水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
詳細は、こちらの記事をご覧ください。

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また、読書にご不自由のある方には【サピエ図書館】より音声データ(デイジーデータ)をご利用いただけます。詳細は、こちらの記事をご覧ください。

清里~大泉 ステーショナリーめぐり

2006年10月28日 18時16分12秒 | 風景にあわせて
今日、母とえほんミュージアム清里に行ってきました。母の目的はリサとガスパールの来年用のカレンダーを買うこと、私はポストカードの調達。そう、邪道な私達は今回は絵本原画展はパス(笑)。

お昼を食べてから、10月いっぱいでクローズするというカフェ【バウムコレクション】へ。

いい雰囲気、美味しいケーキ…、

気が利いていて値頃な食器類など…。もっと早くに来ていれば良かったなぁ…とちょっと後悔。

お店を出て、まだ午後2時。せっかくだから…と、清泉寮のギフトショップにも足を伸ばしました。紅葉シーズンの土日とあって物凄い混みよう。ソフトクリームで有名なジャージーハットの長蛇の列を横目に、田村拓童さんによる木画のポストカードを購入。

車に乗り込むと「八ヶ岳倶楽部の方の道を帰ろう」と母。それなら、と少し下ったところにあるハーブスタンドにも寄り道。

ハーブティーの茶葉や、繊細で色鮮やかな紅葉柄のHallmarkの便箋などに目移りしながらも、シーズンフリーの無難なハーブ柄の便箋を買い求めました。

残り少なくなっていたポストカードやレターパッドを買い込めただけでなく、綺麗な紅葉を楽しむこともできて、大満足の小旅行と相成りました。

最後に、高原の澄んだ空気と紅葉の風景に合う音楽を。k.d. langの『Hymns of the 49th Parallel』は、カナダのシンガーソングライターの曲のカヴァー集。そうだよなぁ、やっぱり紅葉って言ったらカナダだよなぁ…。
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カラオケの十八番

2006年10月25日 23時02分08秒 | 思い出に寄せて
今日、平原綾香の「明日」が収録されたアルバム『Odyssey』を、ブックオフで見つけたので買ってきた。寺尾聰主演のドラマ『優しい時間』を観ていた母が、ドラマのエンディングでこの曲が流れるのを聴いて、しみじみと「いい曲だねぇ。カラオケで歌えるようになりたいわ」と言っていたからだ。
母がフラダンスの教室でご一緒している方に小料理屋の女将さんがいらして、たまにお店で懇親会があるとカラオケのマイクも回ってくるらしい。同じクラスには、音大の声学科卒の方もいらっしゃって持ち前の美声を披露してくださるとか。持ち曲の無い母は、マイクが回ってくる前に会がお開きになるのを戦々恐々とした気分でいつも待っていたのだろう。
私はと言えば、カラオケにはもう4、5年行っていないが、幸いなことに今までその場に窮するといったことは無く、むしろ邪道だ何だと少し斜に構えながらも、その実 楽しんできた。
いつも手慣らしに歌う十八番は、藤山一郎の「丘を越えて」。これで年配の方の心をグッと掴む。(だが節回しは、矢野顕子風(笑)。)続く2番手で、ユーミンをその時の気分で何か一曲。ここで一同の表情が驚きに包まれるのを眺めて楽しむ(笑)。(自分で言うのも何なのだが、クリソツなのですよ。お気に入りは「グループ」「青春のリグレット」。)そして締めに「帰ってきたヨッパライ」でとどめを刺すのがお定まりのコース。
今までこれ以上ないくらい受けたのは、坂本九の持ち歌であるトルコ民謡「悲しき60才(ムスタファ)」。奴隷の彼女を買い取るためにせっせこ働いて、気が付きゃ60…という皮肉な歌詞のインパクトはダイナマイト級だった。
逆に座がしらーーっとして寒かったのは、越路吹雪の「ラストダンスは私に」。コシミハルの可愛い声ヴァージョンが頭にあったので、サラッと歌えるかと高をくくったのが甘かった。仰々しいオーケストレーションをバックにしては越路ヴァージョン調に朗々と歌い上げないとしっくり収まらず、かと言ってそんな歌唱力は無く、まぁ間が持たないこと。一緒に行ったメンバーが大学の同学年の男女4人ということを考慮していなかった。大失敗。
基本的にはコミック・ソング&物真似系で笑いを取りに行く私だが、頑張って真面目に歌って感動してもらえたという得がたい経験もたまにはあった。それが山下達郎の「シャンプー」。本当はこういう歌をもっと歌えたら格好いいよなぁ…と思いつつも、しゃしゃり出たがりな割りには結構シャイな面もある私は、ついつい安易な方へと流れていってしまうのだった。
取りとめなくなってしまったついでに余談を一つ。
私がクリスチャンになったのは大学3年の夏休み。夏休みの始まる頃にクリスチャンの友人達に誘われてカラオケへ。お決まりの曲のほか、EPOの「ハーモニー」やサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」などで調子良く飛ばして、最後に必殺!「帰ってきたヨッパライ」。
  ♪だけど天国にゃ~ 怖い神様が~
   酒を取り上げて~ いつもどなるんだ~
    『なぁお前~ 天国ちゅうとこは
     そんなに甘いもんやおまへんのや
     もっとまじめにやれ~』
い~い気持ちで歌って、ちょうどお時間。満面の笑みで(決まった…!)とご満悦の私に、クリスチャン達は凍りついた笑いをしていた。
その後、まさか私がクリスチャンになろうだなんて、誰が想像しただろうか?
この一件を思い出すたびに、私は神様の憐れみ深さを感じるのだった(笑)。
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病中の思い出(2)…砂原良徳『LOVEBEAT』

