水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読+α 2021年4月分まとめ

2021年04月30日 07時42分36秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆4月6日
<新改訳第三版 ルカの福音書24:39-43>
わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物がありますか。」と言われた。それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。
   *  *  *
イエスに触りたかった人の多さを改めて思う。病人は癒されたかったから切実だったろうが、それ以外でもミーハー根性の人が多々。歪んだ精神の私は(まぁ皆んなよくもぬけぬけと…)と思ってしまうが。それを考えると「主よ、わたしをお離れください。わたしは罪びとです」と言ったペテロ(ルカ5:8)に私はシンパシーを感じる。でもイエスはそんなペテロを弟子として召し出すのだな。

◆4月10日
民数記9章。律法の定め通りに過越の儀式を守れなかった人々は、後ろめたさ等に押し潰されず、モーセとアロンに直々に訴え出た(私達だって主を礼拝したくなかったわけではない、と)。するとモーセは主に祈り、主は定められた日のひと月後に献げ物をするので良いと仰った。モーセも硬直化した考えの持ち主でなかったし、神も柔軟だった。

◆4月10日
民数記11章。マナに飽きて肉が食べたいという民の不平に、モーセは正直に主に訴える。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのでしょう…なぜ、このすべての民の重荷を私に負わされるのでしょう…私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。それとも、私が彼らを生んだのでしょうか。それなのになぜ、あなたは私に、『うばが乳飲み子を抱きかかえるように…わたしが彼らの先祖たちに誓った地に連れて行け。』と言われるのでしょう」と。また現実的に肉をどこから得るのか、とも神に詰め寄り、重荷が大き過ぎる、こんな目に遭わせるなら私を殺して下さい、と。マジ率直すぎ。モーセはある意味理詰め。民は徒歩の男子だけで六十万、神は、彼ら全員に肉を与え、一月の間食べさせると仰るけれど、羊の群れ、牛の群れをほふっても、足りる?海の魚を全部集めても、足りる?と。それに対し主は「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる」と。

◆4月10日
民数記11章後半。モーセの負担軽減のため70人の長老を任命しようと召集をかけるが、二人が宿営に残っていて参集せず。だが神は彼らにも御霊を注ぎ、二人も預言状態に。その報告を受けたモーセの一番弟子ヨシュアはモーセに「彼らをやめさせてください」と請う。だがモーセはヨシュアに「あなたは私のためを思ってねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに」と。モーセがそれだけ偉大だった、と考えるのは短絡的。神に特別に愛される素晴らしさを皆に味わってほしかったのでは

◆4月10日
ヨハネ福音書3章。洗礼者ヨハネの生き様に憧れる。『私はキリストではなく、その前に遣わされた者である』(28節)と述べ、自身を花嫁を迎える花婿の友人に喩えて、花婿(イエス)の声を聞くだけで喜びに満たされると。ヨハネの「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(30節)は本当にそう。私は日陰者でいいのだ、イエスの引き立て役でしかない、と

◆4月13日
今朝のゴミ出しBGMはネイサン・アウェアウの『One More Road』。ちょっと全体的にポップ過ぎるアルバムだけど、ネイサンの美声(地声からファルセットに駆け上がる時の滑らかさ)には溜め息。でもやっぱりハワイアン・フレーヴァーの漂ってる曲の方がネイサンの声が生きる気がする。
リチャード・マークスの「Now And Forever」のカバーもあった。〽︎ I will be your man……のところ聴いて、うーむと。イザヤ62:5「若者がおとめをめとるように あなたを再建される方があなたをめとり 花婿が花嫁を喜びとするように あなたの神はあなたを喜びとされる」にうっとりする女性信徒もいるが 。そして「イエスと結婚したい!」と目をキラキラさせて言ったり。それを聞くと私は正直(汚らわしい……)と思う。イエスは清いのだ。結婚なんてとんでもない、と。私自身はイエスの下僕でいいと思ってる。イエスの御用に使っていただけるだけで有難い(ルカによる福音書17:10)。

