今日眠るふとんあります明日食べるパンもあります祈りのゆびも
この歌は非常にさらっと詠まれているが、案外深い。岸原はカトリックの信徒のようで、この歌からは彼女が日頃より聖書に親しんでいる様子が窺える。
まず「今日眠るふとんあります」。これは、イエス様に従いますと進み出た律法学者に「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」 とお答えになった主の言葉(マタイによる福音書8章19~20節)を想起させる。イエス様には無かった、定まった寝床が私にはあるのだ。
次の「明日食べるパンもあります」を読むと、マタイによる福音書6章における[主の祈り]の中の「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」という一節にすぐ思い至るはずだ。教会の礼拝の中では「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」と主の祈りを唱えるが、大方の日本人にとって必要な食べ物は今日の分だけでなく、明日・明後日の分も前以て与えられていることが多いのではなかろうか。
さらに「祈りのゆびも」。聖句には〈祈りの指〉に端的に触れた箇所は無いが、福音書のそこここに登場する「重い皮膚病」を患った人の姿が眼の奥に浮かんでくる。重い皮膚病は今で言うハンセン病であり、らい菌による慢性感染症で主に皮膚と末梢神経に病変を起こすものである。イエス様が地上にいらした頃、この病気に対して治療の手立ては無く、多くの患者がらい菌により指や鼻などを腐らせて失っていたことだろう。ふとんもパンも…既に恵まれている私達だが、その上で神様に何か願い申し上げる時に「組む」祈りのための指が備えられているのだ。
日常生活の中でふと穏やかならぬ心に陥ったら、この短歌を思い起こせるよう、心に刻み付けておきたいと思う。
岸原さや『声、あるいは音のような』
この歌は非常にさらっと詠まれているが、案外深い。岸原はカトリックの信徒のようで、この歌からは彼女が日頃より聖書に親しんでいる様子が窺える。
まず「今日眠るふとんあります」。これは、イエス様に従いますと進み出た律法学者に「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」 とお答えになった主の言葉(マタイによる福音書8章19~20節)を想起させる。イエス様には無かった、定まった寝床が私にはあるのだ。
次の「明日食べるパンもあります」を読むと、マタイによる福音書6章における[主の祈り]の中の「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」という一節にすぐ思い至るはずだ。教会の礼拝の中では「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」と主の祈りを唱えるが、大方の日本人にとって必要な食べ物は今日の分だけでなく、明日・明後日の分も前以て与えられていることが多いのではなかろうか。
さらに「祈りのゆびも」。聖句には〈祈りの指〉に端的に触れた箇所は無いが、福音書のそこここに登場する「重い皮膚病」を患った人の姿が眼の奥に浮かんでくる。重い皮膚病は今で言うハンセン病であり、らい菌による慢性感染症で主に皮膚と末梢神経に病変を起こすものである。イエス様が地上にいらした頃、この病気に対して治療の手立ては無く、多くの患者がらい菌により指や鼻などを腐らせて失っていたことだろう。ふとんもパンも…既に恵まれている私達だが、その上で神様に何か願い申し上げる時に「組む」祈りのための指が備えられているのだ。
日常生活の中でふと穏やかならぬ心に陥ったら、この短歌を思い起こせるよう、心に刻み付けておきたいと思う。