水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読 2018年12月分まとめ

2018年12月31日 09時31分23秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆12月15日
黙示10:9。巻物を所望したヨハネに天使は「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」 と語る。初読より印象深かった〈腹には苦い〉がNIVでは〈It will turn your stomach sour〉で吃驚。御言葉は摂取後に体内で主張する酸を持っているのかも。

◆12月22日
ゼカリヤ7:6「あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか」。明日はクリスマス礼拝。愛餐会で食前の祈りを務める。主が私達の救いのために、身を低くして人の間にお生まれになったことを噛み締める時となりますように

◆12月23日
新改訳ゼカリヤ8:5「町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう」と主は告げ「…これが、その日、この民の残りの者の目に不思議に見えても、わたしの目に、これが不思議に見えるだろうか」(6節)と。信徒の高齢化が言われるなか希望溢れる言葉。主よ信仰を与えて下さい

◆12月31日
新改訳マラキ3:8「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。…それは、十分の一と奉納物によってである」正直厳しい。12/24恵子の郵便ポストで、奉献は自らを奉げるとあり救われた。献金で「私達を用いて下さい」と祈る教会員に倣いたい
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一首鑑賞(63):水島和夫「むしろ痛みは疼きつづけよ」

2018年12月26日 15時33分32秒 | 一首鑑賞
喉元すぎれば忘れるわれにむしろ痛みは疼きつづけよ
水島和夫『田端日記抄』


 ぐさりと意識を突き刺してくる歌だ。「手術」と題された一連に含まれており、ペースメーカーを埋め込む手術が施されたことからして、この「痛み」は実感の伴う肉体の痛みと取るのが妥当なのは無論のことではある。けれどここでは敢えて歌集全体に目を配り、「むしろ痛みは疼きつづけよ」という自身への叱咤を作者の生きる姿勢にまで敷衍させて読み解きたい。
 『田端日記抄』のⅡ章には、長女の子が生後まもなく息を引き取った経緯がつぶさに詠み込まれている。水島家は揃って主イエスを信奉する家庭であったようだが、この孫の急死以降、水島の妻も、また赤子の母である長女も、神への信仰を失っていく。

  時は決して傷を癒してくれざりとたんたんと言へるあはれ娘は
  吾が祈りにともに頭(かうべ)を垂れゐしが妻は「然り(アーメン)」といはずなりたり
  「神がゐないことがはつきりわかつたから」とあはれ娘が言ふ
  「地獄を見せてもらつた」と妻は言ひ、以来教会へ行かずなりたり


 水島自身は辛うじて信仰を持ち堪えたようだ。娘や妻の胸中は痛いほど解る。しかしあれほど信を寄せていた神を離反していく二人を前に為す術もなく、断腸の思いであっただろうことは容易に察しがつく。

  不条理文学「ヨブ記」の神の行なひにつくづくわれは嫌気がさしぬ
  兄弟がともに祈りくれたればこみあげてわが嗚咽となりぬ


 歌集を通じて暗い影が立ち込めている。まさに救いがない、という感じなのだ。それでも水島は絞り出すように詠う。

  結び目がほどけるやうに赤子の死の意味がわかる日が来るだらうか
  教会を離れし妻をイエスならどんな喩をもて慰さめ給はむ


 ルカによる福音書7章に、ナインという町のやもめの息子を生き返らせる話がある。〈イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。〉(ルカによる福音書7章12〜13節)その後、イエスはやもめの亡くなった息子に呼びかけ息を吹きかえらせる。描写はシンプルで、イエスがどのようにやもめに声をかけられたか、表情ややり取りの具体は詳述されていない。もしかしたら、水島もこのルカ7章のくだりを何度も目で追い、祈る気持ちで想像を巡らしたかもしれない。
 掲出歌を含む一連が置かれているのは歌集の終盤である。あとがきで「ほぼ編年順」に編集したと記され、またこの歌集が第二歌集から丸二十年ぶりの上梓とあるので、掲出歌は孫の死去よりある程度の年数が経った頃の歌と思われる。孫の死が胸を引き裂くばかりの痛みであったことに変わりはない。だが背負わされた辛苦は、行きつ戻りつしながらも時と共に薄らぐこともあったろう。その上で水島は「むしろ痛みは疼きつづけよ」と振り絞る。この叫びに、私は使徒パウロの言葉を思い出す。身に与えられた「とげ」を取り除いてほしいと祈ったパウロに主から与えられた答えはこうだった。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(コリントの信徒への手紙 二 12章9節)。そしてパウロは「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と結ぶ。
 むしろ痛みは疼きつづけよ——これは、変わらぬ愛で孫を愛し続けたいという思い、そして筆舌に尽くし難い苦難の中で、それでもなお主の恵みのうちに生き続けたいという水島の意志表明ではなかったか。
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ルピシア福袋2019冬☆ノンカフェイン・ローカフェイン♫

2018年12月22日 09時26分55秒 | 聞茶・聞豆
ルピシアの福袋《ノンカフェイン・ローカフェイン・ハーブの【竹】リーフティー》が一昨日の夜に届きました〜!以下、ネタバレです。


☆ジャルダン ソバージュ
★キャラメル&ラム
★ルイボス レモン
★ヤミー
★ピッコロ
★ピーチメルバ
★ラビアンローズ
◎デカフェ・スペシャル
◎デカフェ・マスカット
◎デカフェ・アップルティー
◎デカフェ・アールグレイ
◆エルダーフラワー&カモミール
◆スウィートドリームス!
◆ボン・ヴォワヤージュ
◆キケリキー!

