福祉手帳2級の交付 待つ間(あい)に
図書館パート 募集の終わる
(とど)
2010年2月6日 作歌、2015年2月16日 改訂。
図書館パート 募集の終わる
(とど)
2010年2月6日 作歌、2015年2月16日 改訂。
深仕舞ひせるかなしみを取り出だすごとくに語るカメラに向きて
竹山は長崎で代々キリスト教を奉じてきた家系に生まれた歌人である。長崎への原爆投下で被爆した。実は彼は1945年の春から結核を患って入院しており、折しも8月9日は退院の予定となっていた。迎えにくるはずの兄を待ちながら他の患者と雑談していた竹山は、飛行機の急降下するような音に咄嗟に近くのベッドの下に頭を突っ込んだという。ピカッという閃光の後に押し寄せた爆裂波がやや静まってから、二階より階下へ、そして外へと逃げ出す途上、目にしたのはまさに地獄であった。
血だるまとなりて縋りつく看護婦を曳きずり走る暗き廊下を『とこしへの川』
這伏(はふふく)の四肢ひらき打つ裸身あり踏みまたがむとすれば喚きつ『〃』
水を乞ひてにじり寄りざまそのいのち尽きむとぞする闇の中の声『〃』
翌日、竹山は兄を捜しに行く。兄は隣の人が防空壕を掘るのを手伝っていて被爆、顔半分と背中全体が火傷を負っていた。兄は8月15日に亡くなる。逃げる道すがら大火傷を負い水を求めて息絶えていった幾人と同じように、衰弱していく兄もまた水を欲した。だが「水を飲ませたら死んでしまう」という噂が流れていたため、竹山はこれを固辞する。後年、そのことを彼は悲しみをもってこう振り返った。
欲る水をいくたびわれは拒みしか愚かに兄を生かさんとして『眠つてよいか』
しかし竹山が原爆を歌に詠めるようになるのは、敗戦から十年経ってからである。目に焼きついていた一人一人の死に様を詠おうとすると、そのシーンの夢に二晩、三晩と苦しめられたためだ。竹山は詠うこと自体を長く放棄した。十年後、竹山は喀血を起こして入院。余命わずかなことを告げられたが、特効薬のストマイが効いて奇跡的な回復を見せた。それから原爆詠に取り組めるようになったという。
彼は、被爆体験そのものを掘り起こす以外にも、原爆忌の式典や反核の運動に参加しての歌も繰り返し詠っている。
地位高き順に献ぐる花束のひとつひとつをわれは目守りぬ『とこしへの川』
白髪を風に乱して坐りゐるわれをまぢかに撮りゆきしひと『葉桜の丘』
冒頭の歌もまたそれらの一つである。テレビカメラを向けられて、心の奥底に深く閉じ込めている悲しみの蓋を開けてポツポツと語る――。終戦70年を迎える今年、この重い証しの歌に改めて耳をそばだてたいと思う。
*参考文献:三枝昻之編『歌人の原風景:昭和短歌の証言』(本阿弥書店)
竹山広『空の空』
竹山は長崎で代々キリスト教を奉じてきた家系に生まれた歌人である。長崎への原爆投下で被爆した。実は彼は1945年の春から結核を患って入院しており、折しも8月9日は退院の予定となっていた。迎えにくるはずの兄を待ちながら他の患者と雑談していた竹山は、飛行機の急降下するような音に咄嗟に近くのベッドの下に頭を突っ込んだという。ピカッという閃光の後に押し寄せた爆裂波がやや静まってから、二階より階下へ、そして外へと逃げ出す途上、目にしたのはまさに地獄であった。
血だるまとなりて縋りつく看護婦を曳きずり走る暗き廊下を『とこしへの川』
這伏(はふふく)の四肢ひらき打つ裸身あり踏みまたがむとすれば喚きつ『〃』
水を乞ひてにじり寄りざまそのいのち尽きむとぞする闇の中の声『〃』
翌日、竹山は兄を捜しに行く。兄は隣の人が防空壕を掘るのを手伝っていて被爆、顔半分と背中全体が火傷を負っていた。兄は8月15日に亡くなる。逃げる道すがら大火傷を負い水を求めて息絶えていった幾人と同じように、衰弱していく兄もまた水を欲した。だが「水を飲ませたら死んでしまう」という噂が流れていたため、竹山はこれを固辞する。後年、そのことを彼は悲しみをもってこう振り返った。
欲る水をいくたびわれは拒みしか愚かに兄を生かさんとして『眠つてよいか』
しかし竹山が原爆を歌に詠めるようになるのは、敗戦から十年経ってからである。目に焼きついていた一人一人の死に様を詠おうとすると、そのシーンの夢に二晩、三晩と苦しめられたためだ。竹山は詠うこと自体を長く放棄した。十年後、竹山は喀血を起こして入院。余命わずかなことを告げられたが、特効薬のストマイが効いて奇跡的な回復を見せた。それから原爆詠に取り組めるようになったという。
彼は、被爆体験そのものを掘り起こす以外にも、原爆忌の式典や反核の運動に参加しての歌も繰り返し詠っている。
地位高き順に献ぐる花束のひとつひとつをわれは目守りぬ『とこしへの川』
白髪を風に乱して坐りゐるわれをまぢかに撮りゆきしひと『葉桜の丘』
冒頭の歌もまたそれらの一つである。テレビカメラを向けられて、心の奥底に深く閉じ込めている悲しみの蓋を開けてポツポツと語る――。終戦70年を迎える今年、この重い証しの歌に改めて耳をそばだてたいと思う。
*参考文献:三枝昻之編『歌人の原風景:昭和短歌の証言』(本阿弥書店)