◆10月11日
新改訳テトス3:5「神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました」。洗礼による新生は一度だが、聖霊は私達を日々〈更新〉して下さる。讃美歌「来る朝ごとに」を思う
◆10月13日
ヘブル1章「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました」預言者の語りは部分的だが、御子は立居全てにおいて神を体現(3節)。主の後に生きる恵み!
◆10月16日
エゼキエル33:31「…民は来て、あなたの前に座り、あなたの言葉を聞きはするが、それを行いはしない。彼らは口では好意を示すが、心は利益に向かっている」民は預言者の同胞。詩編137のバビロンとはわけが違う。私達も御言葉を慕いつつ、利益に目が行っていないか?
◆10月25日
かつて教友に献身を勧められ、祈って示された聖句が、エゼキエル44:13「彼らは、祭司としてわたしに仕えるために近づくことはできない」だった。召命が無くて志願はできない。けれども、そんな私にも教会で様々な役割が与えられている(14節)。心を込めて奉仕したい
◆10月27日
口語訳ヘブル11:15〜16「出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。しかし実際、彼らが望んでいたのは…天にあるふるさとであった」今の教会には移住者が結構いる。母教会を慕いつつ、ここで神がなさろうとするご計画に目を凝らす者を主は慈しむ
◆10月31日
かつて驕った私は狂い、東京から放り出され、寛解まで何年も要した。ダニエル4:29「社会から追放されて…七つの時を過ごすのだ。そうしてお前はついに…神こそが人間の王国を支配する者で、神は御旨のままにそれをだれにでも与えるのだということを悟る…」 正に我が事
新改訳テトス3:5「神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました」。洗礼による新生は一度だが、聖霊は私達を日々〈更新〉して下さる。讃美歌「来る朝ごとに」を思う
◆10月13日
ヘブル1章「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました」預言者の語りは部分的だが、御子は立居全てにおいて神を体現(3節)。主の後に生きる恵み!
◆10月16日
エゼキエル33:31「…民は来て、あなたの前に座り、あなたの言葉を聞きはするが、それを行いはしない。彼らは口では好意を示すが、心は利益に向かっている」民は預言者の同胞。詩編137のバビロンとはわけが違う。私達も御言葉を慕いつつ、利益に目が行っていないか?
◆10月25日
かつて教友に献身を勧められ、祈って示された聖句が、エゼキエル44:13「彼らは、祭司としてわたしに仕えるために近づくことはできない」だった。召命が無くて志願はできない。けれども、そんな私にも教会で様々な役割が与えられている(14節)。心を込めて奉仕したい
◆10月27日
口語訳ヘブル11:15〜16「出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。しかし実際、彼らが望んでいたのは…天にあるふるさとであった」今の教会には移住者が結構いる。母教会を慕いつつ、ここで神がなさろうとするご計画に目を凝らす者を主は慈しむ
◆10月31日
かつて驕った私は狂い、東京から放り出され、寛解まで何年も要した。ダニエル4:29「社会から追放されて…七つの時を過ごすのだ。そうしてお前はついに…神こそが人間の王国を支配する者で、神は御旨のままにそれをだれにでも与えるのだということを悟る…」 正に我が事
食べられず食べたくなくて料理本二冊がほどを寝ころび眺む
河野裕子は2010年夏、乳がんの闘病の末、逝去した。享年64。早すぎる死を多くの人が悼んだ。河野は生前、研究者の夫を支える主婦として台所に立っていた。それゆえ厨歌(くりやうた)や食にまつわる歌を幾つも詠んでいる。遺歌集として刊行された『蟬声』においてもそれは例外でない。掲出歌の他にも少し引く。
