それに近い旅をコーデイネイトできないか…そう考えて計画したのが今度のイギリス手紡ぎ研修旅行です。
さて旅行ですがまず行き先を私が自信を持っておすすめできる中から選ぶ事にしました。訪れる場所も、普通の旅行ではいかない、しかし英国南部の田舎町の美しさを知るには最適のそして、染織や工芸に興味のある人々には是非とも尋ねてもらいたいそんな所をピックアップしてみました。
ロンドンに着き、一通りの市内見学を済ませた次の日は、ビクトリア・アンド・アルバートーミュージィアムはもちろん、国立デザインセンターや国立工芸協会・そのギャラリーやスライド図書室等を見学。現代英国の工芸・デザインの現状、そしてイギリスという国がいかに現代の工芸・美術・芸術に力をいれているか、伝統におんぶしている日本との差なども見比べていただけたと思います。次にオックスフォードで半日過ごし、ウィリ アム・モリスのタピストリーや各カレッジのチャペル等を見学しました。そしてここからが先が同行した旅行会社のベテラン添乗員氏に「何回も英国に来たけれど、ここから先はいった事がないなあ」といわせた「ヒキョー」の地なのです!
コギーズという小さな小さな村の、昔の大農家を解放した生活博物館、レッドベリーという中世の面影を残したマーケットタウンの裏通りを一周した後、マイケルーカスンという英国陶芸家の一家を尋ね、御家族の手造りの夕食をごちそうになりました。せっかく英国に来て英国人の家庭を見ないというのはあまりにも残念ですから、古い友人のカスンー家に無理をいいました。
次の日はウェールズ州の入口、カーディフという町にある広大な野外博物館を見学しました。ここは古き良き美しき時代の英国が人々の日常生活を中心に保存展示されてあります。手紡・手織工房も、昔のままに再現されそして実際に活動しています。
次に行ったのはダーティントンという村です。ここは音楽・芸術学校を中心に工芸村が建てられた美しい村です。ここでは、英国染織家の母ともいわれるエリザベスー・ピーコックの作品を、その学校のチャペルの中で見たり、又、ブラックベリーの実を摘み摘み食べながら牧場をぬけ、村はずれにあるバネッサ・ロバートソンとノーマン・スコット染織家夫婦のアトリエもたずねました。
ここまでで旅の半分が終わり、後半は、これまた牧場に囲まれたイルミンスターという田舎町のはずれにあるディリングトン・ハウスという元大地主の館ではじまりました。デイリングトン・ハウスは昔、英国首相も住んだ事もある由緒ある館で今は州政府が借りとってアートセンターとして一般に開放しています。ここで滞在しながらアイリーン・チェドウィックさんから手紡の講習会を受けました。コース中、同館で催された写真や彫刻の展覧会をみたり、併設された小劇場で催されたウェブ・ピアノコンサートを聴いたり、あっという間に五日間が過ぎました。コースも修了、もっといたい気持を押えて最後のお別れをアイリーンさんとし、バスに乗り込んだ後、彼女からバスの中で渡してくれとたのまれた、一人一人の名が書き込まれたカードを皆に手渡しました。幾人もの人達が思わず涙ぐんだという事実をここに書けば、アイリーンさんのお人柄がわかっていただけると思います。そこで皆さんがどんな事を習われたかは他の方がここに書いて下さっていますので、ここでは省略します。
コース後はロンドンにもどり翌日は有志が集まりピーター・コリンウッド氏宅を訪問しました。あいにく彼はアメリカに旅行中で留守でしたが、コリンウッド氏の仕事場で、彼の作品や、シヤフトスウイッチング第一号機や、マクロ・ゴーゼ機の仕組などを見て貴重な一日を過ごしました。夫人の手造りのケーキもおいしかったです。 こうしてあっという間に二週間が過ぎました。地理的にいうと、カバーした距離は、英国南西部という小さな範囲に限られた、そしていわゆる豪華絢爛なプランのある旅行ではありませんでしたが、それでも、こういったゆとりのある、そして一つの目的を持った旅行に参加して下さった皆様には満足していただけた旅行だと思っております。
