◆6月22日
山梨学院大学の政治学のW教授(フィヒテがご専門)はウチの教会員だったが、2014年11月に逝去。葬儀で読まれた聖句がコリントの信徒への手紙一16章13節「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい」だった。当時は、その聖句に集約されるのかと少し不思議だった。
最近、作業所のある後輩の成長ぶりが目覚ましく(男らしいな……)とたびたび思ってた(他の人の作業のフォローに率先して入ったり)。昨今は「男らしい」「女らしい」という表現は忌避されるようにも感じるが、聖書には結構そういう表現出てくるよな、と少し前に調べていた。
↓ ↓ ↓
<新共同訳 コリントの信徒への手紙一16章13節>
目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。
<聖書協会共同訳 コリントの信徒への手紙一16章13節>
目を覚ましていなさい。信仰にしっかりと立ちなさい。雄々しく強くありなさい。
<新改訳第三版 コリント人への手紙 第一16章13節>
目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。
* * *
<新共同訳 ヨブ記38章3節>
男らしく、腰に帯をせよ。わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。
<聖書協会共同訳 ヨブ記38章3節>
あなたは勇者らしく腰に帯を締めよ。 あなたに尋ねる、私に答えてみよ。
<新改訳第三版 ヨブ記38章3節>
さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
↓ ↓ ↓
約二ヶ月前、作業所の昼休みにその後輩A君が名前の呼ばれ方の、さん付け/君付け問題に拘っていたので、ちょっと突っ込んだ話をした。私は「A君はだんだん頼りにされてきてるってことだよ。A君は全体が視えているから、私もK(顧客名)のこととかで分からなかった時にA君に訊くと、私が分かるように的確に答えてくれるから、頼りにしてるんだよ。それで時々『A君、凛々しいな』って思ったりするんだよ。さん付けは尊敬が込められてるし、君付けは親しみが込められてる。尊敬と親しみの両方がこもった言い方があれば良いんだろうけど、そういうのってなかなか無いのよ。あと、これからどんどんA君より歳下の人が入ってくるんだから、段々さん付けで呼ばれるようになるんだよ。歳下の人に『A君って呼んで』なんて言ったら、ドン引きよ」と説明。そしたら理解できたっぽかった。「男らしい」という表現はともかくそういう佇まいの人っているよね。引用ツイート見て納得。
* * *
※引用ツイート……平野卿子 著『女ことばってなんなのかしら?ー「性別の美学」の日本語』より、
▶︎P158の引用「「女らしさ」と「男らしさ」は一見対応しているように見えますが、その実意味合いが微妙に違います。含みのある「女らしさ」とは違い、「男らしさ」は、無条件に誉めことばなので、女らしさは過剰なときに、男らしさは足りないときに批判されるのです。」
▶︎P127の引用「女は、いつだってまわりを気にしながら生きていかざるを得ません。ですから、自己主張しようとするときは、正攻法ではなく、目立たないように裏から手を回そうとすることが多くなります。で? 行きつく先はーー意地悪」
月までの所要時間と変わらない 聖句の交わり盛んになるまで
(とど)
2023年6月25日 作歌。
*上句はお題
(とど)
2023年6月25日 作歌。
*上句はお題
東郷雄二先生のサイト【橄欖追放】で『カインの祈り』の歌集評を書いていただきました。
医師とのやり取りで生じたモヤモヤ、またはふと心が通い合った機微など、深く読んでいただきました。そして、信仰が私の中でいかに支えになっているかも、丁寧に読み解いていただきました。
医師とのやり取りで生じたモヤモヤ、またはふと心が通い合った機微など、深く読んでいただきました。そして、信仰が私の中でいかに支えになっているかも、丁寧に読み解いていただきました。
ラジオ石巻の【たんたか短歌】(塔短歌会の近江瞬さんがメインパーソナリティ)の7月4日(火)午後7時〜の放送(再放送は7月8日(土)午前8時半〜)で、私の歌集『カインの祈り』を取り上げていただくことになりました。
番組後半の[みんなの題詠]コーナーでは、「言」の題詠も募集しています(6月26日(月)午後1時〆切/投稿先は、tanka@fm764.jp まで)。
※ ラジオ石巻は、パソコンではラジオ石巻のサイトからサイマルラジオで、スマホの場合は、ListenRadio等の無料アプリをインストールするとお聴きいただけます。
番組後半の[みんなの題詠]コーナーでは、「言」の題詠も募集しています(6月26日(月)午後1時〆切/投稿先は、tanka@fm764.jp まで)。
※ ラジオ石巻は、パソコンではラジオ石巻のサイトからサイマルラジオで、スマホの場合は、ListenRadio等の無料アプリをインストールするとお聴きいただけます。
「風に立つライオン」は、元はさだまさしの曲で、医師としてケニアに派遣され現地医療に従事していた柴田紘一郎のエピソードにインスピレーションを受けて制作されたものである。沢知恵のヴァージョンは、2000年発売の『いいうたいろいろ2』というカヴァー曲集に収められている。