◆4月16日
割とちゃんと眠れて、静坐不能症(静臥不能症と言うべきか)も出なかった。祈って下さっていた方のことを思う。
   *  *  *
イエスは群衆からも(ヨハネ福音書7:20)、ユダヤ人達からも(ヨハネ福音書8:48,:52)「悪霊につかれている」と言われたのだな。私が実際に悪霊に取り憑かれているのだとしても、イエス様が私の苦しみを解って下さっているし、いつも共にいて下さるから、私にはそれだけで充分

◆4月19日
<新改訳第三版 ヨハネの福音書9:36>
その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」
   *  *  *
見えなかった目を治していただいた人の言葉。(私は治して下さった方を知らない、でも信じられますように)で良いんだな。

◆4月19日
先週作業所で、聖書に関心あるお二人から「〜と聖書に書いてある」という言明を聞き、その間違いを糺した。おそらく牧師・神父・神学者など聖書に詳しい方が黙想や学究の末に得た知見を、お二人が聖書そのものと勘違いしたのだろう。牧師先生や神父様がご自分の生活や信徒さんの抱える問題のために神に必死で取りすがり得た考察は、確かに力があるけど、あくまで限定的なもの。それは御言葉そのものとは違う、と私は思う。
   ↓  ↓  ↓
<新改訳第三版 ヨハネの福音書6:45>
預言者の書に、『そして、彼らはみな神によって教えられる』と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます。
   ↓  ↓  ↓
私達は誰でも独りで聖書を学ぶのには限界がある。だから礼拝説教など人の学びに依拠せざるを得ないしその必要もある。でも神は、直々に主の許に学びに来るよう招いてるのでは。

◆4月21日
信徒にとっても天国へ行くって希望なのかな?私は正直わからない。私自身はイエスと一緒なら天国でも地獄でもいい。だがその点パウロは桁外れ
   ↓  ↓  ↓
<新共同訳ローマ9:3>
わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています

◆4月22日
<新改訳第三版 ヨハネの福音書15:3-4>*4月27日礼拝説教聖句
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
   *  *  *
マタイ7章の砂の土台と岩の土台の喩えは苦手だった。御言葉を行えてない感あったから。でもヨハネ15章読んで、御言葉の土台の上に生きるのは裁かれつつ怯えて暮らすのではないんだな、と初めて。御言葉にとどまる、って善行に励む、と言うより、いつもイエスの御顔を仰ぎイエスに聴いていくうちに、行いが育まれていくことなんだな、と。じゃなかったら主の足もとで御言葉に聞き入っていたマリヤに苛立つマルタに、マリヤから良い方を取り上げるな、とは仰らなかったろう(ルカ福音書10:38-42)
   ↓  ↓  ↓
<新改訳第三版 ヨハネの福音書8:31-32>
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
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一首鑑賞(82):深水遊脚「行くあてもない午後八時半」

2021年04月29日 10時14分47秒 | 一首鑑賞
普段ならお酒をちびちび飲むけれど行くあてもない午後八時半
深水遊脚(2021年4月25日のTwitterより)