の、15種類でした。★は、ルイボス系のお茶です(☆はグリーンルイボスがベース)。
実は今回、〈ジャルダン ソバージュ〉を単品でも併せて注文してあって、福袋にも同品が含まれていました。前回の夏の福袋購入時には〈キャラメル&ラム〉を単品注文して、やはり福袋にも〈キャラメル&ラム〉が入っていたんですよね。それで、ちょっと期待してはいましたが \\\\٩( 'ω' )و ////
でも、今回は単品注文しなかった〈キャラメル&ラム〉も福袋にしっかり含まれていて、こりゃ〜ビックリ(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

(おまけの、人気のお茶ティーバッグセットの写真は省略)
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結局そこで測られる。

2018年12月17日 15時57分46秒 | 持病に寄せて
展望を問う瞳(め)のひかり稼がねば無為に過ごしているとばかりに
(とど)

2017年8月7日 作歌。
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一首鑑賞(62):三上春海「走馬灯であるアドベントカレンダー」

2018年12月05日 10時01分31秒 | 一首鑑賞
人類の楽しい走馬灯であるアドベントカレンダーめくるかな

 アドベントカレンダーとは、簡単に言えばクリスマス・カウントダウン・カレンダーのことである。12月1日から24日(場合によっては25日)まで毎日、その日付の小窓をめくる色鮮やかな紙のカレンダーだったり、小箱に入っているお菓子を一日一個開封して楽しんでいくタイプだったり、色々な形態がある。最近は小売店でも割り合い手に入りやすいようだし、手作りのアドベントカレンダーも根強い人気がある。
 三上はそのアドベントカレンダーを走馬灯になぞらえた。廻り燈籠のさまが年の瀬を一気に駆け抜けるアドベントカレンダーというのは、まさに目から鱗のような譬えだ。一方で、走馬灯にはどこか終末感がある。しかも三上は「人類の」と大きく出た。華やかなうたげが頂点に達していくまでの高揚感、そしてそれが終わりに近づいていく裏寂しさ——。歌の表現としては、走馬灯はアドベントカレンダーの形容だが、掲出歌は「走馬灯」と「アドベントカレンダー」が相互に比喩のようになって、めくるめく感覚を生み出しているところに大きな魅力があるだろう。
 こうして言葉を尽くしてみても「アドベントカレンダー」をご存知ない方には、何やら得体の知れない感じかもしれない。そこで手近な例で恐縮だが、私が作ったアドベントカレンダーの話を書いてみたい。
 私は以前拙いながら編み物をしており、いつか教会のバザー用にクリスマスらしい小物を24個ほど編んで、それを吊るすアドベントカレンダーを作ろうと考えていた。けれど私が乳がんで療養中に、同じ乳がん患者さんが編み物を続けていたらリンパ浮腫が酷くなったという話をネットで見かけた。結局その方は身体障害者手帳を取る羽目になったという。私は以来、編み針を再び持つことはなくなり、アドベントカレンダーの夢も霧散していった。
 しかしそんな私に神様は大きなプレゼントを下さった。今年の4月初旬の明け方、朧げな意識の中に「俳句のアドベントカレンダーを作ろう」というイメージが降ってきたのだ。最初は、ネットで発見して大事にブックマークしていた俳句のサイトからクリスマス俳句をピックアップした。5月末にこのアイディアをある方に話すと「著作権はどうなるの?」と率直な疑問が返ってきた。それで私はストックの俳句作者が存命かどうか、また逝去されていた場合の死去時期を調べ始めた。すると殆どの俳句が著作権保護期間内のものと判明。だがどうしても諦めきれない……私は県立中央病院へ乳がんの薬を貰いに行くついでに県立図書館に寄り、古めの俳句歳時記を二冊借りてきて、俳句を一から選び直していった。そのように労して拾い出したために、当初の案では「クリスマス」の語のオンパレードに近かった選句も、最終的には却って冬の多様な情景の句が揃い、12月初旬から後半にかけての微妙な季節の移ろいが感じられるような構成に並べることができた。
 せっかくなので、選んだ句を一部ご紹介する。

  初雪や先づ馬屋から消え初むる 森川許六
  臥生活(ねぐらし)のラヂオを聴けばクリスマス 日野草城
  冬山やどこ迄登る郵便夫 渡辺水巴
  層見せて聖夜の菓子を切り頒つ 橋本多佳子

 また、故 高岡伸作牧師の俳句もご夫人(N教会員)のご許可を得て、三句使わせていただいた。

  ゆび痕残る絵本の扉十二月 高岡伸作
  繭となる幼い眠り冬銀河
  毛糸編む片手はときに雲紡ぎ

 アドベントカレンダーは無事買い手がついた。でも、誰よりも私がカレンダー作りで楽しませてもらったのは間違いない。アドベントカレンダーの時季は始まったばかり。それもあっと言う間に過ぎてしまうんだなと思うと、何だか走馬灯のように切ない。
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Season's Greetings!

2018年12月04日 05時33分00秒 | クリスマスに寄せて
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