三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました
ビクトリア湖の朝焼け 百万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
歌は、主人公が日本にいる恋人宛ての手紙の形式を取り、ケニア各地で目にした絶景について筆を尽くしている。
この偉大な自然のなかで病いと向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね (中略)
昨年出版された本に『こぎつねのとくべつなクリスマス』(ポリー・フェイバー作、リチャード・ジョーンズ絵、ひびのさほ訳)という絵本がある。真冬の雪深い中こぎつねがサンタクロースの家に迷い込むところから話は始まる。家主のおじいさんはこぎつねを抱き上げ、たっぷりご飯をあげると先に休んでしまう。余程の疲れと見え何日も眠った後おじいさんは目を覚ます。外はもう春。こぎつねはすっかりおじいさんの家に居着いて遊び回っていたが、おじいさんはコツコツとおもちゃ作りに励む。
去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした
私は2020年秋から、『信徒の友』「日毎の糧」欄に掲載の教会宛てにN教会のトラクトとFEBC番組表を送り始めた。私は昔からポストカードを買うのが趣味だったので、同封の手紙も便箋ではなく市販のポストカードを利用していた。そうして買い足していったポストカードブックに、写真と聖句を合わせたカードもあった。それで、私も聖句ポストカードを自作してみるか?という気持ちが芽生えたのである。
『こぎつねのとくべつなクリスマス』では、また冬が巡ってきたとき空から雪と共に沢山の手紙が降ってくる。それはサンタクロースのおじいさん宛てに子ども達が書いた手紙だった。手紙を一枚一枚丁寧に読んだサンタクロースは、作り溜めていたおもちゃをそれぞれ誰にあげるか決めていったと書いてある。私はこれを読んで心が浮き立った。
私がポストカードを自作するのは楽しみもあるが、手紙の文面を都度イチから書き起こすのは非常に骨が折れたので省力化の意味もあったのだ。「日毎の糧」掲載の教会の紹介文/祈りの課題を見て、各教会にどのカードを送るか選んでいる。
聖句を添えたカードを心掛けてきたのは、説教をしたいからではない。自分の内の言葉が(特に祝福の言葉が)乏しいのが分かっているから、聖句に気持ちを代弁させているのである。ポストカード作成は、励ましの言葉のストック作りと思っている。
辛くないと言えば嘘になるけれど しあわせです (中略)
『信徒の友』「日毎の糧」欄の教会に宛てての封書発送は、私事などで中断もあったが、今も少しずつ続けている。季節ごとの可憐な花が撮れたり、日々の黙想で「この聖句すてき!」と思った時にメモっておいて、後で聖句ポストカードを作成している。
僕は「現在(いま)」を生きる事に思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい
そのポストカードが、当初の企図を越えて今の所属教会でも重用していただけているのは、望外の喜びである。
三年の間あちらこちらを廻り
その感動を君と分けたいと思ったことが沢山ありました
ビクトリア湖の朝焼け 百万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
歌は、主人公が日本にいる恋人宛ての手紙の形式を取り、ケニア各地で目にした絶景について筆を尽くしている。
この偉大な自然のなかで病いと向かい合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね (中略)
昨年出版された本に『こぎつねのとくべつなクリスマス』(ポリー・フェイバー作、リチャード・ジョーンズ絵、ひびのさほ訳)という絵本がある。真冬の雪深い中こぎつねがサンタクロースの家に迷い込むところから話は始まる。家主のおじいさんはこぎつねを抱き上げ、たっぷりご飯をあげると先に休んでしまう。余程の疲れと見え何日も眠った後おじいさんは目を覚ます。外はもう春。こぎつねはすっかりおじいさんの家に居着いて遊び回っていたが、おじいさんはコツコツとおもちゃ作りに励む。
去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます 去年は僕でした
私は2020年秋から、『信徒の友』「日毎の糧」欄に掲載の教会宛てにN教会のトラクトとFEBC番組表を送り始めた。私は昔からポストカードを買うのが趣味だったので、同封の手紙も便箋ではなく市販のポストカードを利用していた。そうして買い足していったポストカードブックに、写真と聖句を合わせたカードもあった。それで、私も聖句ポストカードを自作してみるか?という気持ちが芽生えたのである。
『こぎつねのとくべつなクリスマス』では、また冬が巡ってきたとき空から雪と共に沢山の手紙が降ってくる。それはサンタクロースのおじいさん宛てに子ども達が書いた手紙だった。手紙を一枚一枚丁寧に読んだサンタクロースは、作り溜めていたおもちゃをそれぞれ誰にあげるか決めていったと書いてある。私はこれを読んで心が浮き立った。