食欲ももはや戻らぬ身となれど桶いつぱいの赤飯を炊く
食へざる苦、誰にもわからねば歯をみがき眠るほかなし 眠る
砂丘産小粒らつきようの歯ざはりをしばらく思ひ長く瞑目
もう一度厨に立ちたし色とはぎれよき茄子の辛子あへを作りたし
私事だが、私の父は食道がんで亡くなった。癌が発見された時には食道の入り口がかなり狭まっていて、一般的なサイズの内視鏡が入っていかず細径のスコープで検査されたが、それでも戻してしまう程だった。手術するには病状が進行しており、抗癌剤と放射線治療が施された。二、三度入院して治療したが、家で療養している期間もあった。そんなある日の未明、私がトイレに起きると父は居間でテレビを観ていた。画面には美味しそうなご馳走が大写しになっていた。父の食事は既に流動食のみ。私は、食べられないのにそんな番組を観たら辛いだけだろうに…とその時は思ったものだ。
河野の遺歌集を私が手にしたのは、それから四年ほど経過した頃のこと。食べられない痛苦が率直に詠いあげられていて、虚をつかれた。そして、食べることはただ腹を満たすだけでなく、食べものを噛み砕く歯触り、飲み込むときの喉が鳴る感じなど、一つ一つの過程に喜びがあるのだとも思い知らされた。
旧約聖書のコヘレトの言葉3章12〜13節に、次のように書いてある。「わたしは知った 人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲み食いし その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と」。
父を見送って半年後、私自身も乳がんが見つかり、手術、抗癌剤、放射線治療…と怒濤の治療生活へ突入していった。その長かった治療ももうすぐ終わろうとしている。振り返って、私の命が繋がったことは当然のことではないのだな、と改めて感じる。そして、飲み食いして満たされることが神の賜物だという御言葉の真実さを思うのである。
河野裕子『蟬声』
河野裕子は2010年夏、乳がんの闘病の末、逝去した。享年64。早すぎる死を多くの人が悼んだ。河野は生前、研究者の夫を支える主婦として台所に立っていた。それゆえ厨歌(くりやうた)や食にまつわる歌を幾つも詠んでいる。遺歌集として刊行された『蟬声』においてもそれは例外でない。掲出歌の他にも少し引く。
食欲ももはや戻らぬ身となれど桶いつぱいの赤飯を炊く
食へざる苦、誰にもわからねば歯をみがき眠るほかなし 眠る
砂丘産小粒らつきようの歯ざはりをしばらく思ひ長く瞑目
もう一度厨に立ちたし色とはぎれよき茄子の辛子あへを作りたし
私事だが、私の父は食道がんで亡くなった。癌が発見された時には食道の入り口がかなり狭まっていて、一般的なサイズの内視鏡が入っていかず細径のスコープで検査されたが、それでも戻してしまう程だった。手術するには病状が進行しており、抗癌剤と放射線治療が施された。二、三度入院して治療したが、家で療養している期間もあった。そんなある日の未明、私がトイレに起きると父は居間でテレビを観ていた。画面には美味しそうなご馳走が大写しになっていた。父の食事は既に流動食のみ。私は、食べられないのにそんな番組を観たら辛いだけだろうに…とその時は思ったものだ。
河野の遺歌集を私が手にしたのは、それから四年ほど経過した頃のこと。食べられない痛苦が率直に詠いあげられていて、虚をつかれた。そして、食べることはただ腹を満たすだけでなく、食べものを噛み砕く歯触り、飲み込むときの喉が鳴る感じなど、一つ一つの過程に喜びがあるのだとも思い知らされた。
旧約聖書のコヘレトの言葉3章12〜13節に、次のように書いてある。「わたしは知った 人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と。人だれもが飲み食いし その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と」。
父を見送って半年後、私自身も乳がんが見つかり、手術、抗癌剤、放射線治療…と怒濤の治療生活へ突入していった。その長かった治療ももうすぐ終わろうとしている。振り返って、私の命が繋がったことは当然のことではないのだな、と改めて感じる。そして、飲み食いして満たされることが神の賜物だという御言葉の真実さを思うのである。
