◆7月13日
5月29日の教会研修会では、従来の平日の聖研が、通読の聖書の章の解説を信徒が持ち回りで担当する形式で行なっていたため(教会員の高齢化と相俟って)、参加者へのご負担が大きくなっていたという実態が明らかにされた。この【聖書と祈る会】は2020年4月2週目より休会になっていたが、日曜礼拝以外にも聖書を学ぶ機会が欲しいという教会員の声を受け、2020年10月15日より【今週の聖句に聴く会】(*ローズンゲンに基づく)というのが週一で始められた。後発の会は、牧師先生が説き明かし、参加者も感想を言ったり、解説を受けて日常を振り返っての思いを分かち合えたり、なかなか有益な機会になってる模様。ただ休止していた【聖書と祈る会】について「聖書を独りで通読して理解するのは難しい。あの会は貴重な場だった」との声も。その発言者は県の文学の賞を受賞されてた方で、ホラー的な物語を書くのに長じてる方なので私は正直驚いた。
* * *
<新改訳第三版 イザヤ書29:11〜14>
そこで、あなたがたにとっては、すべての幻が、封じられた書物のことばのようになった。これを、読み書きのできる人に渡して、「どうぞ、これを読んでください」と言っても、「これは、封じられているから読めない」と言い、また、その書物を、読み書きのできない人に渡して、「どうぞ、これを読んでください」と言っても、「私は、読み書きができない」と答えよう。そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」
* * *
母教会の良かったことの一つは、説教中に聖句引用の際いちいち聖書を開くこと。これにより、聖句が印象づけられたし、後から説教を振り返って辿れもした。citationの意識が明確だったのかもしれない。そのお蔭で、教会内の立場の上下に拘らず、御言葉から互いにchallengeすることもできた。時に、恣意的な聖句の読みをしたり、律法的に相手を裁き過ぎるきらいはあったが。でも、「聖句は部分だけで読むんじゃなく全体を見なければ解らない」と慎重になり過ぎるあまりに、個人で聖書に親しむハードルを必要以上に上げている感じを今の所属教会では受ける。色々な参考文献を読んだりするのは勿論有益。だけど、初めは取っ付きにくい御言葉を少しずつ読み、(これはどういう意味ですか?)と心の裡に神様に問いかけつつ読む楽しさを奪ったら、元も子もないのでは。そして神様に直に示されることの喜びを知ったら、自分でずんずん読んでいくよ。
◆7月18日
高2か高3の時、通学中に段々身体が冷えてきて気持ち悪くなり、学校に着くなり保健室に行ってベッドに横にならせてもらったことがあった。たまたま同じ時間帯に登校してたクラスメートが保健室に来て「大丈夫?」と手を握ってくれた。その子はちょっと不思議ちゃんで、周りから避けられてる子だった。
別の時に(細かい経緯は忘れたが)、私は彼女を避けたことがあった。それに気づいた彼女は「まさか……(◯◯さんまで)」と言いかけたが、自分を諭すように「まぁいいや」と小声で言った。真相はその「まさか」だったのだ。
↓ ↓ ↓
<新改訳第三版 マルコの福音書14:66〜72>
ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて、言った。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない」と言って、出口のほうへと出て行った。すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です」と言いだした。しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言った。するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います」というイエスのおことばを思い 出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。
↓ ↓ ↓
