どこか近場で美味しい紅茶やコーヒーを買える所はないかと、ネット検索で見つけたのが、虎ノ門に本店を構える【コクテール堂】のコーヒーである。年明け早々の4日、地元・韮崎の小高い丘の上にある製造工場に行って豆を購入。表題の文句は、豆を入れてもらった紙袋に印刷されていた。
同社サイトによると、ここのコーヒー豆は、生豆のまま倉庫で数十ヶ月かけて熟成・乾燥させることでまろやかさとコクを生んでいるのだとか。是非とも豆を買いに行かなくては…と駆り立てられたのは、写真の<シンフォニー・シリーズ>(〔Canned Coffee〕をクリック)の洒落たパッケージを見たから。ハープ奏者のイラストの「MILD」、ヴァイオリニストの絵の「BITTER MILD」もあったが、深煎りが好みの私が迷わず選んだのはチェリストが描かれた「STRONG」。その他に、ベストセラーにしてロングセラー商品というフレンチ・ローストの「オールド5ブレンド」を買ってきた。
「オールド5ブレンド」は名前に違わず、上品に枯れた味わいで、食後にさっぱりとしたい時などに打って付け。比べて、シンフォニー・シリーズの「STRONG」は、艶っぽいふくよかな風味に富んでいる。これをチェロの音に例えるとは、ナルホドうまいことを言ったものである。
と、この流れのままチェロの曲を選ぶのも何なので、ジャズ・ヴォーカルものを紹介しておく。リア・デラリアの『Double Standards』。パワフルでかつ色気がある歌い口は、まさに「STRONG」の風味そのもの。
でも一つ気になるのは、「この人、ストレートじゃないのかしら??」ということ。ライナーノーツの写真が、何となく性転換して女性になった風。アルバム・タイトルもちょっと意味深だし。今回このアルバムを取り上げたけれど、私はその方面に興味はこれっぽっちも無いので、どうか誤解無きよう(笑)。
同社サイトによると、ここのコーヒー豆は、生豆のまま倉庫で数十ヶ月かけて熟成・乾燥させることでまろやかさとコクを生んでいるのだとか。是非とも豆を買いに行かなくては…と駆り立てられたのは、写真の<シンフォニー・シリーズ>(〔Canned Coffee〕をクリック)の洒落たパッケージを見たから。ハープ奏者のイラストの「MILD」、ヴァイオリニストの絵の「BITTER MILD」もあったが、深煎りが好みの私が迷わず選んだのはチェリストが描かれた「STRONG」。その他に、ベストセラーにしてロングセラー商品というフレンチ・ローストの「オールド5ブレンド」を買ってきた。
「オールド5ブレンド」は名前に違わず、上品に枯れた味わいで、食後にさっぱりとしたい時などに打って付け。比べて、シンフォニー・シリーズの「STRONG」は、艶っぽいふくよかな風味に富んでいる。これをチェロの音に例えるとは、ナルホドうまいことを言ったものである。
と、この流れのままチェロの曲を選ぶのも何なので、ジャズ・ヴォーカルものを紹介しておく。リア・デラリアの『Double Standards』。パワフルでかつ色気がある歌い口は、まさに「STRONG」の風味そのもの。
でも一つ気になるのは、「この人、ストレートじゃないのかしら??」ということ。ライナーノーツの写真が、何となく性転換して女性になった風。アルバム・タイトルもちょっと意味深だし。今回このアルバムを取り上げたけれど、私はその方面に興味はこれっぽっちも無いので、どうか誤解無きよう(笑)。
元旦から鴨下信一の『忘れられた名文たち』を読んでいる。
画家や俳人らの文章、食に関する文章、レコード評・映画評など、種々の雑文が紹介されていて、なかなか面白い。
中でも舌を巻いたのは、「悪態文」の項に登場する、阿部筲人の『俳句 ― 四合目からの出発』からの引用だ。
素人がオノマトペを俳句に詠み込むと得てして紋切型に陥りやすい。その迫力なく間延びした様を、「馬面俳句」と一刀両断。その小気味好さに思わずニヤリとさせられるのだが、俳句初心者の私としてはどこか身に覚えもあるので、慌てて口元を押えた。
さて、昨日宮中で催された歌会始の今年の御題は「月」だった。簡単そうで難しい御題で、試みに一つ作ってはみたものの、凡庸どころか陳腐極まりない代物しかできなかった。
下の句の七七が付くと、私が俳句でよくやる「言い逃げ」が利かない。仕方無く今年も、入選された方々の上級短歌を眺めてお正月の余韻を惜しみつつ、せめて今後の肥やしにさせていただこう。