ディリングトン・ハウスでの手紡ぎ講習 アイリーン・チェドウィック女史との、人間味あふれる出会い
私は手紡ぎを始めて約一年。まだまだ暗中模索の毎日で見よう見真似で紡ぎ織っています。原毛の種類や長所短所。その年々の気候により変化する毛の良し悪しの判断、日本での購入先の情報など、先輩方の意見を少しずつ参考にしたり、自分の経験で作業を進めていました。英国のウールと云いますと歴史もあり、上質の物と評価されています。私は目で見て実際に手に触れてみたいと思いこのツアーに参加しました。
紡ぐ時、「ソフト・ソフト」と注意を与えたアイリーン。
講習での最初の作業は、紡毛糸を作る為、カーダーをかける事ですが、まずそこで驚いた事は、最愛なるアイリーンは膝の上に左手に握ったカーダーをおくと右手のカーダーをシャシャと軽やかに、そして優しくカーディングをしたのです。ゴリゴリと云う私達に対し彼女は「ソフト・ソフト」とくり返しました。紡ぐ時は短い距離で多くの撚りをかけ一挙に原毛をひき、そのたまっていた撚りをうつしてゆく方法でした。その時でも、彼女は繊維の中に空気が入る様にやわらかい糸を紡いでほしいと言っていました。私は、スポンジケーキを作る時、卵をしっかりと泡だてなるべく沢山空気を入れ、熱した時に空気が膨張してふっくらしたケーキの出来る事を思いました。
後に繊維の長い種類の原毛で梳毛を紡ぎました。紡毛の時とはっきり区別をつけた方法で平行にコーミングされた繊維に徐々に縒りをかけるのです。梳毛と紡毛をはっきり区別して紡ぎ別けると云う事は、私はまるで考えもしない事だったのです。カーディングやコーミング、糸の引き出し方によりセミ梳毛セミ紡毛とまで意識して紡いでいるのです。
原毛に対して常に親切な彼女、それが作品の成功へつながっている。
その意識の線上に、どんな物を表現したいかと云う「作品」と「手に入る原毛」と「紡ぎ方、仕上げ方法」この三つの要素が平均のとれた力関係に位置している事が大切だど講習最後に言っていた事が非常に印象的です。
後処理の方法についての講習では、織る前の縒り止めの事が話題に出ました。私は糸を蒸す事を常としていました。しかしアイリーンは、せっかく空気のたっぷり入ったやわらかい糸を途中の段階でスチームする事によりその半分以上の性質をなくす事はしたくないと言っていました。縒りは切り口だけがもどってしまうだけなのです。この様に彼女は繊維に対し、ある意味では非常に親切であり、その原毛の長所をひき出そうと細心の努力をしている様でした。それは最終的には、自分の作品の成功へつながるのだと感じました。市場には、沢山の種類の糸が並び、最近は手紡ぎ風と称する糸も出まわっています。その様な時に何故手間のかかる作業をするのか、自分で作ったと云う自己満足だけに終わらない様、糸が出来たので何か作ろうそれでも良いと思いますが、自分の作品にはこんな色あい、テクスチャーの糸が欲しいと云う正確な必然性が感じられたらと思います。
講習中で紡いだ原毛は、日本で紡ぐグリージーウールよりは、はるかになめらかでとても紡ぎやすかったと思います。しかし、もし日本でその様な上質のものが手に入らないのでしたら、それなりに、自分の求めている糸に近づぐ為の努力、工夫する気持ちが一番大切だと云う事を今同のアイリーンの講習で学びました。
糸の無限の可能性を人間愛とともに教えてアイリーン。 田中順子
