◆11月7日
ヤコブの手紙は厳しい叱責に満ちている印象を長いこと抱いていた。だが通読してみて、ヤコブが手紙の受け手に対し「兄弟たち」と呼びかけている箇所がいかに多いか気づいた。あれだけ本質的な批判ができるのは、ヤコブがどれだけ兄弟たちを情愛を以て想っていたかの裏返し。
◆11月15日
ペルシャ王アルタシャスタはエズラに宛てた書状で、再建されたエルサレム神殿への供物のため金銀を充分与えると約束し、残りの金銀は、主の民の兄弟達が御心と思う通りに使うよう促した(新改訳エズラ7:17〜18)。民を捕らえている異邦の王の心は、主ご自身が動かした
◆11月22日
新改訳ネヘミヤ5:18〜19。ネヘミヤは神殿再建における民の重労働を鑑み、総督としての手当を要求しなかった。彼は神に「どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください」と祈った。人に報いを求めない代わりに、祈りは率直でいいのだな
◆11月23日
⑴ヨハネ4:2〜3。職場に宗教Sの会員が三人いるが、一人が「宗教は自分の為、家族の為、社会の為。どの宗教も詰まる所同じ」と。まず〈自分の為〉かと軽く驚きつつ否定はせず。私は自分の為だったら、もう生きていたくない。イエスが私の為に死んで下さったから生きてる
◆11月24日
新改訳ネヘミヤ8:10。完成した神殿で律法が朗読された日、ネヘミヤは泣いている民に「上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった者にはごちそうを贈ってやりなさい」と。ごちそうは直訳では「受ける分」。罪深い民が受ける分はご馳走と神は仰る!
ヤコブの手紙は厳しい叱責に満ちている印象を長いこと抱いていた。だが通読してみて、ヤコブが手紙の受け手に対し「兄弟たち」と呼びかけている箇所がいかに多いか気づいた。あれだけ本質的な批判ができるのは、ヤコブがどれだけ兄弟たちを情愛を以て想っていたかの裏返し。
◆11月15日
ペルシャ王アルタシャスタはエズラに宛てた書状で、再建されたエルサレム神殿への供物のため金銀を充分与えると約束し、残りの金銀は、主の民の兄弟達が御心と思う通りに使うよう促した(新改訳エズラ7:17〜18)。民を捕らえている異邦の王の心は、主ご自身が動かした
◆11月22日
新改訳ネヘミヤ5:18〜19。ネヘミヤは神殿再建における民の重労働を鑑み、総督としての手当を要求しなかった。彼は神に「どうか私がこの民のためにしたすべてのことを覚えて、私をいつくしんでください」と祈った。人に報いを求めない代わりに、祈りは率直でいいのだな
◆11月23日
⑴ヨハネ4:2〜3。職場に宗教Sの会員が三人いるが、一人が「宗教は自分の為、家族の為、社会の為。どの宗教も詰まる所同じ」と。まず〈自分の為〉かと軽く驚きつつ否定はせず。私は自分の為だったら、もう生きていたくない。イエスが私の為に死んで下さったから生きてる
◆11月24日
新改訳ネヘミヤ8:10。完成した神殿で律法が朗読された日、ネヘミヤは泣いている民に「上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった者にはごちそうを贈ってやりなさい」と。ごちそうは直訳では「受ける分」。罪深い民が受ける分はご馳走と神は仰る!
