水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読 2019年8月分まとめ

2019年08月31日 09時53分12秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆8月6日
コリント⑵7:6-7。マケドニアで試練に遭っていた弟子達は、テトスの到着とコリントの信徒達から彼が受けた慰めの報せとで励まされた、と書くパウロ。〈His presence was a joy(テトスの存在が喜び)〉と言い切るNLT7節に目を瞠ったが、一人の信徒の存在自体が大きな慰めになるって解る。

◆8月12日
コリント⑵11:21〜、パウロは自らの労苦を語り「わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」と。彼の苦闘ぶりには舌を巻くが、27節「苦労し、骨折って」のNLT〈I have worked hard and long〉に注目。私にも苦難があるけれど、長く闘い続けることになるのかと。その力を下さるのは主。

◆8月14日
新改訳サムエル⑵23:5「…まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる」。教会員に祈りを頑なに拒否する方が何人かいる。確かに自分に目を向ければ、己の祈りの貧しさに隠れたくなることは多々ある。でも、私達の祈り・願いを成長させて下さると神は約束なさった。

◆8月14日
前田訳コリ⑵12:6「人がわたしについて見たり聞いたりする以上に…評価しないためです」。わたしについて、はNLTで、私の人生やメッセージで見聞きすること(what they can see in my life or hear in my message)。神から啓示を受けただけとパウロ(7節)。私も、褒められても誇るまい。

◆8月18日
新改訳列王記⑴4:34「ソロモンの知恵を聞くために、すべての国の人々や…王たちがやって来た」。今の教会に通い出して12年、トラクト発行を始めて5年になる。トラクト開始後、他教会からの来訪者が増えた気が。自意識と驕りが擡げる。ソロモンはそういう時どう対処してたのだろうか?

◆8月24日
列王上10:1「シェバの女王は主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやって来た」和訳はどれも似たり寄ったり。NIVでは〈…heard about the fame of Solomon and his relationship to the Lord, …〉。ソロモンの神との近しい関係を聞きつけてやって来たのだ

◆8月27日
新改訳エペソ2:10「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです」。〈神の作品〉はNLTで〈God’s masterpiece(神の傑作)〉!良き業を間違いなく行えるよう入念に造られたということか!

◆8月31日
列王⑴19章。エリシャはエリヤに呼ばれると、家族に別れを告げに行った。新改訳21節「エリシャは…一くびきの牛を取り…殺し、牛の用具でその肉を調理し、家族の者たちに…それを食べさせた。それから…エリヤについて行って…仕えた」。牛の装具で煮炊きし退路を断ったエリシャ。
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マグリット。

2019年08月25日 15時29分17秒 | 時間帯にあわせて
マグリットめく夕雲の水張田のおもては静か近道の畦
(とど)

2019年5月27日 作歌、2019年8月中旬 改訂。
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一首鑑賞(68):松本千恵乃「生産性という言葉」

2019年08月24日 17時04分30秒 | 一首鑑賞
人間に生産性という言葉向けられており紺色の空
松本千恵乃(『NHK短歌』2019年7月21日放送分、特選二席)


 放送で選者の大辻隆弘氏は、企業の物差しを人間にまで当てはめる社会のあり方に抗議する作者の批評眼の鋭さに注目し、結句「紺色の空」は現代社会の寒々しさを捉えたものと評していた。言うまでもなく、相模原障害者施設殺傷事件や、LGBTをめぐる某国会議員の雑誌での発言に関する問題を踏まえた作である。ただこれらの事件は、渦中の両氏の認識に留まらない社会の深層を炙り出したものとして記憶されるべきだろう。
 少し前の聖書通読の感想で、私はかつて母教会のある信徒に「神様はあなたを救って損したと思っているよ」と言われたことを告白した。今なら「それはおかしい。神様のお考えではない」と反駁できる。けれど受洗して日が浅かった私には、自分が己の救いしか眼中にない偏狭な精神の持ち主だという後ろめたさもどこかにあったし、教友らと伝道に日々忙殺されていた中では、そのわだかまりを無意識に押し込めて生活する他なかった。あまりにも慌ただしく年月が過ぎて、かの信徒の言葉も朧げに記憶の底に沈んでいたのだが、年初に山本芳久著『トマス・アクィナス〜理性と神秘』を読んで、その言葉が蘇ってきて数日苦しんだ。神様の無償の愛が説かれる教会で、このように成果主義的に人間を判断してしまう事態が生じるとは悲しい現実である。
 様々な葛藤があっても私が母教会に愛着を持ち、抜き差しならぬ事情で山梨に連れてこられてからもその執着が薄れなかったのは、母教会が人間的な誤りを含みながらも、それを上回る大きな愛で私を愛してくれたからだ。一つ忘れられない出来事がある。社会人一年目の秋のある週末、私は教会の学び会のリーダーのご実家を訪ねた。「星を見に行こう」と彼は学び会メンバーに持ちかけ、連れ立って出かけた。私はその土曜は出勤だったため、後から特急あずさに乗って小諸へ行った。その頃の私は、手厳しい先輩社員に仕えようと必死に努めていた。しかし彼女は非常に冷酷で、私は小諸の駅に迎えに来てくれたリーダーの車に乗り込んでからも号泣してしまい、皆が星を見るために車外へ出ても車を降りようとしなかった。見かねたある姉妹に「◯◯、ほら!」と腕を引っ張られ、連れ出された場所に膝をつき、眼前に展けた光景に息を飲んだ。空から零れ落ちそうなほどの無数の星々に私は放心していた。そこにリーダーがすーっと車を寄せて来た。しばらく沈黙があった。この時の私の心境をクリスチャンでない方にお伝えするのは難しい。満天の星を前にして私の頭には次の聖句が浮かんでいた。