2006年10月10日 21時38分50秒 | 持病に寄せて
だんだん長袖が恋しい季節になってきました。昨日、春に箪笥に眠らせたきりしわくちゃになっていた長袖の白いTシャツにアイロンをかけようと広げると、いつ付けたのか黄色い染みがぼつぼつと点在。これはいただけないと即ゴミ箱行きに。でもその前に、母に一言「捨てるよ」と声をかけました。その服は、病中 身なりに無頓着になっていた私のために母が通販で用意してくれたものでした。
夕食後、久々にじっくりと母宛てに送られてきた通販のカタログを眺めました。そして、平常心でいられるだけでなく、あれこれと買いたいものが普通に浮かんでくることに、新鮮な驚きを覚えました。
私は5年前、この通販会社に退会を求める通知を投函していました。病気療養中の私に送られてきたカタログに、バクバクと心臓が疼くような思いをさせられていたからです。
表紙を見るなり、私は硬直しました。私に向かって笑いかけているモデルさんの目が、会社の後輩にそっくりだったのです。しかも、似ているのは目だけで、鼻や口、顔の輪郭などはまるで別人。あたかも後輩の目だけを他人の写真に合成したかのような違和感がありました。彼女は人の表に立つのを好まない性格。私には、表紙の写真の笑った目から「私、こんなことにも利用されてしまっているんです。助けて!」という後輩の悲痛な叫びが聞こえてくるようで、居たたまれなかったのです。
そんな不安定な精神状態で毎日をやり過ごしていたある日、近所のショッピングセンター内の書店で久しぶりに『サウンド&レコーディング・マガジン』を手に取りました。表紙は『LOVEBEAT』をリリースしたばかりの砂原良徳。ページをめくると「(新作が)多くの人に受け入れられなくてもいい。分かる人にだけ分かってもらえれば」との声が。
その言葉がずっと心に残っていたからでしょうか、発病から10ヶ月、一時的に東京の会社に復帰した際、フラリと立ち寄ったHMVで無意識にこのCDに手が伸びました。
病状がぶり返したため、会社には一週間しか出社できませんでした。その短い間に、狭いワンルームの四角い天井を見つめながら聴いた『LOVEBEAT』は、一聴すると無機質なのにどこかしら温かみが感じられて、切迫した感情を鎮めてくれたものでした。
今でも時折このアルバムを出してきます。自分の心臓の音をゆっくりゆっくり聴いているような内観的なサウンドを聴いていると、不思議と落ち着いてきます。
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月の雫

2006年10月02日 18時12分40秒 | 言葉に寄せて
今年の十五夜は10月6日だということで、その晩、お茶の先生のお宅でお月見の茶会が開かれる。夜咄のお茶事は初体験なので、今から期待に胸膨らませている。
「月の雫」は、山梨ではよく知られた銘菓で、甲州ぶどう丸々一粒を白い砂糖蜜の衣で包んだものである。ほんのりとした酸味が上品な一品だが、私には少々苦い思い出がある。
お茶を習い始めて一年ほどが経ったあるお稽古の日、私は出来心で水屋にあった「月の雫」を失敬した。一粒ぐらい分かるまい…そう思ったのだが、先生にはお見通しだったようだ。次のお稽古に行くと、先生は私達には別のお菓子を用意されていたが、お茶席でご自分だけ「月の雫」を召し上がった。心なしか、硬く渋い面持ちに見えた。私は心が騒いだが、うわべは平静を装い、その日はそのまま退散した。
次のお稽古までの間に、私は持病を再燃した。急遽かかりつけの病院に行き、薬を増やしてもらった。同行した母が医師に、お茶のお稽古に行かせて良いものか尋ねた。こんな状態ではお稽古どころではない、と母は案じたのだが、私はどうしても行きたかった。この前のお稽古の時に素知らぬ顔で帰ってきてしまったことで、心が咎めていた。何としても今度こそきちんと謝罪したい、そう切に思っていたのだ。
医師は、「抹茶はカフェインが多いから不眠を助長する恐れもありますけれども」と前置きした上で、本人が行きたがっているなら行かせた方がいいでしょう、と了承してくれた。
次回お稽古に伺うと、先生は幾分穏やかな表情をされていた。私は水屋で準備を終えると、先生に声をかけた。「今日は謝りたいことがあって来たんです」。気持ちを伝えると、思わず涙が頬をつたった。
先生は「気がつかなかったわ。気にしないでいいのよ」とおっしゃった。
その後お点前のためにお茶席に入ったが、胸のつかえが取れた私は、心に柔らかな明るい陽射しが立ち込めているのを感じた。私はすっきりとした気持ちで、お点前に専念した。
それから、病状の悪化のため半年ほどお稽古はお休みした。私としては、ブランクがあったことをさほど気には留めていなかった。だが、三ヶ月前のあるお稽古の日、先生がふと「こんなに長続きするとは思わなかったわ」と漏らされたことで、あのようなことがあってすぐお稽古に来られなくなった私を、先生がかなり心配されていたのだと今更ながらに気付いた。
そう考えると今年の十五夜は、私には一つの節目になるかもしれない。明々とした月の光に照らされて、是非ゆったりとお点前を楽しんできたい。心にかかった雲を掃き清めた、あの時の澄み渡った気持ちをまた新たに覚えつつ。

★今日の心象音楽…アン・サリー『Moon Dance』
             (左メニューの《Discography》から試聴できます。)
コメント (8)
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