◆4月2日
新改訳詩109篇。私の敵に報復してと散々祈り「…神よ…御名のために私に優しくしてください。あなたの恵みは…深いのですから…」 (21節)と祈る詩人。〈御名のために〉はNLTで〈for the sake of your own reputation貴方自身の名声のため〉で更に違和感。本音を吐き出してOKということ?
◆4月4日
主がエマオ途上の弟子に現れる。新改訳ルカ24:30-31「…イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった」。与らぬと救われぬというのは本意の取り違え、と軽視してた聖餐。だが聖餐で目の開かれることも。何より十字架の恵みを喚起
◆4月4日
協同訳詩編113編は神への讃歌。7-8節では、神が「弱い人を塵の中から起こし 貧しい人を芥の中から高く上げ…民の中の高貴な人々と共に座らせてくださる」と描写。〈芥の中から〉はNLTで〈from the garbage dumpごみ捨て場より〉‼︎ とすれば、神の救いに漏れる人はいないんだな。
◆4月11日
協同訳詩119:54「この仮の宿ではあなたの掟が私の歌でした」NLT〈Your decrees have been the theme of my songs wherever I have lived〉受洗前論文書きが辛かった。バックボーンが無かった故。主が謳うテーマを賜った。ヨハネ15:5「私を離れては、あなたがたは何もできない…」は真実
◆4月15日
新改訳詩篇119:109「私は、いつもいのちがけでいなければなりません。しかし…あなたのみおしえを忘れません」書く人を①計画的 ②憑依型 ③身を削って書くタイプ ④見たまま書くタイプ、に分類したツイートが。私は①+③。簡単に書けるなんて誤解。全力傾けつつ掟を等閑にせぬよう自戒
◆4月15日
新改訳詩篇119:141「私はつまらない者で、さげすまれています。しかし、あなたの戒めを忘れてはいません」。女性を獲物のようにしか見ない男性に恐怖。またオンライン礼拝について言挙げすれば、タダで人を使えると思ってる方々に辟易。そんなこんなで鎮静剤に頼る日々。神様、守って!
◆4月18日
詩編123:2「…はしためが女主人の手に目を注ぐように わたしたちは…主に目を注ぎ…」。〈女主人の手に目を注ぐように〉はNLTでas a slave girl watches her mistress for the slightest signal(ごく小さな手の合図を見守るように)。神が信頼する者に出す僅かなサイン、見逃したくない
◆4月20日
「…シオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて」で始まる詩編126。協同訳1-2節は「主がシオンの繁栄を再びもたらされとき 私たちは夢を見ている人のようになった。その時、私たちの口は笑いに 舌は喜びの歌に満ちた」繁栄の語に自然に目が。町に活気が戻る日を祈りつつ蒔く種は何だろう?
◆4月22日
ヨハネ12:20-22。エルサレムに上京したギリシア人数人がイエスに会いたいとフィリポに仲立ちを依頼。フィリポは社交的だったか?だが主に1人では頼めず、アンデレに掛け合って共に話しに行く。アンデレは使徒の中でも主に近かった。優劣でなく、賜物を活かし合うのが大切なんだな。
新改訳詩109篇。私の敵に報復してと散々祈り「…神よ…御名のために私に優しくしてください。あなたの恵みは…深いのですから…」 (21節)と祈る詩人。〈御名のために〉はNLTで〈for the sake of your own reputation貴方自身の名声のため〉で更に違和感。本音を吐き出してOKということ?
◆4月4日
主がエマオ途上の弟子に現れる。新改訳ルカ24:30-31「…イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった」。与らぬと救われぬというのは本意の取り違え、と軽視してた聖餐。だが聖餐で目の開かれることも。何より十字架の恵みを喚起
◆4月4日
協同訳詩編113編は神への讃歌。7-8節では、神が「弱い人を塵の中から起こし 貧しい人を芥の中から高く上げ…民の中の高貴な人々と共に座らせてくださる」と描写。〈芥の中から〉はNLTで〈from the garbage dumpごみ捨て場より〉‼︎ とすれば、神の救いに漏れる人はいないんだな。
◆4月11日
協同訳詩119:54「この仮の宿ではあなたの掟が私の歌でした」NLT〈Your decrees have been the theme of my songs wherever I have lived〉受洗前論文書きが辛かった。バックボーンが無かった故。主が謳うテーマを賜った。ヨハネ15:5「私を離れては、あなたがたは何もできない…」は真実
◆4月15日
新改訳詩篇119:109「私は、いつもいのちがけでいなければなりません。しかし…あなたのみおしえを忘れません」書く人を①計画的 ②憑依型 ③身を削って書くタイプ ④見たまま書くタイプ、に分類したツイートが。私は①+③。簡単に書けるなんて誤解。全力傾けつつ掟を等閑にせぬよう自戒
◆4月15日
新改訳詩篇119:141「私はつまらない者で、さげすまれています。しかし、あなたの戒めを忘れてはいません」。女性を獲物のようにしか見ない男性に恐怖。またオンライン礼拝について言挙げすれば、タダで人を使えると思ってる方々に辟易。そんなこんなで鎮静剤に頼る日々。神様、守って!