私がポストカードを自作するのは楽しみもあるが、手紙の文面を都度イチから書き起こすのは非常に骨が折れたので省力化の意味もあったのだ。「日毎の糧」掲載の教会の紹介文/祈りの課題を見て、各教会にどのカードを送るか選んでいる。
聖句を添えたカードを心掛けてきたのは、説教をしたいからではない。自分の内の言葉が(特に祝福の言葉が)乏しいのが分かっているから、聖句に気持ちを代弁させているのである。ポストカード作成は、励ましの言葉のストック作りと思っている。
辛くないと言えば嘘になるけれど しあわせです (中略)
『信徒の友』「日毎の糧」欄の教会に宛てての封書発送は、私事などで中断もあったが、今も少しずつ続けている。季節ごとの可憐な花が撮れたり、日々の黙想で「この聖句すてき!」と思った時にメモっておいて、後で聖句ポストカードを作成している。
僕は「現在(いま)」を生きる事に思い上がりたくないのです
空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命(いのち)を生きたい
キリマンジャロの白い雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい
そのポストカードが、当初の企図を越えて今の所属教会でも重用していただけているのは、望外の喜びである。
若者を労働力としか見ないからちっとも風が入って来ない
(とど)
2023年2月26日 作歌。
*下句はお題
(とど)
2023年2月26日 作歌。
*下句はお題
見せつけるのでなく零れ出る証しでなければ意味ないんじゃないの
(とど)
2023年5月17日 作歌。
(とど)
2023年5月17日 作歌。
もうかれこれ16年ほどのお付き合いになる、もまゆきゅ(Monkeymind You Cube Band)の作曲家・アレンジャー・ギタリストの、たにふじゆういちさんに『カインの祈り』より一首鑑賞を書いていただきました。音楽をなさる方でないと書けない深く掘り下げたご考察をいただきました。
難聴の君へ旅する言の葉は一駅ごとに停まるが如く
私の母は、ここ数年でだいぶ難聴が進んだ。殆ど聞き取れない母に向かって最初の頃は、大きな声で滑舌良く喋ったり言葉を言い換えたりして意思疎通を試みていたが、私の苛つきが伝わるのか逆に母の怒りを買うだけだということに気づいた。
耳遠きゆゑと何度も呑み込みぬすれ違ひたる母との会話 /角田正雄(NHK短歌2018年6月号テキストより:題「会話」佳作)
名詞のみの会話となりて幾星霜単語の数も片手にて済む /児玉正敏(NHK短歌2020年2月号テキストより:題「話」佳作)
それで、まず一語ぽんと置いて、それに対して返ってきた母の何らかの反応を見て、言葉を補う形で少しずつ喋るスタイルで行くと、少し時間はかかるが穏やかに会話を成立させられるということが分かってきた。
もう長らく礼拝にはお越しになれていないご年配の会員がまだ教会にいらっしゃれていた頃、ある日の礼拝で会堂の最後列に座っていた私のところにその方がおいでになり「説教が聴こえない。音量を上げて」と耳打ちしてきたことがあった。私は自分の席のすぐ後ろにあるアンプをいじり、礼拝堂内の音量を少し上げた。席に戻られていたその方は私に向かってグーサインを出してきたが、礼拝後「でも聴こえないところもあった」と私に洩らした。私は内心困りつつ「先生もある程度動きながら話しますからマイクが声を拾いにくいこともあるでしょうし、それに声の抑揚もありますから全部が同じように聴こえるということはないと思いますよ」と申し上げた。
ヨハネによる福音書4章3節から29節に、イエスがサマリアの女性と井戸の傍らで会話するシーンが、またヨハネによる福音書5章に、エルサレムのベトザタの池の近くで38年間臥せっていた病人とイエスの対話がある。サマリアの女も、38年間病気で寝込んでいた人も、会話の初めにはイエスに心を閉ざしているが、イエスとやり取りするうちに心が開かれていく。私はこの二つのエピソードを長いことあまり理解できていなかったように思う。何というか、言葉と言葉の間の飛躍が多い。想像力に乏しく尚且つ人から隔絶して暮らしてきた私には、どうしてイエスのその言葉で、信じられるようになったのかと測りかねていたのだ。でも作業所への通所などにおいて色々な方と接する経験を経てみると、断片的な言葉に纏わりつく雰囲気、言葉以外のコミュニケーションなどの上に、言葉による会話は成り立っているんだなということが今更ながらに解ってきた。
大声は要らないらしい難聴の友の目を見てゆっくり話す /徳永久子(NHK短歌2018年3月放送:題「大」特選一席)
現在は情報過多な世の中である。散弾銃のように情報を浴びていては疲弊することもあろう。これは私の勝手な憶測でしかないのだが、聴こえづらくなるというのは毒々しいナマの情報の荒波にあって身を守るために、自然と身についた心の防御フィルターなのかもしれない。
* * *
コロナ禍で感染予防の観点より礼拝中に換気扇を回して礼拝を守るようになってから、わがN教会でも礼拝説教が聞き取りにくいという声がたくさん上がっている。勿論その要望は蔑ろにはせず、対策は講じるべきである。しかし同時に私は思う。「説教が聴こえづらい」と仰る方が聞き取りたいのは、実際には語られていない説教の行間——イエスの息遣い——ではないだろうか?
