◆5月2日
協同訳詩139:3「旅するのも休むのもあなたは見通し 私の道を知り尽くしておられる」。NLTでは〈You see me when I travel and when I rest at home. You know everything I do.〉家で休んでいる時、寝てることも次の一首鑑賞のための下調べをしてることも。人に解されずとも神はご存知
◆5月15日
箴言2章は知恵の勧め。2:2ー5「知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら…あなたは主を畏れることを悟り 神を知ることに到達するであろう」。2節はNLTで〈Tune your ears to wisdom, and concentrate on understanding.〉ラジオの周波数を合わせるように耳を知恵にチューニングせよと。
◆5月15日
協同訳箴言3:9「あなたの財産と すべての収穫の初物を献げて主を敬え」。NLTでは〈Honor the Lord with your wealth…〉と。私にはどこか《財産=悪》のごとき思い込みがあったが、それを以て神を敬えるようにと、主より財産も与えられているんだな。
◆5月15日
口語訳箴言4:18「正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる」 。NLTでは〈The way of the righteous is like the first gleam of dawn, which shines ever brighter until the full light of day.〉義人の道も最初は夜明けの微光程度にしか映らないのか!
◆5月21日
箴言14:20「貧乏な者は友にさえ嫌われるが 金持ちを愛する者は多い」。あまり好きな聖句でなかった。NLTで節後半はwhile the rich have many “friends.” とfriendsに引用符が。続く21節「友を侮ることは罪。貧しい人を憐れむことは幸い」と考え合わせて合点がいった。
◆5月24日
新改訳箴言17:9「…同じことをくり返して言う者は、親しい友を離れさせる」。母教会の現牧師夫人が家族からの傷に拘ってたのを「◯◯は人を赦さないんだね」と夫君に指摘されたと。それで私も〈赦さぬ罪〉があるなと。時間をかけて悔い改め、赦さぬ人はその事で己が一番苦しむのを痛感
◆5月29日
口語訳箴言25:20「心の痛める人の前で歌をうたうのは、寒い日に着物を脱ぐようであり、また傷の上に酢をそそぐようだ」自分の歌や呟きが繊細なフォロワーさんを傷つけてるようで悩ましい。「どんな作品も人を傷つけます(中略)表現するって、そういうこと」との枡野浩一さんの言で慰められる
◆5月30日
協同訳箴言26:26「憎しみをごまかし隠しても その悪は会衆の中で明らかにされる」。作業所の女ボス的存在を常々内心疎んでた。彼女は大食漢。他メンバー相手に私の母が胃癌術後摂取不可になった物を列挙するうち「◯◯さんが胃癌になったら天罰に近いかね」と放言してしまった。私にも天罰は下るだろう
協同訳詩139:3「旅するのも休むのもあなたは見通し 私の道を知り尽くしておられる」。NLTでは〈You see me when I travel and when I rest at home. You know everything I do.〉家で休んでいる時、寝てることも次の一首鑑賞のための下調べをしてることも。人に解されずとも神はご存知
◆5月15日
箴言2章は知恵の勧め。2:2ー5「知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら…あなたは主を畏れることを悟り 神を知ることに到達するであろう」。2節はNLTで〈Tune your ears to wisdom, and concentrate on understanding.〉ラジオの周波数を合わせるように耳を知恵にチューニングせよと。
◆5月15日
協同訳箴言3:9「あなたの財産と すべての収穫の初物を献げて主を敬え」。NLTでは〈Honor the Lord with your wealth…〉と。私にはどこか《財産=悪》のごとき思い込みがあったが、それを以て神を敬えるようにと、主より財産も与えられているんだな。
◆5月15日
口語訳箴言4:18「正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる」 。NLTでは〈The way of the righteous is like the first gleam of dawn, which shines ever brighter until the full light of day.〉義人の道も最初は夜明けの微光程度にしか映らないのか!