屋根裏に 扇風機あり
デメテルのように 四月(よつき)を 息ひそめつつ
(とど)
2014年11月11日 作歌、2016年7月11日 改作。
デメテルのように 四月(よつき)を 息ひそめつつ
(とど)
2014年11月11日 作歌、2016年7月11日 改作。
昨日は私の通っている教会で年一回のバザーがありました。
今回のバザーは、5年前に教会の第一回チャペルコンサートに演奏にお越しいただいた【Monkeymind You Cube Band】改め【Singing Monkeymind】(シンギング・モンキーマインド)に再びお声をおかけしました。
前回は12月半ばの金曜の夜というクリスマスコンサート、方や今回は大勢の人でごった返す日中のバザーの会場内のコンサート。どんなことになるかな〜と少しヤキモキしながら、当日を迎えました。
10時前から30分ほどリハーサル。その際ギターのたにぴさんがカポを忘れてきてしまったことが判明。でも牧師先生に近隣にお住まいの対バンの方にご連絡していただき、カポを借りる手筈を整えていただきました。ホッ…!リハのちょっとした隙に、お二人が矢野顕子の「電話線」をぽろっと演じてくれて、私は「あ、演るんですか?」と目を輝かせましたが、これはリハ内の私へのサービスとのこと。「とどさんも歌いますか?」と訊かれましたが、ご遠慮させていただきました(苦笑)。10:40から《讃美歌と唱歌を歌う会》のリハーサルがありました。当初一曲目「森へ行きましょう」はHymn Organで伴奏されていたのですが、歌のヴォリュームに負けるということで、パイプオルガンでいくことに。パイプオルガンの前をぶらぶら歩き回りながら「森へ行きましょう」を歌うTシャツ姿の牧師を、ゆーこさんがiPhoneで写真に撮っていらっしゃいました(笑)。
バザー前の教会の入り口にはマラソン大会のスタート間際のようにテープが張られていて、狭い道に今か今かと沢山のお客様が詰めかけていました。さてバザー開始。大物パッチワークキルトがあっという間に売れたり、会場は大盛況。もまゆきゅのお二人も「こんなに本格的なバザーなんだ…!」とちょっと圧倒されていました。
コンサート開演前、たにぴさんが自ら「間もなくコンサートが始まります!」と声を張り上げ、お客様を誘導する場面も。
もまゆきゅのお二人が演奏してくださったのは、
sheep nocturne(新曲)
双子姉妹の歌[ミシェル・ルグラン作曲]
object
チャンス・オペレーション
Ain't No Mountain High Enough(天使にラブソングを…)[ニコラス・アシュフォード&ヴァレリー・シンプソン]
夢が叶った夜
でした。
「sheep nocturne」は旋律が美しいだけでなく、聴いたところholyな歌詞のよう。すっかり惹き込まれました。「双子姉妹の歌」は、映画『ロシュフォールの恋人たち』の双子姉妹よろしくたっぷりの振り付けがチャーミング。黄色い大きな花をあしらった麦わら帽子をゆーこさんが取り出すと、客席から(可愛い!!)というような軽いざわめきが起こりました。たにぴさんのサッチモを模した口ラッパによるソロも楽しかった!1stの懐かしい「object」にしばししんみり。カポを借りられたことで無事演奏できた「チャンス・オペレーション」は、やっぱり迫力がありました。「Ain't No Mountain High Enough」は難曲。「どこにいたってどんなに離れていたってただ僕の名前を呼んでくれればすぐ駆けつけるよ」というメッセージが私に向けられたもののようで、ジワッときました。「夢が叶った夜」も礼拝堂に綺麗に響いていました。
次にチェロで登場した牧師先生も「不思議な世界で惹き込まれました」と仰り、続いて行う自分の演奏に対し俄に緊張が高まったかのご様子。終演後、ご来場のお客様からも「素敵だった」「教会の雰囲気に合っていた」「山梨ではなかなか聴けない」「また来てください」など心のこもったご感想を聞くことができました。