今回の詠進歌で一番目を引かれたのは次の一首。
弓張の月のかたぶくころほひに携帯メールはひそやかに来ぬ
下弦の月が傾いていき白々と明け始める頃、うっすらした意識の中で気付く着信音…。衣擦れのようにゆるりと歩調を合わせる速度感が絶妙な歌。
一晩中あなたを想っていたよ…と、頃合いでさり気なく伝えている相手の気持ちも憎い。
こんな光景のバックには、カサンドラ・ウィルソンの『New Moon Daughter』がしっくり来そうだ。深夜に収まりの良いジャズは数あれど、明け方に耳に優しい向きはほんの一握り。このアルバムはそんな中の一つだ。
“New Moon”は要するに新月だから、意味合い的には上の歌から少々外れる。でも、これから満ちてくる(はずの)私の詠歌・詠句生活を後押しするBGMだし…とうそぶくのだから、我ながら始末に終えない。
来年の勅題は「火」だそうだ。今から考えなきゃ。
画家や俳人らの文章、食に関する文章、レコード評・映画評など、種々の雑文が紹介されていて、なかなか面白い。
中でも舌を巻いたのは、「悪態文」の項に登場する、阿部筲人の『俳句 ― 四合目からの出発』からの引用だ。
素人がオノマトペを俳句に詠み込むと得てして紋切型に陥りやすい。その迫力なく間延びした様を、「馬面俳句」と一刀両断。その小気味好さに思わずニヤリとさせられるのだが、俳句初心者の私としてはどこか身に覚えもあるので、慌てて口元を押えた。
さて、昨日宮中で催された歌会始の今年の御題は「月」だった。簡単そうで難しい御題で、試みに一つ作ってはみたものの、凡庸どころか陳腐極まりない代物しかできなかった。
下の句の七七が付くと、私が俳句でよくやる「言い逃げ」が利かない。仕方無く今年も、入選された方々の上級短歌を眺めてお正月の余韻を惜しみつつ、せめて今後の肥やしにさせていただこう。
今回の詠進歌で一番目を引かれたのは次の一首。
弓張の月のかたぶくころほひに携帯メールはひそやかに来ぬ
下弦の月が傾いていき白々と明け始める頃、うっすらした意識の中で気付く着信音…。衣擦れのようにゆるりと歩調を合わせる速度感が絶妙な歌。
一晩中あなたを想っていたよ…と、頃合いでさり気なく伝えている相手の気持ちも憎い。
こんな光景のバックには、カサンドラ・ウィルソンの『New Moon Daughter』がしっくり来そうだ。深夜に収まりの良いジャズは数あれど、明け方に耳に優しい向きはほんの一握り。このアルバムはそんな中の一つだ。
“New Moon”は要するに新月だから、意味合い的には上の歌から少々外れる。でも、これから満ちてくる(はずの)私の詠歌・詠句生活を後押しするBGMだし…とうそぶくのだから、我ながら始末に終えない。
来年の勅題は「火」だそうだ。今から考えなきゃ。
年始にあたって目標を立てるなんてことは、気が向いた時にしかしてこなかった私ですが、今年は一つだけ決めました。
と言っても、とっても下世話な話で、ダイエットのこと。こういう風に公言でもしなければ今年も目標を捉えられずに終わってしまうかもしれない…とちょっと危険を感じたもので。
昨年、夏前まではいいペースで体重を減らしたものの、目標体重まであと1kgというところでリバウンド傾向へ転じ、年末には一年前と比べてたったのマイナス1kgというところまで戻ってしまいました。
今年は、毎月 0.5kgずつ減らして、夏の終わりには今履いているのより一回り細めのジーンズを買って、引っ込みがつかないようにしてしまおうと目論んでいます。
そこで、今年のテーマソングを決めました。矢野顕子の「You Are What You Eat」。
「もうちょっと食べたいな~」と思った時に、頭の中で歌うわけです。
♪食べたものがァ~~ あなたになるゥ~~
思惑通り、ジーンズget と相成ったら、ブログにも報告いたします。
と言っても、とっても下世話な話で、ダイエットのこと。こういう風に公言でもしなければ今年も目標を捉えられずに終わってしまうかもしれない…とちょっと危険を感じたもので。
昨年、夏前まではいいペースで体重を減らしたものの、目標体重まであと1kgというところでリバウンド傾向へ転じ、年末には一年前と比べてたったのマイナス1kgというところまで戻ってしまいました。