主にあれだけ良くしてもらいながら、都合の悪い場面では人目を気にしてイエスを否認したペテロと、私は全く同じであった。
* * *
イエスを信じてることを隠し立てしない今だが、ペテロと似たような自己欺瞞を他の人に対してしていないか、時々省みる。
◆7月31日
私は決められた時間に合わせての行動が得意でない。だから、作業所に定刻に行くのだけで凄く努力が要る。前に作業所にいたネブカドネツァルは、その辺凄く突ついてくる人だった。誰かが遅刻してくると皆の前で「寝坊?」と訊いたり、事務の職員が他の職員よりも遅く出勤してくるのにケチをつけたり(そういう時間での契約だろうに)。ネブカドネツァルが以前働いていたところで1分でも遅刻してくると減給されたと言っていたが、その恨みを誰彼なく向けて晴らしているような感じだった(私が苦しんでるんだからお前も苦しめ!みたいな)。
* * *
私が昨年7月25日に作ったイヤな短歌(カッコいいよりは何だかかわいそう他部署の暴に返す残業代)の行動に出たのは、BGM会社で映像グループの人に殴られたからだけではない。50がらみの男性が私を殴っているのを傍で見ていた映像グループの女性が、「私達は◯◯ちゃんが残業している時の光熱費も稼いでいるのよ」と言ってきたので、頭に来たのだ。(そんなに言うなら残業代くらい返してやる!)と入社からその時点までの残業代を(週末で明細見て)計算し、月曜に給料の払い元である親会社の口座に振り込んだ。
* * *
学校の級友や職場の従業員の中での不均衡に対し、牙を剥く人は結構いる。私も兄弟の間の不公平への僻みから長年抜け出せなかった。
↓ ↓ ↓
<新改訳第三版 イザヤ書53章5節>
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
↓ ↓ ↓
兄らからの不当な仕打ちに私は独り我慢しているつもりで憎しみを腹に蓄えていた。でも実際は、イエスが苦しまなければ私は癒されなかった。私は自分と巻き添えになってくれる人がいなければ、私怨をエスカレートさせるだけの業の深い人間だった。今でも基本的にはそうだ。そして(イエス様、ごめんなさい…)と言うしかできない者である。
5月29日の教会研修会では、従来の平日の聖研が、通読の聖書の章の解説を信徒が持ち回りで担当する形式で行なっていたため(教会員の高齢化と相俟って)、参加者へのご負担が大きくなっていたという実態が明らかにされた。この【聖書と祈る会】は2020年4月2週目より休会になっていたが、日曜礼拝以外にも聖書を学ぶ機会が欲しいという教会員の声を受け、2020年10月15日より【今週の聖句に聴く会】(*ローズンゲンに基づく)というのが週一で始められた。後発の会は、牧師先生が説き明かし、参加者も感想を言ったり、解説を受けて日常を振り返っての思いを分かち合えたり、なかなか有益な機会になってる模様。ただ休止していた【聖書と祈る会】について「聖書を独りで通読して理解するのは難しい。あの会は貴重な場だった」との声も。その発言者は県の文学の賞を受賞されてた方で、ホラー的な物語を書くのに長じてる方なので私は正直驚いた。
* * *
<新改訳第三版 イザヤ書29:11〜14>
そこで、あなたがたにとっては、すべての幻が、封じられた書物のことばのようになった。これを、読み書きのできる人に渡して、「どうぞ、これを読んでください」と言っても、「これは、封じられているから読めない」と言い、また、その書物を、読み書きのできない人に渡して、「どうぞ、これを読んでください」と言っても、「私は、読み書きができない」と答えよう。そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」
* * *