馬場実(NHK短歌2019年8月放送:題「旅」入選歌)
私の母は、ここ数年でだいぶ難聴が進んだ。殆ど聞き取れない母に向かって最初の頃は、大きな声で滑舌良く喋ったり言葉を言い換えたりして意思疎通を試みていたが、私の苛つきが伝わるのか逆に母の怒りを買うだけだということに気づいた。
耳遠きゆゑと何度も呑み込みぬすれ違ひたる母との会話 /角田正雄(NHK短歌2018年6月号テキストより:題「会話」佳作)
名詞のみの会話となりて幾星霜単語の数も片手にて済む /児玉正敏(NHK短歌2020年2月号テキストより:題「話」佳作)
それで、まず一語ぽんと置いて、それに対して返ってきた母の何らかの反応を見て、言葉を補う形で少しずつ喋るスタイルで行くと、少し時間はかかるが穏やかに会話を成立させられるということが分かってきた。
もう長らく礼拝にはお越しになれていないご年配の会員がまだ教会にいらっしゃれていた頃、ある日の礼拝で会堂の最後列に座っていた私のところにその方がおいでになり「説教が聴こえない。音量を上げて」と耳打ちしてきたことがあった。私は自分の席のすぐ後ろにあるアンプをいじり、礼拝堂内の音量を少し上げた。席に戻られていたその方は私に向かってグーサインを出してきたが、礼拝後「でも聴こえないところもあった」と私に洩らした。私は内心困りつつ「先生もある程度動きながら話しますからマイクが声を拾いにくいこともあるでしょうし、それに声の抑揚もありますから全部が同じように聴こえるということはないと思いますよ」と申し上げた。
ヨハネによる福音書4章3節から29節に、イエスがサマリアの女性と井戸の傍らで会話するシーンが、またヨハネによる福音書5章に、エルサレムのベトザタの池の近くで38年間臥せっていた病人とイエスの対話がある。サマリアの女も、38年間病気で寝込んでいた人も、会話の初めにはイエスに心を閉ざしているが、イエスとやり取りするうちに心が開かれていく。私はこの二つのエピソードを長いことあまり理解できていなかったように思う。何というか、言葉と言葉の間の飛躍が多い。想像力に乏しく尚且つ人から隔絶して暮らしてきた私には、どうしてイエスのその言葉で、信じられるようになったのかと測りかねていたのだ。でも作業所への通所などにおいて色々な方と接する経験を経てみると、断片的な言葉に纏わりつく雰囲気、言葉以外のコミュニケーションなどの上に、言葉による会話は成り立っているんだなということが今更ながらに解ってきた。
大声は要らないらしい難聴の友の目を見てゆっくり話す /徳永久子(NHK短歌2018年3月放送:題「大」特選一席)
現在は情報過多な世の中である。散弾銃のように情報を浴びていては疲弊することもあろう。これは私の勝手な憶測でしかないのだが、聴こえづらくなるというのは毒々しいナマの情報の荒波にあって身を守るために、自然と身についた心の防御フィルターなのかもしれない。
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コロナ禍で感染予防の観点より礼拝中に換気扇を回して礼拝を守るようになってから、わがN教会でも礼拝説教が聞き取りにくいという声がたくさん上がっている。勿論その要望は蔑ろにはせず、対策は講じるべきである。しかし同時に私は思う。「説教が聴こえづらい」と仰る方が聞き取りたいのは、実際には語られていない説教の行間——イエスの息遣い——ではないだろうか?
突然の企画変更殺気だつことなし(長老会報読んでる?)
(とど)
2023年5月21日 作歌。
*上句はお題
(とど)
2023年5月21日 作歌。
*上句はお題
御言葉に力があると語りもせず。マジでホントにそう思ってる?
(とど)
2023年5月15日 作歌。
*下句はお題
(とど)
2023年5月15日 作歌。
*下句はお題