◆4月18日
詩編123:2「…はしためが女主人の手に目を注ぐように わたしたちは…主に目を注ぎ…」。〈女主人の手に目を注ぐように〉はNLTでas a slave girl watches her mistress for the slightest signal(ごく小さな手の合図を見守るように)。神が信頼する者に出す僅かなサイン、見逃したくない
◆4月20日
「…シオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて」で始まる詩編126。協同訳1-2節は「主がシオンの繁栄を再びもたらされとき 私たちは夢を見ている人のようになった。その時、私たちの口は笑いに 舌は喜びの歌に満ちた」繁栄の語に自然に目が。町に活気が戻る日を祈りつつ蒔く種は何だろう?
◆4月22日
ヨハネ12:20-22。エルサレムに上京したギリシア人数人がイエスに会いたいとフィリポに仲立ちを依頼。フィリポは社交的だったか?だが主に1人では頼めず、アンデレに掛け合って共に話しに行く。アンデレは使徒の中でも主に近かった。優劣でなく、賜物を活かし合うのが大切なんだな。
この《風景にあわせて》カテゴリーに「料理中のBGM」について書いていたのはもう13年も前になる。兄の転勤を機に週一度夕飯を作る機会を設けて、レシピ本やクックパッドを見ながら料理中に色々なCDをかけていたことをネタにし、延べ21回も書いていた。勿論その後も全く料理をしなくなったわけではなく、クックパッドのつくれぽ等はupしていた。だが、作業所に通所し始めてからはお弁当を作る程度に料理頻度は下がってしまった。それでも後に、教会の食事当番に際してもクックパッドは重宝していた。
私のTwitterをご覧の方はもうご存知だと思うが、実は母が20日ほど前から入院している。本当は約2週間で退院できるはずだったのだけれど、術後の縫合箇所が腫れているそうで、食事はまだ摂れず点滴をしているらしい。(らしい、と言うのはコロナウイルスの感染防止のために面会が禁じられているためである。)それで食事の用意は当然自分でやることに。「お弁当とか冷凍食品とか買ってきたりすればいいんだからね」と入院前に母は言っていたが、私は買い物に行くとドッと疲れが出るたちなので、あまり頻繁に買い出しに行くのは嫌だった。かと言ってメインのおかず的なものの冷凍食品は、冷凍庫の中で嵩張る割にはヴォリュームの点で今ひとつだ。やっぱり作るのが良かろうと日々台所に立つことにし、母の入院前に最寄りの図書館へ行って料理本2冊を借りてきた。
朝は納豆ご飯とインスタント味噌汁にフルーツ、それに前夜のおかずの残りをつけるくらいで済ませる。問題は昼食と夕飯。母が今回手術したのは胃なので、退院後も3ヶ月くらいは普通のものは食べられないという。母は割と辛めの味付けのおかずが好きで出来合いの調味料のストックにもそういうものが多かったため、私の料理もまずそれらを片付けるところから始めた。しかし私も主婦ではないし、通所や教会の礼拝出席もある。思い立ったらすぐ料理に取りかかれるよう、献立などは前以て考えておかねばなるまい。それに料理に思いのほか時間がかかると焦りが出たりもする。そんなことを何となく感じていたタイミングで某Twitter友達から、#好きな曲を言って4人指名していくリレー、というハッシュタグで音楽バトンが回ってきた。それで引っ張り出したのが、トニーニョ・オルタの『Foot On The Road』だった。私はこのアルバムの7曲目「Where Are You」が大好きなのだ。(↓のYouTubeでは、32分46秒〜)
Toninho Horta – Foot On The Road (1994)
このシェアへの反応に気を良くした私は、このCDを聴くいいシチュエーションに思いを馳せた。そしてピーーーン!と来たのが、料理中BGM。