後でお茶した時に、たにぴさんが一時はパソコンのキーボードを打つのさえできないほど手の具合が悪かったと伺い、どれだけ大変なところを演奏してくださったのか、想像力の欠けていた自分を恥じました。
夢のような時間は瞬く間に過ぎ、帰宅して二時間ほど呆然。それから慌ててTwitterでリプライを送りました。
*今回のメインの曲「チャンス・オペレーション」(Singing Monkeymind)のPVです。
ダウンロードは、iTunes、またはAmazonから。(150円です)
今回のバザーは、5年前に教会の第一回チャペルコンサートに演奏にお越しいただいた【Monkeymind You Cube Band】改め【Singing Monkeymind】(シンギング・モンキーマインド)に再びお声をおかけしました。
前回は12月半ばの金曜の夜というクリスマスコンサート、方や今回は大勢の人でごった返す日中のバザーの会場内のコンサート。どんなことになるかな〜と少しヤキモキしながら、当日を迎えました。
10時前から30分ほどリハーサル。その際ギターのたにぴさんがカポを忘れてきてしまったことが判明。でも牧師先生に近隣にお住まいの対バンの方にご連絡していただき、カポを借りる手筈を整えていただきました。ホッ…!リハのちょっとした隙に、お二人が矢野顕子の「電話線」をぽろっと演じてくれて、私は「あ、演るんですか?」と目を輝かせましたが、これはリハ内の私へのサービスとのこと。「とどさんも歌いますか?」と訊かれましたが、ご遠慮させていただきました(苦笑)。10:40から《讃美歌と唱歌を歌う会》のリハーサルがありました。当初一曲目「森へ行きましょう」はHymn Organで伴奏されていたのですが、歌のヴォリュームに負けるということで、パイプオルガンでいくことに。パイプオルガンの前をぶらぶら歩き回りながら「森へ行きましょう」を歌うTシャツ姿の牧師を、ゆーこさんがiPhoneで写真に撮っていらっしゃいました(笑)。
バザー前の教会の入り口にはマラソン大会のスタート間際のようにテープが張られていて、狭い道に今か今かと沢山のお客様が詰めかけていました。さてバザー開始。大物パッチワークキルトがあっという間に売れたり、会場は大盛況。もまゆきゅのお二人も「こんなに本格的なバザーなんだ…!」とちょっと圧倒されていました。
コンサート開演前、たにぴさんが自ら「間もなくコンサートが始まります!」と声を張り上げ、お客様を誘導する場面も。
もまゆきゅのお二人が演奏してくださったのは、
sheep nocturne(新曲)
双子姉妹の歌[ミシェル・ルグラン作曲]
object
チャンス・オペレーション
Ain't No Mountain High Enough(天使にラブソングを…)[ニコラス・アシュフォード&ヴァレリー・シンプソン]
夢が叶った夜
でした。
「sheep nocturne」は旋律が美しいだけでなく、聴いたところholyな歌詞のよう。すっかり惹き込まれました。「双子姉妹の歌」は、映画『ロシュフォールの恋人たち』の双子姉妹よろしくたっぷりの振り付けがチャーミング。黄色い大きな花をあしらった麦わら帽子をゆーこさんが取り出すと、客席から(可愛い!!)というような軽いざわめきが起こりました。たにぴさんのサッチモを模した口ラッパによるソロも楽しかった!1stの懐かしい「object」にしばししんみり。カポを借りられたことで無事演奏できた「チャンス・オペレーション」は、やっぱり迫力がありました。「Ain't No Mountain High Enough」は難曲。「どこにいたってどんなに離れていたってただ僕の名前を呼んでくれればすぐ駆けつけるよ」というメッセージが私に向けられたもののようで、ジワッときました。「夢が叶った夜」も礼拝堂に綺麗に響いていました。
次にチェロで登場した牧師先生も「不思議な世界で惹き込まれました」と仰り、続いて行う自分の演奏に対し俄に緊張が高まったかのご様子。終演後、ご来場のお客様からも「素敵だった」「教会の雰囲気に合っていた」「山梨ではなかなか聴けない」「また来てください」など心のこもったご感想を聞くことができました。
