水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。

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傍らに(って、距離感あるけど)

2015年09月30日 17時05分23秒 | 風景にあわせて
冠菊(かむろぎく) さざめく空に
飛行機の 灯の点滅が ゆるりと過(よ)ぎる
(とど)

2012年8月17日 作歌。
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妙にリアルで。

2015年09月22日 10時47分30秒 | 風景にあわせて
故郷(ふるさと)の
終バスに居る 夢に乗り合わせる人を
憚る裸身
(とど)

2010年2月18日 作歌、2015年9月22日 改訂。
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〈思い出し怒り〉。

2015年09月18日 17時37分48秒 | 気分・体調にあわせて
エプロンを 漂白剤に 浸けたまま
〈思い出し怒り〉に 沈む二時間
(とど)

2010年3月11日 作歌。
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後でだぶる羽目に…

2015年09月15日 15時35分30秒 | 風景にあわせて
通販の 同じマットに アイロン台
離れ暮らした 母娘が選ぶ
(とど)

2010年10月4日 作歌。
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一首鑑賞(16):大西民子「踏絵踏む足の次々あらはるる」

2015年09月12日 10時04分05秒 | 一首鑑賞
踏絵踏む足の次々あらはるる夢醒めて寒しわれのあなうら
大西民子『印度の果実』


 時折、自分の信仰を試されるような瞬間がやって来て、咄嗟の判断でしたことが悔恨を残すことがある。
 私にとって「踏絵を踏む」ようだった経験は、四年前に就労していた職場の同僚のお父様が亡くなり仏式の葬儀に参列した際、葬祭場に居合わせた会衆の見守る中お焼香を拒むことができなかったことである。私はたまたま先祖伝来の風習などに拘らない家庭に育ち、自分だけクリスチャンになった後も親戚の葬儀では隣にいた親がお焼香の鉢を私は飛ばして回してくれるなど配慮してくれていたお蔭で、葛藤を味わわずに済んでいた。
 列王記下5章に、アラムの王の軍司令官ナアマンという重い皮膚病を患った人物が出てくる。イスラエルの預言者エリシャの勧めに従いヨルダン川に身を七度浸して病が癒えたナアマンは「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません 」とエリシャに告げ、ただ主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すときの介添えで自身もひれ伏すことを赦してくださるように請う。エリシャもこれを了承した。
 現在通っている教会では厳密にお焼香を禁じてはおらず、するかしないかは各人の良心に任されているのだが、母教会で染み付いた考え方は強固でなかなか柔軟には考えられない。
 首掲の歌では、夢に踏絵を踏む足が次々現れたという。だから、夢の中の大西は踏絵を踏んだわけではなかったのかもしれない。しかし悪夢から目覚めた彼女は、自分の足裏からひんやりと血の気が引くように感じた。もしかすると日常生活の中で自分の信念を裏切るような何事かを為していたのだろうか。
 〈…神様、ごめんなさい…!!〉と心の中で叫びながらお焼香をした私。聖書には「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません」(ローマの信徒への手紙14章1節 )とも、「心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです」(ヨハネの手紙 一 3章20節)ともある。そう書いてあるからと言って、何でもかんでも赦されると高を括るのは傲慢というものだろう。ただ全てを神様に委ねる――それだけが私にできることである。
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黒ストッキングが常とも知らず。

2015年09月10日 14時30分55秒 | 風景にあわせて
父の喪にと 急ぎ購う ワンピース
丈短くて 脚白く浮く
(とど)

2010年10月14日 作歌。
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一首鑑賞(15):三浦光世「眠りまた奇しき御業と思ひつつ」

2015年09月01日 06時36分45秒 | 一首鑑賞
眠りまた奇(く)しき御業(みわざ)と思ひつつ目つむる時に帰る平安
三浦光世『妻 三浦綾子と生きた四十年』より


眠れることは神様の恵み――眠剤を服用している私にとって、これは日々の実感だ。
三浦光世氏のこの歌の体感は、ご自身のこととしても勿論あったろうが、抗パーキンソン薬の副作用として幻覚幻想の症状が強く発現した妻の綾子さんの晩年を看病しながら、痛切に感じていたことでもあるのだろう。詩編4編9節に「平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かにわたしをここに住まわせてくださるのです 」という御言葉があるが、眠りとは本当にそのようなものだと思う。
不眠に悩まされていた歌人は少なくないようだ。少し引いてみる。

  熱ありてねむれぬわれは仕方なく妄想(まうざう)をたどり夜明を待たむ/吉野秀雄『苔径集』
  二時すぐるもねむりならねばあきらめて朝を待たむとこころ定めつ

  錠剤の切れゆくままにわたくしの夢も解かれてさむき朝なる/永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』
  春あはき日暮れのやうなかなしみに目ざめぬ薬剤の効果も切れて

  はかなごと夢に揺らして明けゆけば声移りつつ遠鳴く烏/さいかち真『浅黄恋ふ』

私の場合、薬剤の効き目が切れて深夜の二時頃にきっぱりと目が冴えてしまうと要注意である。明け方再びうつらうつらする頃に、夢とも幻聴ともつかない「声」に苛まれるからだ。そんなとき私は、ペトロの手紙一5章7節「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」の聖句をおぼろげな頭で思い出す。以前はこうした暁の疲れが尾を引き、仕事を休んでしまうことも少なからずあったが、最近は何とか態勢を立て直して出かけられるようになった。それもまた恵みと思う。
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