母教会の良かったことの一つは、説教中に聖句引用の際いちいち聖書を開くこと。これにより、聖句が印象づけられたし、後から説教を振り返って辿れもした。citationの意識が明確だったのかもしれない。そのお蔭で、教会内の立場の上下に拘らず、御言葉から互いにchallengeすることもできた。時に、恣意的な聖句の読みをしたり、律法的に相手を裁き過ぎるきらいはあったが。でも、「聖句は部分だけで読むんじゃなく全体を見なければ解らない」と慎重になり過ぎるあまりに、個人で聖書に親しむハードルを必要以上に上げている感じを今の所属教会では受ける。色々な参考文献を読んだりするのは勿論有益。だけど、初めは取っ付きにくい御言葉を少しずつ読み、(これはどういう意味ですか?)と心の裡に神様に問いかけつつ読む楽しさを奪ったら、元も子もないのでは。そして神様に直に示されることの喜びを知ったら、自分でずんずん読んでいくよ。
◆7月18日
高2か高3の時、通学中に段々身体が冷えてきて気持ち悪くなり、学校に着くなり保健室に行ってベッドに横にならせてもらったことがあった。たまたま同じ時間帯に登校してたクラスメートが保健室に来て「大丈夫?」と手を握ってくれた。その子はちょっと不思議ちゃんで、周りから避けられてる子だった。
別の時に(細かい経緯は忘れたが)、私は彼女を避けたことがあった。それに気づいた彼女は「まさか……(◯◯さんまで)」と言いかけたが、自分を諭すように「まぁいいや」と小声で言った。真相はその「まさか」だったのだ。
↓ ↓ ↓
<新改訳第三版 マルコの福音書14:66〜72>
ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて、言った。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない」と言って、出口のほうへと出て行った。すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です」と言いだした。しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言った。するとすぐに、鶏が、二度目に鳴いた。そこでペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは、わたしを知らないと三度言います」というイエスのおことばを思い 出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した。
↓ ↓ ↓
主にあれだけ良くしてもらいながら、都合の悪い場面では人目を気にしてイエスを否認したペテロと、私は全く同じであった。
* * *
イエスを信じてることを隠し立てしない今だが、ペテロと似たような自己欺瞞を他の人に対してしていないか、時々省みる。
◆7月31日
私は決められた時間に合わせての行動が得意でない。だから、作業所に定刻に行くのだけで凄く努力が要る。前に作業所にいたネブカドネツァルは、その辺凄く突ついてくる人だった。誰かが遅刻してくると皆の前で「寝坊?」と訊いたり、事務の職員が他の職員よりも遅く出勤してくるのにケチをつけたり(そういう時間での契約だろうに)。ネブカドネツァルが以前働いていたところで1分でも遅刻してくると減給されたと言っていたが、その恨みを誰彼なく向けて晴らしているような感じだった(私が苦しんでるんだからお前も苦しめ!みたいな)。
* * *
私が昨年7月25日に作ったイヤな短歌(カッコいいよりは何だかかわいそう他部署の暴に返す残業代)の行動に出たのは、BGM会社で映像グループの人に殴られたからだけではない。50がらみの男性が私を殴っているのを傍で見ていた映像グループの女性が、「私達は◯◯ちゃんが残業している時の光熱費も稼いでいるのよ」と言ってきたので、頭に来たのだ。(そんなに言うなら残業代くらい返してやる!)と入社からその時点までの残業代を(週末で明細見て)計算し、月曜に給料の払い元である親会社の口座に振り込んだ。
* * *
学校の級友や職場の従業員の中での不均衡に対し、牙を剥く人は結構いる。私も兄弟の間の不公平への僻みから長年抜け出せなかった。
↓ ↓ ↓
<新改訳第三版 イザヤ書53章5節>
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
↓ ↓ ↓