今年は、毎月 0.5kgずつ減らして、夏の終わりには今履いているのより一回り細めのジーンズを買って、引っ込みがつかないようにしてしまおうと目論んでいます。
そこで、今年のテーマソングを決めました。矢野顕子の「You Are What You Eat」。
「もうちょっと食べたいな~」と思った時に、頭の中で歌うわけです。
♪食べたものがァ~~ あなたになるゥ~~
思惑通り、ジーンズget と相成ったら、ブログにも報告いたします。
昨晩はYahoo!オークションで、終了時間3分前に入札しようとしたところ、10円刻みのつばぜり合いが繰り広げられていたようでなかなか参入できず、5,6回試みてようやく入札しました。5分後に無事落札して一安心。
でも、その興奮が後を引いていたためか、深夜2時過ぎには目が覚めてしまいました。眠りに就いていたのは正味二時間半。
例によって携帯を取り出し、メモ帳機能に今年ブログで書きたい題材等を書き込んだりして、明け方までを過ごしました。
5時半を回った頃に、『Nagara Music: Winter』というCDをヘッドフォンで聴きました。このアルバムは、キリンジの堀込高樹の選曲によるコンピレーション。セルメン、ケニー・ランキン、チャーリー・ヘイデン、マリーナ・ショウ、ブラッド・メルドー等が名前を連ねています。
コンピレーションってピンきりですけど、これはホント当たり。まぁ、出している枚数が桁外れの御大と比べちゃいけないんでしょうが、ワタクシ的にはかの橋本徹氏のコンピよりもこっちに軍配を上げますね。
薄曇りの朝、緩やかに目覚めるのにちょうど良い音楽です。懐かしめの曲も沢山ありますが、かの【カフェ・アプレミディ】等のシリーズよりずっと洗練された肌合いに仕上がっている気がします。
でも、その興奮が後を引いていたためか、深夜2時過ぎには目が覚めてしまいました。眠りに就いていたのは正味二時間半。
例によって携帯を取り出し、メモ帳機能に今年ブログで書きたい題材等を書き込んだりして、明け方までを過ごしました。
5時半を回った頃に、『Nagara Music: Winter』というCDをヘッドフォンで聴きました。このアルバムは、キリンジの堀込高樹の選曲によるコンピレーション。セルメン、ケニー・ランキン、チャーリー・ヘイデン、マリーナ・ショウ、ブラッド・メルドー等が名前を連ねています。
コンピレーションってピンきりですけど、これはホント当たり。まぁ、出している枚数が桁外れの御大と比べちゃいけないんでしょうが、ワタクシ的にはかの橋本徹氏のコンピよりもこっちに軍配を上げますね。
薄曇りの朝、緩やかに目覚めるのにちょうど良い音楽です。懐かしめの曲も沢山ありますが、かの【カフェ・アプレミディ】等のシリーズよりずっと洗練された肌合いに仕上がっている気がします。
私は今、古書&中古CDの某ショップに勤めている。この職に就いてからは毎年元日早々仕事で、今年もご多分に漏れなかった。今年は三が日続けて出勤なので、お正月気分を味わえるのは少し先になる。
私は持病の薬をもらうために月に一度のペースで通院しているが、その病院の外来待合に昨年の春先、本棚が据えられた。診察を待つ患者さんに少しでも快適に過ごしてもらおうという計らいだ。本棚の設置に当たって、気さくな女性のドクターは私に意見を求めてくれた。
病気の方でもあまり重く感じないような、パラパラとめくって拾い読みもできるような気軽な本がいいのではないか、と私は答えた。先生は「雑誌なんかもあるといいかもしれないわね」と言い、私にも「何か寄付してもいいような本があったら持ってきてね」とおっしゃった。
一ヵ月後私は、私物だった『私もサラリーマンだった!』(峯岸桂子)と、改めて勤め先で安く買った高木ブーの『第5の男』を携えて、病院へ向かった。先生はページをめくると、「面白そう。読みやすいわね」と喜んでくださった。
それから私は、病院に寄付する本を選ぶのを密かに楽しみにするようになった。買取をしていると、面白そうだなと食指が動く本にめぐり会う。自分では時間と興味の兼ね合いで結局は読まずじまいになりそうな本でも、購買意欲をそそられるものも少なくない。今までは、財布の紐を堅く締めて我慢するか、買って部屋の片隅に積んだままになるのがオチだったが、新たに第三の選択肢ができたわけである。