後でお茶した時に、たにぴさんが一時はパソコンのキーボードを打つのさえできないほど手の具合が悪かったと伺い、どれだけ大変なところを演奏してくださったのか、想像力の欠けていた自分を恥じました。
夢のような時間は瞬く間に過ぎ、帰宅して二時間ほど呆然。それから慌ててTwitterでリプライを送りました。
*今回のメインの曲「チャンス・オペレーション」(Singing Monkeymind)のPVです。
ダウンロードは、iTunes、またはAmazonから。(150円です)
着信に 折り返しきて 名乗らぬを
「押し売り電話」と 母の毒づく
(とど)
2010年9月18日 作歌、2016年10月8日 改訂。
「押し売り電話」と 母の毒づく
(とど)
2010年9月18日 作歌、2016年10月8日 改訂。
大びらに 水筒出せず
会果てて 車中に麦茶 ひと息に呑む
(とど)
2014年7月20日 作歌、2015年4月下旬頃 改訂。
会果てて 車中に麦茶 ひと息に呑む
(とど)
2014年7月20日 作歌、2015年4月下旬頃 改訂。
「走って」というアクセントで
「帰って」と 訛る仲間に 釣られてしまう
(とど)
2014年10月5日 作歌。
「帰って」と 訛る仲間に 釣られてしまう
(とど)
2014年10月5日 作歌。
9月の初めに山梨県障害者文化展が開かれました。昨年度は逸る気持ちをグッと堪えて出展を見送り、今年満を持して短歌の連作を出しました。でも結果はかすりもせず。
今回は、約三年前に始めた代読ボランティアについて折々に詠んだ歌で構成しました。こういう作品でした。
影になって
巧い歌いま詠うまい痛いうた詠い今際もうたっていたい
階下へと洩れた発声 冷や汗の滲む思いに耳立てる母
信条に背く一語を含む題に目を瞠(みは)りつつその場に開く
初見にて読む内容の六割は目から舌へと抜けゆくばかり
先の語を追いかけ息を継がぬ読みはミットの前で伸びる投球
週間の予想気温の字がかすむ代読始めた頃にもまして
* * * *
単なる歌の技巧の出来不出来といったものを超えた、謂わば自らの生き方を世に問うような作品に仕上げたという自負が強かったので、空振りだったことを知った時の落胆は大きかったです。
けれど、【社会福祉法人 山梨県障害者福祉協会】のサイトに先頃アップされた『共生』という機関紙の最新号を見て、ストンと腑に落ちました。二番目の記事、協会理事長の竹内氏による「生き方の道筋の向こう」から抜粋します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
天明六家の一人、幽松庵青蘿(ゆうしょうあんせいら)は、次の句を遺しています。
散ればさく 春に今朝逢う 命かな
芸術文化は人間のライフステージの佇まいに似て、……己れの季節を迎えるごとに結実・開花を繰り返し、……新たな生命を生み出していきます。
とりわけ障害者の芸術文化は、障害を可能性実現の弾みにして、生き方の道筋の向こうに、……確かな夢と希望の果実を稔らせずにいない……(中略)。
先人のテーマや作品から触発は受けても、決して模倣に傾がることなく、既成の概念に囚われることなく、生まれたままを持ち続けた感性に火を懸ける、その潔さに掛け替えない値打ちがあると思います。
ことしの障害者文化展と障害者芸術・文化祭は、例年にない参加当事者の覚悟と心意気をみました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私の連作の冒頭の歌には、確かに下敷きがあります。
代読ボランティアの養成講座で配布された発声練習のための早口言葉のプリントに、次の一文があるのです。
歌うたいが来て歌うたえというが、歌うたいぐらい歌うたえれば歌うたうが、歌うたいぐらい歌うたえぬから歌うたわぬ。
一首目の歌はパクリと言われれば、そうかもしれません。でも、底に自分の生き方を忍ばせたつもりです。連作をまとめるに当たっても、最終的に九つの案を編みました。いよいよ作品提出という土壇場になって浮上してきたのが、頭の一首をこの“言葉遊び”的な歌にする案でした。それまでは、どういう感じで代読をするに至ったのか、歌を時系列で並べたような、説明臭がやや鼻につく連作しかできておらず、自身あまり納得が行っていませんでした。しかしこの一首を初っ端に持ってきたことで、いきなり本題に入るような緊迫感が生まれ、これ以外の案は一気に霞んで見えてきました。