兄らからの不当な仕打ちに私は独り我慢しているつもりで憎しみを腹に蓄えていた。でも実際は、イエスが苦しまなければ私は癒されなかった。私は自分と巻き添えになってくれる人がいなければ、私怨をエスカレートさせるだけの業の深い人間だった。今でも基本的にはそうだ。そして(イエス様、ごめんなさい…)と言うしかできない者である。
さくらばな開くを恃(たの)む身の熱くひとりの思ひ去年とことなる
母は二年前の4月に胃がんの手術をした。入院する母を市立病院に送って行った帰りにスーパーへ寄ろうとして高校の脇の道を通った時、ちょうど桜が満開で私にはグッと込み上げるものがあった。
数年前まで、うちの玄関のところに写真がいくつか飾ってあった。その内の一つが、両親が引退後の移住先を探すために方々を旅行した際に東北で撮ったという桜の写真だった。満開の桜を背に、母が帽子の鍔を手で押さえつつ溢れんばかりの笑みを湛えて写っていた。父母ともにその写真を気に入っていたようである。山梨に来てからしばらくは、私と母は隣の市の桜スポットを巡るドライヴにランチがてら出かけていたりしたが、ここ何年かは行っていない。私が今はあまり外食を好まなくなってしまったのもあるし、コロナのご時世のことも多少は影響していたと思う。
少し前に母はテレビで「八十の壁」というのを見て、深く心に感じることがあったらしい。それは、八十歳を過ぎたら好きなことだけして生きるのが健康寿命を延ばす秘訣、というような趣旨の内容だったそうだ。母は以前は八十五歳くらいまで主婦の現役で頑張る腹づもりで、免許の返納の件などを私がそれとなく訊いたりすると激しく怒って「私の好きにさせないと惚けるよ!」と決まり文句のように答えていた。母も私も気性が荒っぽい方で、一昨年の秋から昨年初頭にかけて私の精神状態が激昂していた時には母と派手な衝突を繰り返したこともあって、母はゆくゆくは老人ホームへ入らないと二人して潰れてしまうと切に感じたようでその旨公言していたが、先のテレビがきっかけで「八十になったらホームを探す」と言い出し、今から少しずつ準備を始めた。
つばらかに花をひらけるさくら木が墓域の直(すぐ)の道を覆へり
父は2011年9月に没した。母の一存で、父の葬儀は私が通っている教会の牧師先生にお越しいただいてセレモニーホールで家族葬をし、翌日の火葬にも牧師先生にお世話になった。父は浪費癖があったので、家以外の財産はほぼ遺さず亡くなり、墓なども用意できていなかった。火葬が終わるのを待つ席で、牧師先生に「教会のお墓があるC霊苑は、春は桜がとても綺麗ですよ」と言われて、母は大変心動かされるものがあったようだ。諸々の手続きを終えてから母と私はその霊苑を訪ね、安めの墓所を購入し、墓を作って父を納骨した。その後、二回ほどは私も墓参りと称しての花見に同行した。今年は4月初め、桜雨の降る肌寒い日に弟の運転で母は墓参りに行ったが、私はついて行かなかった。二、三年前に母は「私のお墓参りには来なくてもいいよ。私はお墓に入ったら毎年桜が楽しめるんだし」とサバサバと言っていた。母の人柄からすると、これは本音なのだろうし、私が運転が不得手で墓の近辺の狭い道で立ち往生してしまうことを案じての気遣いもあっての言葉でもあったろう。
十字架の死を言ひさして突きあぐる思ひを耐ふる桜咲く日に
母は今年の9月で七十八歳になる。八十歳まであと二年——。そう考えると、たとえ近場でもいいから母と花見に行っておかなくては、と思う。あとあと後悔の念をもって、桜を見ることがないように。
杉本清子『邂逅』
母は二年前の4月に胃がんの手術をした。入院する母を市立病院に送って行った帰りにスーパーへ寄ろうとして高校の脇の道を通った時、ちょうど桜が満開で私にはグッと込み上げるものがあった。
数年前まで、うちの玄関のところに写真がいくつか飾ってあった。その内の一つが、両親が引退後の移住先を探すために方々を旅行した際に東北で撮ったという桜の写真だった。満開の桜を背に、母が帽子の鍔を手で押さえつつ溢れんばかりの笑みを湛えて写っていた。父母ともにその写真を気に入っていたようである。山梨に来てからしばらくは、私と母は隣の市の桜スポットを巡るドライヴにランチがてら出かけていたりしたが、ここ何年かは行っていない。私が今はあまり外食を好まなくなってしまったのもあるし、コロナのご時世のことも多少は影響していたと思う。
