◆10月4日
テモテ⑵2:20「大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあり…一方は貴いことに、他方は普通のことに用いられます」。金銀礼讃的だが木や土の器も無ければ生活できない。21節「自分を清める人は…あらゆる善い業のために備えられたものとなる…」。俗な器は主にあって有用に
◆10月13日
歴代上29章。神殿建設のために様々な献げ物をしたダビデを見て、部族長や高官らも進んで献げた。明日はバザー。去年値付けを手伝いどんな献品があるか知ったので、今まで思い付かなかった遊休品も提供できた。全員にとって「自ら進んでささげたことを喜」(9節)べる日となりますように
◆10月25日
ヘブライ10:34「…自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです」大方の和訳の〈財産〉はNLTで〈all you owned持っていた全て〉。発病で山梨に移され仕事・母教会を失った。甘受には「忍耐が必要」(36節)だった
テモテ⑵2:20「大きな家には金や銀の器だけではなく、木や土の器もあり…一方は貴いことに、他方は普通のことに用いられます」。金銀礼讃的だが木や土の器も無ければ生活できない。21節「自分を清める人は…あらゆる善い業のために備えられたものとなる…」。俗な器は主にあって有用に
◆10月13日
歴代上29章。神殿建設のために様々な献げ物をしたダビデを見て、部族長や高官らも進んで献げた。明日はバザー。去年値付けを手伝いどんな献品があるか知ったので、今まで思い付かなかった遊休品も提供できた。全員にとって「自ら進んでささげたことを喜」(9節)べる日となりますように
◆10月25日
ヘブライ10:34「…自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです」大方の和訳の〈財産〉はNLTで〈all you owned持っていた全て〉。発病で山梨に移され仕事・母教会を失った。甘受には「忍耐が必要」(36節)だった
借りた詩集二冊かかへて逢ひにゆく街は一神教のざわめき
「街は一神教のざわめき」というのがクリスマスシーズンだろうことは容易に察せられる。街の華やいだ空気に酔いしれられない醒めた目が〈一神教〉の一語でありありと伝わってくる。小道具も良い。これが「詩集」でなく「花束」や「プレゼント」なら、クリスマスなんて所詮他国の宗教……と嘯きながらちゃっかり楽しむところは楽しむという通俗的な作中主体にすり替わってしまう。ネットでこの歌について、詩集を返すという口実を設けなければ相手は逢わないだろうという関係の淡さに諦念を感じるとあり、非常に的確な一首評と膝を打った。そのような鑑賞は頭の隅に置きつつ、ここでは仮託、ひいては付会の謗りを免れないことは認めた上で試論を展開したい。
私が24歳の時に脱落した母教会へと再び立ち返る手助けをしてくれた友人は、当時レコード会社に勤めていた。その頃の私はBGM会社で選曲の仕事に携わっており、信仰の面だけでなく興味関心の点でも話のしやすい間柄だった。私が精神の病を発症したのがきっかけで親の移住先である山梨に連れて来られてからも、手紙やメールなどでよくやり取りしていた。そんな彼女から母教会のクリスマス礼拝のBGMを選曲してみないかと打診があったのは、確か2003年の秋頃だったのではと思う。私はホイホイと二つ返事で引き受け、クリスマスBGMを選曲・編成して三枚のディスクを彼女に送った。そうしたクリスマスBGM編成は三年続いた。私はそれが喜ばれているなら幸いと気を良くしていた。
私の発病の原因はこれと、一つだけの事由を挙げることはできない。仕事は繁忙を極めていたし、教会生活でもアップアップしていたのは事実だ。しかし今も一緒に住んでいる母は、私が母教会の教会員に追い詰められて発病したと決めうちしているところがある。だから山梨に暮らすようになってからも東京の教会に顔を出すなどと言い出したなら大目玉は必定。友人からの要請に従ってBGMを提出しつつ、かと言って地元の教会へ「浮気」する気にもならず、家でひっそりとしたクリスマスを送っていた。それでもやはり、実際の礼拝堂でBGMがどんな具合に流れているのか気になるのは人情というものだ。2005年、私は何か言い訳を作って母を欺き、東京の教会のクリスマス礼拝へ出向いた。今にして分かる。友人の本意はそこにこそにあったのだと。
ところで本ブログの開始は2005年3月のこと。今はなきジオシティーズにあったBGMのサイトの宣伝用に立ち上げたのだった。私は高校からキリスト教主義の学校に入り、毎朝学校で短い礼拝の時間を守っていた。その後大学三年時に受洗して、劣等生とはいえ半ば「イエス狂い」なのは自他共に認めるところだったから、音楽について綴っていたブログにアドヴェント(待降節)のことを書かないわけにはいかない。それで2005年から2013年まで、びっちりクリスマスのCDについて記事にした。そうは言っても話の前振りも必要なので、色々ネタ探しには苦労した。そこに降って湧いたアイディアがクリスマス絵本の紹介。2011年は近隣の複数の図書館でクリスマス絵本を借りまくり、2012年は長年絵本の読み聞かせボランティアをしている方にご教示願って、絵本の紹介からクリスマスCDに繋げる記事を書いた。