寝起きしてときどき涙することもただ一言にまとめて記す
今朝母を起こすと、開口一番「変な夢を見た」と言う。夢の仔細は覚えていなかったようだが、かつてスリランカのある子供の教育費を【フォスタープラン】で援助していた母が、当時も援助終了後も繰り返し誇っていた「髪の毛を染めるのをやめて(その代金で)支援した」という言を、今になっても持ち出すので軽く批判したことが原因だったらしい。信徒でもないのに、母は「私も天国が近くなってきたから」と呟いた。私が質すと、「天国だと考えないとやっていられないから」と声を震わせて泣いたが、すぐに気持ちを切り替え家事に取り掛かった。
私は二十歳で洗礼を受けてから、一時的な中断はあったにせよ基本的には毎朝日記をつけている。前日を振り返って言動を書き付け、今日すべきことをメモするその時間は、私にとっては日々の生活の中の息継ぎのようなものである。忙しかったり感情をかき乱されることがあったりした日の翌朝は、なるべく落ち着いて日記に時間を割くようにしている。その習慣があるからこそ気持ちが浄化され日々の務めを為し果せているのは間違いないが、バタバタしていた朝や、または複雑な事情を詳しく書き留めるのがまどろっこしかったり躊躇われたりする時は、本当にざっくりと記すに留める。そういう日記を後から捲ってみて、まざまざと情況を思い出せることも、ぼんやりとしか思い出せないこともある。いみじくも東直子自身が歌集のあとがきでこう述べている。「日々身のまわりに起こるエピソード、交わした会話、揺れ動く気持ち(中略)強く心を支配していたものも、いつのまにか記憶から消えていきます。(中略)「短歌日記」を読み返すと、あなたはこのことを忘れてしまっているでしょう? と過去の自分が語りかけてくる気がします。私はその声を聞きながら、思い出したり、一部思い出したり、思い出せなかったり、します。記憶というのは、そういうものだと思います。」母には日記を書く習慣はない。だから、このように泣いたことも暫くすれば忘れてしまうだろう。ただ私へのちょっとした鬱屈は残るかもしれない。
黙示録21章3〜4節に、〈そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」〉という聖句がある。首都圏に住んでいた頃、近所には母と同世代の主婦で牧師のご息女の方がいらっしゃり、母も何度か誘われて聖書学び会に参加したことがあったと聞く。もしかしたらその時に、母は苦しみも涙も拭い去られるという天国のことを聞いていたのだろうか。私がクリスチャンとして不束なこともあって、母に受洗の意志は毛頭ないようだ。だが今朝の会話を通じて、母もこれまでの過失が帳消しにされる日が来るのを無理矢理にも信じたくなる心境があることに思いが至った。母の頑固さを知っているがゆえ、私は今まで母の救いのために殆ど祈ってこなかった。しかし、母が安心してこの世を発つことができるように祈るのを、他ならぬ神がお望みであると今日は痛切に感じ、いつもより少し長めの黙想の時間を持ったのであった。
東直子『十階:短歌日記 2007』
今朝母を起こすと、開口一番「変な夢を見た」と言う。夢の仔細は覚えていなかったようだが、かつてスリランカのある子供の教育費を【フォスタープラン】で援助していた母が、当時も援助終了後も繰り返し誇っていた「髪の毛を染めるのをやめて(その代金で)支援した」という言を、今になっても持ち出すので軽く批判したことが原因だったらしい。信徒でもないのに、母は「私も天国が近くなってきたから」と呟いた。私が質すと、「天国だと考えないとやっていられないから」と声を震わせて泣いたが、すぐに気持ちを切り替え家事に取り掛かった。
私は二十歳で洗礼を受けてから、一時的な中断はあったにせよ基本的には毎朝日記をつけている。前日を振り返って言動を書き付け、今日すべきことをメモするその時間は、私にとっては日々の生活の中の息継ぎのようなものである。忙しかったり感情をかき乱されることがあったりした日の翌朝は、なるべく落ち着いて日記に時間を割くようにしている。その習慣があるからこそ気持ちが浄化され日々の務めを為し果せているのは間違いないが、バタバタしていた朝や、または複雑な事情を詳しく書き留めるのがまどろっこしかったり躊躇われたりする時は、本当にざっくりと記すに留める。そういう日記を後から捲ってみて、まざまざと情況を思い出せることも、ぼんやりとしか思い出せないこともある。いみじくも東直子自身が歌集のあとがきでこう述べている。「日々身のまわりに起こるエピソード、交わした会話、揺れ動く気持ち(中略)強く心を支配していたものも、いつのまにか記憶から消えていきます。(中略)「短歌日記」を読み返すと、あなたはこのことを忘れてしまっているでしょう? と過去の自分が語りかけてくる気がします。私はその声を聞きながら、思い出したり、一部思い出したり、思い出せなかったり、します。記憶というのは、そういうものだと思います。」母には日記を書く習慣はない。だから、このように泣いたことも暫くすれば忘れてしまうだろう。ただ私へのちょっとした鬱屈は残るかもしれない。
黙示録21章3〜4節に、〈そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」〉という聖句がある。首都圏に住んでいた頃、近所には母と同世代の主婦で牧師のご息女の方がいらっしゃり、母も何度か誘われて聖書学び会に参加したことがあったと聞く。もしかしたらその時に、母は苦しみも涙も拭い去られるという天国のことを聞いていたのだろうか。私がクリスチャンとして不束なこともあって、母に受洗の意志は毛頭ないようだ。だが今朝の会話を通じて、母もこれまでの過失が帳消しにされる日が来るのを無理矢理にも信じたくなる心境があることに思いが至った。母の頑固さを知っているがゆえ、私は今まで母の救いのために殆ど祈ってこなかった。しかし、母が安心してこの世を発つことができるように祈るのを、他ならぬ神がお望みであると今日は痛切に感じ、いつもより少し長めの黙想の時間を持ったのであった。
シャコンヌの途中で家に辿り着く今日も走行距離は短く
(とど)
2013年7月30日 作歌、2017年7月27日 改訂。
(とど)
2013年7月30日 作歌、2017年7月27日 改訂。