 一ヶ月ほど前だったろうか、運転して帰ってくるとうちの駐車場に缶が二つ転がっているのが見えた。それでとりあえず駐車場の前に停車し、(本当なら家のゴミ箱に捨てるべきなのだろうが)我が家の向かいの美容院の自販機の隣にあるゴミ箱のところに缶を持って行った。ゴミ箱は缶で満杯になっていた。それでも無理矢理ねじ込もうとして投入口のところの缶をよく見ると、ビールの缶だった。当然その自販機で売られているものではない。自分が横着してうちの駐車場の缶ゴミをそこに入れたのは差し置いて、何だか苦々しい気持ちになった一件であった。
 4月25日、東京・大阪など4都府県に緊急事態宣言が出され、酒類提供の飲食店へ休業要請がされた。しかし緊急事態宣言発出後ある程度の感染者減が見られても、宣言解除で街に人が溢れると再び感染者が激増し……ということを繰り返していると、長く行動を制限される中でのストレスも爆発し、半ばやけばちに刹那的にアルコールに走る心情も解らなくはない。蔓延防止措置などが講じられても人出が収まらず、都心の繁華街で路上飲みをして暴れる人達を槍玉に挙げるのもやや躊躇われるのが、昨今ではないだろうか。
 掲出歌の作者はお酒がお好きなようである。だが時短営業で飲食店を早々に放り出されてしまうこのご時世、明るく鬱憤を晴らす場もなく、ストレスは内面化し抑圧される一方だ。
 世の中ではキリスト教に禁欲的なイメージを抱いている方が多いようだが、それは少し違う。コヘレトの言葉3章12〜13節に「わたしは知った 人間にとって最も幸福なのは 喜び楽しんで一生を送ることだ、と  人だれもが飲み食いし その労苦によって満足するのは 神の賜物だ、と。」とあり、またコヘレトの言葉10章19節には「食事をするのは笑うため。酒は人生を楽しむため。銀はすべてにこたえてくれる」という御言葉もある。またマタイによる福音書11章19節には、「人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」と、イエスがよく弟子達や友人、民衆とお酒を飲んでいた様を表す言葉も見受けられる。
 しかしイエスが何の希望もなく貪食・鯨飲に耽っていたのかと考えると、それも違うように思う。ヨハネによる福音書4章31〜34節に〈その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。というシーンがあるが、これは五度の結婚の果て今連れ添っている男性は夫君ではないサマリアの女性に御心を伝えた後、心満たされていたイエスの言葉である。
 コロナウイルス感染症が収束するのはいつなのか——それは誰にも分からない。いつ止むとも分からない不安・怒り・苦しみで私達は疲弊している。そのような中にあってもしクリスチャンが堂々として見えるとしたら、先のサマリアの女性にイエスが語った御言葉が裡に生きているからに他ならない。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネによる福音書4章 13〜14節)
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媚び売りたくない。

2021年04月26日 03時42分36秒 | その他
女性ならいつまでも若く見られたいという人ありて毛染めをやめる
(とど)

2021年2月25日 作歌。
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ぶりっ子のつもりはないが…

2021年04月25日 01時59分47秒 | 風景にあわせて
箸を持つときだけでなくピアノ弾くときにも立ってしまう小指よ
(とど)

2021年2月15日 作歌。
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そうされても仕方ない下手さ(~_~;)

2021年04月16日 07時50分51秒 | 風景にあわせて
窓拭きの無限ループと来たらもう私のあとを拭きゆく信徒
(とど)

2020年12月27日 作歌。

*お題は上句
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男性陣はタジタジ。

2021年04月12日 16時23分04秒 | 風景にあわせて
掃除では鬼の采配ふりまわし君だけになら通じる正義
(とど)

2021年4月4日 作歌。

*下句はお題。
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どっちが先とも…

2021年04月07日 16時34分41秒 | 季節にあわせて
一陣の風が桜を舞い散らし母との花見あと幾たびか
(とど)

2021年4月4日 作歌。

*上句はお題。
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追い詰めたいの…?

2021年04月06日 01時15分20秒 | 人[その作品]に寄せて
ファリサイ派というわけでもないでしょう?裏を取るのに必死な君も
(とど)

2021年3月31日 作歌。
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結局“女性は獲物”なんだよね…

2021年04月04日 03時50分45秒 | その他
若さへと倚る男らをよそにして私はいつも過去に生きてる
(とど)

2020年12月27日 作歌。

*お題は下句。
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隔たりナシは神様だけかも…

2021年04月03日 09時49分54秒 | 風景にあわせて
面会は御簾越しですね人ならば 私はいつも過去に生きてる
(とど)

2020年12月24日 作歌。

*お題は下句
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まさに…

2021年04月02日 03時31分44秒 | 思い出に寄せて
人は言う「ブラックホールの自己愛」と 空がみているキミの宇宙だ
(とど)

2021年3月21日 作歌。

*お題は下句。
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