まぁそうこうしている間に、私は2007年から地元の教会へ通い始めて転入会したりもしていたのだが、アメリカナイズされた母教会と違ってわりとオーソドックスな教会であるため、私が自分のブログでそんなことをやっているとは特に教会員の耳には入れなかった。実際これぞまさしく「一神教のざわめき」といった按配で、商業主義と非難されても反論できない代物だと重々承知していたからである。けれども神は世の営みさえ用いて御業をなされる。2017年に現在所属のN教会で、小さなお子さんとそのご家族のためのクリスマスコンサートを開催し、大型絵本の読み聞かせとクリスマス曲を中心にした音楽演奏のためにそれぞれ演者を招聘したのである。今年もまたその第二弾【0才からのクリスマスコンサート〜えほんとおんがくのおくりもの】が開かれる。BGM会社でのクリスマス時季の選曲、そして山梨に来てからもブログ等でのクリスマスCDの選盤でクリスマスの音楽にそれなりに詳しくなっていたので演奏家との窓口になって調整を務めるにも困らなかったし、第一回の時は読み聞かせの方にお任せしていた絵本選びにも今回は口を挟ませてもらっている。
ローマの信徒への手紙8章28節に「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」とある。この聖句の真実さを噛み締めつつ、同時に「驕るな!」という声も響いてくる。「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません」(歴代誌上29章14節)というダビデの祈りを自らに言い聞かせている今日この頃である。
魚村晋太郎『花柄』
「街は一神教のざわめき」というのがクリスマスシーズンだろうことは容易に察せられる。街の華やいだ空気に酔いしれられない醒めた目が〈一神教〉の一語でありありと伝わってくる。小道具も良い。これが「詩集」でなく「花束」や「プレゼント」なら、クリスマスなんて所詮他国の宗教……と嘯きながらちゃっかり楽しむところは楽しむという通俗的な作中主体にすり替わってしまう。ネットでこの歌について、詩集を返すという口実を設けなければ相手は逢わないだろうという関係の淡さに諦念を感じるとあり、非常に的確な一首評と膝を打った。そのような鑑賞は頭の隅に置きつつ、ここでは仮託、ひいては付会の謗りを免れないことは認めた上で試論を展開したい。
私が24歳の時に脱落した母教会へと再び立ち返る手助けをしてくれた友人は、当時レコード会社に勤めていた。その頃の私はBGM会社で選曲の仕事に携わっており、信仰の面だけでなく興味関心の点でも話のしやすい間柄だった。私が精神の病を発症したのがきっかけで親の移住先である山梨に連れて来られてからも、手紙やメールなどでよくやり取りしていた。そんな彼女から母教会のクリスマス礼拝のBGMを選曲してみないかと打診があったのは、確か2003年の秋頃だったのではと思う。私はホイホイと二つ返事で引き受け、クリスマスBGMを選曲・編成して三枚のディスクを彼女に送った。そうしたクリスマスBGM編成は三年続いた。私はそれが喜ばれているなら幸いと気を良くしていた。
私の発病の原因はこれと、一つだけの事由を挙げることはできない。仕事は繁忙を極めていたし、教会生活でもアップアップしていたのは事実だ。しかし今も一緒に住んでいる母は、私が母教会の教会員に追い詰められて発病したと決めうちしているところがある。だから山梨に暮らすようになってからも東京の教会に顔を出すなどと言い出したなら大目玉は必定。友人からの要請に従ってBGMを提出しつつ、かと言って地元の教会へ「浮気」する気にもならず、家でひっそりとしたクリスマスを送っていた。それでもやはり、実際の礼拝堂でBGMがどんな具合に流れているのか気になるのは人情というものだ。2005年、私は何か言い訳を作って母を欺き、東京の教会のクリスマス礼拝へ出向いた。今にして分かる。友人の本意はそこにこそにあったのだと。
ところで本ブログの開始は2005年3月のこと。今はなきジオシティーズにあったBGMのサイトの宣伝用に立ち上げたのだった。私は高校からキリスト教主義の学校に入り、毎朝学校で短い礼拝の時間を守っていた。その後大学三年時に受洗して、劣等生とはいえ半ば「イエス狂い」なのは自他共に認めるところだったから、音楽について綴っていたブログにアドヴェント(待降節)のことを書かないわけにはいかない。それで2005年から2013年まで、びっちりクリスマスのCDについて記事にした。そうは言っても話の前振りも必要なので、色々ネタ探しには苦労した。そこに降って湧いたアイディアがクリスマス絵本の紹介。2011年は近隣の複数の図書館でクリスマス絵本を借りまくり、2012年は長年絵本の読み聞かせボランティアをしている方にご教示願って、絵本の紹介からクリスマスCDに繋げる記事を書いた。
まぁそうこうしている間に、私は2007年から地元の教会へ通い始めて転入会したりもしていたのだが、アメリカナイズされた母教会と違ってわりとオーソドックスな教会であるため、私が自分のブログでそんなことをやっているとは特に教会員の耳には入れなかった。実際これぞまさしく「一神教のざわめき」といった按配で、商業主義と非難されても反論できない代物だと重々承知していたからである。けれども神は世の営みさえ用いて御業をなされる。2017年に現在所属のN教会で、小さなお子さんとそのご家族のためのクリスマスコンサートを開催し、大型絵本の読み聞かせとクリスマス曲を中心にした音楽演奏のためにそれぞれ演者を招聘したのである。今年もまたその第二弾【0才からのクリスマスコンサート〜えほんとおんがくのおくりもの】が開かれる。BGM会社でのクリスマス時季の選曲、そして山梨に来てからもブログ等でのクリスマスCDの選盤でクリスマスの音楽にそれなりに詳しくなっていたので演奏家との窓口になって調整を務めるにも困らなかったし、第一回の時は読み聞かせの方にお任せしていた絵本選びにも今回は口を挟ませてもらっている。
ローマの信徒への手紙8章28節に「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」とある。この聖句の真実さを噛み締めつつ、同時に「驕るな!」という声も響いてくる。「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません」(歴代誌上29章14節)というダビデの祈りを自らに言い聞かせている今日この頃である。