「外国のことを学ぶときは、私はその国の言葉を習うことから始めるでしょう。」 と僅かに嘆き、私達を恐縮させながらもアイリーン先生は一人一人の心情までもよく理解して下さいました。ユーモアを好む快活な方ですが、紡ぎと織に係ると、真剣で生真面目な地を表しておいででした。それでいて頑なにならず、紡ぎの基本をきちんと教えつつ、種々の素材、紡ぎ手の意図により無限の可能性のあることを示唆なさいます。
「こうせねばならぬということはない」とおっしゃるのは、仕事と人間に対する愛情からでしょう。それが強く感じられて、私達はアイリーン先生にひととおりでない愛着を覚え、共に紡ぎを楽しみ、短い滞在を惜しみました。
今は家に帰り、先生の姿勢を思い起こし、様々な糸を夢見ています。
すべてが素晴らしい有意義な日々 安達裕子
今回のイギリス旅行のハイライトは、何と言っても、ディリントンハウスでの5日間の手紡ぎの講習だった。講習自体ももちろん、ディリントンハウスそのもの、周囲の風景、部屋の窓からの眺め、朝もやの中の散歩、他の泊まり客と一緒の食事、ホールでのお茶、そしてアイリーンそのひと、どれをとっても素晴らしかった。
アイリーンというのは、我々の紡ぎの先生で、イギリスにおける手紡ぎの第一人者、もう、かなりのお年なのだが、自ら車を運転し、人数分のスビニング・ウィールをはじめ必要な教材を全部運びこみ、会場をセットし、講義をし、紡ぎの実技から指導まで、みんなひとりでやってのけてしまう。情熱の人である。
5日間で紡いだのは、ウール3種。いずれも、一頭分ずつ丸めてあるフリースを目の前で広げて、それをみんなで分けて紡いだ。広げると羊の形っぽくなってしまうフリースからとった羊毛を紡ぐというのは初めての経験だったので、ちょっとした感激だった。繊維の長さや固さに差はあれ、どれもしっとりした手ざわりで、とても紡ぎやすかったが、それでも、アイリーンは、この次来る時はぜひ6月頃に来てほしい、と言う。羊の毛が刈りたてで、もっと良い糸が紡げるのだそうだ。
一番目の白い羊毛というのは、ドーセットダウン、英国産の短毛種。毛足が短いので、紡毛を紡ぐ。二番目のチヤコールグレイの羊毛は、オーストラリアからの輸入で、コリデールかロムニーマーシュの混血だろうと言う。毛足が長いので梳毛は紡毛に比べて、撚りが強くなりがちなので、単糸では扱いにくいということで、一部は双糸にしてみる。三種類目はジェイコブ。古い品種なのだが、色がまざっていて、紡ぎ方によって、白、黒、グレーと色々に紡ぎわけられるので、近頃、人気のある種類とのこと。これは毛足の長さが前の2種類の中間にあたり、紡毛にも梳毛にも紡げる、ということだったが、紡毛でなるべく細く紡いでみよう、ということになった。
アイリーンから教わった新しい紡ぎ方は最大の収穫
初日にドーセットダウンをスピニングウィールで紡ぎ出してからわかったことは、我々の今までの方法では、紡毛は紡げていなかった、ということだった。それまで、スピンドルで紡いでいた時は、おそわった通りに皆、おそるおそるやっていたのだが、スピニングウィールにうつると、ついつい、今までのやり方で紡いでしまうのだ。我々の紡ぎ方をみて、先生のアイリーンは、それは紡毛の紡ぎ方ではないと言う。たしかに、同じ羊毛を使って紡いでも、アイリーンの教えてくれたやり方で紡いだ糸と、我々のやり方で紡いだ糸とはまるでちがう。アイリーンの教えてくれたやり方だと、繊維にほとんど力がかからないので、繊維の向きが不揃いで、撚りの甘い、空気をいっぱいに含んだいかにも紡毛、という糸ができる。この紡毛の紡ぎ方をおぼえられたのは、今回の最大の収穫だった。