* * * *
文化展(と芸文祭)を振り返っての前掲のような講評は、今までの『共生』には見られなかったものです。
文化展が終わって、正直もう作品を出すのはやめにしようという気持ちになっていました。
ですが私はこの講評を読んで、竹内理事長からもっと高いハードルを個人的に示されたような気がしました。
拙速に陥るのでなくドンと構えて、「生き方の道筋の向こう」が見える作品がいつか作れれば…と新たな野心を燃やしつつあります。
今回は、約三年前に始めた代読ボランティアについて折々に詠んだ歌で構成しました。こういう作品でした。
影になって
巧い歌いま詠うまい痛いうた詠い今際もうたっていたい
階下へと洩れた発声 冷や汗の滲む思いに耳立てる母
信条に背く一語を含む題に目を瞠(みは)りつつその場に開く
初見にて読む内容の六割は目から舌へと抜けゆくばかり
先の語を追いかけ息を継がぬ読みはミットの前で伸びる投球
週間の予想気温の字がかすむ代読始めた頃にもまして
* * * *
単なる歌の技巧の出来不出来といったものを超えた、謂わば自らの生き方を世に問うような作品に仕上げたという自負が強かったので、空振りだったことを知った時の落胆は大きかったです。
けれど、【社会福祉法人 山梨県障害者福祉協会】のサイトに先頃アップされた『共生』という機関紙の最新号を見て、ストンと腑に落ちました。二番目の記事、協会理事長の竹内氏による「生き方の道筋の向こう」から抜粋します。
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天明六家の一人、幽松庵青蘿(ゆうしょうあんせいら)は、次の句を遺しています。
散ればさく 春に今朝逢う 命かな
芸術文化は人間のライフステージの佇まいに似て、……己れの季節を迎えるごとに結実・開花を繰り返し、……新たな生命を生み出していきます。
とりわけ障害者の芸術文化は、障害を可能性実現の弾みにして、生き方の道筋の向こうに、……確かな夢と希望の果実を稔らせずにいない……(中略)。
先人のテーマや作品から触発は受けても、決して模倣に傾がることなく、既成の概念に囚われることなく、生まれたままを持ち続けた感性に火を懸ける、その潔さに掛け替えない値打ちがあると思います。
ことしの障害者文化展と障害者芸術・文化祭は、例年にない参加当事者の覚悟と心意気をみました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私の連作の冒頭の歌には、確かに下敷きがあります。
代読ボランティアの養成講座で配布された発声練習のための早口言葉のプリントに、次の一文があるのです。
歌うたいが来て歌うたえというが、歌うたいぐらい歌うたえれば歌うたうが、歌うたいぐらい歌うたえぬから歌うたわぬ。
一首目の歌はパクリと言われれば、そうかもしれません。でも、底に自分の生き方を忍ばせたつもりです。連作をまとめるに当たっても、最終的に九つの案を編みました。いよいよ作品提出という土壇場になって浮上してきたのが、頭の一首をこの“言葉遊び”的な歌にする案でした。それまでは、どういう感じで代読をするに至ったのか、歌を時系列で並べたような、説明臭がやや鼻につく連作しかできておらず、自身あまり納得が行っていませんでした。しかしこの一首を初っ端に持ってきたことで、いきなり本題に入るような緊迫感が生まれ、これ以外の案は一気に霞んで見えてきました。
* * * *
文化展(と芸文祭)を振り返っての前掲のような講評は、今までの『共生』には見られなかったものです。
文化展が終わって、正直もう作品を出すのはやめにしようという気持ちになっていました。
ですが私はこの講評を読んで、竹内理事長からもっと高いハードルを個人的に示されたような気がしました。
拙速に陥るのでなくドンと構えて、「生き方の道筋の向こう」が見える作品がいつか作れれば…と新たな野心を燃やしつつあります。