少し前に母はテレビで「八十の壁」というのを見て、深く心に感じることがあったらしい。それは、八十歳を過ぎたら好きなことだけして生きるのが健康寿命を延ばす秘訣、というような趣旨の内容だったそうだ。母は以前は八十五歳くらいまで主婦の現役で頑張る腹づもりで、免許の返納の件などを私がそれとなく訊いたりすると激しく怒って「私の好きにさせないと惚けるよ!」と決まり文句のように答えていた。母も私も気性が荒っぽい方で、一昨年の秋から昨年初頭にかけて私の精神状態が激昂していた時には母と派手な衝突を繰り返したこともあって、母はゆくゆくは老人ホームへ入らないと二人して潰れてしまうと切に感じたようでその旨公言していたが、先のテレビがきっかけで「八十になったらホームを探す」と言い出し、今から少しずつ準備を始めた。
つばらかに花をひらけるさくら木が墓域の直(すぐ)の道を覆へり
父は2011年9月に没した。母の一存で、父の葬儀は私が通っている教会の牧師先生にお越しいただいてセレモニーホールで家族葬をし、翌日の火葬にも牧師先生にお世話になった。父は浪費癖があったので、家以外の財産はほぼ遺さず亡くなり、墓なども用意できていなかった。火葬が終わるのを待つ席で、牧師先生に「教会のお墓があるC霊苑は、春は桜がとても綺麗ですよ」と言われて、母は大変心動かされるものがあったようだ。諸々の手続きを終えてから母と私はその霊苑を訪ね、安めの墓所を購入し、墓を作って父を納骨した。その後、二回ほどは私も墓参りと称しての花見に同行した。今年は4月初め、桜雨の降る肌寒い日に弟の運転で母は墓参りに行ったが、私はついて行かなかった。二、三年前に母は「私のお墓参りには来なくてもいいよ。私はお墓に入ったら毎年桜が楽しめるんだし」とサバサバと言っていた。母の人柄からすると、これは本音なのだろうし、私が運転が不得手で墓の近辺の狭い道で立ち往生してしまうことを案じての気遣いもあっての言葉でもあったろう。
十字架の死を言ひさして突きあぐる思ひを耐ふる桜咲く日に
母は今年の9月で七十八歳になる。八十歳まであと二年——。そう考えると、たとえ近場でもいいから母と花見に行っておかなくては、と思う。あとあと後悔の念をもって、桜を見ることがないように。
遠からずまた近からず丁度良い席のひとりの作業に息つく
(とど)
2022年7月24日 作歌。
*上句はお題
(とど)
2022年7月24日 作歌。
*上句はお題
好意さえ仇で返したわたくしに伸べ続けた手に偽りはなく
(とど)
2022年7月20日 作歌。
#Iloveyouを自分の言葉で述べよ(のテーマ詠)
(とど)
2022年7月20日 作歌。
#Iloveyouを自分の言葉で述べよ(のテーマ詠)
参考の図案はハンパないからね。あなたは言った「想定通り」と
(とど)
2022年5月8日 作歌。
*下句はお題
社交家の押しつけてくるすべきこと忘れる為に茗荷を買った
(とど)
2022年7月10日 作歌。
*下句はお題
(とど)
2022年7月10日 作歌。
*下句はお題
またそれか さっきも聞いたその台詞テレビの受け売りマウンティングね
(とど)
2021年9月12日 作歌。
*上句はお題
(とど)
2021年9月12日 作歌。
*上句はお題
わが歌集待ちわびている方の手の震え増しくる 気ばかり逸る
(とど)
2019年8月23日 作歌。
(とど)
2019年8月23日 作歌。
語の意味を掴まえようと試し詠み休み休みいうよバカですし
(とど)
2022年6月5日 作歌。
*下句はお題
(とど)
2022年6月5日 作歌。
*下句はお題
ともだちにバカって言うのは駄目だけど金子みすゞの音読なら可
(とど)
※ 金子みすゞ「こだまでしょうか」
2022年6月5日 作歌。
*上句はお題
(とど)
※ 金子みすゞ「こだまでしょうか」
2022年6月5日 作歌。
*上句はお題