◆5月21日
箴言14:20「貧乏な者は友にさえ嫌われるが 金持ちを愛する者は多い」。あまり好きな聖句でなかった。NLTで節後半はwhile the rich have many “friends.” とfriendsに引用符が。続く21節「友を侮ることは罪。貧しい人を憐れむことは幸い」と考え合わせて合点がいった。
◆5月24日
新改訳箴言17:9「…同じことをくり返して言う者は、親しい友を離れさせる」。母教会の現牧師夫人が家族からの傷に拘ってたのを「◯◯は人を赦さないんだね」と夫君に指摘されたと。それで私も〈赦さぬ罪〉があるなと。時間をかけて悔い改め、赦さぬ人はその事で己が一番苦しむのを痛感
◆5月29日
口語訳箴言25:20「心の痛める人の前で歌をうたうのは、寒い日に着物を脱ぐようであり、また傷の上に酢をそそぐようだ」自分の歌や呟きが繊細なフォロワーさんを傷つけてるようで悩ましい。「どんな作品も人を傷つけます(中略)表現するって、そういうこと」との枡野浩一さんの言で慰められる
◆5月30日
協同訳箴言26:26「憎しみをごまかし隠しても その悪は会衆の中で明らかにされる」。作業所の女ボス的存在を常々内心疎んでた。彼女は大食漢。他メンバー相手に私の母が胃癌術後摂取不可になった物を列挙するうち「◯◯さんが胃癌になったら天罰に近いかね」と放言してしまった。私にも天罰は下るだろう
訃の連絡網へのお礼の言述べて怪訝な間合いが受話器の向こう
(とど)
2014年11月12日 作歌、2020年6月21日 改訂。
(とど)
2014年11月12日 作歌、2020年6月21日 改訂。
わすれものありませんかとハラカミへ顕子は歌う おいてかないで
(とど)
2020年5月14日 作歌、2020年5月24日 改訂。
(とど)
2020年5月14日 作歌、2020年5月24日 改訂。
生き死にを茶化せるわれを遠のいて昼餉の卓につく僚友ら
(とど)
2019年8月15日 作歌、2019年12月上旬 改訂。
(とど)
2019年8月15日 作歌、2019年12月上旬 改訂。
子規が死にゆく巻の『坂の上の雲』あす借りにゆく約束をして
(とど)
2020年5月12日 作歌。
【本歌】
四季が死期にきこえて音が昔に見えて今日は誰にも愛されたかった
(岡野大嗣さん)
(とど)
2020年5月12日 作歌。
【本歌】
四季が死期にきこえて音が昔に見えて今日は誰にも愛されたかった
(岡野大嗣さん)
使い捨てペーパータオルが屑かごに溢れておりぬ月曜の朝
「丸山光」の名前に、はてどこかで見覚えが、と思う方もいるのではなかろうか。丸山氏は『信徒の友』の読者文芸欄〈短歌〉の常連投稿者であり、埼玉県のある教会で牧師をなさっている。昨年Twitterで縁あって相互フォローするようになったのだが、平明な言葉で深い洞察を感じさせる短歌を日々Twitterに記していて、見るたびに唸らせられている。
掲出歌は一見ありふれた情景が詠まれているように思われるかもしれない。この歌には次の添え書きがある。
月曜日の朝、屑籠の中にペーパータオルが溢れているのを見るのはうれしいことです。それだけ礼拝に人が多かったからです。今日の屑籠の中はほぼからでした。礼拝に来られない潜伏クリスチャン状態の教会員の霊性が守られますように。
新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、各地の教会でも否応なしに集会の中止・礼拝の短縮に追い込まれている。私の属するN教会の4月の概況だけ列記してみても、
第1週▶︎聖餐式・交読詩編の省略。礼拝中、会衆は声を出さない(讃美歌・使徒信条・主の祈りなどは心のうちで唱える)。教会学校や祈祷会の当面休止のお知らせあり。
第2週▶︎讃美歌は1節のみ奏楽(繰り返さない)。イースター愛餐会・祝会・イースターエッグハントの中止。教会総会に代え、議決権行使書の発表。
第3週▶︎予定されていた教会総会の取りやめ(延期)
第4週▶︎召天者を憶えての祈りの省略。年度計画では草取りが予定されていたが、話題にすらならなかった。
といった状態である。どんどん簡略化される教会活動に、礼拝に出席するごとに精神的にダウンして帰宅するのが正直なところ。教会に集えること、歌えること、聖餐に与れることが当たり前ではないのを思い知らされている。
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。 (詩編133編1節)
4月23日の丸山氏のTwitterには次の短歌が載せられた。