この間に、紡いだ糸をかせにあげ、洗って干す作業や、試織用の機に紡毛と梳毛の経糸をかけ、各々が紡いだ糸を入れて織る作業、織り上った布の仕上げといった作業がはいる。これらの作業は、デモンストレーションルーム内で行われたが、晴れてくるとスピニングウイールを中庭に持ち出して、戸外で紡いだ。のんびり、陽のあたる場所で紡いでいると、非常に満ち足りた気分で、そのままいつまで紡いでいられるような気がする。とは言っても、8時と1時と7時の食事の間に11時と4時のお茶の時間がはいるので、そう、時間を忘れていたわけではないのだが。
といううちに、長そうに見えていた講習の期間も残りわずかとなり、やっとの思いで、4日目の午後のお茶のあとに、染色羊毛の混色と、最後の日の午前中に、亜麻の紡ぎを見せてもらったあと、ディリントンハウスとアイリーンとに心を残しつつ、バスにのりこんだのだった。
バスから見える白い羊の群れ。
旅の4日目、私達はRoss-on-Wyeにある陶芸家のマイケル・カスン氏のお宅を訪問しました。その日、我々のバスは、のどかに広がる放牧地の緑の丘を、点々と白い羊の群れを見ながら走り続けました。到着したカスン氏の家は、丘の上に建つ古い農家を改築したという、どっしりした石の家でした。バスを降りると、カスン氏と夫人、娘のクレア、彼女のフィアンセのアンドリュ‐、クレアの弟、そして一家の愛犬と全員で迎えて下さいました。この一家は、カスン氏と夫人、そしてアンドリューが陶芸を、クレアが染織をするという芸術家一家です。
一通りの紹介が終ると、仕事場、窯場、焼き上がった作品の並ぶ庭、そしてお宅の居間などへ我々を案内して下さいました。居間の窓辺や棚に並ぶ陶器、階段の窓から下がるすばらしい織りのカーテン、壁の絵、生けられた花、そこここに置かれた、あらゆる物が、その生活の場の中で生きている様なお宅でした。印象に残ったものの1つに、古いジプシーのキャラバンがあります。これは仕事場の庭に面した納屋にありました。アンドリューが、これを修理改装しで使うのだそうです。本当にぼろぼろのキャラバンですから完全に手入れを終るまでには、何年もかかるのではないかと思われます。しかし、この贅沢な遊びに、大きな気持ちのゆとりを感じました。
クレアが一日中かかって作った、料理のかずかず。
さて、ぶらぶらと、お宅や庭を見せて頂いてる間から気にかかっていた、いい香り。クレアさんが私達の為に夕食を料理してくれていたのです。料理を運ぶクレアさんにくっついて、私達はアンドリューの仕事場の2階の部屋に入りました。そこには、小さな花が所々に生けられた長いテーブルがあり、私達全員と一家の食卓がセットされていました。ポテト、トマト、ビーンズなどの野菜が次々とテーブルを回ります。各々、すてきな皿に盛られています。メインディシュは野菜の煮込んだものがクレープに包まれたお料理で、皆一つずつ感嘆の声を上げました。
お酒デザートも最高の味。
また、この日私達はすばらしいお酒を頂きました。梨から作られたペリーというお酒です。イギリスでも限られた地方でしかないそうで、ここもその産地の1つだそうです。少々甘いのですが、あっさりしており、全く美酒でした。
ぺリーと、おいしい食事でお腹がいっぱいになった頃デザートが出ました。果物と3種類のケーキ、そしてチーズです。お腹がいっぱいで、もう食べられない感じです。それでも皆、3種類のケーキを少しずつ頂き、クレアさんが作ったという香草人りのチーズも少しずつ味を楽しみました。
夕日の沈む頃始まったこの夕食、終った頃にはすっかり夜で、カーディガンを羽織って外に出ました。皆、お腹も心もすっかり満たされて、来た時と同じ様に一家全員に見送られて宿に向いました。
カスン一家の暖かいもてなしには、本当に感謝致します。又、この様な機会を与えられて、今回のテキスタイル研修に参加出来たことを幸運に思いました