3ヶ月に二回程度の割り合いで本を買い、病院に持参した。『神様におねがい』(大橋歩)、『ドリームズ~夢への道のり』(J-WAVE・編)、『おいしい人間』(高峰秀子)、『生活はアート』(パトリス・ジュリアン)、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(村上春樹)、……棚が少しずつ充実していくのを見て、独りほくそ笑んだ。
初めの3ヶ月ほどは、寄付した際に置かれた位置から本が動いた形跡さえ見られなかったが、その後借り出されて返ってきた本、いまだ持ち出しのままになっている本など、反応が目に見える形で現れてきているのが嬉しい。
今では他の患者さんの気持ちを考えて本を選ぶまでに回復した私も、5年前の今はこの病院に再入院を余儀なくされていた。建物こそ建て替えをする前の古ぼけた病棟ではあったが、振り返ってみると、レクリエーション等なかなかに工夫が凝らされていた。俳句を詠んだり、元旦にはお茶を点てて頂いたりといった活動は、奇しくも今の私につながっているようである。
入院中、一度 書道の先生をお迎えして習字の時間もあった。先生が一人一人の顔を見て、それぞれ別々のお手本を選んでくださり、各自そのお題目を見よう見まねで書く。先生は鼻唄を歌いながら一人一人にお手本を配られていた。
私に渡されたお手本は「仕事始め」。ひと月前、やっとの思いで復帰した職場を一週間で退去せざるをえなくなっていた私としては、いささか決まりが悪いお題ではあったが、無心になって筆を運んだ。
入院はちょうど一ヶ月間だった。退院後病院に診察に行くと、私の習字が銀賞を受賞していたとかで、駄菓子の大きな詰め合わせの袋を賞品としていただいた。
約一年の自宅療養、コンビニ勤めを経て、現在の仕事に就いたのは退院から2年9ヶ月の後。長い道のりだったようだが、今日の私に向かって一歩一歩前進してきていたのだということが今にして分かる。病院で「仕事始め」のテーマをもらい、今 無償とはいえ病院に仕事絡みのことで多少なりとも寄与していることは、何か不思議な因縁のようなものを感じなくもない。
私のブログをご贔屓にされていて、うすうす感じ取っている方もいらっしゃるだろうが、私が通っている病院とは『カッコーの巣の上で』に出てくる種類の病院である。この映画を観た時、端役の患者達の挙動のリアルさには驚いたものだ。
今回は、ベラ・フレック&ザ・フレックトーンズの『Three Flew over the Cuckoo's Nest』をご紹介しておく。アルバム・タイトルはほぼ間違い無くくだんの映画からの引用であろうが、技巧的で軽妙なバンジョーには一瞬「なぜ、『カッコーの巣の上で』??」と考えてしまったが、無軌道な主人公マクマーフィが病院の閉塞感に風穴を開けていく様にハタと思い当たった。このCDも腕白なすがすがしさに満ち満ちていて、魅力的である。
私は持病の薬をもらうために月に一度のペースで通院しているが、その病院の外来待合に昨年の春先、本棚が据えられた。診察を待つ患者さんに少しでも快適に過ごしてもらおうという計らいだ。本棚の設置に当たって、気さくな女性のドクターは私に意見を求めてくれた。
病気の方でもあまり重く感じないような、パラパラとめくって拾い読みもできるような気軽な本がいいのではないか、と私は答えた。先生は「雑誌なんかもあるといいかもしれないわね」と言い、私にも「何か寄付してもいいような本があったら持ってきてね」とおっしゃった。
一ヵ月後私は、私物だった『私もサラリーマンだった!』(峯岸桂子)と、改めて勤め先で安く買った高木ブーの『第5の男』を携えて、病院へ向かった。先生はページをめくると、「面白そう。読みやすいわね」と喜んでくださった。
それから私は、病院に寄付する本を選ぶのを密かに楽しみにするようになった。買取をしていると、面白そうだなと食指が動く本にめぐり会う。自分では時間と興味の兼ね合いで結局は読まずじまいになりそうな本でも、購買意欲をそそられるものも少なくない。今までは、財布の紐を堅く締めて我慢するか、買って部屋の片隅に積んだままになるのがオチだったが、新たに第三の選択肢ができたわけである。
3ヶ月に二回程度の割り合いで本を買い、病院に持参した。『神様におねがい』(大橋歩)、『ドリームズ~夢への道のり』(J-WAVE・編)、『おいしい人間』(高峰秀子)、『生活はアート』(パトリス・ジュリアン)、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(村上春樹)、……棚が少しずつ充実していくのを見て、独りほくそ笑んだ。