いつもより説教はやく終わります 妻と二人の礼拝なれば
また、4月26日のTwitterには、
家にいてたまに二階にかけあがり賛美歌うたい過ごしています
という歌が記され、「今日も各家庭での礼拝となります。コロナの騒動が終わった時に社会が激変するのではないかと言う恐れがあり、さらに、教会はどうなるのかと思いを馳せています。」のひと言が添えられていた。
最近の私は、日本聖書協会の聖書本文検索というページで「いつまで」というキーワードを入力して検索し、その中から詩編に絞り込んで検索結果を見て、該当詩編を少しずつ聖書で読んだりしている。そのうちの一つ、詩編74編9節に「わたしたちのためのしるしは見えません。今は預言者もいません。いつまで続くのかを知る者もありません。」という御言葉が見出せる。無論その言葉を見たからと言って、安易に慰められるわけではない。ただ、状況は違えど詩編の時代の人々もそうやって、祈りともならぬ思いを主に連綿と訴え続けたのだということだけは分かる。——「いつまでですか?」——その言葉に慎みは無いだろう。けれど、嘘偽りのない言葉で主に向かっていくことを、他ならぬ神が今望んでおいでだと私は思う。
丸山光(2020年4月6日のTwitterより)
「丸山光」の名前に、はてどこかで見覚えが、と思う方もいるのではなかろうか。丸山氏は『信徒の友』の読者文芸欄〈短歌〉の常連投稿者であり、埼玉県のある教会で牧師をなさっている。昨年Twitterで縁あって相互フォローするようになったのだが、平明な言葉で深い洞察を感じさせる短歌を日々Twitterに記していて、見るたびに唸らせられている。
掲出歌は一見ありふれた情景が詠まれているように思われるかもしれない。この歌には次の添え書きがある。
月曜日の朝、屑籠の中にペーパータオルが溢れているのを見るのはうれしいことです。それだけ礼拝に人が多かったからです。今日の屑籠の中はほぼからでした。礼拝に来られない潜伏クリスチャン状態の教会員の霊性が守られますように。
新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、各地の教会でも否応なしに集会の中止・礼拝の短縮に追い込まれている。私の属するN教会の4月の概況だけ列記してみても、
第1週▶︎聖餐式・交読詩編の省略。礼拝中、会衆は声を出さない(讃美歌・使徒信条・主の祈りなどは心のうちで唱える)。教会学校や祈祷会の当面休止のお知らせあり。
第2週▶︎讃美歌は1節のみ奏楽(繰り返さない)。イースター愛餐会・祝会・イースターエッグハントの中止。教会総会に代え、議決権行使書の発表。
第3週▶︎予定されていた教会総会の取りやめ(延期)
第4週▶︎召天者を憶えての祈りの省略。年度計画では草取りが予定されていたが、話題にすらならなかった。
といった状態である。どんどん簡略化される教会活動に、礼拝に出席するごとに精神的にダウンして帰宅するのが正直なところ。教会に集えること、歌えること、聖餐に与れることが当たり前ではないのを思い知らされている。
見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。 (詩編133編1節)
4月23日の丸山氏のTwitterには次の短歌が載せられた。
いつもより説教はやく終わります 妻と二人の礼拝なれば
また、4月26日のTwitterには、
家にいてたまに二階にかけあがり賛美歌うたい過ごしています
という歌が記され、「今日も各家庭での礼拝となります。コロナの騒動が終わった時に社会が激変するのではないかと言う恐れがあり、さらに、教会はどうなるのかと思いを馳せています。」のひと言が添えられていた。
最近の私は、日本聖書協会の聖書本文検索というページで「いつまで」というキーワードを入力して検索し、その中から詩編に絞り込んで検索結果を見て、該当詩編を少しずつ聖書で読んだりしている。そのうちの一つ、詩編74編9節に「わたしたちのためのしるしは見えません。今は預言者もいません。いつまで続くのかを知る者もありません。」という御言葉が見出せる。無論その言葉を見たからと言って、安易に慰められるわけではない。ただ、状況は違えど詩編の時代の人々もそうやって、祈りともならぬ思いを主に連綿と訴え続けたのだということだけは分かる。——「いつまでですか?」——その言葉に慎みは無いだろう。けれど、嘘偽りのない言葉で主に向かっていくことを、他ならぬ神が今望んでおいでだと私は思う。
*2020年5月21日 修正あり