◆5月3日
ヨハネ21章。復活の主に二度会ってもピンと来ぬ弟子達は漁に行く。一匹も獲れぬ彼らに投網の位置を主が教えると、途端に大漁。網を岸に運ぶのに四苦八苦の彼らを待っていたのは、主自らが用意した朝食だった。〈When they got there, they found breakfast waiting for them〉(NLT9節)
◆5月11日
新改申命12:30、約束の地に入ったら「…異邦の民は、どのように神々に仕えたのだろう。私もそうしてみよう」と言うなと神。(彼らの神々を)求めてはNIVでinquiring尋ねる。好奇心が命とりと主は知っていた。受洗後伝道した人がS会員で,興味を示し送った葉書の送料不足返還も主の守りの筈
◆5月16日
NIV申命21:20、我儘で反抗的な子を長老に訴える語〈a glutton and a drunkard〉に見覚えが。ルカ7:34での主の評判〈大食漢で大酒飲み〉と完全一致。gluttonは新共同の申命記では〈放蕩にふけり〉。申命21:21ではこの息子への投石を認めている。大食いの主への民の眼差し、あな恐ろし!
◆5月22日
演説したヘロデに「神の声だ」と群衆。即座に天使がヘロデを撃ち倒す(使徒12:23)〈an angel of the Lord struck Herod with a sickness, because he accepted the people’s worship instead of giving the glory to God〉とNLT。人からの称揚を受け入れただけで撃たれた。ドキリとする
◆5月22日
新改訳使徒13章。アンテオケで礼拝していると聖霊が、バルナバとサウロを聖別して主が召した任務につかせるよう告げた。続く3節「そこで彼らは、断食と祈りをして…送り出した」はNLTでは〈So after more fasting and prayer〉で始まる。御旨が示された後も祈って執り行うことの大切さ
ヨハネ21章。復活の主に二度会ってもピンと来ぬ弟子達は漁に行く。一匹も獲れぬ彼らに投網の位置を主が教えると、途端に大漁。網を岸に運ぶのに四苦八苦の彼らを待っていたのは、主自らが用意した朝食だった。〈When they got there, they found breakfast waiting for them〉(NLT9節)
◆5月11日
新改申命12:30、約束の地に入ったら「…異邦の民は、どのように神々に仕えたのだろう。私もそうしてみよう」と言うなと神。(彼らの神々を)求めてはNIVでinquiring尋ねる。好奇心が命とりと主は知っていた。受洗後伝道した人がS会員で,興味を示し送った葉書の送料不足返還も主の守りの筈
◆5月16日
NIV申命21:20、我儘で反抗的な子を長老に訴える語〈a glutton and a drunkard〉に見覚えが。ルカ7:34での主の評判〈大食漢で大酒飲み〉と完全一致。gluttonは新共同の申命記では〈放蕩にふけり〉。申命21:21ではこの息子への投石を認めている。大食いの主への民の眼差し、あな恐ろし!
◆5月22日
演説したヘロデに「神の声だ」と群衆。即座に天使がヘロデを撃ち倒す(使徒12:23)〈an angel of the Lord struck Herod with a sickness, because he accepted the people’s worship instead of giving the glory to God〉とNLT。人からの称揚を受け入れただけで撃たれた。ドキリとする
◆5月22日
新改訳使徒13章。アンテオケで礼拝していると聖霊が、バルナバとサウロを聖別して主が召した任務につかせるよう告げた。続く3節「そこで彼らは、断食と祈りをして…送り出した」はNLTでは〈So after more fasting and prayer〉で始まる。御旨が示された後も祈って執り行うことの大切さ