想像通り、打ってつけだった。まぁそういう行き掛かり上2階にあったCDラジオをキッチンに下ろしたのだが、どうせならこの際「料理中のBGM」の復活でも図るか!?と思ったりもした。でも、前述の献立決めも冷蔵庫のあるキッチンでするのが楽だし、そういう時にもBGMは欲しい。けれども、料理中に聴くのにちょうどいいアッパー系の音楽よりも、献立を考えるにはダウナー系の方がしっくりくる。そんなことを考えるともなく思い巡らしているうちに、先のトニーニョの他に、『BUMP OF CHICKEN Ⅰ [1999-2004]』と長谷川健一『星霜』に食指が動いた。BUMPは疲れている時の夕飯作りで気分を上げていくのに、長谷川健一は献立決めに沈思するのに最適だ。トニーニョはその中間でどちらにも使えるが、昼食の準備の時などに一番フィットする。
BUMP OF CHICKEN「天体観測」
長谷川健一/星霜(from 星霜)
まぁ料理作りで精魂尽きてしまわないためにも、当分音楽の力を借りることになりそうです。
私のTwitterをご覧の方はもうご存知だと思うが、実は母が20日ほど前から入院している。本当は約2週間で退院できるはずだったのだけれど、術後の縫合箇所が腫れているそうで、食事はまだ摂れず点滴をしているらしい。(らしい、と言うのはコロナウイルスの感染防止のために面会が禁じられているためである。)それで食事の用意は当然自分でやることに。「お弁当とか冷凍食品とか買ってきたりすればいいんだからね」と入院前に母は言っていたが、私は買い物に行くとドッと疲れが出るたちなので、あまり頻繁に買い出しに行くのは嫌だった。かと言ってメインのおかず的なものの冷凍食品は、冷凍庫の中で嵩張る割にはヴォリュームの点で今ひとつだ。やっぱり作るのが良かろうと日々台所に立つことにし、母の入院前に最寄りの図書館へ行って料理本2冊を借りてきた。
朝は納豆ご飯とインスタント味噌汁にフルーツ、それに前夜のおかずの残りをつけるくらいで済ませる。問題は昼食と夕飯。母が今回手術したのは胃なので、退院後も3ヶ月くらいは普通のものは食べられないという。母は割と辛めの味付けのおかずが好きで出来合いの調味料のストックにもそういうものが多かったため、私の料理もまずそれらを片付けるところから始めた。しかし私も主婦ではないし、通所や教会の礼拝出席もある。思い立ったらすぐ料理に取りかかれるよう、献立などは前以て考えておかねばなるまい。それに料理に思いのほか時間がかかると焦りが出たりもする。そんなことを何となく感じていたタイミングで某Twitter友達から、#好きな曲を言って4人指名していくリレー、というハッシュタグで音楽バトンが回ってきた。それで引っ張り出したのが、トニーニョ・オルタの『Foot On The Road』だった。私はこのアルバムの7曲目「Where Are You」が大好きなのだ。(↓のYouTubeでは、32分46秒〜)
Toninho Horta – Foot On The Road (1994)
このシェアへの反応に気を良くした私は、このCDを聴くいいシチュエーションに思いを馳せた。そしてピーーーン!と来たのが、料理中BGM。
想像通り、打ってつけだった。まぁそういう行き掛かり上2階にあったCDラジオをキッチンに下ろしたのだが、どうせならこの際「料理中のBGM」の復活でも図るか!?と思ったりもした。でも、前述の献立決めも冷蔵庫のあるキッチンでするのが楽だし、そういう時にもBGMは欲しい。けれども、料理中に聴くのにちょうどいいアッパー系の音楽よりも、献立を考えるにはダウナー系の方がしっくりくる。そんなことを考えるともなく思い巡らしているうちに、先のトニーニョの他に、『BUMP OF CHICKEN Ⅰ [1999-2004]』と長谷川健一『星霜』に食指が動いた。BUMPは疲れている時の夕飯作りで気分を上げていくのに、長谷川健一は献立決めに沈思するのに最適だ。トニーニョはその中間でどちらにも使えるが、昼食の準備の時などに一番フィットする。
BUMP OF CHICKEN「天体観測」
長谷川健一/星霜(from 星霜)
まぁ料理作りで精魂尽きてしまわないためにも、当分音楽の力を借りることになりそうです。