初めの3ヶ月ほどは、寄付した際に置かれた位置から本が動いた形跡さえ見られなかったが、その後借り出されて返ってきた本、いまだ持ち出しのままになっている本など、反応が目に見える形で現れてきているのが嬉しい。
今では他の患者さんの気持ちを考えて本を選ぶまでに回復した私も、5年前の今はこの病院に再入院を余儀なくされていた。建物こそ建て替えをする前の古ぼけた病棟ではあったが、振り返ってみると、レクリエーション等なかなかに工夫が凝らされていた。俳句を詠んだり、元旦にはお茶を点てて頂いたりといった活動は、奇しくも今の私につながっているようである。
入院中、一度 書道の先生をお迎えして習字の時間もあった。先生が一人一人の顔を見て、それぞれ別々のお手本を選んでくださり、各自そのお題目を見よう見まねで書く。先生は鼻唄を歌いながら一人一人にお手本を配られていた。
私に渡されたお手本は「仕事始め」。ひと月前、やっとの思いで復帰した職場を一週間で退去せざるをえなくなっていた私としては、いささか決まりが悪いお題ではあったが、無心になって筆を運んだ。
入院はちょうど一ヶ月間だった。退院後病院に診察に行くと、私の習字が銀賞を受賞していたとかで、駄菓子の大きな詰め合わせの袋を賞品としていただいた。
約一年の自宅療養、コンビニ勤めを経て、現在の仕事に就いたのは退院から2年9ヶ月の後。長い道のりだったようだが、今日の私に向かって一歩一歩前進してきていたのだということが今にして分かる。病院で「仕事始め」のテーマをもらい、今 無償とはいえ病院に仕事絡みのことで多少なりとも寄与していることは、何か不思議な因縁のようなものを感じなくもない。
私のブログをご贔屓にされていて、うすうす感じ取っている方もいらっしゃるだろうが、私が通っている病院とは『カッコーの巣の上で』に出てくる種類の病院である。この映画を観た時、端役の患者達の挙動のリアルさには驚いたものだ。
今回は、ベラ・フレック&ザ・フレックトーンズの『Three Flew over the Cuckoo's Nest』をご紹介しておく。アルバム・タイトルはほぼ間違い無くくだんの映画からの引用であろうが、技巧的で軽妙なバンジョーには一瞬「なぜ、『カッコーの巣の上で』??」と考えてしまったが、無軌道な主人公マクマーフィが病院の閉塞感に風穴を開けていく様にハタと思い当たった。このCDも腕白なすがすがしさに満ち満ちていて、魅力的である。
旧年中は相も変わらずマイペースな私のブログにお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
振り返ってみると、過去一年は<目覚めの音楽>と<聞茶>のエントリーに終始した年でした。今年もこれらのカテゴリーは続行しますが、今年ならではの新色も打ち出すべく目下思案を重ねています。
とりあえず年初め、今年も昨年同様、年賀状の転載でエントリー初めとさせていただきます。
教会のアメリカン・ウェイに反発を覚えたのが6年前。
自分の正しさを誇示するのは違う。考え過ぎて発病した。
背景に思いを託すブログを始めて2年。
回り道が案外近道になることもある、
そう信じて言葉を紡ぐ。
信じる心は 研ぎすまされた刃
今の私は猪突猛進、ならぬ
ちょこ(猪口)っと盲信。
あいや、失礼。
*「盲信は研ぎすまされた刃のごとく」(ミルトン・ナシメント歌)より
引用
振り返ってみると、過去一年は<目覚めの音楽>と<聞茶>のエントリーに終始した年でした。今年もこれらのカテゴリーは続行しますが、今年ならではの新色も打ち出すべく目下思案を重ねています。
とりあえず年初め、今年も昨年同様、年賀状の転載でエントリー初めとさせていただきます。
教会のアメリカン・ウェイに反発を覚えたのが6年前。
自分の正しさを誇示するのは違う。考え過ぎて発病した。
背景に思いを託すブログを始めて2年。
回り道が案外近道になることもある、
そう信じて言葉を紡ぐ。
信じる心は 研ぎすまされた刃
今の私は猪突猛進、ならぬ
ちょこ(猪口)っと盲信。
あいや、失礼。
*「盲信は研ぎすまされた刃のごとく」(ミルトン・ナシメント歌)より
引用