 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記15章5〜6節)

 私は当時、教会に貢献できていたとは言い難い。すぐに精神的に落ち込んで人からのケアを必要とし、信仰のない方を神様の元へ導くなどおよそできない人間だった。しかし神様は私に星空を通じて、大きなヴィジョンを示してくださった。それがどのように結実するかは漠としたものではあったが——。

 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。(ローマの信徒への手紙4章18〜21節)

 現在の私は、精神障害を抱え、薄給である。乳がんのホルモン治療のため謂わば「強制閉経」させられており、未婚で子どももいない。社会的に見れば《生産性》からは程遠い人間なのかもしれない。でも私には、下記の御言葉が真実をもって迫ってくる。

 喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ。歓声をあげ、喜び歌え 産みの苦しみをしたことのない女よ。夫に捨てられた女の子供らは 夫ある女の子供らよりも数多くなると 主は言われる。(イザヤ書54章1節)

 神様は、私に自らを誇れない形で豊かな霊的実りを与えてくださった。そう思えることは何と幸いであろうか!
コメント (3)
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ボツか…と思っていたら。

2019年08月21日 11時02分02秒 | 人[その作品]に寄せて
編集(エディター)の惑いが覗く発売より一週遅れ掲載誌きて
(とど)

2016年5月4日 作歌、2019年8月21日 改作。
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そんなビビらんでも…

2019年08月15日 17時03分41秒 | 人[その作品]に寄せて
死を覚悟する連作を出してから返り言ない結社の先輩
(とど)

2014年10月14日 作歌、2019年8月28日 改訂。
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聞茶(59):伊藤園のティーバッグ

2019年08月03日 10時55分23秒 | 聞茶・聞豆
 前回の聞茶記事で伊藤園の《お〜いお茶 緑茶ティーバッグ》を飲んでいることに触れたが、最初の購入から切れ目なく買い続けている。ちゃんと理由はあって、今年になって移転した職場の新しい事業所は結構乾燥しているようで、かなり喉が乾くようになったからである。以前だとお茶のティーバッグは冬場しか必要と感じなかったのだけれど、今の場所に移ってからは一日通所の日は夏場でもティーバッグ1個が欠かせなくなった。
 メンバーさんの中には前から《お〜いお茶》ティーバッグを愛用している方もいて、ちらっと見せてもらったら個別包装に俳句が印刷されている。それで私も欲しくなって買うようになったのだ。伊藤園のウェブサイトによれば、緑茶ティーバッグの俳句は【家族編】、ほうじ茶ティーバッグは【恋愛編】、玄米茶ティーバッグは【ご飯編】なのだとか。定価は三種類とも同じようだが、近くのスーパーで見てみると玄米茶だけ小売価格が高かった。ほうじ茶は身体を温める作用があるというし、もともと【恋愛】にはそんなに興味がない(苦笑)。《お〜いお茶》ティーバッグを初めて購入したのが4月下旬で、その頃はちょっと暖かめの日もあったから、ホットで飲んでも身体を冷やす作用があるという緑茶をあまり迷わずに選んだ。以来リピーターとなっているというわけである。
 私は今まで、五回ほど伊藤園の【お〜いお茶 新俳句大賞】に応募していて、一回だけ佳作特別賞に入選したことがある。実は今年も一句投稿していたのだが、発表日の7月7日落選の結果メールが送られてきた。
 まぁそれはいいとして、入選作品の発表から約一ヶ月が経ったし、全部で50句あるという緑茶ティーバッグの個別パッケージに印刷されている俳句も少しずつ新作が交じり始めたりしないかなぁ……?と期待しつつ、中秋の頃までは《お〜いお茶 緑茶ティーバッグ》を買い続けることになるだろう。
 さて今回の聞茶BGMは、木下ときわの『海へ来なさい』から「団塊少女」をお薦めしておく。冒頭の写真の俳句にも詠まれたレトロな情景に通じる世界観と、暑さを濯ぐようなシンプルなサウンドが心地よい。
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